第19話 フユコ

「今からバンターに?」

 パパは運転しながら声を上げた。

「しかしこれから家に帰って母さんに……」

「パパ、お願い!」

 僕は強く出た。

「フユコ、もしかしたら寂しいのかも」

 僕の発した「寂しい」にパパが反応する。それから告げる。

「何か思い当たることがあるんだな?」

 僕は頷く。

「あの人の為になることなんだな?」

 また、頷く。

「よし」

 パパはハンドルを切った。

「バンターに行くぞ」



「しかしあの人のことをどうやって見つけるんだ?」

 高速道路。右を左をすごい速さの車が駆け抜けていく。パパの問いに、僕は答える。

「マサヲを探せばいいんだよ!」

「マサヲ?」

「フユコの乗ってる車!」

「車? おいおい、この道だけでもどれだけの車が……」

「日本の車って区別つかない?」

 パパは黙った。

「……よし、日本車を探せばいいんだな?」

 ハンドルを強く握りしめる。

「まかせろ。パパは学者だ。探し出すのは、上手いんだ」

「他にも手がかり、あるよ!」

 それから僕はパパに告げた。パパは笑った。

「お父さんに似たな。レーシも将来学者になるか?」



 ミュールマキ教会。

 通称、「光の教会」。

 パパがそう、教えてくれた。

「建築学的にも興味のある建物でね。一日中、どこかしらから太陽の光が入るように設計されている」

 そっか。だから、光の教会。

 僕がパパに教えた、フユコの捜索条件はこうだ。

 まず、何らかの記念碑であること……これは妖精の街で学んだ。店の前に立つドワーフがその店の再興の誓いだったことを、フユコは見抜いた。

 次に、宗教施設であること……沈黙の十日間。フユコはヴィパッサナーに参加していた。きっと、世界の宗教に興味があるんだ。その地で人が信じていたものに関心があるんだ。

 最後に、大切な人との想い出になること……ラトビアで、キリスト教の波に飲まれながらもきっちりと自分の信仰を守り抜いた人たちの話をしてくれた。きっと大切な何かを譲らない信念の強さを感じたから、あんなに一生懸命僕に話してくれたんだ。

 これらの条件に「教会」はぴったりだった。そういえば、僕とフユコの出会いも崩れた教会だ。やっぱりフユコは「その土地の生活」に強い関心があるんだ。教会か、その近くにある何かの場所にいることはほぼ間違いないように思えた。だからパパはバンター中の教会を当たってくれた。

 そんな中の三件目。「光の教会」、ミュールマキ教会の側に見つけた。

 そっと、添えられたように停まっている、あの見慣れたマサヲの姿を。



「フユコ……」

 静かな、教会の中。

 夕暮れ。オレンジ色の太陽が教会の中に光を投げる。

 まぶしくて、清らかで、美しい中にフユコがいた。紺色のパーカーを着ていて、恥ずかしいことに僕はこの時初めてフユコの髪型をちゃんと見たのだけれど、緩いパーマがかかった肩までの髪が、光を受けてキラキラしていた。

 僕はもう一度話しかけた。

「フユコ」

 するとフユコが、振り返った。

「レーシ」

 どうしたの、と訊いてくる。僕は返す。

「フユコも、大切な人に会いにきたんでしょ?」

 僕はゆっくりフユコに近づく。いくつも並んだ椅子の向こう。祭壇の前にフユコはいた。

「結婚、してたんだよね」

 これも、恥ずかしながら。

 パパに意味を教えてもらうまで気にも留めなかった。フユコの指に指輪があることさえ気づかなかった。

「色んな国で色んな『記念』や『想い』『生活』を見たね」

 妖精の街。鳴り止むラッパ。街中の銅像。過去を忘れないための記念。

 沈黙の十日間。先人たちの修行。その裏で動いていた人の想い。いいものも、悪いものも。

 あれは何なの? リガの市場で、それから道端の十字架で、僕はラトビアの人たちの生活を知った。

「フユコにも、そういうものがあったんだ」

 ようやく、僕はフユコに追いつく。彼女の背中。僕よりちょっと大きいだけ。大人としては少し小柄なフユコの背中。

「ここにいるのは旦那さん?」

 フユコは観念したようだった。

「彼とは五年前の冬に出会ってね」

 フユコが鼻を鳴らした気がする。

「オーロラを観に行った時に出会って、同じ日本人ってことで意気投合して、それから少しお付き合いして、結婚して」

 うん、僕はそう頷く。

「二年後かな。彼の胃にガンが見つかって」

 今度は、頷けなかった。

「次の年には死んじゃって。私だけ残されて」

 静かだった。

「彼ね、病床で『いつかフユコと世界旅行に行きたい』って、そう言ってたんだ。だから私、旅に出て」

 マサヲを連れて……。

 そこで僕は、ようやく気づく。

「『マサヲ』って、旦那さん?」

「そう」

 フユコは振り向いて、笑った。

「ひどいでしょ? 車に夫の名前をつけるなんて」

「ひどくないよ」

 僕は首を横に振った。

「全然ひどくない。だって、マサヲはフユコと一緒にいたもん!」

 僕は断言した。

「僕がマサヲなら、最高の旅だと思うな」

「ありがとう」

 フユコは笑った。

「彼とここで結婚式を挙げたの」

 フユコが遠い目をする。

「いい式だったなぁ」

「大切な想い出の場所なんだね」

 フユコは頷いた。

「そう、私の、何よりも大切な、大切な、大切な、場所。思い出。記憶」

「レシニツァのキャンプで屋台のおじさんの家族を探すのに一生懸命だったのも、こういうことだったんだ」

「うん……」

 フユコは静かに告げた。

「家族がバラバラなまま終わるなんて、耐えられなかった。大切な人と一緒にいる時間は何よりも大事なのに、それが奪われたら……」

 フユコの頰に光が一筋落ちた気がした。

「大丈夫だよ」

 僕はフユコに一歩近づいた。

「大丈夫。もうたどり着いた。大切な人のところに着いたよ。だから安心して、寂しがろう」

「安心して、って……」

 フユコが崩れるように笑った。

「おかしなこと言うね、レーシ」

 するとフユコが、ニヤッと、悪そうに笑う。

「しかし、乙女の秘密に立ち入ったな……?」

 えへへ、と僕も。

「いい男になったでしょ」

「この!」

 それから、だった。

 フユコが僕の近くに来て、わしゃわしゃ、と頭を撫でてくれたのは。


 僕とフユコは光の教会を出た。

 マサヲの近くで待っていてくれたパパは、僕たちの姿を見ると嬉しそうに笑った。それから、僕たちは、またヘルシンキへと向かった。行きの時と違ったのは、僕たちの車の後ろに、フユコのマサヲがくっついていたことだ。



 結局、その日のうちにフユコは僕たちの家に来てご飯を食べることになった。僕は母さんと妹との再会を喜んで、それから、大切な恩人のフユコを紹介して、みんなで賑やかに、母さんのヴァレーニキを食べた。これが噂の、なんてフユコは、リガの市場での話をみんなに聞かせてくれた。ダンプリングというヴァレーニキに似た食べ物が各地にあることに、家族みんなで驚いた。フユコは色んなダンプリングの思い出を話してくれた。それはリガの市場で僕が聞いていなかった話だが……いや、聞いていなかった話だからこそ、みんなで驚いて、感動できた。素晴らしい時間だった。

 家族みんなで、本当に楽しい時間を過ごした。それから、ご飯の後になって、フユコは僕たちの家の外に出た。冬のフィンランドの空は何よりも綺麗、ということらしい。星を見るためだ。

 僕はフユコの隣に立って星空を見た。なぜだろう、母さんと離れ離れになってからまともに夜空を見上げていなかったからだろうか。綺麗に並んだ星の粒々に、僕は少し、泣けてきた。

 そうしてまぶたに溜まった涙があふれたころだろうか。フユコが、いつもみたいに……いつもマサヲの中でしてくれていたみたいに、頭を撫でて、ぎゅっと肩を抱き締めてから、こう告げた。

「今日の空は、綺麗だったね」

 僕は笑って、フユコに返す。

「明日の空は、何色だろうね」


 了

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明日の空は何色だろうね 飯田太朗 @taroIda

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