曙山脈の樫の森のサルヴァンに送る手記(中)



新暦千五百三十二年、柳の月の十二日

 〈五公国〉の王都ケンペールを過ぎたわれらは、聖王の直轄領を出て、大陸の西の端スライゴー大公領へ入った。ここは領土の大半を〈夕星ゆうづつ山脈〉が占めている。大きな人族が暮らしているのは東側で、山脈のふもとに広がる〈隠し野〉と地下は、人の住む場所ではない。

 われを乗せたレイヴンは、銀流アルジャン川の西で内海にそそぐ早瀬ルーア川をさかのぼり、スライゴー大公の城下町をとびこえて〈隠し野〉に入った。騎士の洞窟までは、もうすぐだ。…………


             *


「羊がいますよ、ボルト。でも、この辺りに人は住んでいないんですよね?」

「羊ではない。よく観ろ」


 あざみとハリエニシダにおおわれた〈隠し野〉には、木はまばらにしか生えていない。レイヴンはゆるやかな起伏がつづく丘陵に降り立つと、手庇てびさしをして辺りを眺めた。緑の草原に灰白色の塊が点々と散っている。いっけん羊の群れのようだが、近づいて観ると岩だった。


「岩の中に魚がいますね。貝もいる」

「さよう」


 彫刻ではなく、魚や巻き貝やフナムシが、生きているときの姿かたちそのままに岩の表面にあらわれている。レイヴンの発見に、ボルトはしたり顔でうなずいた。


「いかなる魔法か、太古の海の生物が岩に閉じ込められておる。それだけではない。われらの立つ地面の下には無数の洞窟があり、時に口をあけて上にいるものを呑んでしまう。ゆえに〈隠し野〉と呼ぶ」


 レイヴンは大きく目をみはって足元を見下ろし、思わず一歩後ずさりした。ボルトは首をかしげて彼を見上げた。


「美しい草原じゃが、うっかり足を踏みいれるなよ。呑まれたものは二度と戻ってこないのじゃ。洞窟へは別の道をとおっていかねばならぬ」


 そう言うと、ボルトは先に立って歩きだした。早瀬ルーア川の支流に沿ってさかのぼり、ぶなの森へはいっていく。レイヴンは、下草におおわれた道なき道に、崩れた石段と住居の址をみつけた。

 ボルトは歩きながら説明した。


「いにしえの〈白き人々ソーリエ〉や〈大地の民ネルダエ〉の住居跡じゃ。王国が滅びはじめた頃、人々はそれまで住んでいた街を棄て、数ある洞窟に身を隠した。今は失われた言語で書かれた歴史とうた、大海を渡って伝えられてきた魔法、黄金の盾や鎧や宝石なども、彼らとともに地下にもぐり、今なお隠されているという」

「誰もみつけていないんですか?」

北方民フォルクメレには秘されておる。よほどの不心得者でないかぎり、〈よき人々〉の宝物ほうもつをあばくネルダエはおらぬじゃろ」


 レイヴンは数秒目を上に向けて考え、確かにそうだとうなずいた。

 ボルトはよっこいしょ、と道をふさぐ倒木をのりこえ、さらに森の奥をめざした。


「われとて言い伝えられた事柄をっているだけじゃ。物語にはこうある――


  去りし人々の宝は、地中深く蔵されたり。

  〈大地の騎士〉と〈月光の子〉ら、これを守護す。

  地母神の御力のもと、いずれ来たる子らのため。

  ドラゴンがほのおもて鍛えたる宝剣は、

  騎士の胸にねむる。

  ときいたればかれは目覚め、剣をき、

  王がために戦うであろう。


王とは〈五公国〉の聖王ではなく、われらの王。虐げられし自由の民を統べる王のことじゃ」

「ドラゴンがいるのですか? この地に。〈月光の子〉とは?」

「いずれわかる。夏至の前の満月の夜に、入口が現れるという話じゃ」


 早瀬ルーア川の支流はすっかり細くなり、密生した羊歯シダと落ち葉をわずかに濡らす程度になっていた。ボルトは掌を自分の膝にのせ、ふうふう息を弾ませている。そして、二人はぽっかりあいた黒い穴にたどりついた。巨大な岩の裂け目から、どうと音を立てて水が流れだし、深い藍色の淵をつくっている。


「この、中じゃ」


 ボルトは身振りでレイヴンを促した。


「まだまだ先は長いぞ。急ごう。満月が〈隠し野〉の真上に来るまえに着かねばならぬ」



◇◆◇


新暦千五百三十二年、柳の月の十四日

 洞窟は、入口の穴の高さは五ヤール(約四・五メートル)、幅は三ヤール(約二・七メートル)ほどあった。入ってすぐ大きな空洞に通じ、天井の高いホールのようになっておった。その中心をつらぬいて、奥から水が流れだしている。

 われは平気だが、レイヴンは暗いと困ると言って騒いだ。蝙蝠コウモリと異なり、きゃつはだというのだ(注①)。まったく世話の焼ける。…………


          *


 ボルトは小さな角燈ランタンをとり出し、妖精の灯は青白くかがやいて彼らを照らした。もっとも、洞窟は広く深く、角燈の明かりは岩壁に届かず、闇に吸い込まれていくばかりだった。

 レイヴンはぶるりと身を震わせ、踵を返した。ボルトは彼の外衣マントの裾をとつかまえた。


「こら。きさま、どこへ行く?」

「わたしは地下に向きません。外でお待ちしますよ」

「たわけたことをかすな。われ一人では、用が済むのに何日もかかるじゃろうが」

「こんな場所で、あなたを乗せて飛べないですよ」

「誰が飛べと言った。きさまには二本の立派な脚が生えているじゃろう。われを肩に乗せて歩け」

「ええ〜。メンドクサイ……」

「それ以上文句を言うなら、きさまの口を縫ってしゃべれぬようにするぞ」

 

 レイヴンはしぶしぶ老コリガンを肩に乗せ、角燈を手に歩いた。かえりみれば、黒い壁にそこだけ切り取られたかのような入口に、緑の木立が見えている。しかし、前方はまったき闇だ。

 足元を照らすか細い明かりだけを頼りに、レイヴンはしばらく進んだが、我慢できなくなって立ち止まった。


「どこまで行けばいいんですか? ボルト。やっぱり戻りましょうよ。危険です」

「やれやれ。地上の生き物は、これじゃから。仕方がないのう」


 ボルトは舌打ちすると、腰帯の間から小さなつぶてを取り出し、角燈の火にかざしてからポンと放り投げた。礫はしゅるしゅる音を立てて回転しつつ上昇し、急に明るく輝いて洞内を照らした。

 まぶしさに瞬きをくりかえすレイヴンの肩で、ボルトは腕を組んだ。


「しばらくはつ。さあ、行こう」


「あのう〜……もし」


 突然、やわらかな口調で話しかけられて、レイヴンはビクンと背筋を伸ばした。レイヴンは恐る恐る、ボルトは不審げに振り向くと、灰色の肌と白い髪をもつコリガンに似た生き物が、水の流れの中から上半身をだして二人を見上げていた。

 ――否、「見上げて」と言うのは語弊ごへいがある(レイヴンは内心で訂正した)。その生き物は目を閉じ……もとい、目のあるはずの場所は少し皮膚がくぼんでいるだけで、何もなかったのだから。

 ボルトは咳払いをしてレイヴンの肩から降りると、帽子を脱いで丁寧に挨拶した。


「これは初めまして。お騒がせて申し訳ない。ひょっとしてこの火が邪魔でしたかな? 暗闇になれぬ者ゆえ、ご容赦くだされ」

「くらやみ? ひ? それはなんですか?」


 それは、にい、と笑う形に口をひらき、無邪気に訊きかえした。


「あなた、土のにおいがする。獣のにおい、鳥のにおい、する。他にもわたしの知らないにおい、たくさんする。ひとり? さんにん? 外から来たの?」


 レイヴンとボルトは顔を見合わせた。二人が返事を考えている間に、それは水からペタペタと這い出て、石筍せきじゅんの上に腰をおろした(注②)。服は着ておらず、肌は濡れてつやつや光っている。うろこはない。よく見ると、顎から耳のしたにかけてえらのような赤いひだがある。

 性別不明のかれは、喉の奥で「くぷくぷ」音を立てると、やわらかな口調のまま続けた。


「外から来る、めずらしいです。〈チイチイ虫〉と違う、もっとめずらしいです。お話しするですか?」


 レイヴンとボルトは再び顔を見合わせた。ボルトが応える。


「ああ。ええと、話しましょう。われはコリガンのボルト。こやつは人間で、レイヴンと申します。あなたは、何ですか? 何と呼べばよろしいか?」

「こりがんのぼると、にんげんのれいゔん。たくさん、においがする。わたしは水のにおいする、〈チイチイ虫〉と違う。わたし、〈遊ぶ魚アフロタ〉と呼ぶ、です」


「アフロタ?」

 レイヴンは聞き慣れない言葉に眉をひそめた。ボルトは辛抱強く続けた。


「〈遊ぶ魚〉。誰があなたをそう呼んだのですか? あなたはわれらと同じ言葉を話しています。誰に習ったのですか?」

「〈遊ぶ魚〉、〈チイチイ虫〉と違う。〈チイチイ虫〉は獣のにおいする、水に入らない。ぱたぱた、空を飛ぶ。外へ出て、また来る。ときどき落ちる。〈チイチイ虫〉は呼ばない」


「……〈チイチイ虫〉とは、蝙蝠のことでしょうか」

 レイヴンはボルトの耳に囁いた。洞窟の中で暮らす〈遊ぶ魚〉の世界を想像すると、他に該当する生物はいないように思われる。ボルトは重々しくうなずいた。



◇◆◇


 〈遊ぶ魚アフロタ〉との会話はこんな調子で、ひどく時間がかかった。きゃつがわれらと同じ言葉を話しながら、微妙に意味や解釈が異なるためだ。それでも、われらは〈遊ぶ魚〉が〈白き人々〉に言葉を習ったこと、生まれてからずっとこの洞窟で暮らしていることをつきとめた。

 〈遊ぶ魚〉に目がないのは、一生を暗い洞窟内で過ごすため、ものを見る必要がないからだ。知能は言語をあやつれるほどに高いが、衣服は着ていない(洞窟内は年中気温が一定に保たれているゆえ、これも必要がない)。鰓をもち、水中でも空気中でも息ができる。嗅覚と聴覚と肌の感覚が発達していて、われらと遜色なく周囲を知覚できる(われらより鋭いだろう)。地下には昼夜の区別がないため、日付や時間の概念はない。明かりは漠然と分かるので、昼に洞窟の入り口が明るくなったり、夜に月光がさしこんだりすれば、興味半分「見に行く」ことがあるらしい。

 それを聞いたレイヴンが、低い声でつぶやいた。


「もしかして。〈月光の子〉とは〈遊ぶ魚〉のことでしょうか?」






〜(下)へ〜

(注①)鳥目:夜盲症のこと。鳥類の多くは夜間に目が見えないと考えられていたことから、できた言葉。

 実際には、真に夜間 視力が低下する鳥は数種だけです(ニワトリなど)。カラスは視力が高く、フクロウ並みに夜も見えると言われますが、洞窟のように全く光源がないところでも見えるかどうかは、分かりません。


(注②)石筍:鍾乳洞の天井から滴下する水滴中の物質(主に炭酸カルシウム)が沈澱し、洞床で上方に積み重なってタケノコ(筍)状に固まったもの。その上で天井から垂れ下がる形のものを、鍾乳石と呼びます。

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