曙山脈の樫の森のサルヴァンに送る手記(下)
……想像していた姿とは異なるが、どうもそうらしい。
二人が結論づけるのとほぼ同時に、灯が消え、洞内は再び闇に浸された。ボルトは新たな灯の
〈
レイヴンは慎重にきりだした。
「〈遊ぶ魚〉。わたしたちが入ってきた所の他に、外に通じている場所がありますか? 月の光がさしこむところが」
〈遊ぶ魚〉は血管の透ける鰓をぱふっと開き、ぱたんと閉じて答えた。
「あります。にんげんのれいゔん、行くですか?」
「わたしたちはそこへ行きたいのです。案内していただけますか?」
〈遊ぶ魚〉は、にい、と笑って歩き始めた。数歩進んで振り返り、二人が来るのを待っている。善良そうな態度に安心して、ボルトとレイヴンは彼について行った。
大して進まぬうちに、二人は、洞窟内の道がひとの手で整備されていることに気づいた。
「宮殿ですね……」
ボルトは声もなくうなずいている。
いにしえの王国の遺跡とは、天然の鍾乳洞の宮殿だった。乳白色の石筍の椅子に、鍾乳石の柱のかげに、竪琴を持った
夢見心地の二人に、〈遊ぶ魚〉が話しかける。
「わたし、外に行かない。外はどうですか? にんげんのれいゔん、こりがんのぼると、話しますか?」
「われらの故郷の話を聞きたいと? 勿論、お話ししますぞ」
ボルトとレイヴンは代わるがわる、自分たちの暮らす〈外〉の世界について語った。目が見えず洞窟から出たことのない〈遊ぶ魚〉に、どれだけ伝わるだろうと思いながら――青く晴れた空と、頂上に雪をいただいた〈聖なる炎の岳〉の美しさ。初夏の森の鮮やかな緑と、風にゆれる麦畑の金の穂波。蜂蜜酒と葡萄酒ののどごし、林檎のトルテ(タルト)の味と甘やかな香り、星空のしたでゆらめく蜜蝋の焔、などを。
レイヴンは故郷の湖に棲む
〈遊ぶ魚〉は黙ったまま、二人の話を楽しそうに聴いていた。
◇◆◇
新暦千五百三十二年、柳の月の十五日
われらは洞窟の最深部にたどり着いた。そこには大きな一枚岩があり、七つの星と王冠と、枝分かれした聖なる木の図象が彫刻されていた。〈
「にんげんのれいゔんは、わたしの友達ですか?」
レイヴンはわれと顔を見合わせたのち、背をかがめて〈遊ぶ魚〉に微笑み返した。
「友達にしてくれますか? わたしは、あなたと友達になりたいですよ」
〈遊ぶ魚〉は、われにも訊ねた。
「こりがんのぼるとは、わたしの友達ですか?」
「おう、友だと思っておるぞ、地底に棲む同朋よ。われらの国へ来て下されば、大いに歓迎しよう。美味い酒と料理でもてなそう」
〈遊ぶ魚〉は、にい、と笑い…………
*
突然、〈遊ぶ魚〉が身をふたつに折って苦しみ始めたので、レイヴンとボルトは戸惑った。
「どうしました、〈遊ぶ魚〉?」
「大丈夫か?」
二人の前で数度 吐く動作をくりかえした〈遊ぶ魚〉は、その勢いでべろ~んと裏がえり、一瞬で若い女性に姿を変えた。
レイヴンとボルトは、ぽかんと口を開けて彼女を見た。
コリガンと同じ〈小さな人〉だった〈遊ぶ魚〉は、すらりと背が伸びてレイヴンと同身長になった。長い銀髪が膝まで垂れ、きらめく白い長衣が身を包んでいる。目はみえず、閉じた
(今、なんか凄いものを見た気がする……。)
呆然とするレイヴンたちに、彼女は〈遊ぶ魚〉と同じやわらかな声で述べた。
「友達にお見せしましょう。わたくしが扉の鍵なのです」
〈月光の子〉となった〈遊ぶ魚〉は、しなやかな手で岩の表面をなでると、口から緑色の宝石を吐き出した。七つの石をひとつひとつ星の図柄に嵌めていく。ボルトはレイヴンに囁いた。
「
レイヴンには、うなずいている余裕がなかった。
星が全て埋まった岩の中心に亀裂が走り、低く唸るような音を立てて開いた。五ヤール(約四・五メートル)四方ほどの小部屋があらわれ、二人は息を呑んだ。
部屋の天井の中央に、水晶をうすく削った板がはめこまれていた。そこから蒼白い満月の光がさしこみ、部屋のなかに所せましと並べられた宝物を照らしている。
黄金の寝台、巨大な黄金の
車輪を支える小人を足に彫刻した寝台には、きらびやかな布がかかり、黄金の甲冑を着た騎士が横たわっていた。頬はくぼみ肌は土気色をしているが、眠っているかのようにみずみずしい。〈月光の子〉は彼に歩み寄り、話かけた。
「騎士よ。〈曙山脈〉の
「まだだ」
レイヴンがぎょっとしたことに、騎士の寝台から低い声が聞こえた。頬あてに覆わた金色の髭にうもれた唇は、動いていない。騎士の体ではなく、たましいが応えているのだ。
「未だ〈時〉はいたらず。我が眠りを妨げるべからず。待てと伝えよ」
「――だ、そうです」
〈月光の子〉の言葉に、ボルトはごくりと唾をのんでうなずいた。
「承知しました。戻ってお伝えします」
〈月光の子〉はうなずくと、騎士の上に身をかがめて小声で話したのち、部屋を出た。すると再び地響きのような音をたてて岩戸が閉まり、表面の図象は宝石とともに消え去った。
〈月光の子〉は二人に手をさしのべた。
「これを。友達への贈りものです」
〈月光の子〉は、レイヴンには美しい白鋼の剣を、ボルトには虹色に輝く宝石で飾られた金の手甲を手渡した。それから、金銀の粒と宝石の入った革袋を、サルヴァンへと言って預けた。
「わたくしの体内で新しい〈王の石〉が七粒できるまで、この扉はひらきません。その頃、またおいでください」
「それはいつ頃になりますかな?」
「ひとつぶできるのに、約百年かかります」
〈月光の子〉は、さらりと答えて微笑んだ。
◇◆◇
以上が、われらが〈夕星山脈〉に眠る〈大地の騎士〉に出会った顛末である。これから七百年の間、〈遊ぶ魚〉が闇のなかで独り暮らすのかと思うと切ないが、本人はそう辛くはないらしい。われらが語った外の世界の話を頭のなかで繰り返し、空想して楽しめるからだという。
次は是非、蜂蜜酒とトルテを持っていってやろう。
ただし、カラスに乗るのはもうご免こうむりたい。
――日向坂のコリガン、ボルトが記す。
~了~
鋭い方はお判りでしょうが、〈隠し野〉は秋吉台、騎士の洞窟は秋芳洞をモデルにしています。
〈
〈夕星山脈〉に眠る騎士 石燈 梓 @Azurite-mysticvalley
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