雨
20分ほど待っただろうか。
残された3人は、雑談をしていた。
「雨だ。」
真っ先に気づいたのは向山だった。
「天気予報では降らないってなってましたよね?」
岸谷が少し驚いたように聞く。
「山の天気は分からないんですよ。とりあえずカッパを来ましょう。体温が奪われるのはたとえ夏の山でも危険です。」
向山の言う通りだった。真夏なのだか、曇り、小雨が降り始めたこの時、体感温度はかなり低かった。
それぞれが着たカッパは蛍光色が多かった。
木曽は明るい緑。岸谷は黄色。向山は赤だった。
リュック荷物防水シートを被せ雨対策を施した。
「待たせてすまない。」
と下の方から声が聞こえた。山部が帰ってきたのだ。難所を往復したこともありかなりぐったりしていた。
「朱里さん達は大丈夫でしたか?」
岸谷が心配そうに聞いた。山部は頷き、先頭まで歩いた。
ここで向山が山部の疲労具合を心配して駆け寄った。
「水を飲んだ方が良くないか?カッパも、出すよ。」
向山は山部の後ろに周り、リュックを開けようとした。その時。「よせ!自分でやる。」
と山部が語気を強めて言った。
「そうか、わかったよ。」
向山は納得しない様子だったが最後尾に戻った。
そして部隊は進行を再開した。
岸谷が意外と体力があったことにより、ペースは先程より上がった。
岸谷は少し霧がかかった風景を眺める余裕すらありそうだった。
四人は黙々と登った。
予定では次の広場では大休憩、あとは2回の小休憩を挟み、山荘に到着という予定だった。
木曽は時計を見ながらあと1時間半ほどで山小屋に到着だろうと思った。
木曽は少し霧が晴れたので、写真を撮るために広場を少し離れると、岸谷が後を追って来た。
「高山植物が見れるのって、あとどれ位先ですかね?」
「そうだな。あと1時間も登れば森林限界を越えるから、もう少しの辛抱だと思うよ。」
「わかりました。楽しみだな。」
岸谷はポツリとつぶやくと、木曽の写真撮影を眺めていた写真撮影を眺めていた。
霧は晴れたが、小雨は続いている。
木曽は山荘に着く頃には小雨は止んで欲しいと切に願った。
「そろそろ出発かもしれない。戻ろうか。」
木曽の呼び掛けに岸谷は「はい。」と答える。2人は先程の広場に戻り始めた。
しかし、前方から山部らしい人影が小走りに近づいて来た。
「そこの2人。向山を見てないか?」
息を荒らげて、目を大きる開きながら山部が尋ねた。
「こっちには来てませんけど。」
木曽の返答に、岸谷も頷いた。
「そうか、すまないが探してくれないか。彼しかトランシーバーを持っていない。緊急時に必要なんだ。」
2人は山部の後に続き捜索を開始した。
広場周辺を1周したが見当たらない。
すると、思い出したように山部が声を上げた。
「谷かもしれない!」
辺りを見回す山部、「こっちだ。」と2人に良い薮の中を掻き分けて山部の言う谷を目指した。
薮を抜け、少し木が減ったかと思うと視界が急に開けた。
「危ない。止まろう。」
山部の号令に足を止め。ゆっくり前に進んで見るとそこには20m以上はあろうかという谷があった。
「向山!向山!」と声を張り上げるのは山部だ。木曽も真似て声を出そうとしたその時だった。
「きゃっ!」と短い悲鳴をあげたのは岸谷だった。
彼女は膝を折り、そこに座りこんでしまった。
「赤い、カッパの...」
か細い岸谷の声をかろうじて聴き取り、彼女の指さす方の谷を見るとそこには、向山の姿があった。
しかし、生を感じない。まるで人形のように手足を投げ出し倒れていた。
「なんてことだ!クソっ!」
山部が吐き捨てるように言った。
「トランシーバーの入ったリュックごと転落してる。山小屋に連絡することも出来ん。」
「どうしますか?」と木曽は声が震えるのを堪えながら言う。
「山小屋を目指した方がいい。準備をしてくる、2人も広場に集合してくれ。」
「わかりました。」
岸谷はショックのあまりまだ立ち上がれていなかった。
木曽は状況を撮影した方が良いと思い、望遠レンズで赤いカッパを着た向山の死体に向けて手を合わせ、そのすがたを撮影した。
先程からの雨で地面がぬかるんでいたため、滑落したとしたらその足取りが掴めると思い、木曽は辺りの地面をよく調べた。
「何を探してるんですか?」
やっと立ち上がり、顔色も良くなってきた岸谷が聞く。
「この状況の写真を残しておくべきだと思ってね。仮に滑落したならその痕跡とか、どうして落ちたのかその足取りとかを探そうと思って。」
「わかりました。探してみます。」
岸谷は目が良いらしい。すぐに、さっき3人が谷を覗いた時の足跡ではない2人組と思われる足跡を見つけた。
「これじゃないですか。2人組の足跡ってことは滑落する直前まで山部さんといたってことですかね。」
木曽は唸り声をあげながら、とりあえず撮影した。
「もしこれが山部さんと向山さんの足跡だとすると、山部さんは僕達2人に向山さんの居場所を聞かなくても、ここだってわかったはずだ。」
木曽は自分で解説してますます分からなくなってしまった。
本当に山部の足跡か判断するために、先程の3人の足跡を撮影した。
いよいよ、見比べようとしたその時、広場の方から山部が呼びかけた。
「何やってる!早く出発するぞ!」
「すみません。今行きます!」
木曽が答え、岸谷と共に広場に戻った。
「さっきより少しペースを上げようと思う。一刻も早く山小屋に着く必要があるからな。」
そう言う山部の口調には焦りや、緊張感が滲み出ていた。
3人は水分を取り、雨が止んだためリュックの防水カバーを外し、カッパをしまった。
すると岸谷が、山部の手元を指さし「あっ。」と声を漏らした。
「山部さん、軍手に血がついてますよ。」
その瞬間、山部の表情に曇りが見えたが、すぐに冷静な表情に戻ると。素早く換えの軍 軍手と取り替えながら「さっき、薮を抜けてる時に切ったみたいだ。」と呟いた。
確実にペースが上がっていた。
登山に慣れている木曽でさえ、少し息が上がっていた。
これまでは、余裕を見せていた岸谷も向山の滑落により心の余裕を失ったのか目は虚ろで、呼吸も荒くなっていた。
先頭の山部は全く疲れを感じさせない。というより、木曽からは離れた背中しか見えていないため表情からも呼吸音からも疲れを感じ取れなかった。
楽しいはずの登山は、ひとつの事故で景色を一変させてしまった。
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