六章 秋深く 四話
サナハンに街の偵察を指示されたケヤクは、シャミルとジナンを連れ、早速、出立した。セティヌは襲撃の前には必ず標的の領地を確認させる。特に今回は今までよりも大きな都市が標的であり、現地で一週間ほど滞在せよとの指示だった。
メイルローブは州北方にある城郭都市である。ケヤク達の住むラジテ村から行くには、まず州の中央を横切るアシュレ山脈を越え、その後は街道に沿って北上する。距離にして約百二十カイル。普通なら馬で四日、早馬で二日というところだが、馬を疲れさせてまで急ぐ必要はない。氷竜国との戦争に出ているという城主がメイルローブに帰還するのは冬に入ってしばらくした頃だろう。つまり、まだひと月以上は先になる。三人は適当なところで宿を取りつつメイルローブへと向かうことにした。
楽しみのために旅をするという者は一体どのくらいいるものだろう。少なくとも、竜のいない国は旅行者も少ない。国内には頻繁に魔獣が現れ、食い詰めた農民は山賊に変わる。命の危険を冒してまで、旅をする物好きなどほとんどおらず、遠方との商いをする交易商を除けば、信仰熱心な巡礼者くらいである。彼らは竜を神の代理と崇め、次竜の誕生を願って聖地を巡る。こういった巡礼者には各地の寺院が保護を与えるが、貧しい国ではそれにも限界がある。つまりは、目的のない旅をしている者など、ほとんどいないのだ。
ケヤクはといえば、竜の不在に関わらず、そもそも旅が嫌いだった。襲撃の際は敵方に印象づけるため、わざとその銀の髪を見せているが、兄弟団が有名になってからは村の外に出る度に頭に布を巻かねばならぬ。それに外に出れば見たくもないものを見る事もある。憂鬱だが、必要だから仕方がないと自分に言い聞かせ、メイルローブへの道をただ進んだ。
「ん? あれは……」
二日目の昼、メイルローブには明日着くだろうというところまで来た一行は、ジナンの声に足を止めた。つられてそちらを見れば、黒々としたものが二つ転がっている。何かと思い、近寄ってみると、それは斬られた魔獣の死体だった。
「ヒバルデだな。剣で斬られている」
一目見て、ジナンが言った。
ヒバルデは狼に似た小型の魔獣で、下顎の犬歯が非常に発達している。群れは作らないが、雌雄一対で行動し、動きは速い。その動きを追うのは一苦労なのだが、二つの死体は見事に首筋を一撃で仕留められていた。
「おう、こりゃかなりの腕だぞ」
ジナンが驚いたが、ケヤクも同感だった。
小型とはいえ、ヒバルデの毛皮は分厚く、動きも速い。しかし、二つの死体はどちらも首筋を綺麗に斬られていた。
「こりゃあ飛びかかってくるヒバルデを一匹ずつ仕留めたんだな。傷跡に迷いもない」
得物は相当に鋭利な剣か刀。それでもって一撃で仕留めている。訓練を積んだ人間でなければ、このような傷にはならない。となれば、そういう者がここを通りかかったということになる。このあたりは特に何もない道である。兵がいるような場所ではないし、そもそも並の兵士ではこうも上手くは斬れないだろう。
なぜ、こんなところで――と考えていると、シャミルがあっけらかんと言った。
「まあ、別に敵じゃないんだし、いいじゃねえか。先を行こうぜ」
ケヤクは一つ息をつき、それもそうだな、と応じ、また馬を進めた。
魔獣が出る事はさほど珍しい事ではない。竜がいたらいたで、魔獣の代わりに狼や熊は出る。ヒバルデくらいの小物であれば、狼と大して変わらない。
結局、ヒバルデの死体を見た以外は順調に進み、村を出て三日目、まもなく目的地というところまで来て日が暮れ始めた。既にメイルローブの管轄に入っているが、馬を走らせても街の外門が閉まるまでには間に合わぬ。どうせ急ぐ必要もないだろうと、その日はシャルコウという宿場町で、宿を取ることにした。
メイルローブは商売の街である。州都ディザス=アータほどではないとはいえ、メイルローブも商人の往来は多く、シャルコウもその恩恵に預かれているようだった。良さそうな厩舎がある宿を見つけて入ると、愛想のいい亭主と女将が三人を出迎えた。
「いらっしゃい! ご宿泊ですか?」
亭主が愛想のいい笑みを浮かべて、話しかけてきた。
「ああ、三人と馬三頭だ。外の厩舎に繋げば良いか?」
「はい。飼い葉と水はこちらで世話いたします。何日ほどお泊まりで?」
「一晩でいい。宿代はいくらだ?」
「六千ブルトになります」
「少し高いぞ。四千にまけろ」
ジナンの言葉に亭主は作ったような困り顔を浮かべた。
「この辺りはみんな似たような値段でございます。その代わり、料理には自信がありますので……」
ジナンは少し考えるふりをしてから言った。
「分かった。うまいものを頼む」
「はい! お任せを」
亭主は最後にもう一度愛想を振りまいて、奥に姿を消した。
三人は部屋に入り、ケヤクはまず寝台で足を伸ばした。馬の背で揺られているだけとはいえ、それはそれなりに疲れる。しかし、明日はメイルローブに到着する。ターバリスの城は街の中心部から少し離れて建っていると聞いた。まずは何日か町を見聞し、後は城を外から確認してラジテ村に戻る。鷲を使うのも、城を攻めるのも初めてである。せめて外観だけでもこの目で確認しておかねばならない。
山の向こうに日が落ち、外が暗くなってきたころ、部屋の扉がノックされ、女将が料理を持って入ってきた。
「ご夕食にございます」
人当たりの良さそうな笑みを浮かべた女は部屋の中央に置かれた卓に膳を並べ、慇懃に礼をした。三人が食事を始めると、やおら話しかけてきた。
「巡礼の旅ですか?」
「いや、仕事の帰りだ。交易商の護衛についていた」
と、ジナンが答えた。
自分達は自由民の用心棒ということになっており、セティヌが手を回して発行させた手形にもそう書いてある。農奴に旅をする権利はない。そもそも生まれた土地を自分の意志で離れるという事が許されぬのである。農奴は領主の所有物であり、男は終生、生まれた土地を離れる事はできない。女の場合は売られるか、結婚して他の土地へ行く事もあるが、それにも領主へ支払う税がいる。ケヤクのように生まれ故郷が戦乱で消えた場合は、金があれば戸籍を買う事もできるが、大抵は別の土地で農奴として戸籍を得るか、放浪するしかない。
農奴ではなく自由民であれば、どこに行くのも勝手だが、それでも楽しみのために旅をする者はそういない。ケヤク達が村の外に出る際には、商人の用心棒だと名乗るようにしていた。
「このあたりには巡礼者も来るのか?」
「ええ、昨日もお一人来られましたよ。左目を眼帯で塞いだ女性で、巡礼の旅をしているそうで」
「女の一人旅とは珍しいな。しかも眼帯とは」
「ナウマニ派の方だと言っておられました」
ナウマニ派は信教の一派であり、自らの身体をあえて不自由にして巡礼する事で、心願成就を願うというものである。戒律が厳しく、あまり一般には人気がないが、片手をきつく縛って不自由な状態で旅をしている巡礼者や僧を見かける事もある。しかし、目を塞ぐというのは珍しい。片手を縛るのも不自由だろうが、片目を塞ぐのもやはり不自由だろう。しかも、巡礼とはいえ女が一人で旅をするなど、命を捨てに行くようなものだ。
「危険ではありませんかとお尋ねしたら、巡礼の旅に困難はつきものだと言って……」
「よほど熱心な信仰者なのだろうな」
ジナンと女将が話しているのを聞きながら、ケヤクは食事を進めた。
宗教を心のよすがにするというのは、ケヤクには理解ができない。しかし、それを信じる人間を愚かだと思うほど、無神経でもない。民衆は竜の加護を求める。竜がいなくば、病も魔獣も減りはしない。だから、危険を冒してでも祈りの旅をする者は尽きない。
「ああ、そういえば、来る途中にヒバルデの死体を見たぞ。この辺りも魔獣が出るんだな」
危険、という言葉で思い出したのか、ジナンが言った。
「ええ、もう竜を失って十七年ですからね。去年などはオソウガが出て難儀でしたよ」
オソウガは大型の熊ほどもある非常に獰猛な魔獣である。知能も高く、食欲旺盛で人肉を好む。相当に強い魔素の中で生まれるらしく、竜がいる国ではまず出ないが、出た時は厄介だ。衛兵のいない小さな集落などはひとたまりもない。
「それは大変だったろう」
「ええ、なんとか自警団が仕留めましたが……」
客の食事中である。死んだ、とははっきり言わなかったが、自警団程度では犠牲は出ただろう。
「この辺りならば、メイルローブの兵団の縄張りだろう。領主はなんと言ったかな?」
「シュロ―家のターバリス様でいらっしゃいます。しかし、氷竜国との戦が続いておりますので、兵士は足らないようで……」
女将は一瞬、曇った顔を見せたが、客の前であることを思いだしたか、「失礼しました」と言って、そそくさと引き上げていった。
灼竜国のケヤク かっつん @striker3461
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