〈夕星山脈〉に眠る騎士
石燈 梓
曙山脈の樫の森のサルヴァンに送る手記(上)
夕焼けが、空をあざやかな緋色に染めていた。〈中央山脈〉の峰々が金色に輝き、東へ長い影をのばすころ、一羽の若いワタリガラスが夕空を西へよこぎった。
二羽のカラスが警告の叫び声をあげながら、その後を追いかける。若カラスが子育て中のつがいのなわばりに、うっかり入りこんでしまったのだ。怒りに燃える夫婦が交互に侵入者の背を蹴り尾をついばむたびに、黒い羽毛がぱっと散った。
ギャアッ、ギャアッ!
若カラスがひときわ高い
「ぺっぺっ!」
「だから言ったでしょう。
連れは人間族の若い男だ。褐色の毛織の
青年は頭にかぶった蜘蛛の巣をはらい、
コリガンは、おもむろに懐から羊皮紙をとりだすと、腰に吊るした
「何を書いているんです?」
「今日あった出来事を記録しているのじゃ。サルヴァン様に報告しなければならぬからな」
「そうですか……。暗くなる前に食事にしましょうよ」
コリガンはサンザシの木の根に腰をおろし、知らぬ顔で文章を考えている。青年は肩をすくめると、薪にする木の枝を探しに行った。
◇◆◇
新暦千五百三十二年、柳の月の八日
〈
われボルトの同行者は、レイヴンと名乗る
*
「ひどいなあ。そもそもカラスは人を乗せて飛ぶようには出来ていませんよ。乗り心地を求めるなら、サルヴァンさまに仔馬を借りればよかったではないですか」
薪を集めてきたレイヴンは火を
「それで何処を行く? 北街道か? きさま、〈中央山脈〉がどれだけ広いか知っておるのか。われらが地上を歩けば、辿り着くのに一年はかかるわい」
「
「妖精の道は、もう何百年も前に山脈の途中でとだえておる。
ボルトはぎょろりと目を回し、耳の先をぴくぴく動かしてレイヴンを睨みつけた。
「サルヴァンさまは、
「は~い」
やぶへびだったと思いながら、レイヴンはスープを食べ、外衣を体に巻きつけて眠りに就いた。
◇◆◇
新暦千五百三十二年、柳の月の十日
〈中央山脈〉はその名のとおり大陸の中央を東西に走っている。深い森におおわれ、数多の湖と〈
われを乗せたレイヴンは、他のカラスを刺激せぬよう、山々のはるか上空を飛んで行った。谷間を流れる川と黄金の麦畑、〈大きな人〉族の村々を眺めながら。…………
*
グワッ、クワアアッ!
「見えるか? あれが王都。〈五公国〉の中心じゃ」
クエッ、クエッ!
「いかにも大きいし、人も多く住んでおる。貴様のすむアイホルム大公領がいかに辺境か分かるというもの」
カアッ、カアアッ!
「なに? 寄り道したい? ちょっと待て。サルヴァンさまは次の満月までに騎士の洞窟にたどりつけと――。こら、またぬか!」
カラスは大きくひと羽ばたきすると翼をひろげ、滑空に入った。ぐんと速さを増した風に慌て、ボルトが帽子をおさえる。若カラスは山の麓をおおう松林の上を滑りおり、都ぜんたいが見晴らせる一本の松の枝に舞いおりた。
レイヴンはボルトを枝におろすと人型に戻り、松の幹に片手を当てて背を伸ばした。山々にぐるっと三方を囲まれた谷を、
〈五公国〉の王都ケンペール(二本の流れの合流点、の意)は、堅牢な石の防壁と川のながれに守られている。石づくりの橋が東西から中洲にかかり、街道と王都をつないでいる。南街道だ。ロバのひく荷車が車輪をきしませながら橋を渡り、商人達が行き交う。橋の上で、花や干魚を売っている者がいる。人々の賑わいの上にそびえる王城は、きらきら光る青銅の
王都のさらに南方、川の行き着く先をながめたレイヴンは、興奮気味に叫んだ。
「海だ!」
「内海じゃよ」
鏡のごとく
ボルトはどっこいせ、と枝に腰掛け、
「内海?」
「そうじゃ。数万年前、ここは陸地の西の端であった。地震で海底が隆起して〈夕星山脈〉となり、内海をつくった。同じころに〈中央山脈〉も出来たと言われておる」
ボルトは長い毛の生えた眉をうごかして若者の反応をみた。
「われらコリガンや竜や〈山の民〉は、当時からこの地で暮らしていた。〈夕星山脈〉のさらに西から、海をわたって〈
「何故です?」
素朴な問いだったが、ボルトはゆっくりかぶりをふった。
「国が滅びる理由は、ひとつではなかろう。戦だったかもしれず、疫病や飢饉、その全てであったかもしれぬ……。人々は各地に散り、地にもぐったり荒野に住んだりして生き延びた。サルヴァンさまはその子孫じゃ。西の王国が滅びたのち、われらの時代となった。〈大地の民〉は部族ごとに国を築き、われらは地底に棲みかをうつした。最後にやって来たのが
ボルトは長い煙管をふって中洲を示した。
「きゃつらは北の海をこえて来たという。姿は〈白き人々〉に似ているが、在りようは異なるな……。きゃつらは戦争を起こしてわれらから土地を奪い、森を伐り拓き、山を崩して畑をつくった。川に堤防を築いて流れを変え、石畳の道を敷いている。妖精の道は断たれ、われらは住みにくくなる一方だ」
ボルトは不満げにうなって煙を吐きだした。レイヴンは眉をひそめて王城を眺めた。
「
自分が産まれるよりはるか昔の物語を、レイヴンは神妙に聴いていた。顔をあげ、連れに声をかけた。
「わたし、ちょっと街へ行ってきます。日暮れまでには帰りますから、ここで待っていてください」
「なに? 待て、レイヴン。われを降ろしてから行け。おい!」
ボルトは焦って叫んだが、青年はさっとカラスに変身すると、ケンペールへ飛んで行った。ボルトは松の枝の上で拳を振っていたが、やがて諦めて坐りこんだ。
◇◆◇
………サルヴァンさまの弟子が聞いてあきれる、とんだ出来損ないだと思っていたが。レイヴンは、王都で鹿肉のローストと猪の腸詰と、上等の
~(中)へ~
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