もりびと

南雲 皋

静けき緑の只中で

 朝靄あさもやの中、歩き慣れた森の中を一人。ガサガサと暴れる音の発信源、昨晩仕掛けた罠にかかったツノウサギを回収する。

 その場で首を切り、血抜きを済ませると、耳を掴んでまた歩き出す。家の貯蔵庫にはまだ、先週仕留めた羽根イノシシの肉が残っているから、今日のところはツノウサギ一匹でもいいだろう。

 色とりどりの花々が咲き乱れる中央に生えた一本の樹。クロフォードはその樹の根元にまとまった量の木苺を置き、幹をひと撫でしてから帰路に就いた。


 森の中に建つこじんまりとした小屋。煙突から立ち上る煙が、ケイラが既に起きていることを知らせていた。自分が帰るまで眠っていていいというのに、いつだってケイラはクロフォードの言うことを聞かない。


「おかえり、クロ」

「ただいま」

「あー! ツノウサギだ! 今日はシチューにする?」

「いや、先にイノシシを食わんと痛む」


 ケイラは木彫りのカップに温めたスープを注ぎながら、不満げに頬を膨らませた。一枚の板で作られたテーブルは大きく、丸太の椅子もケイラにとってはよじ登らなくてはならないくらいで。

 クロフォードはケイラの手からカップを取るとテーブルに置き、脇の下に左腕を差し入れるようにして持ち上げ、椅子に座らせる。

 固く大振りのパンを適当にカットして、暖炉の一角に設置してある網の上に乗せた。


「ハム、いるか?」

「チーズも」


 パンの表面にバターを乗せ、溶かしながらスライスしてあるハムを乗せる。その上にチーズをバラバラとかけ、焼けるのを待つ。

 自分の分のパンにも同じことをしながら、スープの鍋をかき混ぜた。


 焼けたパンにかぶりつくケイラは、十歳になるかならないかといったくらいの少女だ。腰の辺りまで伸びた深緑の髪、長いまつ毛も、薄い眉毛も、同じ緑色をしている。くりっとした丸い瞳だけが黒く、顔立ちをはっきり見せていた。

 クロフォードは白髪混じりの黒髪をいじる。前髪が少し目にかかり、そろそろ短くしようかなどと考えながら朝食を腹に収めた。

 最近になって皿やカップを洗う楽しみに目覚めたらしいケイラが、台に乗って流しに向かう間、切れ味のよいナイフで前髪を切ることにした。


「あ、あたしが切るのに」

「お前に刃物はまだ早い」

「左腕一本のクロより、両腕あるあたしの方が絶対じょうずだよ」

「ダメだ」

「けち」


 掃除や洗濯などといった家事をケイラに任せる比率は上がっているものの、刃物を使う作業だけはクロフォードが許さなかった。いつまでも子供扱いをしてくるクロフォードに文句をこぼすケイラだったが、その言いつけを破ることはしなかった。


 食事の片付けが終わると、クロフォードは肉の処理に向かう。ケイラは掃除と洗濯を済ませてから覗きにくるのが常だが、ツノウサギ一匹を捌くのにさほど時間はかからない。ケイラが来る頃には、もう血の一滴も作業台に残っていないだろう。

 利き腕を失ってすぐの頃は何かと不自由したが、もう十年近くこの生活をしていれば慣れるもので。自分のことだけでなく、ケイラの世話もしていたのだ。赤子の世話に比べれば、動かぬ獣を捌くことなど楽なものだった。


 血の匂いを嗅いでいると、昔の記憶に包まれることがある。まだ右腕で長剣を振るっていた頃のことを。気を許した数人の仲間とチームを組み、世界中を旅しては大型のモンスターを倒し、素材と報酬を得て生活していた頃。

 未だに生き永らえているのはクロフォードだけだった。ケイラがいなければ、きっとクロフォードもこの世にいなかっただろう。ケイラの存在が、唯一クロフォードの命を繋ぎ止めていた。


 ツノウサギがただの肉の塊になり、後片付けも済んだところでケイラが様子を見にくる。クロフォードは羽根イノシシの肉を取り出して、空いたスペースにウサギを収納し、立ち上がった。


「じゃがいもとニンジンは台所にあったな」

「モロコシもいれようよ」

「……それくらいなら」

「やた!」


 ケイラが貯蔵庫の一角に積まれた缶詰の中からモロコシを選び出し、二人並んで家に戻る。クロフォードの左手を握るケイラの手は小さく、冷たかった。


 シチューを作りながら、半端な野菜や肉を適当に炒めて昼食にする。クロフォードの味付けはいつだって大雑把だったが、ケイラは文句も言わずに美味しそうに頬張った。


 大きな鍋の中で肉と野菜が混ざり合う。焦がさないよう定期的に中身をかき混ぜるクロフォードを見ながら、ケイラは植物に水をやるために外に出た。

 家の横、すぐのところに掘られた井戸から水を汲み、桶に移して運ぶ。小さな霧吹きを水で満たし、所狭しと置かれた無数の観葉植物にシュッシュと吹きかけていった。

 最近は空気が乾燥しているのか、枯れてしまうものも増えているようで、ケイラはカサカサの茶色い葉っぱを摘み取って、ゴミ箱に捨てた。


 やることが全て終わり、ケイラは森へ遊びに出かけた。ケイラにとっては大きなカゴを背負い、食べられる草や果物を採る遊びだ。それは遊びと呼んでいいのかとクロフォードはいつも首を傾げるが、楽しそうに森の中を駆け回るケイラに、何も言わなかった。


 幸せな毎日だと思う。

 家の裏手に作った小さな畑では野菜を育てていて、自給自足の生活。

 昔稼いだ金は、床下の収納庫に何年も眠ったままだ。

 ケイラが大人になり、独り立ちするまで、クロフォードはこの生活を続けるつもりだった。


 嬉しそうに蜜リンゴを採ってきたケイラは、今夜食べる分をテーブルに置くと残りを倉庫にしまいに行く。そのままカゴを片付けて、風呂を沸かしにいったようだった。


 少し前まで一人では入れないと泣きついていたケイラも、今では一人で風呂に入るようになっている。長い髪の毛をしっかり拭くことは面倒なようで、濡れた髪のままタオルを持ってクロフォードの前にやってくるが、いずれその役目も終わるのだろう。


 風呂にも入り、イノシシ肉のシチューをお腹いっぱい食べた後、ケイラは一つ大きなあくびをすると部屋に戻っていった。同じベッドで寝ることも、もうしなくなっていた。


 クロフォードが一人、果物を漬けて作った酒を飲んでいると、家の外に人間の気配がした。この森に、クロフォードとケイラ以外の人間が足を踏み入れることは滅多になく、自然と身体が警戒体勢をとった。

 ゆっくりと扉を開けて外を窺うと、ランタンの灯りが揺れている。一人の男性がクロフォードを認め、一瞬動きを止めた。しかし男性の目当てはクロフォードだったようで、むしろ早足になって家へと向かってくる。

 厄介ごとの気配を感じ、クロフォードの口から溜息が漏れた。


「あなたが、クロフォード様ですか」

「だとしたら、なんだ」


 名乗りもしない男を家に入れる理由もなく、クロフォードは玄関前に立ったまま言葉を返した。


「私は、麓の村に住んでいるトマスと言います……数日前から、村の近くでドラゴンが目撃されていて……今日、隣村に出ていた村民が死体で……発見され……明日にも村を襲うのではと……それで、その……この森に、凄腕の冒険者だった方がおられると村長が……お礼はします! 助けてください……!」

「断る。第一、俺はもう剣は捨てたんだ。見れば分かるだろう」


 トマスの瞳がクロフォードの右腕のあった場所に注がれ、揺れる。


「で、でも……クロフォード様は腕を治す秘薬をお持ちのはずだと……」


 クロフォードは自分の迂闊さを呪いたくなった。

 いつ、目撃された。しかも自分だけのことではない、ケイラのことまで理解できるような人間に。


「村長に、そう言えと言われたのか? それを言えば俺が村を助けるとでも?」


 いっそう低くなったクロフォードの声と、射殺すような視線にトマスの顔色が蒼白になる。自分の発言がクロフォードの地雷を踏んでしまったことを悟ったのだろう。

 けれど、放たれた言葉は消えない。


 これ以上の会話をする気はなかった。家に入り、扉を閉めてしまおう。

 振り返ったクロフォードの前に、ケイラが立っていた。


「クロ」

「ケイラ、寝てろ」

「クロ、あたし、知ってるよ」


 そう言うと、ケイラは両腕をクロフォードの方に伸ばし、言った。


「あたしの身体で、クロの腕、元に戻るんでしょ」

「な……」


 すぐさま否定できず、クロフォードは内心で舌打ちをする。心を乱されてばかりで、今までの生活の全てが、足元から崩れていくような気がした。


「クロの腕の一本生やすくらいなら、あたしの命までは必要じゃないよね? 使っていいんだよ、クロのためになるなら、あたしなんでもするから」

「やめろ」

「でも、ドラゴンでしょ? 森にも来ちゃうかもしれないよ」

「やめろ!」


 自分の叫ぶような声が耳に届いて、クロフォードは大きく頭を振った。ケイラに感情的に言葉をぶつけるつもりなどなかった。はぁぁと大きく息を吐き、トマスに帰るように視線を飛ばす。

 流石にこれ以上はまずいと理解したのだろう。トマスは真っ青な顔のまま勢いよく頭を下げ、足早に森に消えていった。


 クロフォードは玄関の扉を閉めると、ケイラの両の手を包み込むように握る。不安げに揺れるケイラの瞳に、少しでも安心させたくて手に力が入った。


「ケイラ、俺は、娘を薬にしてまで剣を握りたくはないんだ……」

「む、すめ……?」


 ケイラの瞳が大きく見開かれる。言うつもりなどなかった、墓まで持っていくつもりだった事実を、クロフォードは絞り出すように言葉にした。


「そうだ……お前は、薬樹人アーリアルだったレイラと俺の……子だ。レイラは俺と、俺たちと一緒に冒険者をしていて……俺たちが冒険者を辞めたのは……レイラが死んだからだった」

「…………」

「俺はレイラの遺体を、森に埋めた。この森は、レイラの故郷だと聞いていたから……この森に住んでいた薬樹人アーリアルたちはもうここからは出ていってしまっていたから、家族の元に返してやることはできなかったが……俺はこの家を建て、一人で暮らすようになった。それからしばらくして、墓から、芽が出たんだ」

「め……」

「小さな芽だった。だが、見る間に成長して、樹になって……そのウロに、お前がいたんだ」


 クロフォードは、ケイラの頬を優しく撫でた。自分を見つめる黒い瞳は、クロフォードのものと同じ色をしている。


「お前の黒い瞳を見て、俺との間にできた子なんだと思った。俺が会ったことのある薬樹人アーリアルは全員、髪も目も緑だったから」


 ケイラが、ぎゅうとクロフォードに抱きついた。小さな背中に手を回し、クロフォードからも抱きしめてやる。


「ドラゴン、追い払おうよ……お母さんのいる森、守らなきゃでしょ」

「…………薬樹人アーリアルは、治癒能力のある果実を生み出せる。果実に望む治癒の力が強ければ強いほど、負担が大きいと言っていた」

「あたし、やってみる」

「絶対に、無理はするな」

「クロのそれは、過保護ってやつだよ」


 クロフォードから離れたケイラは、両手を握り合わせ、目を瞑った。そもそも、人間の血が混じっているケイラに果実は生み出せるのだろうか。そんなクロフォードの思いをよそに、握った手の中から大きな魔力の流れが起こった。

 脂汗を流して座り込むケイラを支え、椅子に座らせてやる。荒い呼吸を繰り返しながら差し出された手の中には、小ぶりなリンゴくらいの大きさの果実があった。


「たぶん、できた。クロ、食べて」


 ケイラはそう言って微笑むと、意識を失った。クロフォードは果実をテーブルの上に置き、ぐったりとしたケイラをベッドまで運んでやる。顔や首元の汗を拭ってやり、呼吸が落ち着くのを待ってからリビングに戻った。


 テーブルの上で輝きを放つ果実は、芳醇な香りを放っていた。レイラの生み出した果実を何度か食したことがあったが、ここまで香りの強い果実はなかった。金色の果実を手に取り、口元に運ぶ。


 シャリ。

 シャリ。

 シャリ。


 ゴクン。


「……ッ!」


 ぶわり、と。自分には存在しないはずの魔力が体内に弾けるような感覚に襲われる。

 それはしゅるしゅると存在しないはずの腕に巻き付くように右の肩の先から溢れ出し、確かな感覚を持った。握る、開く、握る、指を一本ずつ開いていく。

 十年以上失われていた腕が、全盛期の筋力を保ったままそこに復活していた。


 クロフォードは床下の収納庫の蓋を、戻ったばかりの右手で開けた。金貨の収まる袋の上に横たわる、白銀の長剣。

 時を止める魔術の施されたその剣は、ずっとクロフォードを待っていた。


 鞘を握り、立ち上がる。あの頃と同じ重さ、同じ感触、剣と共にしまっていたベルトを身に付け、腰から剣を下げて家を出た。

 ケイラが目を覚ます前に、全てを終わらせてしまおう。


「頼むぞ」


 歩き出したクロフォードに、かしゃりと剣が答えた気がした。


 トマスの気配をたどりながら森を抜けると、ドラゴンの居場所はすぐに分かった。隠れる気などさらさらない巨体は、溢れ出す魔力を垂れ流したままだ。

 天敵を知らずに生きてきたのだろう。山の中腹辺りに横たわり、呑気に寝息を立てている。青みがかった鱗には傷ひとつなく、四本の足に鋭く光る巨大な爪も、まるで宝石のようにつるりとしていた。

 まだ年若い個体のようだ、とクロフォードは思う。昔四人がかりで討伐した個体であれば、既に臨戦体制に入りブレスの一つでも放っていただろう。


 クロフォードはドラゴンを自分の間合いに入れ、かつてを思い出し柄に手をかける。

 まるで、あの頃の自分であるかのように。周りに、仲間がいてくれるように。レイラが、隣にいるように。


「おおおおおおおおおおお……ッ!」


 跳躍するクロフォードの腕が、脚が軋んだ。凄まじい速さで鞘から放たれた長剣の刃は、灼熱の炎を纏ってドラゴンの首に振り下ろされる。

 ぎょろりと大きなドラゴンの瞳がようやくクロフォードを視界に収めた時には、すでにその首は肉体に別れを告げていた。


 ドドォン……!


 砂煙を上げながら、ドラゴンの頭が山の斜面を転がっていく。切断面から夥しい量の血液が溢れ出し、クロフォードはそれをなるべく浴びないように山を降りた。

 トマスたちだろうか。村のあたりに幾つかの灯りが見えるが、わざわざ倒したことを伝えにいくつもりもない。クロフォードは真っ直ぐに森の中の家へと帰っていった。


◆◆◆


「うで! 生えた!」


 翌日、目を覚ましたケイラはクロフォードを見て大いにはしゃいだ。何度も右腕に触れ、上下左右に動かし、くすぐったり噛み付いたりしてはクロフォードに怒られ、ケラケラと笑った。


 クロフォードはケイラを右腕にしがみつかせたまま、レイラの元へと連れていった。たくさんの花に囲まれた細い樹は、その葉っぱをさらさらと風に揺らせてケイラを迎えた。


「いつ、母のことを教えるべきかと思っていた」

「いつ言ってくれるのかなって思ってた」

「悪い」

「いいよ、お父さんだったの、嬉しいから」


 二人で手を繋いだまま、空いた方の手で幹に触れる。


(ふたりとも、大好きよ)


 そんな声が聞こえた気がして、クロフォードはケイラを見た。ケイラも同じタイミングでクロフォードの方を向いていて、視線の合った二人は微笑み合い、そして幹を抱きしめた。


「明日、ここでピクニックしよ」

「あぁ、それじゃあ今日は頑張らないとな」

「あたし、デザートの材料集めるね」

「俺はサンドイッチの材料か?」

「イノシシじゃないお肉ね」

「分かってる」

「やったー!」


 ケイラの嬉しそうな声が森の中に響く。

 朝日に照らされたレイラは、今日も綺麗だった。


[END]

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