第4話 イン マイ ブレイン

 夕方の団地には、数台のパトカーと救急

車が非常灯を回しながら停車し、団地の住人が野次馬をしていた。

 六十代の男性がパトカーの中で警察と話をしている。 

「家賃を滞納されていたので、確認に家に訪れました。それで……行ってみたらあの状態で……それで通報しました」

「いつから家賃の滞納を?」

「今月分です。それに悪臭の苦情も出ていまして」

「その悪臭の苦情はいつ頃から?」

「一週間前くらいですね。もっと早く確認に来れば……今日は住人から娘さんの様子がおかしかったと電話もありまして」

「様子がおかしかったっていうのはどんな感じだったんです?」

「部屋の前で絶叫したりしつこくインターフォンを鳴らしたとか。ドアを開けて対応してももずっと大声で一人で話し続けていたそうです。あの子は、昔から病気がある子でね。あの子のお母さんも昔から持病があって体が弱くてね。母子家庭だからって、無理して働いていたみたいだけど、とうとう……」

「それで、部屋に入った時の状況は?」

「はい。部屋のインターフォンを鳴らしても出てこないから心配でドアノブを回したら鍵が空いていて。杏ちゃんは倒れていて、お母さんは……。それですぐに警察と救急車を呼びました」

「わかりました」

 

 ストレッチャーに固定された成人女性・・・・に救急救命士が話しかけていた。

「名前はわかりますか?」

「はい、杏です。」

「年齢は何歳ですか?」

「十二歳です」

 救急救命士は、ストレッチャーに乗せられた成人女性・・・・を見つめた。


 ◇   ◇


「杏ちゃん、可哀想にねぇ」

 団地の主婦たちはブルーシートに包まれた遺体が運び出されるのを見ながら口々に言い合った。

「お母さん亡くなったのね。杏ちゃんは小さい頃から病気でほとんど学校も行ってなかったわよね?」

「杏ちゃんて、もうとっくに二十歳超えているでしょう?」

「確か、昔F棟に住んでいた方のお子さんと同級生だったわよね? だから、もう二十二歳くらいじゃないかしら?」

「あらぁ、そんな年だったの?」

「F棟の子が引っ越しちゃってから学校も行かなくなったのよね」

「そうそう、F棟の子はC棟のおじいさんに悪戯されたとかで引っ越したんでしょ?」

「それは、あくまで噂で真相はわからないけど……」

「でも、杏ちゃんも小さい頃からおじいさんの家に通っていたでしょ? いやらしい」

「しぃ! 何していたかは知らないんだから」

「でも、しょっちゅう遊びに行っては二人きりだったみたいだし……。体は成長しているんだから……」

「あら、いやらしい」

「杏ちゃん、いつもF棟に佇んでずっと独り言を言っていたし、ずっと友達が欲しかったんでしょうね」

「見たことあるわ。一人でずっとブツブツ言っててね……気味悪くて。お母さんも大変な苦労されただろうし……お気の毒よね」

「本当、お気の毒」


◇   ◇


 気が付くと、私は真っ白い天井の部屋の中にいた。ふかふかなベッドに横たわっている。お母さんと一緒に住みたいと思っていた素敵なお家だ。ベッドサイドに見知らぬ女の子が座っていた。

「……だ……誰?」

「起きたの? 杏ちゃん」


 女の子は私を知っているようだ。


「……ここは、新しいお家?」

「違うよ」

「……どういうこと? お母さんは?」

「お母さんは死んじゃった」

  

 私はショックで目を見開いた。


「お母さんが? どうして!」

「何も覚えていないの?」

「わからない……。 何もかも……」


 女の子はため息をついてから話し始めた。


「あなたは小さい頃から先生との行為を撮られていたの。F棟の六〇五号室の友達は引っ越しを繰り返していたでしょう? 本当は誰も住んでいないの。あなたの頭の中で友達を作り出していたのよ。先生に強姦される度に友達に記憶を植え付けてはいなくなって、また新しい友達を作り出していた」

「何? 先生が私を……何?」

「わからなくても仕方ないわね。あなたをショックから守るために私達は生まれたんだもの」

「何を言っているのかわからないわ。お母さんは? お母さんは?」

「お母さん? お母さんは夜寝て、朝目覚めなかっただけよ。一週間も前に。それを助けなかったのはあなたでしょう」

「お母さん……どうして誰も助けてくれなかったの!」

「私に何ができるって言うのよ! 鏡を見て!」

 

 女の子が指を差す方を見ると、洗面所に鏡があった。私が鏡を見つめるとそこには、見たこともない成人女性が映っている。鏡には成人女性しか映っていない。


「こ……これは……誰なの?」

 

「杏ちゃん。それがあなたの本当の姿よ。私、もう行くね」

「待って! 行かないで!」


 そう叫んだのに、女の子は忽然といなくなっていた。ベッドサイドの椅子はもぬけの殻だ。

  

 私の脳内に幼い頃からの日々が血が通うように巡り出した。

 体の弱い母が必死に働いてくれた日々。

 親友が引っ越してしまってから一人ぽっちになってしまい寂しかった日々。

 そんな私を先生が家に招き入れてくれた。最初はご飯を食べさせてくれて、宿題を見てくれて……次第に抱きしめられたり、肌に触られたり、そしてベッドへと誘われて……。   

 私は強姦される度に、行為をビデオに撮られるのが耐えられなくて。自分の中で友達を作っては殺して、また友達を作っては殺して……悍ましい記憶だけを押し付けてきた。


 母が目覚めなかった日も思い出した。

 暗闇の中、布団の上で苦しむ母をただ見つめていた。ついに母が事切れた朝、私の中で、母は仕事に行ったと思うことにした。


 一体何人が私の中で犠牲になったのだろう。嫌だ。こんな記憶は消してしまいたい。あぁ、誰でも良いから。


 …………ダレデモイイカラ


 ……私の中に引っ越してきて……



       了




       

          

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