曙山脈の樫の森のサルヴァンに送る手記(下)



 ……想像していた姿とは異なるが、どうもそうらしい。

 二人が結論づけるのとほぼ同時に、灯が消え、洞内は再び闇に浸された。ボルトは新たな灯のつぶてを放った。

 〈遊ぶ魚アフロタ〉は平然と、目のない顔を二人に向けている。

 レイヴンは慎重にきりだした。


「〈遊ぶ魚〉。わたしたちが入ってきた所の他に、外に通じている場所がありますか? 月の光がさしこむところが」


 〈遊ぶ魚〉は血管の透ける鰓をぱふっと開き、ぱたんと閉じて答えた。


「あります。にんげんのれいゔん、行くですか?」

「わたしたちはそこへ行きたいのです。案内していただけますか?」


 〈遊ぶ魚〉は、にい、と笑って歩き始めた。数歩進んで振り返り、二人が来るのを待っている。善良そうな態度に安心して、ボルトとレイヴンは彼について行った。

 大して進まぬうちに、二人は、洞窟内の道がひとの手で整備されていることに気づいた。ならされた細い道が、地底の川に架かる石橋をわたり、岩と石筍せきじゅんを避けて通っている。うずくまる鹿や猪や、兎に似た石筍があった。数千本の鍾乳石が天井から垂れているホールがあれば、数万枚の純白の皿が階段状にならぶ丘があった。レイヴンが両手をひろげても抱えきれない巨大な鍾乳石の柱には、流れおちる水の模様が浮かび、金の砂粒が散っていた。

 妖精シーの灯に照らされた洞窟は美しく幻想的で、レイヴンは感動して囁いた。


「宮殿ですね……」


 ボルトは声もなくうなずいている。

 いにしえの王国の遺跡とは、天然の鍾乳洞の宮殿だった。乳白色の石筍の椅子に、鍾乳石の柱のかげに、竪琴を持ったうるわしい人々が腰かけ、みやびがくが聞こえてくるように思われた。

 夢見心地の二人に、〈遊ぶ魚〉が話しかける。


「わたし、外に行かない。外はどうですか? にんげんのれいゔん、こりがんのぼると、話しますか?」

「われらの故郷の話を聞きたいと? 勿論、お話ししますぞ」


 ボルトとレイヴンは代わるがわる、自分たちの暮らす〈外〉の世界について語った。目が見えず洞窟から出たことのない〈遊ぶ魚〉に、どれだけ伝わるだろうと思いながら――青く晴れた空と、頂上に雪をいただいた〈聖なる炎の岳〉の美しさ。初夏の森の鮮やかな緑と、風にゆれる麦畑の金の穂波。蜂蜜酒と葡萄酒ののどごし、林檎のトルテ(タルト)の味と甘やかな香り、星空のしたでゆらめく蜜蝋の焔、などを。

 レイヴンは故郷の湖に棲む海豹セルキー水馬アッハ・イシュカについて語り、ボルトはコリガンの地底の国――迷路のごとく伸びた坑道と、金銀細工、金剛石ダイヤモンドの煌めきや炎が産みだす芸術品などについて語った。

 〈遊ぶ魚〉は黙ったまま、二人の話を楽しそうに聴いていた。



◇◆◇


新暦千五百三十二年、柳の月の十五日

 われらは洞窟の最深部にたどり着いた。そこには大きな一枚岩があり、七つの星と王冠と、枝分かれした聖なる木の図象が彫刻されていた。〈遊ぶ魚アフロタ〉はその前に立ち、振り向いて問うた。

「にんげんのれいゔんは、わたしの友達ですか?」

 レイヴンはわれと顔を見合わせたのち、背をかがめて〈遊ぶ魚〉に微笑み返した。

「友達にしてくれますか? わたしは、あなたと友達になりたいですよ」

 〈遊ぶ魚〉は、われにも訊ねた。

「こりがんのぼるとは、わたしの友達ですか?」

「おう、友だと思っておるぞ、地底に棲む同朋よ。われらの国へ来て下されば、大いに歓迎しよう。美味い酒と料理でもてなそう」

 〈遊ぶ魚〉は、にい、と笑い…………


          *


 突然、〈遊ぶ魚〉が身をふたつに折って苦しみ始めたので、レイヴンとボルトは戸惑った。


「どうしました、〈遊ぶ魚〉?」

「大丈夫か?」


 二人の前で数度 吐く動作をくりかえした〈遊ぶ魚〉は、その勢いでべろ~んと、一瞬で若い女性に姿を変えた。

 レイヴンとボルトは、ぽかんと口を開けて彼女を見た。

 コリガンと同じ〈小さな人〉だった〈遊ぶ魚〉は、すらりと背が伸びてレイヴンと同身長になった。長い銀髪が膝まで垂れ、きらめく白い長衣が身を包んでいる。目はみえず、閉じたまぶたを長いまつ毛がふちどる。外鰓は消え、白い顔のなかで赤い唇が微笑んでいた。

(今、なんか凄いものを見た気がする……。)

 呆然とするレイヴンたちに、彼女は〈遊ぶ魚〉と同じやわらかな声で述べた。


「友達にお見せしましょう。わたくしが扉の鍵なのです」


 〈月光の子〉となった〈遊ぶ魚〉は、しなやかな手で岩の表面をなでると、口から緑色の宝石を吐き出した。七つの石をひとつひとつ星の図柄に嵌めていく。ボルトはレイヴンに囁いた。


緑柱石ベリルじゃ。〈王の石〉じゃぞ」


 レイヴンには、うなずいている余裕がなかった。

 星が全て埋まった岩の中心に亀裂が走り、低く唸るような音を立てて開いた。五ヤール(約四・五メートル)四方ほどの小部屋があらわれ、二人は息を呑んだ。

 部屋の天井の中央に、水晶をうすく削った板がはめこまれていた。そこから蒼白い満月の光がさしこみ、部屋のなかに所せましと並べられた宝物を照らしている。

 黄金の寝台、巨大な黄金のクラテム手桶シトゥラ、金銀の装飾をほどこされた七弦の竪琴リラ、琥珀と瑪瑙メノウの首飾り、金糸を織りこんだ掛け布、緑柱石ベリル金剛石ダイヤモンドで飾られた黄金の盾……そして、数えきれない剣と弓があった。

 車輪を支える小人を足に彫刻した寝台には、きらびやかな布がかかり、黄金の甲冑を着た騎士が横たわっていた。頬はくぼみ肌は土気色をしているが、眠っているかのようにみずみずしい。〈月光の子〉は彼に歩み寄り、話かけた。


「騎士よ。〈曙山脈〉の森の王サルヴァンが使者が参られた。答えは如何に?」

「まだだ」


 レイヴンがぎょっとしたことに、騎士の寝台から低い声が聞こえた。頬あてに覆わた金色の髭にうもれた唇は、動いていない。騎士の体ではなく、たましいが応えているのだ。


「未だ〈時〉はいたらず。我が眠りを妨げるべからず。待てと伝えよ」

「――だ、そうです」


 〈月光の子〉の言葉に、ボルトはごくりと唾をのんでうなずいた。


「承知しました。戻ってお伝えします」


 〈月光の子〉はうなずくと、騎士の上に身をかがめて小声で話したのち、部屋を出た。すると再び地響きのような音をたてて岩戸が閉まり、表面の図象は宝石とともに消え去った。

 〈月光の子〉は二人に手をさしのべた。


「これを。友達への贈りものです」


 〈月光の子〉は、レイヴンには美しい白鋼の剣を、ボルトには虹色に輝く宝石で飾られた金の手甲を手渡した。それから、金銀の粒と宝石の入った革袋を、サルヴァンへと言って預けた。


「わたくしの体内で新しい〈王の石〉が七粒できるまで、この扉はひらきません。その頃、またおいでください」

「それはいつ頃になりますかな?」

「ひとつぶできるのに、約百年かかります」


 〈月光の子〉は、さらりと答えて微笑んだ。



◇◆◇


 以上が、われらが〈夕星山脈〉に眠る〈大地の騎士〉に出会った顛末である。これから七百年の間、〈遊ぶ魚〉が闇のなかで独り暮らすのかと思うと切ないが、本人はそう辛くはないらしい。われらが語った外の世界の話を頭のなかで繰り返し、空想して楽しめるからだという。

 次は是非、蜂蜜酒とトルテを持っていってやろう。

 ただし、カラスに乗るのはもうご免こうむりたい。


                   ――日向坂のコリガン、ボルトが記す。





~了~


 鋭い方はお判りでしょうが、〈隠し野〉は秋吉台、騎士の洞窟は秋芳洞をモデルにしています。

 〈遊ぶ魚アフロタ〉は "Axolotl" Ambystoma mexicanumをはじめとする幼形成熟サンショウウオがモデルです。欧州圏の洞窟には、目のない種がいます。……要するに「ウーパールーパー」です。






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〈夕星山脈〉に眠る騎士 石燈 梓 @Azurite-mysticvalley

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