22.北星秀・写真集 『エゴイスト』
『ハコ』は、北星と初対面のときに、彼がいきなりそう呼んだ。
葉子なのに、ハコ。いま思えば、やる気のなかった私に『こっちを向きなさい』という思いで、わざと間違えたふりをしたのだと思っている。
だからハコとして唄い始めた。
あの人が逝った場所で、あの人がいう『エゴイズム』を知りたかったから。
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北星秀の日常(大沼国定公園の四季)
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*春の写真
白鳥台セバット(飛び立つ前の白鳥 セバットはアイヌ語で『狭まった場所』 冬も結氷しない場所なので白鳥が集まる)
水芭蕉 群生 (散策道の奥の群生、春の訪れ)
雪解け (結氷が溶けた湖面と、まだ凍っている白い湖面の水玉模様)
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*夏の写真
駒ヶ岳(新緑に燃ゆる活火山、陽射しに真っ青に映える湖沼)
睡蓮の仲間 小さな黄の花 コウホネが咲く水辺(小沼にあり、群生であるのは珍しいとのこと)
大沼湖月橋からの大沼(睡蓮がもうすこしで咲きそう。青々とした水が夏の色)
太鼓橋と白い睡蓮群生(夕日の道散策道 小沼の太鼓橋で)
小沼での夕(夕日の道、奥にある沼地。珍しい黄色の睡蓮 もう花が閉じそう)
散策道奥に咲くオオウバユリ(大沼散策道で)
星が残っている夜明け(静寂の湖面に、駒ヶ岳も星も映っている)
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はじめて北星に怒られる。まだ東京から帰って来て二ヶ月ぐらい。いやいや働いていたことは私も自覚していた。
「とにかく姿勢が悪いです。立っている姿勢もそうだし、心構えもです」
給仕長室に呼ばれて、彼はこういった。
ここは、これまで何十年と修行をしてきた貴女の、お父様の、大事なライブ会場です。貴女がステージで唄う時も、一人きりではできません。貴女を素敵に見せるためのスタッフが何人もいるはずなのです。いまここが『生きていくしかない場所と時間』だとしたら、いまの貴女はステージを支えるスタッフしかやれることはありません。プロになりたいなら『プロ』に敬意を払ってください。『プロ』の仕事に対価をくださるお客様にもです。それが出来ねば、貴女が思う『プロ』にはなれません。いますぐここを辞めてください。
ひとつの仕事を軽んじる者は、夢など叶えられませんよ。
写真を真摯に取り組むには、それを支える仕事にも真摯に向き合う。それが彼の信条だった。
*秋の写真
深紅の大沼(秋色に変わった駒ヶ岳、紅葉する森林、湖面にうつる紅葉)
朝靄にけぶる小島(大沼の浮島と朝靄、紅葉)
初雪(まだ森は赤いのに、うっすらと雪化粧)
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北星に聞いたことがある。
「プロは諦めてないんですね」
「写真家を諦めていない、だよ」
あの時はわからなかったあの言葉。いまならわかる。
*冬の写真
*枝先のシマエナガ(ちょっぴり雪がついている枝に、ふわふわの小鳥)
*初冠雪(駒ヶ岳)
*結氷した湖面(降り積もった雪が、朝日できらきらと輝いている)
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北星さんは純粋なんだね。ひたすら写真のために、なんでも写真のためにと思いを傾けて、ここまで来たんだね。
『違うよ、ハコ。そんな綺麗なもんじゃないよ』
これは僕のエゴだ。
エゴはね、そいつの最大の我が儘だ。本人にとってはとっても気持ちがいいものなだけ。
いまの僕はもう、エゴの快感に染まりきった欲望にまみれた男なんだよ。エゴを喰って生きている。エゴの旨みを忘れられなくなった。やめられないんだ。
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北星秀 仕事
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『クレープフランベ』 撮影:篠田 蒼
(北星がフランベする姿を斜め後ろから。すこし白髪交じり、うつむいている顔がなつかしい)
この背中と手と目線を、いつも追っていた。
いまも越えられない。越えられないまま、先輩は逝ってしまった。
でも、彼が教えてくれたことは、逝去したからこそ、深く深く刻まれている。
静かに仕事に徹するこの男の奥に、一気に燃え尽きることができる炎が常に宿っていたのだと、後になって知る――。
(ダラシーノ 篠田 蒼)
『お客様に料理をお届けしているメートル・ドテル』撮影:篠田 蒼
フレンチを経営する者として、惜しい人材をなくしたといまも思っています。彼が北海道へ移住するために退職届を提出してきた日をいまも思い出す。
どんなに引き留めても彼の決意は変わらなかった。
仕事は一流である彼が愛する写真は趣味程度だと思っていたので、給仕のほうが天職では――と伝えたことがある。
彼の返答は『天職じゃないんです。僕の欲望のための仕事なのです』だった。
この意味が、彼が逝去したいまになってわかり、彼の生き様がどこを重きとしたのか知ることになった。
写真というものに取り憑かれた男が、その写真で生き抜くため、支えるため、欲望を満たすために、仕事も極めていた。それだけのことだった。だが最高の仕事をしていた男でもある。
(矢嶋シャンテグループ 社長 矢嶋 稔)
『笑顔よくなった』 撮影:北星秀
保存されているデータ名がこれだった。
彼が毎日撮影していた父の料理の写真と一緒に紛れていた。
ほかにも『まだ背筋曲がってる』、『カトラリーを並べる姿、よし』、『ワインを注ぐ姿勢、惜しい』と、まるで評価のようなものが保存名としてつけられていた。
いつも見てくれていた。私がこの仕事で唄以外で生きていけるように。自分もそうだったからだと思う。好きなことを好きなままでいるための生き方は、北星から教わった。彼が遺してくれた私への財産。
はじめて、自分のことを素直に綺麗と思えた写真。
写真にはそんな力があると、初めて知った写真。
でもわかった時には、それを伝えたい彼はもういなかった。
(ハコ 十和田葉子)
『七月十三日 アミューズ プチトマトのコンポートと蓴菜のカクテル』
撮影:北星秀
大沼特産の
彼が毎日記録してくれたひとつ。
コンポートの味付け試作は、北星も一緒だった。
彼と一緒に探した
彼と過ごした時間は、料理人人生でも、忘れられない歳月となった。
完璧な接客で厨房にアクセスしてくるため、料理人としても気の引き締まる、良い仕事を実感できるもので、最高のパートナーだった。神戸で手放したくなかった矢嶋社長の気持ちがよくわかる。
どんなことにも丁寧に誠実で真摯な男だった。写真で仕事に支障がでることは一度もなかった。
堅実な彼が『わがまま』をひとつ望むのであれば、最後の撮影がそれだったのだと思う。
その彼がどうしても手に入れたかったものだったというなら、自分もそれを認めて、送り出したいと思う。娘とともに。
これからも彼が遺したものは、娘と守っていく決意です。
(七飯町大沼 フレンチ十和田 シェフ 十和田政則)
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エゴイスト
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■ 3/10 5:20
吹雪
*私は眠っていた。夜が明けてお店に行けば、今日もあなたがいると信じていた。この日も、いままでと同じように、あなたと仕事をするのだと思っていた。
■ 3/10 5:25
吹雪 (横殴りの真っ白な雪のみ)ホワイトアウト
■ 3/10 5:44
吹雪
*帰ろうと思ってくれなかったの? 暖房の道具もテントもあった。帰ろうと思っていたのなら、どこで帰らないと思うようになったの?
ハコと父とダラシーノのこと……どこでサヨナラしたの……
■ 3/10 5:55
吹雪
■ 3/10 5:56
吹雪
■ 3/10 5:57
吹雪
■ 3/10 5:58(3/10当日 日の出時刻)
吹雪
■ 3/10 5:59
吹雪
■ 3/10 6:00
小雪がちらつく空になる。視界が開ける だが向こうはまだ吹雪
■ 3/10 6:10
■ 3/10 6:10
■ 3/10 6:11
■ 3/10 6:12
■ 3/10 6:14
■ 3/10 6:15
■ 3/10 6:17(連写)
吹雪が開ける。駒ヶ岳の山裾に日の光が差し始める
駒ヶ岳と湖面が薄紫に染まり、湖面に星が映りそうな雪開け
紺碧、紫苑、薄紅が混じる夜空に、雪細工の森林
去って行く吹雪がのこした、ちらちらと落ちていく粉雪――
――刻々と夜明けの色が移りゆく連写が遺されている――
■ 3/10 6:30
湖面に駒ヶ岳が映り、空が白み始める。
―― ここで写真データ 途切れる ――
*ハコ――、死ぬほどほしいものがあることは、しあわせなことなんだよ。僕にはそれが写真だったよ。写真がなくちゃ仕事もここまでやれなかった。
*僕は、大沼で見られる景色がぜーんぶほしいんだ。
ほんっとに美しいんだよ。宝石を手に入れたと言えばわかってくれる?
北星さん、宝石を手に入れたんだね。
そう思っている。
シャッターを押したその瞬間の至福 エゴイストの至福がそこにある。
私のこと父のことも、親しい後輩のことさえ、振り返らずに逝ってしまったけど。
でも、生前のあなたが遺したものがたくさんあって、いまも生きている。
勝手に逝ってしまう前に、誠実に遺してくれた愛を、わたしたちは受け取っている。
※エゴイスト 完※
あなたの愛はいまも、たくさん、生きている。
(終)
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★初稿(短編連作だった時のもの)コレクションはこちら
神戸にいた篠田視点の短編もあります
https://kakuyomu.jp/users/marikadrug/collections/16816452219401437135
★続編1 シェフズテーブルで祝福を
https://kakuyomu.jp/works/16816452218386931937/episodes/16816452218839842293
★続編2 トロワ・メートル
https://kakuyomu.jp/works/16816452218386931937/episodes/16816452220454172647
名もなき朝の唄〈湖畔のフレンチレストランで 〉*heroine mode* 市來 茉莉 @marikadrug
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