剣人・飛閃・競闘~昼下りの血闘の段~

 殺し切るまで一歩の間合い、その距離を一息で踏み込んで、住職の柱の如き手首に南貝は得物工業用カッターの刃を躊躇なく突き立てた。


 埃でも払うように、住職は腕を振る。さして力の込められた様子もないそれは容易く薄い刃を弾き飛ばす。

 あっさりと手から抜けた得物に視線すら向けず、南貝は跳ねるように退がった。その影を追うように、住職の黒衣の裾が翻り丸太のような脚が横薙ぎに空を裂く。そのまま舞うように踏み込まれ詰め寄られる、その軸足の傍らを南貝が抜ければ、振り切る寸前に作業服の襟首をぐいと掴まれた。逆らわずに上着から腕を抜けば、派手な風切り音が背後で鳴った。

 僅か反応が遅れれば、上着ごと投げられていただろう。

 普段は着るなら前を閉めろと先輩達大当主叔父に注意されるが、今回ばかりは羽織っていただけなのが功を奏した。微かに口元を緩ませながら、南貝は振り切るように跳んだ。勢いそのままに体ごと振り返れば、足元のアスファルトに擦れたスニーカーの靴底が悲鳴を上げた。

 すぐさまこちらに向き直った住職が、白々とした歯を剥いて笑っていた。


 ──くるくる組み合っても埒が空かない。


 視界に住職を捉えたまま、南貝は右腕の札を無造作に剥がす。それだけの動作で、指先は融けるように癒着し刀身そのものへと変化する。手首狩りが支族に伝えられる秘技・手刀である。生身の腕に術式を仕込むことで刀剣化するという技術であり、術者自身の肉体をそのまま呪物として武器化することが可能だ。南貝はこの術式を両腕に付与しているため、余程のことがない限りは敵に空手で挑むような状況にはなり得ない。

 得物はある。技術も相応にある。それでもまだ、南貝と住職がまともに組み合うには足りない──絶対的な腕力及び体格の差があるからだ。

 掴まれて折られるなり投げられるなりすれば、その時点で南貝の負けだ。死ぬまでは行かずとも戦闘不能になるのは見えている。先程の上着のような勢いで放られれば、受身の技術程度でどうこうできるものではないだろう。何しろ足元は事務所前の駐車スペース──アスファルトだ。住職の腕力であれば、何の技巧を用いずとも硬い地面に思い切り投げつけるだけで結構な威力になるだろう。昏倒する程度で済めば幸運だ。


 一度、二度、拍を取るように、南貝は靴先で地を叩く。

 住職は悠然とこちらを見たまま、僅かに片足を引いた態勢のまま動く気配はない。

 こちらの打ち込みを待っているようだった。


 明らかな誘いではある。ならば乗るのが礼儀礼儀だろう。

 打ち合いの高揚に煮えた頭が、ただ血に任せて突っ走ろうとするのを、南貝はどうにか堪える。

 ただ突進したところで勝てる目はない。かといってこのまま舞踏じみた組み打ちを続けていても先がない。南貝も頑丈な方ではあるが、


 目の前の怪人、その巨漢の呼び名を南貝は今更のように思い出す。


 住職と呼ばれてはいるが、勿論僧でもなんでもない。そもそも人間であるのかどうかも危うい。何しろ手足どころか首を落としても平然としている上に、玩具のように付け直してしまう。それどころかヒトデやタコの如くに新しいものを生やしてみせることもあるのだから、まともな生き物として相手をするのがそもそも無理筋だろう。首狩り──人体急所の四つ首を狩られることで死の認識を植え付け殺すのが本領である──という存在に首を狩られてなお生きているのだからどうにもならない。生首狩り本家当主や先代の血首当代最強の首狩りとて、数秒昏倒させるのが限度だったと聞いている。

 黒衣と袈裟に獅子の鬣の如き長髪の、暴風じみた暴力と哄笑と共に首狩りのもとに現れ、俺を殺せる首狩りはいるかと好き勝手に暴れては去っていく。首を狩られても死なず、年も取らず、巌の如くに変わることも衰えることもなく、頑強で強靭なまま世の理にすら属さずに生き続けている怪人。自分に死があるということを一かけらも信じていない、それでいて自分を殺せるほどの暴力を求めている。

 そんな天災じみた理不尽で強暴な代物が、住職だった。


 強い相手と殴り合えるのは南貝にとっても本望ではある。首狩りとしての業を加減なしに打ち込める相手というのは得難いものだ。

 だからこうして住職が手首狩りの元へと襲来し遭遇した連中を片端から放り捨て投げ払っていると聞いたときに、自分からその暴威の元へと真っ直ぐに向かった。ちょうど不備により差し戻された書類の確認があると事務所に呼び出されていたのも運が良かった。書類をその辺りの事務机に置き去って飛び出した駐車スペース、そこに住職がいたのだから。


 勿論、南貝とて自分の実力は分かっている。生首狩りの現当主でも殺し切れないバケモノを、首を狩るようになって高々数年の自分がどうこうできるわけはない。多少腕に覚えがあるのも確かだが、相手の格を見誤るほど目が曇っているわけではない──だからと言ってただ負けたいわけでは決してない。

 首狩りとして対峙したならば、全力を以て応じるべきだ。どうにも敵わない相手だからこそ、自身の業がどこまで通じるかを試してみたい。それが南貝の執着だった。


 ──橘岡さんや首浦ウラとも違うんだよな。


 これまで見てきた首狩り、その中でも図抜けた力量を持つ者たちのことを思い出す。

 彼らと比較すれば、住職の動きはまだ分かりやすい方だ。人間離れした反応速度の抜き打ちや、剛力による常識外れの加速や制動よりは『何をしているかが見える』のだ。

 それなのに間合いを外され、不意を打ったはずの一撃を捌かれ、首根っこを掴まれる。どうしてかといえば、見えているのに見えない──早いわけではないのに、一撃がひどく見切り辛いのだ。

 予測を微妙に外してくるからだろうか、と南貝は予測を立てる。躱すだけならともかく、躱して次の動作に繋げる首を狩るための見切りができずにいる。己が状況を仮定して、打てる手を思考する。

 ──食らって止める、それが早いか。

 簡単かつ手っ取り早い。当たり前だが、南貝に一撃を加えるつもりで繰り出される攻撃は、必ず南貝に当たる。当たる場所が分かっている、ならばそこに打ち込まれてからこちらが戦闘不能になるくたばる前に相手を斃せば刺せればいい──相手の位置が固定される瞬間を逃さなければいいだけの話だ。

 その一撃のための時間さえ稼げれば、あとはどうとでもできる自信が南貝にはあった。


 短く息を吐く。

 アスファルトに削れたスニーカーが、甲高い悲鳴を上げた。

 一歩、二歩と蹴り飛ぶように距離を詰める。ただ真っ直ぐに突っ込んできた南貝を住職は避けようとはしない。そのまま柱の如き左足が持ち上がり、勢いよく空を裂く。

 横腹目がけて振り抜かれる蹴りを、南貝は躱さなかった。

 胴と住職の足の合間に差し込んだ腕が不穏な軋みを立てる。そのまま張りつくように住職の懐へと滑り込み、もう一方の腕──右腕の刃を振り切る。

 刀身に夏の日が跳ね、閃く。

 ぼたりと摘まれた花のように住職の右手首が落ちた。


「──うむ! よくやった!」


 大音声と共に大木のような足が南貝を蹴り飛ばす。

 間合いよりも少しばかり先に転がった南貝はすぐさま片腕を構えるが、大笑する住職を前に構えを解いた。

 裂かれた法衣の合間、どろりと零れたはらわたらしきものを無造作に体内に詰め直しながら、相変わらずの大音声で住職は続けた。


「片手首では減点、だが腹まで裂けてそれなりに零れたからよしとしよう。瞬間くらっとしたのもいい、俺を落とせれば首狩りとしては大したものだからな」

「やった! ありがとうございます!」


 万歳、と両腕を上げようとして南貝が顔を顰める。左腕はだらりと垂れ下がったままだった。

 住職はすぐさま生えてきた手を慣らすようにひらひらと振ってから続けた。


「だがな若人、片腕を雑に捨てるのはよくない」

「駄目ですか。どうせ痛いだけだしいいかなって思ったんですけど」

「選択肢の一つではあるな。だがそう軽々に切る札でもない。使いどころを見極めろと言うだけのこと──自分の身を軽く扱う者はいつか別のものを取り立てられるのが習いだからな」

「……はい! 今後気をつけます!」


 背筋を伸ばして南貝が答えれば、住職は吠えるような笑声を上げる。

 足元の影に滲む血溜りが、夏の日差しにぎらぎらと光った。


***


「なんであの人たち血みどろのまま談笑できるんですかね」

「だよねえ、首狩りでもあれはちょっと珍しい方だと思いたいな、僕としては」


 事務所前の玄関、日陰の軒下に並び立って、手首狩り当主・南貝安広と訳あり物件ウッドチッパーの南貝達大は揃って溜息をついた。


「というか……何なんですかね、

「見たやつは大体みんなそう言うよ。そんで聞かれたやつは皆して住職ですって答えるしかない」


 さっき記録渡したでしょうと安広が答える。達大が不本意そうな顔で頷いた。


「読みましたけど……あれ要するに『俺は強いから死なないしずっと元気』って言ってるだけじゃないですか。正気を疑うやつですよ」

「でも本当にそうっぽいから正気も何もないんだよ。事実ああやって元気に暴れているわけだし……」


 当主の視線の先では、住職がぶんぶんと片腕を振っている。南貝が刀化した腕のままで熱心に話を聞いているあたり、恐らくは何かしら武技に関する指南でもしているのだろう。

 予告もなく各首の元へと現れ暴れ倒して帰っていくような無法の襲撃者ではあるが、相応に強いのもまた事実である。手首狩りの祖が記した記録──当時もやはり僧形で各首狩りを襲撃して回っていた『住職』と対話を行い、語られた彼の行動理念や主張を書き残したものだ──を鑑みるに、どうやらこの台風じみた怪人は手首狩り及び各首狩りが支族としてこの地に根付いた頃からその存在が確認されているようで、そこから延々と腕試しのように首狩りや怪異を薙ぎ倒しているらしいのだ。

 経験だけならばどの首狩りよりも上回る。教えを乞うには極めて適切な存在ではあるのだろう。

 高笑いと共に現れる僧形の怪人相手にそんなことを試みる人間がまともかどうかと考えて、達大は南貝から目を逸らした。考えるまでもないことだった。


「何なんですかねあれ」

「二度目。住職だよ」

「……何が楽しくて首狩り私らのこと襲って回ってるんですかね」

「強いやつと殴り合うのが楽しいんだろ」


 当主の言葉に達大が眉を顰める。理解しがたいという本音を他首狩りに遠慮してどうにか口に出さずにいる、そういう表情だった。

 日陰とは言え暑いのだろう、ぱたぱたと左手で顔を扇ぎながら、当主は続けた。


「記録にあったろ、自分を殺せるくらいの技量があるやつに会ってみたい、みたいなことをずっと言ってるわけだから……首尾一貫はしている。怪人のくせに真面目だ」

「あれが死なないのって、自分が死なないと信じてるからでしょう。無茶苦茶だ」

「僕らの天敵だよね、本当。──ただ、そのくらいに自分の強さを信じ込めるのは十分に何らかの才能だとは思うよ」

「……まあ、そうですね」


 南貝にはらわたを掻き出されても、手首を狩り落とされても住職が死なずにいる理由。何ら神性や魔性と言った類ではなく、ただ信仰に似た自認──自分のように強いものが首を狩られた程度で死ぬわけがないという妄執によるのではないか、長年あの怪獣じみた男と斬り合ってきた首狩り共は少なくともそう認識している。その自信及び執着の強さ故に首狩りの技を難なく耐えきり、それどころか世の理──生老病死の苦を逃れているのだろうと、そう語られているのだ。

 荒唐無稽な物言いではあるが、実存の前では理屈も過程もおよそ力を持たない。どれほどあり得ない存在であろうと、目の前でこれほどうるさく暴れて吠えて笑うようなバケモノが実在しているのだからどうしようもないのだ。

 頭上からじゃわじゃわと蝉の鳴く声が響く。晴れ渡った空は容赦のない日射しに満ちて、白々と伸びる日射しは地に濃い影を落としている。


「とりあえずどうしようか」

「組み合い、また始めましたけど……駄目じゃないですかねあれ、その、安次の片腕折れてますよね、あれ」

「だろうね。また千留先生に怒られるね、あいつ」


 ともかく止めてこようかと当主が溜息をついてから、二人の狂人のもとに歩み寄ろうと日陰から踏み出す。達大も慌ててその後を追う。

 高笑いと刃が空を切る音が、夏の青空の下に晴れ晴れと響いた。

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