死神さんと、俺。

にわ冬莉

死神さんと、俺。

「死神さんよぉ、早く俺を殺してくれねぇか?」


 俺はいい加減うんざりしながら、目の前の黒いもやっとしたものに訴えかけた。

 こいつが俺の前に現れたのはもう数日前だ。

 最初はこれがなんなのか、わからなかった。目の前がぼやっと黒いものに覆われることがあり、何か目の病気なんじゃないかと思っていた。が、ある日、そのもやが俺に向かって話しかけてきやがった。


「私ぃ、死神なんですよぉ」


 間の抜けた声だった。

 若い女の子みたいな、しかも頭の悪そうな喋り方。

 俺は言ったね、


「ああ、いいよ。早く殺して魂持っていけよ」


 宇宙規模で考えたら悩みなんて吹っ飛ぶ、とか言うけど、宇宙規模で考えたら自分の存在そのものすらちっぽけすぎて、必要性を感じなくなっちまうってなもんだ。

 何があったわけでもないが、電車が入ってくるプラットホームで、

「あ、今だな」

 って思うことが時々あるんだよな。

 タイミング計っちゃうっていうか、ふわっと、そう思うんだよな。

 もちろんそのままふわっと行っちゃったら大変なんで、気をつけてはいるんだけどさ、何もかもを放棄したいって瞬間があるんだよ。


 放棄するのは「嫌なこと」だけでいいんだけどな、ホントは。

 けど、嫌なことそれだけを放棄できるかっていうと微妙で、結局はそれって他と繋がってたりするわけじゃん? そこだけをうまいこと切り取るなんて、至難の業でさ、なんだろ、体の一部にガンがあっても、切り取れる場所じゃなかったらうまく付き合っていくしかない、っていう、あれと似てる。


 で、そうなると選択肢は二つなわけ。


 ガンをなくすために抗がん剤治療で辛い思いしながら延命するのか、モルヒネ打って痛みや苦しみから解放されて死んでいくか。

 俺、延命より痛くない方選びたいのよ。

 もういいや、って思いがほんと強くて、やり残したことはなにもないって言ったら嘘だけど、でも必死にしがみつくほど生に執着はないんだよな。

 明るい未来も全く想像できないし。というより、これからも辛くて痛いんだ、って感覚の方が大きいんだと思う。だから一刻も早く逃げたい。ここから。


 帰りたい、っていつも思ってた。

 家がなかったことなんて一度もないけど、いつも自分の居場所じゃない気がして、だから帰りたいって思ってた。

 安心感がないのは、ずっと同じなんだな。

 小さい頃からずーっと、安心感がないんだ。

 会いたい人がいる場所が帰りたい場所なのかな。だとしたらやっぱり、死にたいと思ってるのかもしれない。


 今じゃなくていいだろ! って怒られるのわかってるから行かないだけ。

 でも居場所がないのに生きいなきゃいけないって、正直しんどい。


 いたいと思った場所すべてが、自分の居場所だ、ってなんかで読んだことあるけど、そう簡単な話でもないだろ、実際。

 俺だってあるよ、そりゃ、あちこちに自分がいたい場所やいてもいい場所。

 でもそれは「場」であって「HOME」ではない。


 ここにいていいんだ、って思えるところに帰りたい。

 帰りたいなぁ。




「だからぁ、言ってるじゃないですかぁ、今じゃないなぁ、って」

 黒いもやが脳内に直接話し掛けてくる。

「なんでだよ! お前、魂いただきに来ましたーって言ってただろうがっ」

「えっとぉ、確かに言ったんですけどぉ、普通はああ言われると『まだ死にたくないー!』ってなるんですぅ。でもあなた、はい喜んでー! みたいな態度じゃないですかぁ」

「そんな、居酒屋みたいには言ってねぇ!」

「でも、受け入れましたよねぇ?」

「おぅ」

「そーれっ! それじゃ、つまんないですぅ」

 甘ったるい声で駄々をこねる、もや。

「はぁぁ? なんだそれっ」

「私ぃ、運命受け入れられずに抗って泣いて喚いて絶望に打ちひしがれた人を連れて行きたいのでぇ」


 悪趣味!!

 なんて悪趣味なんだっ!


「死神さんよぉ、あんた酷いやつだな…、」

「やだ、褒められた♪」

「褒めてねぇわっ!」

 なんなんだ、このどうでもいいやり取りは。

「大体ぃ、特に悩みもなさそうなのに、なんでそんなに生き急いでるんですかぁ? わけわかんなーい」

 半笑い…嘲笑に近いそれに、さすがの俺もイラッとする。

「ふざけんなっ! 魂取って帰る気がねぇなら失せろ!」

「あらら、怒っちゃいましたぁ?」

「当たり前だろうがっ」

「まぁ、でもそのくらい元気なほうがやる気出るかなぁ」

 どこまでもふざけた物言いだ。

「ていうかぁ、なんでそんなに死にたいんですぅ? 友達が誰もいないとか、お金がなくて飢え死にしそうだとか、そんな感じでもないのにぃ」


 そう。

 別に俺、抱えきれないほど深刻な悩みがあるわけではない。友人だっているし、仕事もある。今は恋人もいないが、誰とも付き合ったことがないというわけでもない。


「もしかして、まださゆりのこと引き摺ってます~?」

 唐突に元カノ情報を出され、若干うろたえる。

「は!? なに個人情報にアクセスしてんだコラ!」

「さゆりとはうまくいかない運命だったんでぇ、それは仕方ないんですよぉ」

「別に今更さゆりのことなんか気にしてねぇわ!」

 さゆりとは大学で出会った。なんとなく馬が合って付き合ったが、お互い就職して、そうしたら職場でいい男見つけたらしく、はいサヨナラ、だ。確かにあの時は多少なりとも落ち込んだが、それももう昔の話だ。

「あ、そうですか。それならいいんですぅ」


 ん? こいつ、今『運命』とか言ったか?

「なぁ、死神さんよぉ、お前って…その、これから先のこととかもわかるわけ?」

 このまま生きてたら、誰かと出会って大恋愛して家族が出来てハッピーエンドに!?

「あー、先のことは知りませぇん。だってそれはあなたが辿る道次第なんでぇ」

 あ、そ。

「それにぃ、そのていでは幸せつかめそうもないですしぃ」


 カチーン


「お前なぁ、死神だからって言っていい事と悪いことがあんだろっ? 俺だってなぁ、特に大きな悩みはなくとも、それなりに必死に生きてるんだぞっ? と、つと、どっちが偉いんだよっ? どっちもだ、バーカ!」

 小学生みたいな発言だが、頭に血が上ったせいだ。アンガーマネージメントが出来てない社会人を許してくれ。相手は死神だしな。


「頑張って生きてる……ですかぁ。そうですよねぇ、彼女もそう言ってましたもんねぇ」


 ピク


「彼女って、誰のことだよ」

 聞き捨てならない一言に食いつく。


 頑張って生きなさい。クロのように。


 昔飼ってた猫が死んだとき、俺は馬鹿みたいに泣いて、悲しくて、俺も連れてってくれってめちゃくちゃ泣いて。そんな時に言われたんだ。『頑張って生きなさい』って。いつかは死ぬのだから、その日まで頑張って生きなさい、クロのように……。

 動物ってのは、とにかく死ぬ寸前まで、生きようとする。痛みに耐え、苦しくても、最期の最期まで瞳を爛々と輝かせ、必死で生きようとするんだ。そんな風に、お前も生きなさいと、言われた。


「ああ、あなたの会社の木村千佳さんなんですけどねぇ」

 いきなり話が飛ぶ。

「は?」

「彼女、あなたに気があるって知ってますぅ?」

「はぁ?」

 確かに木村千佳という人物は会社にいる。ちょっとぽーっとしたタイプの子で、飛び切り美人ってわけではないが、好感の持てる子だ。いや、なんで今、急に木村千佳が出てくる?

「あなた鈍いから気付いてないんでしょ? 今度の会社の飲み会、カラオケ行ったときに歌ってあげなさいよぉ。彼女の好きな歌」

 何の話だ?

「そしたらきっとうまくいきますよぉ」

 意味がわからない。

「なんで急にキューピットみたいな発言してくるわけ?」

「えっとぉ、だからぁ、あなたが幸せだーってなったときに魂を、」

「悪趣味!!」

 俺はそう言い放って死神をシャットダウンした。




「ずっと好きだったんです」

 木村千佳から告白されたのは、飲み会の帰り道だった。

 カラオケで歌った曲が、彼女の大好きな曲だったらしい。

 で、その歌声を聴いて、勇気を出したということだった。

「いや、あの、なんで、俺?」

 思わず聞いてしまう。

「私が入社してすぐの頃、失敗続きですごく滅入ってた時があったんです。そのとき、声を掛けてくださって」

 そんなこと、あったか?

「みんな最初はそんなもんだから、って」

 は? そんなの、特に何てことない、慰めにもならない言葉じゃ?

「そのときの私にはすごく嬉しかったんです! それからだんだん気になり始めて…、私じゃ駄目ですか?」

 潤んだ目で見つめられて、俺はすっかり参ってしまった。単純だと思うだろ? でも人間って、そういう生き物だ。




「うふふ~、よかったですぅ」

 千佳と付き合い出してしばらくした頃、また死神がやってきた。

「おい、俺の魂、持って行く気か!?」

「あー、でもまだですねぇ。もっと、もーっと生に執着してくれないとぉ」

「お前、本当に性格悪いな!」

「やだ、また褒められて、」

「だから褒めてねぇ!」

「次はプロポーズですねぇ。いつにしますぅ?」

 おかしいだろっ。なんで死神相手にプロポーズについて語り合わなきゃならねぇんだっ!

「放っとけ!」

「そうはいきませんよぉ。プロポーズは大事ですからぁ。あ、今度二人で旅行しますよねぇ? そのときアクシデントに見舞われるのでぇ、そこでしましょうよ、プロポーズぅ」

 ノリノリで言ってくる死神の言葉を、俺は一切無視した。

 絶対にこいつの思う通りになるもんか!

 プロポーズなんか、しねぇ!

 とにかく不愉快だった。



「千佳! おい、千佳、しっかりしろ!」

 俺は血だらけで倒れている千佳を抱き上げ、必死に呼びかけていた。

 旅行先での、事故。

 レンタカーを借りて乗っていた俺たちの車に、軽トラが突っ込んできたのだ。俺も額を切っていて血まみれだったが、千佳はもっと酷そうだ。


 やめてくれよ!

 !!


 うっすらと目を開ける、千佳。

 よかった、生きてる!!

「……私、死ぬの?」

 状況も怪我の具合もわからない錯乱状態で、千佳は怯えているようだった。俺はなんとか彼女を安心させてやりたかった。

「馬鹿言うな! 死んだりなんかしない! 千佳は俺のお嫁さんになって、可愛い子供を二人も生むんだから! 大丈夫だ、死なない!」

「ほんとに?」

「ああそうさ。俺たちは結婚して、幸せに暮らすんだから!」

「うん、うん」

 涙を流す千佳を、俺はずっと励ましていた。

 救急車の音が、すぐそこまで来ていた。




「結婚、おめでとうございますぅ。ほんと、よかったねぇ」

 死神は俺の結婚式にやってきた。

「おい、幸せの絶頂で俺の魂をっ」

 さすがに身構える。が、

「ううん、まだだよぉ。今が絶頂だとか、甘いよねぇ」

「はぁ? お前って本当に、」

「私、本当にいい子よねぇ」

「その逆だろうがっ」


 俺はもう、死神には構わないことにしたよ。

 子供が生まれたときもやってきたし、その子たちが高校に、大学に合格したときも、子供たちの結婚式にも、孫が生まれたときにもやってきたんだぜ?

 それでも、俺の魂を取っていくことはなかった。

 本当は死神じゃないんじゃないか、と俺は疑い始めていたさ。

 こいつが現れてからの俺は、

『帰りたい』

 と思わなくなっていたからな。

 俺には、居場所がある。

 帰りたいと思える場所が、ちゃんとあった。




 いつしか俺は年を取って、病気になって、もう、あとは死を待つだけの入院生活をしていた。

 千佳は変わらず俺の傍にいてくれたし、子供たちも、孫たちも代わる代わる見舞いに来てくれた。


「……迎えに来たよぉ」

 死神が俺のところにやってきた。

 相変わらず馬鹿っぽい、甘ったれた声でそう話し掛けてくる。

「ああ、そうだな」

 俺は笑って言った。

 もっと生きていたいさ。この年になってもまだそんな風に思うなんてな。家族に囲まれ、笑って、楽しい日々を過ごしていたいなんて。

「頑張って生きたねぇ」

「ああ。頑張って生きたよ。お前を見習ってな。クロ……」

「あれぇ、ばれちゃったのぉ?」


 死神なんかじゃない。

 お前は、クロだ。

 大好きだった、猫のクロだ。

 甘ったれた声で俺に擦り寄り、膝の上で甘えて鳴いた、あの時と何も変わっていない。

 どうして最初に気付かなかったんだろうな。



 あの日、俺は学校帰りにお前を拾ったんだ。

 冬の寒い日。雨は降ってなかったけど、痩せこけた一匹の猫は草むらに身を隠し、ただひたすら前だけをじっと見つめてた。

 もう『子猫』って大きさでもなかったし、黒かったし、猫風邪ってのか? 目ヤニで顔もぐちゃぐちゃで可愛くもなかったから、きっと誰にも拾ってもらえなかったんだろうな。

 でも俺はお前を拾ったんだ。

 なんで、って言われてもよくわかんねぇけど。



 家に連れて帰ったらばぁちゃんがすぐにお前を風呂に入れたっけ。

 最初のうちは怖がってぶるぶる震えてたけど、温かいお湯を掛けられて気持ちよさそうに目を閉じた顔が、なんだかすごく可愛かったんだよ。

 あ、でもドライヤーはビビってたよな。丸い目がさらに真ん丸になってさ。

 それからご飯。あれはもう、食べてるっていうか、ひたすら飲み込んでるってくらいのスピードだったぜ! ゆっくり食えって言ったのに、全然言うこと聞かなくて。



 そのあとお前……吐いたんだよな。

 急にいっぱい食べたのが悪かったのかと思ったらそうじゃなくてさ、なんか、血も交じってるからこの子は病気なんじゃないか、ってことになって、すぐに動物病院連れてって。先生には『ここ何日かが勝負ですね』なんて言われてよぉ。



『生きろ!』



 そうだ。

 俺は確かに、お前にそう言ったよ。

 ガリガリで、血まで吐いて、それでも一生懸命生きてて、生きたいって言ってるみたいに見えて、だから……。

 お前、あれから七年生きたよな。

 死にかけたとは思えないほど元気になってさ。

 偉かったよな。

 


「彼女も待ってるよぉ。よく頑張ったね、って褒めてた」

 クロがのんびりとした口調でそう言った。

「ばあちゃんか…、」


 頑張って生きなさい。クロのように。


 そう言ったのは俺のばあちゃんだ。

 俺はばあちゃん子だったからな。

 そうだよ、俺、ばあちゃんに恥ずかしくないように生きなきゃ、ってずっと思ってた。

 だからどんなにしんどくても、自分から死を選んじゃいけないって。

 だけど時々、どうしても辛くなったりして……そうか。最初に死神クロが来たときもそうだったな。



「お前、ばあちゃんに言われて俺のとこに来たの?」

「んー、それもあるけどぉ、会いたかったんだぁ」

「……うん、俺も会いたかった。……けど、なんで死神なんだよ?」

「え~? 黒くてカッコいいから」

 なんだよ、それ。


 黒いもやは、小さくなって、俺のよく知る形になった。

 ひゅるん、と揺れる長い尻尾と、後ろ足の先だけが白い、黒猫の姿に。

「クロ、ありがとな」

 俺があの時、お前に諦めないでほしいと思ったみたいに、お前も俺に、諦めないでほしいって思ってくれて……。


 クロは俺の足元に擦り寄って、可愛い声で


 にゃ~ん


 と、鳴いた。

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死神さんと、俺。 にわ冬莉 @niwa-touri

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