欠損こそが美しい

定期的に少女たちの間ではホラーが流行する。わたしの時代もそうだった。
怖いものが無性に好きになるのだ。


「醜悪な恋人」を読んでいて、ホラー小説や恐怖漫画を読み漁っていたあの頃の自分が甦ってくるような気がした。
読書家または自身が小説を書く人ならば、大抵の作品に対して、「おそらくこうなるのだろう」と先の予測がつくものだ。
そして良い意味で、その感覚はたいてい裏切られる。
作者との僅かな感性の違いが、流れる文章が運んでくるセンス・オブ・ワンダーとなって読み手を最後まで惹きつけるのだ。
テンプレが一番面白く、テンプレを面白く書けることが作家の力量というのは、そういうことだろう。

流れる文章と書いたが、紫陽さんの文章は流れるように巧い。
「美しい」を装飾過剰の説明で表現せずとも、そのまま「美しい」と書いて、その美しさが伝わる。
誤解のないように云い添えるが、「美しい」と書かずに、卓越した美的感覚と描写力で書き切るタイプの作家の中にはたまに呆気にとられるほどの巧者もいてそちらも凄い。
双方に共通するのは、その世界観にそれがしっかり落とし込まれていれば、美しさが伝わるということだ。


本作に出てくる美青年は少々変わった美的感覚の持ち主で、それが悲劇の幕開けとなる。
読者は、開幕の緞帳が上がり、そして最後の場面で幕が下がってくるような気がするだろう。
ゴシック浪漫を得意とする漫画家さんに本作を視覚化してもらいたいなと想う。


「醜悪な恋人」には、作者の別名義のスピンオフとして「安全装置は働かない」がある。そちらで、後日談が分かるようになっている。
本作のヒロインほどではないが、子どもの頃にわたしも顔に怪我をした。
子どもの頃のことなので美醜にも無頓着だったが、それでも完治するまで、わたしの顔を見た人々が「あっ」という表情になっていたことは忘れていない。
金継ぎを愛でるような人ならば、あの頃のわたしを抱き上げて、「美しい」と云ってくれたかもしれない。