怪人・血閃・遊闘~玉砂利染まる乱闘の段~

 生首本家当主の私宅の庭に馬鹿笑いと共に黒染めの法衣の大男が侵入してきたのは、夏の日射しも盛りとぎらつく午後のことだった。


 見上げるような長身に、煤けた黒の法衣と薄汚れて色褪せた袈裟、伸び放題の黒髪は獅子のたてがみの如き様相の大男だ。確認を取るまでもなく不審者だということは分かった。首狩りという稼業の関係上、奇抜な服装の連中が出入りするのは珍しいことではない。腕が平均の数より多少しているようなやつもいるくらいだ。服装や言動程度で石持て追われるようなことは稀である。

 だが来るなり道場に当然のように入り込み修練に励んでいた見習いを文字通り手当たり次第に掴んでは庭先に砲丸のように放り捨てるような狼藉を働くやつは、幾ら奇矯な人物及び存在に慣れた首狩りとしても不審者と判断するほかなかった。


 当然のように他生首狩りの連中もこの侵入者を放置していたわけではない。誰何の声も制止の怒声も全てを黙殺して突き進むこの怪人の出現は非常事態と認識され、すぐさま手の空いている生首狩り戦闘要員が搔き集められたのは当然で、不審者を囲んでの手も足も刃物も総動員しての全力の対応があったのは確かだ。お盆前繁忙期の平日、任務のために不在の人員も多い中でも最善の対応と反応が行われたと言っていいだろう。

 足止めにと膝に蹴り込まれた安全靴の一打、黒々とした法衣の袖から覗く手首を掴み潰そうとした凶手の閃き、丸太じみた首筋へと迷いなく叩きつけられた鉈の一撃──その全てを総身に受けながら、黒衣の大男は何ごともなかったように道場を後にし、追撃の手を難なく振り払い人垣を押し割りながら、順調に当主の本宅へと歩を進めたのだ。


「当主殿! 当主殿は不在か! !」


 庭一面に敷かれた玉砂利は夏の獰猛な日射しの下で骨のように光る。堂々と生首狩り当主が本宅に侵入した男は、仁王立ちのまま吠えるような声で当主を呼んだ。銅鑼を叩き割ったような凄まじい声が晴れた空に響く。


 庭に面した縁側、その奥の障子が音もなく開いた。

 のそりと冬眠の熊が這い出すように、片付かない業務と降って湧いた厄介ごとを認識して怒鳴り散らすのをどうにか堪えているような凶相の生首狩り本家十六代目当主・浅田が歩み出た。


「何年か面を見ないで済んでいたと思ったら……湧いた途端にうちの番か、面倒だな」


 語尾に露骨な苛立ちを滲ませて、浅田は一度かぶりを振る。執務中だったのだろう、いつもと同じ地味なスーツ──腰元には鉈が提げられているのも含めて、業務における生首狩りの正装ともいえる服装である。

 裸足のまま縁側から庭へと降り、そのまま歩を進める。大男を囲んでいた首狩りに、退けとばかりに手を一振りして告げた。


「手出しはいい。囲んだまま突っ立っていろ。すぐ済む」


 巻き添えになるなとの当主の言葉に、首狩り共は一斉に距離を取る。

 短く息を吐いてから、浅田は細めた目を男に向けた。


「相変わらずだな。名乗りもせずに殴り込みとは、礼儀以前の問題だ」

「そちらも息災で何より。礼儀といってもな、挨拶してから投げ飛ばしたのではこう、具合が悪いだろう。何よりそれでは殺気が足りん。面白くない、まったく面白くない」


 男の口上に微かな舌打ちを返して、浅田は片足を半歩下げる。砂利が掠れた悲鳴じみた音を立てる。

 その音が合図だとでもいうように。法衣の怪人は浅田目がけて突進した。法衣の裾が閃き、その軌跡に沿って除雪車に割り裂かれる雪のように玉砂利が跳ねた。

 浅田は片腕を持ち上げ腰を落とす。

 狙いを定めた矢が的に向かって引き絞られるように身が沈み、そのまま弾かれるように突進する。足元の砂利が鳴き、派手な音を立てて跳ね散らかる。


 男の喉元に正面から浅田の腕が食い込んだ。

 男の身がくるりと回転し浮き上がり、そのまま叩き落される。


 派手な音を立てて地べたに落ちた男の片腕を、浅田は無造作に掴む。動作は単純──振り上げ、叩きつけるの繰り返しだ。癇癪を起した子供がクッションを振り回すように、住職の体躯は容易く振り上げられては叩きつけられる。

 男が地面に振り下ろされるたびに跳ね跳ぶ砂利に血が跳ねて、珊瑚の玉を散らしたようだった。


 幾度目かの往復の後、浅田はようやくその腕を下ろす。音もなく抜かれた鉈を手に、微動だにしない男の首元目がけて、溜息と共に鉈を振るう。


 転がった首の呆然と見開かれた目に目眩のするような空の青が映り込んでいた。


 浅田が大儀そうに屈み込み、ざんばらに伸びて縺れた黒髪を掴んで首を持ち上げる。ばたばたと玉砂利に滴る血に浅田は顔を顰めた。


「雑な芝居をするな。どうせ起きているだろう」

「うむ。うむ──見事!」

死んでないやつに言われても困る。嫌味みたいなものだからな……本当に何なんだ、お前」


 浅田の問いに生首は歯を剥いて笑う。血染めの歯に添えられて歪むところどころ裂けた唇や見開かれた双眸など凄まじい形相のはずなのに、満足げに見える笑顔だった。

 掴み上げられたまま、生首は言葉を続けた。


「しかしあれだな、これだけの真似ができるくせにとどめが刃物というあたり、お前ら首狩りは強いくせに無粋な連中だ。刃物なんぞに頼るから、俺をこうして殺し切れない」

「大事な手続きだ。血を見ないと止まれない連中が多いからな」


 流血劇ブラッドショウには需要があるんだとうんざりした口調で答えてから、浅田は首を胴体近くに放る。軟体動物じみたでたらめな曲がり方をした腕が器用に首を拾って、そのまま切り口へと押し当てる。


「おお──さすがだな当主殿! 八割ぐらい骨がダメだ! どうかというと手癖の悪いやつに持たせた切符みたいな様になっている!」

「その状態で元気に口を聞くな。気味が悪いな」


 しばらく男は地べたで痙攣するようにのたうっていたかと思えば、唐突に跳ね起きた。

 当然のように首はくっついている。周囲から悲鳴とも驚愕ともつかぬ声が上がった。

 接いだ首を幾度か撫でてから、平然と男は口を開いた。


「なかなかいいところまでは行っている。どいつもこいつも精々が悪くない止まりだが、どうしようもないグズというわけでもない。さすがだな生首狩り。見事だ」

「余計な世話だ。説教しに来たのかインチキ坊主」

「まさか。しばらく顔を出していなかったからな、その間にもしかしたら俺を殺せるようなやつが湧いていないかと楽しみにしていたんだが……」


 遠巻きにこちらを見る首狩りどもをじろりと眺め回して、男は鼻を鳴らした。


「何人かは元気がよくて気合の入ったのがいるな、もう十年くらい人なりバケモノなりを斬って回れば一人前だ。励めよ」

「どの立場から物を言っているんだ。バケモノの分際で」

「ふふん──お前も相変わらずの及第点だ。俺が瞬間とはいえ落ちるのだから大したものだ。誇れ。そして今以上に精進しろ。俺も殺せんで貴様らのおやなぞどうにもできんぞ」


 もう一回削がれたら困るだろうと住職が首元──あれほどの仕打ちを受けたのにも関わらず、僅かな血痕以外は繋ぎ目すら見当たらない──を無骨な指先で示して見せる。

 浅田は自身の首元に巻き付くチョーカーに指先を置いてから、ひどく嫌そうな顔をしてみせた。


「では俺はこれにて退散しよう! さらばだ首狩り諸君!」


 当然のように男は踵を返す。咄嗟に数名の首狩りが追おうとしたが、浅田が黙って首を振ってみせればそのまま大人しくなった。

 そのまま高笑いと共に法衣の背中は遠くなっていく。首狩り連中も引き止める者はなく、ただその黒衣の背には無数の視線が畏敬と共に向けられていた。


***


「あれ何なんですか当主様」

「バケモンだよ」

「それは分かりますよさすがに」


 顔の右半分をガーゼで覆われた首浦が眉を顰めてみせた。

 どうやら最初に男に挑み、首尾よく首の半分まで鉈をめり込ませるまではいったそうだが、肉と骨にがっちりと食い込んだ鉈刃の始末に戸惑った瞬間あの丸太のような腕で横っ面を張り飛ばされたのだという。振り抜きが甘い! と真っ当なことを叫ばれていたとは池首からの報告だった。バケモノのくせに適切な指摘を行っているのはどういうことだと考えそうになって、浅田は無理矢理に思考を逸らした。

 考えるまでもなく、全ての面倒事は男が帰った後から発生した。発生した負傷者のうち程度の重い者は医者千留のところに運び入れ、施設の破壊なり損傷なりの被害を事務方連中がまとめている頃、とりあえずいつもの書類に加えて突発的に発生した事案への報告書の準備でもしようかと執務室に入った途端に若手の首狩り二人が駆け込んできたというのが今の浅田の状況である。

 宋弥師範代も全然説明してくれないから当主様に直接伺おうと思いましたとじわじわと痣の滲み始めた顔で言う首浦と、その隣で真っ青な顔をして押し黙っている池首の二人相手を追い返すのも面倒だったのだろう。その場におざなりに座らせて、ざらざらと書類を書きながら浅田は説明を始めた。


「どこの誰だか何だか分からないが、とにかく死なないし殺せない。それ以上の説明ができない……そうだな、『住職』で一部の首狩りには通じるぐらいか」

「お坊さんなんですか。髪ありましたけど」

「知らん。ただ見た目が坊主だろ。デカくて法衣に袈裟つけてたら坊主だ」


 珍しく荒れた口調で吐き捨てて、浅田はがしゃがしゃと髪を掻き回した。


「住所も身元も一切分からん。ただ……そうだな、季節の変わり目あたりになるとどこかしらの首狩りの家に出て、暴れて、満足したら出ていく」

「台風かなんかですか」

「あれは予測ができる。住職はそういうのがないからな」


 不意に浅田の手元から鈍い音がして、池首たちは視線を向ける。

 浅田は真二つに折れたボールペンの残骸を屑籠に捨ててから、黙って新しいペンを手に取った。


「……あの、失礼ながら、お伺いしたいことが」

「何だ池首、話せ」

「当主様が、その、初手で鉈を打ち込まなかった理由を、お聞きしても」

「普通ならそちらの方が早いな。ただ、相手があれだと鉈が負ける」

「鉈がですか」

「前回は刃が折れた。だから今回は仕上げに使った。──納得したか」


 池首がほとんどひれ伏すように頭を下げた。浅田は僅か目を細めてから、長々とした溜息をついた。

 浅田が苛立つのも無理はない。何せバケモノ──住職については本当に何も分からないのだ。

 ただ首狩りの技を受け継ぐものの前に現れては武芸を試すように暴れまわり、気が済むと勝手に帰っていく。彼の記録自体はそれこそ初代の頃から残っているから、ひらたく言えばバケモノの類だ。怪異というには俗が過ぎるし、何より年中昼夜を問わずに出没している時点で始末に負えない。怪異連中は時期や時間に縛られる傾向があるものだが、住職に関してはその辺りの制約じみたものは何一つ見当たらない。

 ただひたすらに死なず、頑丈で、精強だ。認識された時期の長さからして不老不死じみたものではあるのだろう。ただ、その不死性が存在として生来獲得しているものかといえばまた違うようにも思われる。

 過去の首狩りで奇特かつ気の長いやつが住職との対話を記録しているが、その最中で彼の不死性に対しても言及している。曰く、強烈な自認──自分が首を狩られた如きで死ぬわけがないという信仰にも似た妄執が、彼の度外れた頑強さの一因ではないかというのが、あの猛烈な怪人とのやりとりの果てに出された結論だった。その執着及び認識の強さ故に首狩りの技を無効化するどころか、世界の理──生老病死の四苦の手さえ逃れているのではないかというのが首狩りどもの立てた仮説だ。

 自身の死を認めないものを首狩りは狩れない。単純ではあるが致命的な結論だ。


「およそ天災みたいなものだ。私にもお前らにもどうにもできない」

「はあ」

「──この話は以上だ。帰れ」


 浅田の指示に、慌てた様子で池首と首浦が立ち上がる。片方の視界が半端に覆われているせいだろう、ふらついた首浦の腕を池首が掴む。

 大人しく池首の手を借りたまま部屋を出ようとする首浦の背に、呼び声が飛んだ。


「首浦、待て」

「はい!」


 先日も仕置に肩を折られたことを今更思い出したのだろう。首浦は既に殴られることを覚悟したような顔で浅田の方へと向き直った。

 浅田は書類から顔を上げて、首浦の目を見た。


はバケモノだが見る目は確かだ。宋弥からも聞いている──あの状況での首への打ち込み、見事だった。今後も励め」

「……ありがとうございます!」

「以上だ。早く帰れ」


 埃でも払うように振られる手に、首浦は深々と頭を下げた。

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