交刃遊戯~血痕灼けるアスファルトの段~

 悲鳴じみた凶音、それから一拍遅れて首筋の空気が揺らぐ。

 首浦くびうらは咄嗟に身を逸らす。重心だけを落として首の位置をずらせば、南貝の腕が獲物を打つ勢いのままに突き出される。スチール定規の無骨な角が、首浦の喉元近くその皮一枚を冷やかに掠めていった。


 視界の端に蒼白な顔をしてこちらを見る池首いけくびが映る。今日は任務ではないのでいつも着ているようなスーツでもなくただの私服だ。羽織っているシャツは前回の休日に南貝なかいと遊んだときに流れで選んで買う羽目になった白地に墨の如き黒色の蛸が触手を伸ばしているような柄物で、そんな浮かれた衣装のくせにどうしようもなく手遅れになっていく事象を眺めているような表情をしているものだから妙におかしかった。

 そう──任務ではないのだ。よく晴れた夏の平日、まだ日も燦々と射す午後に、どうして首浦が南貝とこうして斬り合っているのか。しかも手首狩りの事務所からほど近いアパート──手首狩りの若手用にと誂えられた寮──の駐車場でこんな真似をしているのか。

 どのような状況であれ、起こったからには過程がある。どれほど馬鹿らしくて、どれほど信じがたいような代物であっても、だ。


 平日だというのに珍しく首浦と池首には任務がなく、おまけに大学の講義も入っていない日だった。そんな若者特有の突発的な休暇オフを持て余していたところに手首狩りの南貝から誘いがあったのだから仕方がない。誘いといっても大したものではない具体的な内容があるでもなく、ただ南貝が住んでいる部屋──若手の手首狩り用に格安で提供されている実質的な独身寮だ──でだらだらとゲームなり読書なりとりあえず話題にはなったけれどもそこまで興味もない映画を流しておいたりと呆然と一日を浪費しようという、目的のない時間潰しの提案だ。それでも顔見知りと適当な菓子でも飲み食いしながら過ごすだけでも十分に楽しい。従って、首狩りとはいえただの若者でもある二人としては一も二もなくその提案に乗った。


 それで済めばよかったのだ。

 貴重な休日を人並みに平穏でぼんやりと過ごして、また首狩りとして怪異を斬り捌いたり大学生らしく勉学や生活に励むための気力を養うくらいに留めておけば、何事も起こらずにすんだのだ。若者らしく雑然と本やら得体のしれない道具──何故かローテーブルの下にネイルハンマーが落ちていたりするのだ──が転がる南貝の部屋で、適当にコンビニで買い込んできたスナック菓子や2Lペットボトルの清涼飲料水をお供に、最近見た映画やら配信のドラマやらアンケートを入れた漫画についてといった実にも為にもならないような話題を散発的に発していたのだ。

 そのだらだらとした雑談の最中、そこで首浦が乳首狩りの道場に殴り込んで丁寧にいなされ叩き出された上で当主たる浅田から大目玉と物理的制裁を受けたことをちょっとした失敗談愉快なやらかしのように話したのがいけなかった。


『殴り込みとかしたの? 今時珍しいことやったねウラ』

『だって他の流派が何やってるかとか気になりましたし、生首うちんとこの師範代は半分くらいもう相手になんないですし』

『そういやウラ強いもんね。じゃあしょうがないか、うん、しょうがないよな……』


 大人の首狩りなら適当に流しただろう。常識ある首狩りなら眉を顰めつつも聞かなかったふりをしただろう。しかし南貝安広は若くて少しばかりやる気に満ち溢れた首狩りで──それなりに腕に覚えもあり、また首狩りという業務及びその剣技を究めること自体が楽しくて仕方がないといった類の人間だったのだから、どうしようもなかった。


 折りしも住人のほとんどが任務で出払っている寮においては止める人間は誰も見当たらず、あまりの事態の急転にうろたえていた池首はなし崩しに見届け役を任され事務所で一向に減らない業務に明け暮れる常識ある大人に駆け込むタイミングを逃し、かくてその場の勢いで他流野良試合馬鹿のじゃれ合いが始まったのだ。


 馬鹿二人と言っても殺し合いをするほど血迷ってはいないのが幸運ではあった。勝負としては相手から降参の言を引き出せば終わりというヌルさで妥協してくれたのだから、まだマシとでもいうべきだろう。ハンデとして南貝は普段の得物業物大型カッターではなく、部屋にあった私物のスチール製定規──どうしてか本棚の端の方にブックスタンドのように突き刺さっていた──を使用しているあたりからも、一応の配慮は伺える。対して池首の得物については共用倉庫から持ち出して来たらしい年季の入った鉈が渡されているあたりでささやかな配慮じみたものは台無しになっている気もするが、南貝提供者本人としては特別不利とも思っていない様子だったのだからどうしようもない。さすがに池首がこれでいいのかと尋ねたところ、別にいいよ死ななきゃいいだけだしとあっけらかんとした答えが返ってきて、舐められているのか本当にどうでもいいと思っているのかの判断に迷って池首と首浦の二人は顔を見合わせたのだ。


 定規でも首ぐらいは落とせるんだろうな、あの人。


 まだ首筋に纏わりつく殺気の残滓じみたものにちりちりと肌を燻らせながら、取り直した間合い、その向こうを首浦は見る。

 南貝は僅かに右足を引いたまま、飛び込むでもなくただ首浦へと対峙している。手元の定規が夏の日にぎらりと光る。


 相手は高々師範代──傲岸不遜な物言いになるのは承知しているが、首浦が比較している対象が生首狩りの現当主である浅田寅正その人なのだから仕方がない──だが、現場経験も豊富な現役の首狩りである以上、侮るべきではないだろう。以前任務に同行したときにその技量は見ている。首浦自身が劣るとは思わないが、易く勝てるような相手でもない。悪ふざけに乗る程度に気さくで人懐こい類の人間ではあるが、その人間性が彼の首狩りとしての剣技を損なうようなことは決してない。


 ──殺してはいけないけれども、殺す気でないと勝てない。


 殺せないならどうするべきか。戦闘不能を狙うのが筋だろう。といっても意識を失わせるなどというのは無茶だ。そんなぬるい真似をすれば返り討ちに遭うのが目に見えている。

 それならば攻撃手段を封じればいい──とすれば狙うべきは手首だろう。

 南貝とて首浦の狙い程度は予測して当然だ。予測された場所への攻撃には躊躇なく反応するだろう。単純な力比べならば首浦に分がある。得物が手入れもろくにされていない鉈であろうと、スチール定規程度ならばどれ程の技量で受けられようが、首浦ならば圧し切ることができる。

 そしてそれさえも南貝には予想されているとしたら、相手はどう出るか──そこで首浦に競り勝つための手札が彼にはある。それは手首狩りの秘技である『手刀』──生身の腕に術式を仕込むことで刀剣化するという技術であり、南貝の得意技でもある。術者自身の肉体をそのまま呪物として武器化する以上、単なる物質的な強度だけではなく呪力による防御にも長けているのだから、いかに首浦の腕力を用いたとてただの鉈程度は容易く弾くだろう。

 そうして手元に掛けた攻撃を往なされてからこそが本番だ。

 その一撃を処理してから次の動作に移るまでの須臾の間、弾かれることを予測することで首浦が得られるその一瞬で、鉈を持たずにいた左腕で南貝の喉首を掴みそのまま地べたに抑え込む。

 ──そうすれば俺の勝ちだ。


 息を短く吸い、そのまま踏み込む。目論見通りに南貝の右腕目がけて鉈を振り下ろす。

 打ち込んだ一撃はそのまま膚を裂き肉を割り骨を断ち、南貝の右腕はそのままアスファルトの上に伐られた花首の如く落ちた。

 弾かれなかった──

 アスファルトにへばりつく手首に意識が逸れて、打ち込んだ勢いそのままに首浦はよろめく。勿論すぐさま崩れた体勢を立て直し、反射的に間合いを取るべく足が地面を蹴ろうとする。

 その両足をあっけなく払われ、倒れたところに両の肩口に衝撃と激痛が走る。

 ジャージの膝が深々とめり込んで、そのままどさりと体重が乗った。


「……腕一本捨てるとか、ありですか」

「あるよ。勝てるんならいいでしょ」


 手首から先の欠けた右腕をもう一方の手で握り締めながら、首浦を見下ろして南貝はにんまりと笑った。


「ところで南貝さんそれどうするんですか。痛そうですけど」

「この状況でどうするって聞かれるとちょっと困るね、何て言っていいのか分かんない。痛いし」

「何を──何をしてるんですか二人して!」


 ぼんやりとしたやりとりを交わしているうちに、八割がた悲鳴のような声を上げながら池首が駆け寄ってきた。もしものときの見届け役を押しつけられた時点で相当な顔色をしていたが、もはや血の気の引き切った真っ白な顔をしている。立ち上がった南貝の腕から滴る血をまともに見たのか、池首は唸り声と悲鳴の中間のような濁った音を出した。


「腕取れたらくっつけた方がいいんじゃないですかね、斬った俺が言うのもなんですけど」


 首浦が肩口から鈍い音を立ててから立ち上がる。眉間に僅かに皺が寄ってはいたが、それでも外れた肩はうまく嵌ったようだった。


「それはそっか。じゃあ医者、行くか」


 落ちていた自身の手首を拾い上げて、コンビニに追加の飲み物でも買いに行こうと提案するような軽さで南貝が言った。黙ったまま目を剥いている池首の方を見て、


「ねえイケ、上着貸してくんない、血止めるから」


 池首は言われるがままに上着を脱いで渡す。受け取ったシャツを肩口に掛けてから、南貝は引き換えのように車の鍵を渡した。運転もしろということだろう。確かに以前、任務で一緒になったときに車の免許を取った話をしたことを首浦思い出した。


「俺も肩ちょっとあれだし、池首に頼むのは分かります。そんでどの車の鍵ですかこれ、南貝さん車あるんですか」

「俺個人のじゃない、手首狩り事務所うちの……社用車? 昨日の任務で借りてから返しそびれたんだけど、別に何も言われてないから後でいいかなって。絶対怒られるし」


 事務方が聞いたら卒倒しそうな内容の返答に、池首は何かを言おうとして目を逸らす。社会人にあるまじき愚行と重篤な負傷への対処であれば、恐らく後者の方が優先されて然るべきだ。当の怪我人も加害者も平然としているせいで忘れそうになるが、人間は血を流し過ぎると死ぬはずだ。

 ふと何かを思いついたように、池首が視線を足元へと向けた。

 夏の日射しに黒々と光るアスファルトにはべとつく血痕が散っていた。

 血の海というほど派手ではないが、見逃すには目立ち過ぎる。これを残したままで現場を離れるのは明らかにまずい気もするが、かといって隠蔽するのは更に悪手だということぐらいは池首にも分かったのだろう。うろうろと視線を彷徨わせてから、思い切るように顔を上げた。


「とにかく──とにかく、医者、行きましょう。死んだら大変ですから、多分」


 後のことはそれから考えましょうと絞り出すようにつけ加えられた言葉は、灼けたアスファルトに吸い込まれるように消えた。


***


「いい大人がじゃれて怪我してんじゃないよ。馬鹿が」


 処置室から出てきた途端に白衣の男が吐いた真っ当な罵言が聞こえもしなかったように、隣で南貝が右手をひらひらと振ってみせた。


「何でくっついてんのかいつ見てもよく分かんないですけど、くっつくのすごいですよね。ありがとうございます。腕が痛くないって最高。」

「元々ついてたもんならそこまで手間じゃない。お前の認識があるなら尚更だ──前も説明したぞ、南貝の若造。何回聞いても何にも覚えないのはどういう了見だ」

「あれですよね、河童の膏薬とか効くっていいますよね。俺河童斬ったことまだないですけど」

「話を聞け」

「俺も前に耳くっついたんですけど、理屈がよく分かってないんですよね。縫ったんですか?」

「お前は……ああ、浅田のとこの馬鹿か。肩やって耳やって、ようやく無傷で来たと思ったら他人の腕落としてるとか本当に馬鹿だなお前」


 首狩り同士の私闘はご法度だろ──と、男が唐突に軽口めいた罵言から冷やかな警告じみた言葉を吐く。池首がその刃物じみた鋭さに身を縮める。しかし馬鹿二人南貝と首浦は顔を見合わせてから、


「面白かったよな」

「ですね。俺の負けなんで来月分のジャンプと好きな一品セットで奢ります」


 男が派手な舌打ちをした。どうしてか池首が深々と頭を下げないといけないような気持になった。彼らの愚行を池首が詫びたところでどうにもならないが、こんな連中を野放しにしていたのは何かしらの良識や倫理に反する行いのような気がしたからだ。


 助手席の首浦から道案内を受けながら車を走らせた。後部座席では南貝がいつものように明るく朗らかかつよく通る声で電話をかけていたので、少なくとも意識はあるのだということは分かった。

 案内通りに走らせた車が着いた先、それが一軒家だった時点で、池首は首浦を問い詰めるべきかどうかを悩んだ。ドラマで見るような田舎の小さな診療所、というわけでもない。そこらの一般住宅よりは明らかに敷地も建物も大きいのは見て分かる。とはいえただの一軒家にしか見えないのも事実だ。民家としては立派かもしれないが、これが医者かどうかと言われたら池首には判断がつかない。たまに休日の朝番組で特集が組まれる、隠れ家的と形容詞がつくお洒落な予約制レストランみたいだなと思ったが、口に出すほどの余裕はなかった。

 ノッカーどころか呼び鈴の類が一切見当たらない真っ黒なドアを前に南貝がまた電話をかけると、前に人がいるとかそういうものを一切気遣わないような勢いでドアが開いた。出てきた男──顔色と人相がどうしようもなく悪いのだけは一目で見て取れた──は、白衣こそ羽織ってはいたが、機嫌の悪いことを隠す気もないような冷やかな目で池首たちをぞろりと眺めた。


 千切れた手首を手にした上に腕に巻いたシャツを血に染めた南貝を、男は炎天下の道端にぶちまけられた生ゴミに行き遭ったような凶相で睨んでから奥の部屋へと連れていき、置いていかれた首浦と池首はとりあえず部屋の隅に突っ立っていた。来客用らしいソファは一応あったが、果たして座っていいかどうかが分からなかった。どうやら自分たちがいる場所が恐らくは待合室らしいとはやけに広々とした部屋のつくりと生活感のなさから見当がついたが、病院というよりやっぱり隠れ家系レストランだなと、池首は今度こそ不謹慎なことを思った。


 そうして二時間ほどで男と南貝は戻って来て、どことなく疲れたような顔の男が池首たちを見て深々と溜息をついてからその辺に座れとぞんざいな指示を出し、南貝が風呂上がりのような晴れ晴れとした顔で池首の横に座ってから血まみれのシャツを手渡してきた。今更文句を言う気にもならずに受け取る池首に何か思うところでもあったのだろうか、テーブルを挟んで向かいに座った男の目が僅かに揺らいだように見えた。

 袖口を捲って傷跡ひとつない右腕を見せびらかしている南貝と、その肌をつつきながら感心したような声を上げている首浦の二人から男は目を逸らす。真っ当な説明をするだけ無駄だと悟ったのだろう。

 三徹明けでようやく寝入ったところを叩き起こされたような淀んだ目が、池首を見た。


「馬鹿二人は見慣れてるが、お前の顔は初めて見る。どこの誰だ」

「あ、生首狩りの池首です。分家で、今年の春から現場に出てます」

「生首んとこのったら首浦と同じか。災難だな」


 こいつは毎回何かしらやらかしてくると男が言えば、首浦がごまかすように笑った。そちらの方に視線すら向けず、男は続けた。


「名乗ってはおくが、別に覚えなくていい。千留ちどめだ。」


 医者だってことだけ覚えておいてくれればいいと白衣の男──千留は視線を池首に向けた。


「お医者さんっていうのは、その──普通の、ですか」


 南貝の腕に目をやってから、池首がひどく怯えたような口調で問う。面倒そうに泣きぼくろの添えられた右目だけを細めて、千留が答えた。


「普通の医者にこんなでたらめができるか。俺も首狩りだよ。元がつくが」

「首狩りにできることなんですか」

「できるよ。なんせやってることが一緒だからな」


 ぞんざいに答えて、千留が大儀そうに足を組んだ。


「お前さんも首狩りなら、どうやって自分が相手を殺してるかは分かるだろ。大枠だけでいい、説明してみろ」

「はい。急所を──首を斬ると相手は死ぬ、というのを認識させています」

「それと根っこは同じだよ。これが斬れたら死ぬ、翻って生きてればくっつくってだけの話だ」


 千留が池首の目をじっと見る。困惑してはいるが、理解を放棄してはいないと踏んだのだろう。頭の中を探るように一瞬だけ視線を逸らしてから、また続けた。


「つまりだな、そいつが自己をどう認識しているか、その認識に基づいて、俺は骨を接いだり部品を付けたりしてるって話だ……池首だったか、お前だって自分の指が何本あるかは分かるだろ」

「はい。生まれてこの方五本あります」

「元からあるのが常だったなら尚更だ。自分の中の身体イメージが強固なほど、身体はそこを基準として状態を保とうとする。だから失われたり最初はなからないもんを戻すのは無理だが、あったという認識と記憶があるなら原状回復は容易い」


 千留が不意に言葉を止める。池首は黙って続きを待つ。二度、区切りのような瞬きをしてから、千留は言い聞かせるような声音で続けた。


「何でも治せるわけじゃない。俺ができるのは、そうあったものを元の姿にするってだけで……まあ、あれだ。馬鹿どもが切った張ったしてるくらいならなんとでもなるが、夏風邪やらは範囲外ってだけの話だ。分かるな?」


 池首がゆっくりと頷く。

 要はこの医者が行っている治療というのは首狩りの所業と根本が同じなのだろう。対象の認識に基づいて現実を変化させる──だから千切れた腕や抉れた傷は接ぐのも埋めるのも容易く行える。なぜなら対象の、及び世界の認識としては『腕が真っ当にくっついている』のが正常な状態であり、その状態を保とうとするのが本能だからだ。

 急所を狩られれば死ぬ、という認識を以て総てを殺すのが首狩りの業であるならば、という主張も同じ強度で行えるものだろう。

 千留の目がどろりと横を向いて、池首もつられるように視線を向ける。南貝と首浦負傷者と加害者はようやく飽きたのだろう、親の買い物に連れ出されて覿面に飽きた子供のような顔をしていた。


「まあ、こいつらのやったことが馬鹿なのは大前提ではあるが……手間かからずにくっついたあたりは情状酌量の余地がある、とは思う」

「どうしてですか」

「殺す気がない傷だった。だからここまで楽に戻せた。首狩りが相手の首を狩る気で斬れば、ここまで素直に戻らないし時間もかかる。技量にも拠るが認識の書き換えに手間がかかるからな」


 同士討ちは難儀するんだよとひどく嫌そうな顔で結んで、千留は長々とため息を吐いた。


「──よし、じゃあ帰れ馬鹿どもと若造。俺はまだ書類を書かないといけない。お前らのせいで。だから早く帰れ」

「先生料金は」


 俺手持ちないですと眉を下げて言う南貝に、千留が舌打ちを挟んでから答えた。


「お前が来る前に事務の南貝──お前んとこみんな南貝だったな、達大から連絡がきてる。どうせ月末にまとめて請求するから安心しろ」


 現場の血痕なりで気づいたんだろうな、と池首は思った。そもそも事務所の車を出して来た時点で気づかれていないはずがない。


 ──怒られるだろうな。こっぴどく。


 他流試合による怪我人の発生、起きたことだけ書き出せばどうしようもない不祥事かつ重大事故だ。だが、馬鹿の悪ふざけのやらかし不幸な事故だということは信じてもらえるであろう希望がある。少なくとも先程の千留の物言いが他の首狩りにも通用するという前提ではあるが、そもそもこんな間抜けな事故に真っ当な動機──怨恨やら謀略やらを見出す方が困難だろう。本人たちも口裏を合わせるまでもなく愚か極まりない動機を白状するはずだ。

 首狩り同士で対等な斬り合いがしてみたかったという、手頃な棒を見つけた子供のような理屈を、あの二人は堂々と主張できるだろう。力加減を間違えたことへの反省はあるかもしれないが、それ以外については恐らくどうとも思っていない。

 ともあれ池首にとっても他人事ではない。起きてしまった事故の当事者でこそないが、目撃者ではあるのだ。いつかの当主からの叱責を思い出して、ぎりぎりと胃が痛んだ。

 そこまで考えてから、池首は友人──盛大にやらかした当事者の方へと首を向けた。


「ねえ首浦」

「何だよ」

「お前こないだ当主様に叱られた時、どっちの肩だったっけ」

「……右」

「じゃあ今度は左だね、順番的に」


 利き手じゃないだけ良かったんじゃないのと言えば、首浦が何だかぐしゃぐしゃな顔をしてから唸り声を上げた。

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