凶人・刃閃・閑闘~道場血脂擾乱の段~

「誰ぞ居るか! !」


 割れ鐘の如き大音声と共に道場の入り口に現れた、黒衣の偉丈夫。大仰な一礼の後に猛然と駆け込もうとしたその体躯が、塀でも崩れたような音を立てて床へと崩れた。

 夏の日に灼かれてなお冷たい床に倒れ込んだ僧衣の横には裸足の足首が二つ、踏み込む形のまま置き去りにされている。

 黒衣の男は気にした様子もなく、当然のように両腕を床に突き立てる。分厚い掌が床を叩き、蜥蜴の如き様相で道場の中央目がけて這い駆ける。

 日に照り光る木床に突き立てられた腕も半ばから斬り飛ばされ、今度こそ横倒しに男は倒れた。


「相変わらずだな! そんなに直の打ち合いが嫌いか足首狩り師範代!」

「当たり前だろ、勝てない上に疲れるような真似なんかしたかないんだよ」


 道場の中央、艶やかな床に膝を着き身を低く構えたまま、足首狩りの夜庵は刀を手にしたままで大袈裟に溜息をついた。


「こちとら若手相手に指導の真っ最中なんだからさ。余計な手間かけさせるんじゃないよ」


 軽い調子の愚痴とは裏腹に、濃紺の道着の袖口から伸びる腕には未だ張り詰めたような殺気が滲む。

 背後に控えた避難した首狩り──まだ経験も実力も足りない若手連中だ──へ、夜庵は手出しは無用とばかりにひらひらと片手を振ってみせる。そんな軽薄な所作の最中も視線を外さないのは、この住職バケモノの前でそんな真似をすればたちまち喉元に食いつかれることが分かっているからだろう。床に伏せてのたうつ大男を冷やかな目で見つめたまま。夜庵は手元の刃をもう一度構え直す。

 黒衣に袈裟の怪人不審者が侵入し行き遭った不運な足首狩りを放り捨てながら道場に向かっているとの非常連絡が着てから五分と経っていない。その五分で夜庵にできたことといえば、指導用の竹刀から使い慣れた太刀に得物を持ち替える程度だった。律義に入り口から高笑いと共に駆け込んできた無防備な両足を抜き打ちの飛刃で斬り倒し、床に転がしたまま互いに睨み合っているというのが現状だ。


「この位置から俺の足を落とすか。大したものだな足首狩り師範代!」

「そりゃあどうも。……足首狩りに足飛ばされて這い寄ってくんのもなかなかですよ、住職。むごいことしやがる。首狩りとしては面目丸つぶれですもん」

殺る気その気もないのに思わせぶりなことを言う」


 よもやその程度の飛び道具で俺を殺せるとは思っていないだろうという住職の言葉に、夜庵は片眉だけを上げて応えた。

 住職──勿論この名称は本名でも職業でもない、この鬣じみた長髪と煤けた黒衣に褪せた袈裟の偉丈夫に点けられた呼称であり、その名前そのものが首狩りの間では一種の天災じみたものとして扱われている。。生首狩りに首を叩き切られようが、乳首狩りに両の乳首を削ぎ狩られようが、手首狩りに手首を断ち切られ足首狩りに足首を斬り外されようが、平然と闘争を続けようとする。おまけに切り落とした首やら手足やらもそのまま人形の腕でも嵌めるかのように着け直す上に、状況によっては蜥蜴の尻尾の如くにというのだから、ますます人外じみている。それでも怪異かと問えば全く心外そうな顔をするのだからどうにもならない。

 およそ首狩りどころか森羅万象の理外にいる、並外れて頑強で強靭な怪人バケモノ。自分の死を信じていないくせに、自分を殺せる者がいないかと気まぐれに首狩りのもとに現れ、気のすむまで暴れては勝手に去っていく──それが住職という存在である。


 ──バケモノのくせに正論をほざきやがって。


 夜庵は微かに舌打ちをする。住職の物言いが言い掛かりではなく、真っ当に理のあるからこその苛立ちだ。

 飛び道具──飛刃自体は修練を積んだ首狩りならば、精度の差こそあれ扱うことのできる剣技である。真剣での打ち合い、その間合いかから離れた位置に斬撃をという単純な技だが、それを実戦で満足に扱える首狩りは多くはない。威力の維持や飛刃の制御には首狩りとしての力量が露骨に出る。これで首を狩り落とせるのはごく一部の首狩りに限られるだろう。

 夜庵とて実戦を重ね修羅場をそれなりに潜ってきた首狩りではある。それでも飛刃で相手を殺し切る程の技量には届かない。間合いが遠ければ尚更、相手が住職ならば言うまでもない。

 ただ、首にこだわらずに足止めに徹するのならば話は変わる。。一歩で踏み込むには少しばかり離れた間合い。そのわずかばかりの距離、その有利があったからこそこうして一方的な状況を作り出すことができた。

 まともに踏み込まれて打ち合えばどう転んでも勝ちの目はない、その上に住職の興が乗ればいつまで付き合わされるかも分かったものではない。先に住職の襲来を受けた生首狩りの家ではそれなりの怪我人やら物的被害が出たと聞いている。

 任務ですらない、ただ台風の如く気まぐれに襲い来たものを真正面から相手して怪我をするのも面白くない。そもそも現生首本家当主である浅田が殺し切れない相手と、夜庵程度がまともにやりあえるわけもない。

 ならばこうして相手が飽きるまであしらえばいい。非常連絡を受けてからの僅かな時間で夜庵が出した結論だ。住職は首狩りとの真っ向勝負が楽しいと抜かす狂人──不老不死に似たものを有してはいるものの斬れば血が出るあたりは恐らくはまだ人の枠ではあるのだろう──である以上、全く関わらずに追い返すというのは無理な話だ。礼儀として相手はするが、ここでは彼が望むものは提供できないのだとお分かり頂く必要がある。多少露骨ではあるが仕方がない。どのみち今日は当主も不在だし主力連中は軒並み任務中という間の悪い状況でもある。現状ここに集められる足首狩りの中で一番強いのは、不本意ながら夜庵なのだ。


 断たれた四肢を床上で蠢かせながら、住職はぎらつく双眸を夜庵へと向けた。


「飛刃をこれだけ使いこなしておいて首を取りに来ない。そのくせ俺の動きは露骨に止める。やり口が陰湿だな、もっとこう、前向きにやる気を見せんかやる気を」

「嫌だね。どうせ俺程度の腕じゃ死なないだろ、あんた」

「百回やっても死ぬ気はせんな、ただ百一回目は分からんぞ。見切りがいいのと諦めが早いのを混同するな、損をするぞ」

「馬鹿じゃねえの。──地べたに寝たままで説教するなよ、似非坊主」


 ぼやく最中に住職がまた身を返す。斬り外した腕が治ったくっついたのだろう。夜庵は顔色ひとつ変えないまま、手元の刃を振った。

 接いたばかりの右腕が肘の少し手前から斬り飛んで、住職が滑るように床に突っ伏した。


「反応が早い、結構、それは結構だがせめて立たんかせめて!」

「嫌だよ。ああもう、やっぱり足止めが限界だよなあこれ。本家本元南貝ちゃんみたいにはいかないか……」

「小手先で俺をあしらうか! どうせ狩るなら全力で来いと言っているだろう!」

「だから殺せねえのにしんどい真似したくないんだよ。足首狩りとしてやってもいいけどさあ、あれ上下するから腰にくるんだよな……」


 飛刃これはこれで手首に来るけどと溜息をついて、夜庵はもう一度蜘蛛の巣でも払うように手首を振る。そろそろ手なり足なりが再生する頃合いだと踏んだのだ。

 どこでもいいからこのバケモノに当たりさえすれば、立たせさえしなければいい。台風が地形により停滞し威力を削がれて温帯低気圧になるように、この怪人も気勢を殺ぎ続ければ退散する。


 真っ直ぐに住職に向かってくうを駆け裂く刃が、跳ねた。


 放り投げられた手首が不可視の斬撃と衝突し、宙で跳ねる。その下を抜けるようにいつの間にか再生した片腕だけで住職は床を這い、距離を詰める。

 刃の軌跡を、夜庵の視線をのだろう、まともに受ければまたしても動きを封じられるであろうそれを躱すために、住職は切り離された手首を身代わりにしたのだ。

 夜庵が振り切った刃を戻して斬るが早いか、住職の手が夜庵に届くのが先か──一度間合いを詰められれば、まともに組み打つほかないだろう。


「お、」

「どうだ師範代!」

「こうだよ」


 須臾の躊躇すらなく、もう一方の手が振られる。

 蹴り飛ばされでもしたように、住職がその場で停止する。その僅かな間隙に滑り込むように、再び夜庵の刃が飛ぶ。住職の腕は袖ごと斬り飛ばされ、勢いそのまま横倒しになる。

 住職の眉間には短刀の白々とした刃が半ばまで突き立っていた。


「袴ってさ、咄嗟に仕込める場所が多くて便利なんだよね。色合いはまあ、もうちょっと幅があった方が俺としては嬉しいんだけど」


 足に得物括りつけておくの、まあ身嗜みってとこだろうし。

 そう夜庵が呟けば、転がった住職が吠えるような笑声を上げた。


「成程──成程! この程度の不意討ちではどうにもならんか!」

「喜ぶなよ。面倒だなあ本当に」

「ここまでやるなら見事である! 陰険姑息の手口とはいえ、時間稼ぎにその場凌ぎと徹底して割り切れるのも見事な才だ。俺は好かんが理屈がある。俺は好かんが!」

「……でかい声で悪口を言われんのもあんまりない経験だね、本当」


 夜庵の言葉に、何が楽しいのか住職は手足のないままで盛大な高笑いを上げる。

 住職の眉間に突き立った小刀の刃と剥き出された歯に午後の日が撥ねて光った。


「あー……そういうわけで新人ども、見りゃ分かるだろうけど俺は取り込み中だ。本日文の訓練はお外で浄見師範代にご指導頂いてきなさい。俺はどうしたって聞かれたら住職対応中ですって言っとけば多分受けてくれるから──駆け足!」


 俄かに背後からばたばたと足音が聞こえ、すぐに遠くなっていく。住職は視線すら向けようとはしない。少なくともこれで若手が巻き添えになるような事態は避けられたということに安堵して、夜庵は溜息をつく。

 無駄な怪我人こそ出さずに済んだが、まだすべての問題が片付いたわけではない。先程の表情から見るに、どうやら夜庵のでさえ怪人の何かしらの琴線に触れてしまったらしい。ならば、どの道このバケモノが飽きるまでは付き合わなければならないだろう。

 ──日の暮れるまでには帰ってくれないだろうか。

 夜庵の内心など気にした様子もなく、住職はその黒々とした双眸をぎらつかせながら床にのたうっている。

 その傍ら、花の如くに裂けた掌が床に貼り付いている。四方に伸びて散らかる血痕を見つつ、後始末の手間について考えそうになり、夜庵はもう一度溜息をついた。

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