舞う花は千変万化
十余一
舞う花は千変万化
「玉屋ぁ~!」
花火が打ちあがるのに合わせて誰かが威勢よく声を張り上げた。俺の耳は確かにその声を捉えたはずだけれど、頭の中には何の音も響いていない。
黒々とした夜空に咲いた赤橙の花。ほんの一時だけ瞬いた光に照らされたのは、吹き流した手拭いからチラリと覗く美しい横顔。花火の音も雑踏のざわめきも聞こえない、静寂の中でその人だけが煌めいているように見えた。
ふと我に返ると
◇
頻繁に溜息をつく新吉を心配して話を聞いてやったらこれだ。
川開きから毎夜のように打ちあがっていた大川の花火。先日最後の花火が上がり納涼の期間も終わったが、新吉の頭の中では未だに花が咲いているようだ。のぼせ上がった顔で「あんな
「つまりお前は、その女人に惚れちまったと」
「ほ、惚れ……!? 別に、別にそんなんじゃないんだ……!」
しどろもどろになった新吉は「俺はただ綺麗な人を見かけたってだけで」だとか「でも、もう一度会えたら嬉しいかも……」だとかぶつぶつ呟いている。初心で奥手で、今まで浮いた話の一つもなかった新吉がここまで
「俺に任せな。きっとお前を花火小町に引き合わせてやるぜ」
「さすが好色で名の知れた辰之助だ……、頼りになる。ありがとう助平。ありがとうすけこまし」
「一言も二言も余計だよ。いいからついて来な」
まず訪れたのは回向院の門前にある水茶屋だ。店内は看板娘目当ての客でひしめき合っている。鼻の下を伸ばした男だけでなく、色めき立つ娘も少なからずいるようだ。看板娘の髪型を真似た彼女らの、鈴の鳴るような話し声が耳に心地良い。こうして流行が広まっていくのだろうな。
「どうだい。満月屋のお初といえば最近評判の美人だ」
「確かに可愛らしい。愛嬌があって気配り上手、閃く香りの金木犀のようなお人だ……」
うんうんと頷きながら聞いていると、俄かに新吉の顔が曇る。
「だけど、あの人ではない」
そう言ったきり、新吉は考えこみ黙ってしまった。俺はそれを尻目にお初に手を振る。愛想よく振り返してくれたのを見て、他の男たちと同じように鼻の下を伸ばしかけて顔を引き締める。せっかくの二枚目が崩れちまうところだった。
まあ、違うってんなら仕方がない。他を当たるか。
次は神田末広町で三味線の師匠をしているお富の元を訪れた。といっても習うわけではないから塀の隙間からそっと稽古の様子を伺う。
「どうだい。こんなに美人なら引く手数多だろうに、死んだ夫に
「確かに淑やかで美しい。儚げだけど芯の強さがありそうな、華やかに色めく紅花のようなお人だ……」
うんうんと頷きながら聞いていると、再び新吉の顔が陰る。
「だけど、やっぱりあの人ではない」
残念に思いながらも、お富の憂いを秘めた横顔を目に焼き付けてから塀を離れる。他に美人というと、谷中のお花か、三田のお清か、それとも……。なんて考えていたところで新吉が考えを整理するようにぼやき始めた。
「可愛らしい娘御のようでもあり、淑やかな奥方のようでもあり、それでいて傾国のような
「そんな千変万化の女人が居るかね。もしやお前、狐にでも化かされたか?」
「居た!」
心配半分
急にどうしたんだと追いかけた先にあったのは
「この人だ! あの花火の夜見たのは、確かにこの人だよ! やっと見つけた!」
興奮した様子で見せてくるその絵に描かれていたのは、歌舞伎役者の中村富十郎。想い人の正体は、
それからというもの新吉は役者絵を集め、劇場に通い詰めた。良い人は出来なかったが、これはこれで楽しそうだから幸せな結末だろう。
その日は俺も誘われ、日本橋市村座にやってきた。
舞台に上がった稀代の女形はなるほど美しい。見る者を
演目も大詰めというところで、
「よっ! 天王寺屋!」
舞う花は千変万化 十余一 @0hm1t0y01
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