闇で踊る男たち

「やったな。お前、大手柄だぜ」


 高山裕司の言葉に、制服姿の加藤健一はかぶりを振る。少しも嬉しくなさそうな表情で口を開いた。


「大手柄、とは言えないですね。チンには逃げられましたから。それに、どうせ上の連中に手柄を持っていかれるだけです」


 そう、チン・シンザンと名乗っていた男は姿を消していた。現在、行方を追ってはいるが、手がかりは掴めていない。




 今、世間を騒がせているのが、都内に存在した外国人マフィアの殺人サークルである。

 もともとは、チン・シンザンと名乗る在日外国人が作った一本のスナッフフィルムが発端である。その内容は残虐かつ異常なものであった。日本人の若い女性を誘拐し、一室に監禁する。その過程を、克明に撮影していた。

 さらに、女性を椅子に縛り付け、体を切り刻みながら殺したのだ。しかも、その模様さえも最初から最後まできっちりと撮影していたのである。

 その映像は、一部の外国人の間で評判になった。彼らは、人を痛め付け殺すのが好きでたまらない異常者である。おまけに、強い反日感情を持っていた。そんな彼らにとって、若い日本人女性を痛め付けて殺すという行為は、たまらなく魅力的なものだった。

 やがて、自分も日本人の女を殺したい……と言い出す者が現れる。チンは、そうした者たちの要望に答え、殺人ショーを開催することにしたのだ。不景気により潰れた店舗をいくつか買い取り、それらしき内装にする。

 会場が完成すると、獲物となる女を用意し客に連絡した。

 集まったのは数人だが、いずれも金は持っている上、ノーマルなセックスなどとっくの昔に飽き果ていた。中には放蕩の生活がたたり性的不能になっていた者もいる。

 そんな彼らにとって、人殺しは魅力的な行為だった。全員、まともな刺激では満足できないような者たちである。

 人間にとって、最大のタブーである殺人。しかし、そのタブーな行為を娯楽として扱う……それは、特別な意識をもたらす。特別な者、選ばれし者の恍惚を感じさせてくれるのだ。

 しかも、全員の共通点がもうひとつある。日本人に対し、異様なまでの敵意を持っていたことだ。

 そんな彼らの前に、若い日本人女性がいけにえとして運ばれて来る。

 やがて、地獄のショーが始まった──


 殺人ショーは最初、月に一度というペースで開催されていた。だが、客からのリクエストにより週に一度となる。

 ショーの流れはこうだった。チンの側近の日本人が、出会い系サイトやマッチングアプリなどでめぼしい女を探し誘拐してくる。中には、客の方から「次は、こんなタイプの女がいい」と注文が来ることもある。

 女が用意できたら、客に連絡する。客は思い思いの「得物」を持参し会場に行き、ショーを楽しむのだ。

 ショーが終わると、専門の業者を呼び清掃する。殺人が行われた痕跡も死体も、完璧に消し去るのだ。しかも、会場は毎回変わる。傍目には、年齢も格好もまちまちな男たちが集まりパーティーをしているようにしか見えない。

 五年の間、全く尻尾を掴まれることなく殺人ショーは続いていた。だが、日村修ヒムラ オサムの婚約者をいけにえにした時から、サークルの土台に亀裂が生じ始めていた。

 日村修は刑事だ。以前から、若い女性が連続で行方不明になっている事実を知っていた。だが、自分の婚約者まで行方不明になったことを知ると、狂気じみた執念で事件を調べる。その結果、ひとりの重要人物を別件で逮捕することに成功した。チンの側近・野口明彦である。

 この野口は、端正な顔立ちとワイルドな雰囲気とを兼ね備えており、口も上手い。女性に接触し言葉巧みに誘い、隙を見て拉致し会場に運ぶ。場合によっては、人気ひとけのない場所でスタンガンなどを用いて脅しつけ、手錠をかけて自由を奪い車に押し込むこともあったという。

 日村刑事は、徹底的に明彦を取り調べる。だが、途中で違法捜査の疑いが出てきたため、明彦を釈放せざるを得なくなったのだ。

 しかも、釈放された明彦は謎の自殺を遂げる。日村は捜査から外され、組織は安泰かと思われた。

 しかし、誰もが予期していなかった事態が起きる。突然、警視庁の上層部に大量の証拠が提出されたのだ。警視庁は、殺人サークル壊滅のための捜査本部を設置し、大量の人員を投入し捜査に当たる。

 結果、日本在住の外国人ビジネスマン六人および日本人五人が逮捕された。いずれも、殺人ショーの客および関係者である。

 また、死体を処理していた場所にも捜査の手が伸びる。砂の一粒一粒を検査するような徹底的な捜索の結果、人体の一部が発見された。DNA鑑定をすると、五人の人間のものであることが判明する。いずれも、行方不明となっていた人物である。

 もっとも、これはあくまで氷山の一角である。警察の発表では、犠牲者の総数は五十人を超えるだろう……とのことであった。確実に日本の犯罪史に残る猟奇的殺人事件だ。マスコミは、連日この事件について報道していた。




 その証拠を提出したのが、他ならぬ加藤健一である。

 日本の犯罪史上に残る事件の捜査に、最も重要な役割を果たした健一だったが、どこか悲しそうな表情を浮かべていた。


「あのバカが……」


 低い声で毒づく。その言葉は、今は亡き明彦に向けられたものだ。

 健一の自宅に、差出人不明の手紙が届いたのは一週間前の話だった。野口明彦が釈放された翌日のことである。

 封筒の中には、コインロッカーの鍵が入っていた。さらに、一枚の便箋も入っている。そこには、こう書かれていた。


 カトケン、すまなかったな。後は頼んだぞ。


 手書きの、たった一行で終わりの手紙である。だが、健一はハッとなった。すぐに出向き、コインロッカーを開ける。出てきたものは、一冊のノートと書類、そしてUSBメモリーだった。

 ノートと書類には、チンの組織の活動内容、メンバーのプロフィール、殺人ショーが開催された場所と日時、犠牲となった者たちの名前などが克明に記録されていたのである。さらに、明彦の住んでいる家の住所も記されていた。

 その上、USBメモリーには、殺人ショーの映像データが入っていた。

 これらの証拠により、警視庁の上層部が動いたのだ。


「まあ、チンのことは仕方ねえよ。警察の動きは、事前に読まれてたみたいだからな。それに、奴はもう日本で悪さは出来ねえさ。お前は、これから殺されるかもしれない人の命を救ったんだ。それで、よしとしようぜ」


 言いながら、高山は健一の肩を叩く。

 だが、健一の表情は変わらない。その目には、未だ消えることのない感情があった。


「結局あれか? お前さんのところに情報を流したのは、野口明彦だったんだな?」


 尋ねた高山に、健一は頷いた。


「ええ。間違いないです」


 その顔には、複雑な表情が浮かんでいる。怒り、悲しみ、戸惑い、やるせなさ……様々な感情が、浮かんでは消えていく。高山は無言で、彼の次の言葉を待っていた。

 ややあって、健一は口を開く。


「バカ野郎が、何も死ぬことなかったのに……」


 搾り出すような声だった。高山は、憐れみのこもった目で健一を見る。

 基本的に、容疑者とかかわりのあったような過去を持つ刑事は、捜査から外すことになっていた。個人的な感情により、捜査に支障をきたす可能性があるからだ。まして、健一はヒラの巡査である。こんな大きな事件の容疑者の取り調べを行うなど、まずありえないことだった。

 しかし高山は、あえて健一を入れることにしたのだ。上層部は、既に明彦の検挙を諦めている。取り調べも、本人が言っていたように敗戦処理のようなものだった。だからこそ、高山は好き勝手にやれた。

 実のところ、高山は諦めていなかった。彼の最後の切り札が健一だったのだ。この男が、明彦を落とす鍵になるだろう……その読みは、半分は当たっていた。


「あの野口にも、人の心が残っていやがったんだな」


 呟くように言った高山に、健一は下を向いたまま語り出す。


「あいつは……明彦は、確かに罪人です。大勢の人の死にかかわっていたのは間違いないでしょう。でもね、全てがあいつのせいじゃないんです。あの一夜がなかったら、あいつの人生は違ったものになっていたはずなんです」


 そこで、健一は顔を上げた。


「高山さん、何でアキは死んだんですかね。しかも、わざわざ俺の家に証拠を送り付けて来やがった。そんなことするくらいなら、最初から全部吐いちまえばよかったのに……」


 悲痛な訴えだった。高山は目を逸らし、重々しい口調で語り出す。


「俺は野口じゃねえし、野口という人間について詳しく知ってるわけでもねえ。だがら、これは俺の想像だが……あいつは、お前にだけは負けたくなかったんじゃないのかな」


「どういう意味です?」


「小学校の時、あいつとお前は親友だったんだろ。同時に、ライバルみたいなものだった。あいつにとって、お前だけは特別な存在だったんだよ。そのお前に自供する……これは、野口のプライドが許さなかったんだろうよ」


 聞いている健一の顔が歪んだ。

 同時に、かつての思い出が蘇る。確かに、健一と明彦の関係は、単なる友人ではなかった。

 ふたりは、二度喧嘩をしたことがある。どちらも、些細なことが原因だった。二度とも、決着がつかなかった。その前に、担任教師が止めに入ったのだ。

 そんなふたりが仲良くなったのは、正和が原因である。廊下でイジメられている正和を見て、健一は不快なものを感じた。だが、止めに入ろうか迷った。最底辺の生徒である正和を助けたら、健一も同じ立場になるかも知れない……そんな思いが頭を掠め、動きを鈍らせた。

 その時、健一より先に止めに入ったのは明彦だった。


「君たち、ずいぶんとつまらないことしてんね。んなことしてて面白いの?」


 すかした口調だった。イジメていた少年たちは、じろりと睨む。


「何、お前このデブの味方すんの?」


 ひとりが言った。周りにいた取り巻きが、ゲラゲラ笑う。だが、明彦に引く気配はない。

 健一は胸を打たれる。こいつは凄い、と思った。俺はビビって止めに入れないのに、こいつは立ち向かおうというのか──

 迷いは消えた。前に進み出て、明彦に向き合う。俺も手を貸すよ、と言いたかった。だが、口から出たのは違う言葉だった。


「なあ、この前の決着つけようぜ」


「はあ? 何言ってんだよ?」


 訝しげな表情の明彦に、健一はニヤリと笑い少年たちを指差す。


「こいつらを、どっちが多くぶっ飛ばせるか勝負だ」


 すると、明彦もくすりと笑う。


「面白いじゃん。いいよ。勝った方が、ジュースおごりな」


 直後、ふたりは殴りかかる──

 数分後、イジメっ子たちは全員ボコボコの顔で退散していった。以来、三人は仲良く遊ぶようになったのだ。

 しかし、正和と明彦はもういない──

 今にも、涙が溢れそうだった。思わず目をつぶり、天を仰ぐ。

 その時、高山が口を開いた。


「野口に残された、最後の小さなプライドだよ。あいつにしてみれば、お前に逮捕されるのは死ぬより嫌だったんだろうな」


 彼の言葉は、健一の心に深く染み込んでいく。明彦にとって、自分はそこまで大きな存在だったのか。

 あれから、一度も会っていなかったのに──


 万感の思いに襲われ何も言えずにい?健一に、高山は語り続ける。


「お前に奴らの情報を送ったのも、野口のプライドゆえだろう。俺は、お前より上だ。だから、情報をくれてやる……そんな気持ちだったのかもしれねえよ。まあ、本当のところはわからないけどな。親友だったお前に、手柄を立てて欲しいっていうストレートな思いゆえの行動かもしれん。いずれにせよ、あの野口にも欠片ほどの人間らしさが残っていたのは確かだ」


 しんみりした口調だった。この老刑事でも、感情を動かされることがあるらしい。

 すると健一は、堰を切ったように語り出した。


「アキは、血も涙もないモンスターじゃなかったんです。少なくとも、俺が知ってるアキは違う。弱い者を守るために、理不尽な暴力に立ち向かえる男でした。確かに、あいつは罪を犯しました。恐ろしい犯罪の一端を担っていたことは確かですよ。でも、何もかもがアキひとりのせいじゃないんです。あれさえ見なければ、あいつの人生は違うものになっていたはずなんですよ。俺だって、ああなっていてもおかしくなかった」


「じゃあ、何でお前は野口のようにならなかったんだ?」


 高山の冷静な問いに、健一は顔を歪めつつ答える。


「マッちゃんのおかげです」


 そう、健一の傍には正和がいた。小学校の頃は、いつもニコニコしていた気のいい少年だった。

 だが、あれを目にしてから、性格が変わってしまう。ほとんど喋らなくなり、部屋の中で、ぼーっとしている少年になってしまった。

 そんな正和の元に、健一は毎日通った。何年間も通い続けた。


「俺にとってマッちゃんは、地獄を生き延びた戦友みたいなものでした。マッちゃんは世間の人から見れば、ただのニートでしかなかった。でも俺は、マッちゃんがいるから頑張れたんです。マッちゃんがいなかったら、俺もアキのようになってもおかしくなかったんですよ」


 涙をこらえつつ語る健一の脳裏には、かつての記憶が蘇っていた。

 己の人生を振り返ってみれば、明彦のように闇に堕ちることもありえたのだ。事実、そうした局面もあった。だが、健一には出来なかった。部屋の中で閉じこもり、膝を抱え座りこんでいる幼なじみを救いたかった。

 その思いだけが、健一を支えていた。いつか、正和が外に出られるようになった時、手助けできるような人間でいたい……だからこそ、健一は踏み止まることが出来た。闇に堕ちることなく、日の当たる世界を歩めたのだ。

 しかし、正和は死んでしまった。


「俺はね、チンを許しませんよ」


 言い放った健一の口調は静かだが、激しい感情が込められている。

 そう、チンだけは逮捕されていない。未だ行方不明だ。しかし、あの男だけは許せない。諸悪の根源であり、明彦を組織に引き込んでおきながら、罰を逃れようと逃げ回っている。

 険しい表情の健一に、高山は眉をひそめる。


「あんまりのめり込むなよ。でないと、お前も日村みたいになっちまうぞ」


「そういえば、日村さんは警察を辞めたそうですね」


「ああ。辞めろとは言われてなかったはずだけどな。責任を感じたんだろう。あいつ、無茶しなきゃいいけどな」




 健一には、公にしていないことがある。ひとつだけ、上層部に提出しなかった物があった。

 その提出しなかった物は、ある人間の手に渡った。


 ・・・

 

 眼鏡にマスク姿の男が、人気ひとけのない田舎道を歩いていた。

 周囲には木が生い茂り、人工的な建物は見えない。道路は舗装されているが、道の端にあるのは木や草しかない。

 そんな場所をひとり歩いている彼こそが、日本中を騒がせている殺人サークルの主催者だったチン・シンザンである。どうにか警察の追跡を逃れ、ここに隠れ住んでいたのだ。かつては、自信たっぷりな態度で町を闊歩していた。しかし、今は怯えきった表情でキョロキョロしながら歩いている。

 もっとも、隠れ住むのも今日で終わりだ。これから、日本を脱出すべく港に行く手はずになっていた。もう、空港は張られている。となると、船で逃げるしかない。とりあえずは、タイに行くつもりだ。

 やがてチンは、待ち合わせ場所である橋のたもとに来た。下には川が流れているが、さほど深いものではない。彼は立ち止まり、迎えの車を待った。

 五分ほど経った時、こちらに車が走って来るのが見えた。車は、チンの目の前で止まる。

 その瞬間、チンの顔色が変わった。違う。これは迎えに来た車ではない。


 警察か?


 ドアが開き、三人の男が出てきた。チンは、慌てて逃げようとする。だが、あっさりと捕まった。脇腹に、冷たいものが押し当てられる。

 これは警察でもない。裏の人間だ──

 チンは、恐怖のあまり叫んだ。


「ま、待て! 金ならやる! 依頼主の倍払うぞ!」


 だが、三人は無言でチンを車に乗せる。直後、車は発進した。

 チンの隣にいる男が、耳元で囁く。


「俺の名は、日村修だ。あんたとは、じっくり話したかったんだよ」


「お、俺は、あんたなんか知らない」


 震えながら、必死の形相でかぶりを振るチン。だが、日村はにこやかな表情のままだ。

 

「そうか。だがな、俺はあんたを知ってるんだよ。なあ、神代綾香カミシロ アヤカという女を覚えてるか?」


「知らないよ! あんた、人違いしてるんじゃ──」


 その途端、口に裏拳が叩き込まれた。チンは、痛さのあまり口を両手で押さえた。目からは、涙が溢れ出る。

 一方、日村は涼しい顔だ。しかし、その目には異様な光が宿っている──


「だろうな。今までに食った肉のキロ数を覚えてる奴なんかいない。安心しろ、お前は殺さない。そのうち、泣いて頼むことになるぜ……早く殺してください、ってな」






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さらば真友よ 板倉恭司 @bakabond

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