寡人・血閃・私闘~夏日敢闘遊戯の段~
洗われた骨の如くに白い玉砂利、その上に落ちた影を焼く夏の獰猛な日差しの下、対峙する二つの人影がある。
平凡普遍な黒のスーツの青年と、黒衣に袈裟の偉丈夫。青年の手は凶暴な午後の日差しに艶やかに光る日本刀の柄に添えられており、黒衣の大男の丸太の如き腕はやはり胸元に拳と共に構えられている。
乳首狩り本家当主が本宅、その庭先で、二人はただ一足の間合いを保っている。
先に動いたのはスーツの青年──十七代目乳首狩り本家当主・橘岡の方だった。
無造作に距離を詰めれば、足元に敷き詰められた玉砂利が歩みのたびに鳴く。そのまま旧知の知り合いに手でも振るようにスーツの腕が振られる。
抜き打たれた刃が閃き、褪せた金色の袈裟から煤けた黒衣、その下に隠された膚が爆ぜるように裂ける。
胸元から霧のように血が
そのまま声も上げずに大男が空を仰ぐように倒れ込む。どうと地震いのような音が響き、一瞬だけ蝉の声が途絶えた。
「住職殿。いかがでしょうか」
棺の中を覗き込む葬儀屋のように、橘岡は男──住職を見下ろしたまま、天気でも尋ねるような調子で問う。住職の双眸は見開かれたままだったが、ただ何も見てはいないのも一目で分かった。穴のように黒々とした瞳に、翳された刃物の光るが如くに白い夏の日が燦々と降る。
橘岡が刀を一振りする。払われた血が足元の玉砂利に記号めいたあとを残す。そのまま手首を返せば、音もなく刀身は鞘へと飲まれた。
「──とりあえずはこれまで、ということでよろしいでしょうか」
平坦な声で、瞬きひとつしない両眼を見つめながら呼び掛ける。
長い間をじゃわじゃわと鳴く蝉の声が埋めるが、返答はなかった。
暴嵐に閃く稲妻の如くに光る目も、突き割られる鐘の断末魔じみて轟く蛮声も、それらすべてを喪失したかのように地へと横たわったまま、住職は沈黙している。
橘岡が膝を折る。骨張った掌が住職の顔へと伸び、両目の瞼を引き下ろす。
そのまま橘岡は思案でもするかのように腕を組んだ。
***
行儀よく閉じられていた瞼が暴かれるようにがぱりと開き、間髪入れずにばね仕掛けのような勢いで黒衣に包まれた上半身が勢いよく起き上がる。背に敷かれていた玉砂利ががしゃがしゃと派手な音を立てた。
橘岡は驚いた様子もなく、茶碗を手にしたまま住職へと視線を向けた。
「お目覚めになられましたか」
「うむ。久々に長く落ちたな。どのくらいだ」
「二時間程ですね」
「俺は二時間も地べたに転がっていたのか」
「はい。引きずるのと引き上げるのとでは手間が違いますので」
縁側に正座したまま、橘岡は住職の目を真っ直ぐに見下ろして頷く。住職は何か言いたげな顔を一瞬だけしたが、それ以上物も言わずにのそりと縁側に上がった。
橘岡は特に咎めるでもなく、麦茶の注がれたグラス──ジョッキじみた大きさをしている──を差し出した。
「先程淹れ直させたものです。氷は溶けましたが」
「ありがたく頂こう。血を流すと喉が渇くのでな」
一礼してから住職は一息でグラスを干した。橘岡はその様子をただ眺めてから、一度自分の手元の茶碗に目をやる。何事かをしばらく考えるような顔をしてから、黙って茶碗を傍らに置く。
息継ぎのように長く息を吐いてから、住職が口を開いた。
「相変わらず凄まじい腕をしているな。ばけものめ」
「ありがとうございます」
「その上相変わらず何もない。技量はともかく、ここまで変わらん人間も珍しい。頑なだ」
「以前も同じことを伺いましたね。その頃よりは上手く狩れるようになったとは思いますが」
「あのときはお前はただの首狩りだったろう。そのときから妙な剣だとは思っていたがな、やはり分からん」
橘岡と住職が刃を交えたのはこれが初めてというわけではない。最初に両者が邂逅したのは千川が血首だった頃にまで遡る。恒例行事のように襲来し乳首狩り本家当主が座する本宅へと向かおうとする住職と、その暴威を迎え撃ったのが橘岡だった。その一戦においては橘岡が住職へと浴びせた一太刀により片乳首を削ぎ剥がしたところで当主の分際で乱入してきた千川に
「執着というか、欲というか……あれだな、情がないのだな、お前の
「必要ですか」
「要不要を問われると困る、何せ知らんからな。ただ、あるやつの剣は面白い。斬られ甲斐がある、というべきか」
逸らされた喉元に右の手首、膝上に組まれた右足首。
傷跡一つない膚を住職の無骨な指が順繰りに示した。
「刃がこの首に打ち込まれ、肌を裂かれて筋を捌いて血を割り骨を断つその最中にだな、内側を灼く情なり凍らす執なり痺る檄なり──様々な色が滲む。そういうものが
「……分かりかねます」
「だろうな。何しろ俺も未だ分からん。あとは足りん。満足したら死ねるだろうが」
そう嘯いて、住職は右の口の端だけを持ち上げてみせる。
橘岡はその口元から覗く牙じみた八重歯を黙って見つめていた。
住職と呼ばれるこの怪人が、存在からして常軌を逸しているということは、乳首狩り本家当主という立場である以上、橘岡自身も十分に理解しているつもりだった。
素性も正体も不明、ただ首狩りの祖がこの地に根付く頃から存在し、首狩りの異能を継ぎ研ぐものたちの前に現れてはただひたすらに暴れ回り、気が済むなり飽きるなりといった本人にしか分からない区切りでもって勝手に去って行く。どうやら自分と対等に戦えるもの、及び殺せるような存在を求めているようなことを度々口にしてはいるのだが、そのくせ頭を割ろうが背を砕こうが首を狩ろうが死なないのだからどうしようもない。その怪異じみた不死性でさえどうやら信仰にも似た執着──自分という存在が死ぬわけがないという絶対的な自信及び自認に拠って成立していると思しく、ただの思い込みだけで生老病苦の世の理さえ足蹴にしているとは先の首狩り連中が出した仮説だ。
首狩りとしては不本意どころか不愉快とさえいうべき存在ではあるのだろう。生首、手首、足首、乳首──人体急所の四つ首を狩ることで、神魔人怪の相手を問わずに死を
つまり──自身の死を認めないものの前には、首狩りは無力であるということを、住職はその存在を以て知らしめ続けているのだ。
怪人は法衣の裂け目を弄いながら、じろりと横目を橘岡に向けた。
「一張羅がこの
「大概の方は斬れば後はないので」
「うむ、俺が死なないからこその面倒だな──だがな、橘岡重上。俺が数時間も昏倒するのだからな、人も怪異も神も魔も斬って殺すが首狩りの業ならば、お前は成程当代一だろう」
住職が遊び相手を見つけた子供のような笑みを浮かべる。
橘岡はただその爛々とした双眸を見据えて、一礼だけを返した。
「──先代を斬り、血首の名を受けました。ならば当然でしょう」
橘岡がその類稀なる首狩りとしての腕前及び任務の実績により、先代から継承した本家当主の立場──乳首狩りの場合、本家当主という役割には他家とは異なりもう一つの名が冠せられている。
乳首狩り本家当主が代々継ぐ名であるところの『血首』。その名を継ぐことの意味とは、乳首狩りが一族のみならず、当代の首狩りの中で最強だという証明でもある。
すべての首狩りが当然のように理解しているその不合理ともいえる事実は、代々の血首自身によってその正統性を──ただ一点、他の首狩りの追随を一切許さぬほどの常軌を逸した強さによってのみ示され続けてきた。
つまるところ橘岡としては、全てが当然でしかない。自分が首狩りとして並外れた存在であり首狩りの業において誰一人として自身には及ばないことも、その業を以てして住職でさえも
住職は眉間に皺を寄せてから、黒々とした眼を橘岡へと向けた。
「……そういうところもな、およそ血首の連中は……ああ、だからこそお前は何でも斬れるのだろうし、それ以外のものにはならずに済んでいるのだろうな、うむ」
「斬るのが首狩りの本領でしょう。だから、私は満足しています」
橘岡の目を住職は正面から見る。
ただ夜半の窓の縁に蟠る夏の闇のような、人を呑む夜の海のような、そんな黒々とした目だった。
「……何というかな、徹底しているな、お前。歴代の血首の連中は大概どこかしら愉快だったが、そいつらと並べても遜色がない」
「あなたとて似たようなものでしょう」
「おう。ただ俺は一人だ。それから全てが私情だな、俺がやりたいことしかやっとらん」
「私もですよ。やれることをやっているだけです」
「では同類か」
住職の言葉に橘岡が僅かに右目を瞠った。
ゆっくりと、何かの処理を読み込むように瞬きを二度ほど繰り返してから、ひたと視線を戻す。
「お好きなように。……ご満足頂けるように、精進する次第です」
しばらく橘岡の能面じみた顔を眺めてから、住職は吠えるような笑声を上げる。応えるように橘岡が微かに口元を緩めた。
夏の日は僅かに傾き、その翳りを隠すように蝉時雨がただ降る。
首狩四天王血闘譚 目々 @meme2mason
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