もしかして、師走ですか?私です。初めまして、あなたは。

朝吹

もしかして、師走ですか?私です。初めまして、あなたは。


 錦市場の中にある蕎麦屋はわが家の行きつけだ。いい蕎麦屋はたいてい丼ものも得意だ。どれを頼んでも旨い。年末で錦市場は大混雑だったが、昼どきを過ぎていたので店には少し待てば入れた。木の葉丼が食べたいと父は希望した。

「ダヴィンチめ」俺はぼやいた。

「ダヴィンチは悪くない」力なく父は云った。

 手術用ロボットのダヴィンチ。レオナルド・ダ・ヴィンチからきている。ヴィンチ村のレオナルドという意味だと習ったのは中学の時だ。

「お父さん、そっち寒くない? 入口から風が」

「いいや、大丈夫」

「完治したと想ったのに」

「ヴィンチ村がお父さんの腹を手術したことになるのか」

「ダっていうのは、英語のfromみたいな意味だよ。まあレオナルド・ダ・ヴィンチのフルネームがもはや万能の代名詞みたいなものだから」

「万能じゃなかったな」

 父は苦笑いを浮かべた。

「……どんな村だ。ヴィンチ村。今もあるのか」

「あるよ。こんな処らしい」

 父にスマホを傾けて検索した画像を見せてやった。

 イタリア。

 身体が動けるうちに連れて行こうかな。

 父は通っていた病院で、とうとう、あと半年だと告げられた。おそらく後半は入院して緩和ケアだろう。ということは、これが父と過ごす最後の師走だ。

「ヴィンチ村の郊外の集落アンキアーノ。生家はヴィンチ村のヴィンチ家だって」

「村の名と氏が一緒だな」

「ほんとだ」

「お母さんが先に死んでいて、よかった」

 木の葉丼をおいしそうに食べながら父が云った。

「お母さんはこういう時にはパニックになる人だったからな」

 この店の木の葉丼は母親の好物だった。父が頼むのはいつもなら蕎麦のはずだ。俺もそう。でもその日は二人とも、七年前、俺が新卒の年に亡くなった母の好物の木の葉丼を食べていた。


 とことことこ。

 母が死んでたいぶ経つのに、母の声はいつも近くにある気がする。

 それも、俺が子どもの頃にきいていた、母の若い声だ。

 とことことこ。



 父はそれから一年、生きた。師走に俺と一緒に蕎麦屋で木の葉丼を食べてから一年と少し、年を越して新年の五日目に死んだ。

 俺とおばあちゃんと父の妹の叔母さん、死んだ母が大切にしていたくまのぬいぐるみに見守られながら、父は息を引き取った。

「とことことこ。美味しいホットケーキができましたよ」

 俺がまだ幼い頃、母が声音をつくって、よく俺と遊ばせていたくまのぬいぐるみ。くまが歩いて遊びに来るのだ。

 おはよう、おはよう、朝ですよ。

「お父さんが帰ってきましたよ。とことことこ。一緒に玄関までお迎えに行きましょう」

 母が死んで、父が死んで、父が結婚する前に母に贈ったこのくまのぬいぐるみも、ついに両親を失ったということだ。ていうか、おやじは女にぬいぐるみを贈るような男だったのか。母さんにリクエストされたのかもしれないが。


 葬儀が終わった。岡山に住んでいる叔母さんを俺の車で京都駅まで送った。おばあちゃんは隣りの長岡市だ。喜寿が近くてもしゃんとしている祖母だが、さすがに息子から先に逝かれるのは堪えたとみえて、火葬場ではおやじの名を呼んで大泣きだった。それでも、

「駄目よ、それシュタイフじゃない。しかも白タグ」

 棺の中にくまのぬいぐるみを入れようとした俺を押し止めるくらいの理性はあった。このくまは高級品だったらしい。

「まじか。こんなものを遺されるほうが重いんだが」

 独り暮らしの家に持ち帰ったくまのぬいぐるみを持て余し、仕方なくプラスチックの衣裳ケースの上において、くまの前に父母の写真を立て、そのエリアを仏壇の代わりにすることにした。酒屋でちゃんとしたいい酒を買ってきて、日本酒が好きだったおやじに供えた。



 死に向かって準備する時間はたくさんあったので父は京都市内のマンションを売り払い、伏見の俺のアパートに同居して、そこから直接入院して死んだ。父はだいたいのことは入院前に片付けてくれていた。各種パスワードをはじめ必要なことを書き遺してくれた遺品のノートをめくりながら、俺の名義で父に渡していたスマホの中身を確認する。


 もしかして、師走ですか?私です。


 Twitterやってたのかよ! かなり愕いた。どうやら入院仲間に教えてもらってやり始めたらしい。人生の最期の最期にTwitterビギナー。教えてくれたら俺もTwitterに登録して相互フォローしたのに。

 この謎の文言が初投稿されたのは父が死ぬ半月前の12月下旬。フォローもフォロワーもいない。投稿はそれだけ。わけがわからないまま誰かに誤爆してるなこれ。

 緩和ケア病棟の父はあの頃、すでにほとんど身体を動かせなくなっていた。

『初めまして、このアカウントの息子です。』

 迷ったが、一応、俺はおやじのTwitterに書き込んでおいた。本当に父は死んだんだなという実感がわいてくる。


『初めまして、このアカウントの息子です。父は五日に永眠しました。二年前に腫瘍が見つかり、ダヴィンチによる切断術をやりました。それから抗がん剤も8クールやりきりましたが、経過観察で造影CTを撮ったところ腹水が見つかりました。』

『余命半年と云われましたが、一年がんばってくれました。父がTwitterをやっていたのは死後に知りました。ほとんど投稿することも出来なかったようですが、見ていてくれた方がもしいたら、ご報告と御礼申し上げます。』


 右下の封筒のアイコンにお知らせマークがついた。ダイレクトにメールが届いたのだ。Twitterの運営からだろうか。開いてみた。

 

『初めまして、あなたは』


 うおお。個人からのメールだこれ。出だしだけ読んで俺は思わず画面を閉じてしまった。なんか怖い。

 テレビでは新春ゴルフ大会をやっている。あの韓国人ゴルファーのお姉ちゃん、すごいミニスカ。

 インスタントコーヒーを淹れた。勇気を出して、心を落ち着かせてから、もう一度Twitterをひらく。おそるおそる続きを読んだ。


『初めまして、あなたは息子さんですか。わたしは志和須と申します。わたしの父とそちらのお父さまは入社以来、仲が良かったそうです。父からその話はきいておりました。』

『父はTwitterをやっておりませんが、志和須という苗字が珍しいので、ユーザー検索でみつけたあなたのお父さまが、志和須とはわたしの父ではないかと間違えて娘のわたしに声をかけて下さったようです。』

 もしかして、師走ですか?私です。

 これは、

 もしかして、志和須しわすですか?私です。

 の間違いということだ。《爆笑おかんメール》みたいに、予測変換機能に不慣れでこうなってしまったのだろう。『もしかして、師走ですか?私です。』意味不明の言葉ではなく、父は目指す人にコメントを送ったのだ。あらためてよく見てみると、送り先の@の後に連なるアルファベットには、確かにShiwasuが含まれている。

 志和須さんは続けた。


『実は、同じ頃にわたしの父も容体が急変して現在も入院中です。このTwitterのことを父に話しても反応がありませんでした。脳腫瘍で父も余命がありません。このメールも病院から送っています。』

『前後して旅立ち、あの世であなたのお父さまとうちの父との二人でまた飲み仲間になるのかもしれないと思うと、これから父を送る娘のわたしの気持ちも少し楽になりました。お知らせをありがとうございます。』


 Twitterを追うと、志和須さんは名古屋で会社勤めをしており、Twitterもビジネス口調だった。危篤の父親を前にしても気丈にしている様子が目に浮かぶようだ。

 俺はTwitterのDMを通して、志和須さんに、見舞いの言葉とお礼を伝えた。



 蕎麦がはこばれてきた。親子丼も同時にきた。ハーフハーフにしたのでどちらもミニサイズだ。

「ああ、もう来たの」

 店の外の錦市場で漬物を買っていたおばあちゃんが戻って来て俺の向かいに座る。おばあちゃんが頼んだのはおやじが最後にこの店で注文した木の葉丼だ。

「ここは蕎麦がうまいんだよ。おばあちゃん、これ食べてみてよ」

「いいよ、ざるそばなんて。この寒いのに」

「蕎麦は冷たくないと。それに冬場はそんなに冷えてないから」

「じゃあこの丼は、あんたが食べなさい」

 交換して、俺が木の葉丼を食べることになった。週末のたびに俺はおばあちゃんを誘ってなるべく一緒にいるようにしていた。

「ほんとう、このお蕎麦は美味しいね。親子丼もいいお味」

「だろ、だろ」

「市場の中の蕎麦屋には外れなしって昔から云うわね」

「そうなんだ」

「最初の手術の後に、泊まり込んで看病していたら、予後も違っていたかもね」

 おばあちゃん、現代医学の前では家族に出来ることなんか何もないから。

 そうだ、おばあちゃんに、おやじが病室で撮ったらしい下手くそな写真を見せてやろう。

 俺は鞄からおやじのスマホを取り出した。志和須さんの父親が亡くなったことは、昨晩、彼女からのDMで知っていた。念のためにTwitterを開いてその後なにか届いていないかを確認する。

 あるやん。

 

『おばあちやんをよろしく頼む。色々とありがとう。父より』

 

 おやじがTwitterに予約投稿してる。すごい。おばあちゃんが、おばあちやんになってるが、一番きつかった頃のあの状態でよくこんな遺書を打てたな。

 お友だちが来ましたよ。

 とことことこ。お父さん行ってらっしゃい。ばいばい。

 毎朝、俺は母と一緒に会社に行く父に向けてくまのぬいぐるみの手を振った。お父さん、ばいばーい。

 おばあちゃんが箸をとめてじっと俺を見ている。

「ハンカチいる?」

「美味しいでしょ、この店」

 俺は木の葉丼をかきこんだ。



[了]

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