地獄の花

kou

地獄の花

 目を閉じたままの彼には分からない。

 その答えは、すぐには分からなかった。

 やがて時と共に、次第に分かって来る。

 自分がこの世で最も醜悪な存在だという事を。

 これはきっと罰なのだ。

 罪を犯した自分に対する天罰に違いない。

 ならば受け入れよう。

 全てを受け入れよう。

 何もかもを甘んじて受け入れよう。

 だが、誰かがそれを許さなかった。

「王よ」

 誰かが、彼に向かって呼びかける。

 目を開けると、暗闇の世界だった。

 光届かぬ暗黒世界。

 周囲は氷でできているかのような凍てつく荒々しい岩肌であり、草一本すら生えることを許されないような不毛の地が広がっている。微生物一匹の生存すらも困難であろう ほどに過酷な環境であった。

 手足はあるようだ。

 身体も動く。

 だが、全身がひどく痛む。

 呼吸をするたびに喉の奥が焼けるように熱い。

 何かが口から零れたような気がしたけれど、それを確かめる余裕はない。

 戦いに敗れた後に、地の裂け目に向かって落ちて行ったことが記憶にある。

「どこまで落ちたというのだ」

 彼が訊くと、誰かが答えた。

「……三日三晩」

 その声の主の姿を見ようと顔を上げる。

 視界には闇しか映らない。

 だが、そこに居るのは分かった。

 その言葉に彼は納得する。だから自分の吐く息は、凍り付き肺が焼かれるような感覚を覚えるほど冷たいのだ。

 やがて意識を失う前の記憶を思い出してきた。

 自分は戦ったのだ。

 数では劣るとは分かっていた。

 それにも関わらず、多くの仲間達が彼を信じて共に戦ってくれた。

 だが、最後には――敗れた。

 見れば彼を中心に、多くの仲間達が傷つき倒れている。

 嘆き、悲しんでいる者が多いように思えた。

 己の不甲斐なさを責める者もいた。

 多くの仲間が、死んでしまったのだ。

「反逆者になるのは私だけでよい。罰を受けるだろうが、こんな不毛な場所よりは良い。皆は、あそこへ戻るがよい」

 彼は命令するが、誰一人として動こうとしなかった。

「我らは戻りません」

「なぜ王が反逆者にされなければならないのですか?」

「間違っているのは奴らの方です」

 配下らは彼のために命を投げ出す覚悟があるらしい。

 彼は涙を流さずにはいられなかった。

 この心優しい部下達の為に出来る事を考える。

「ならば。これより、この地に王国を建設しよう。天界に劣らぬほどの立派な国を作る。お前達はついて来てくれるか?」

 彼は、配下の者たちに問う。

 すると、一斉に歓声が上がった。


 ◆


 彼がこの地へと落とされてから、どれほどの月日が流れ去ったのか、彼にはもはや分からない。

 緑の草地が広がり、混じりけのない美しい水を称えた湖が広がる。

 天にも届くほどの高い山々が連なり、大地を埋め尽くすほどの森が広がっていた。

 湖にはクジラほどもある巨大な魚が鋭い牙を持った口を開けて泳ぎ回り、空にはコウモリの翼を持った爬虫類に似た生き物が飛び交う。

 地には恐竜にも似た醜悪な巨大生物が闊歩し、原始の地球かのような見たこともない植物が生えていた。

 それら全てが、まるで生きているかのように生命力に満ちあふれ、雄大さを感じさせる。

 ここは、彼が治める地だ。

 かつて、ここには何もなかった。

 ただ荒れ果てた岩肌が続くだけの荒野だった。

 だが、今は違う。

 そこには、かつて彼が見た事もないような光景が広がっている。

 花の世話をしている臣民達に、彼が近づくと、臣下の男は恭しく頭を下げた。

 頭には捻れた角を生やし、エイのような鋭利な毒針を持った尻尾を持った筋骨隆々とした男だ。

 臣民達の姿は、皆一様に動物や虫を思わせる異形の姿をしていた。

 彼等は、彼に従う配下であり、家族であり、友であり、同胞であった。

 臣民の1人が、咲いている花を折って彼に差し出そうとする。

 だが、彼は、その手を止めさせる。

「よい。そのままにしやるのだ」

 彼は、花を眺めながら言った。

 臣民は頭を垂れる。

「はい。サタン様」

 と。

 【地獄の王 サタン】

 ヘブライ語にて敵対者、妨げる者を意味する。

 天界における争いで天使長ルシファーは地上へと落とされた。

 670年に書かれた『反逆天使たちの転落』には、

《サタンとその一味は天上から落ちてきた。三日三晩の長きにわたって天使達は天国から地獄に落ちていった》

 とある。

 かくして、ルシファーは地獄の王サタンとなる。

 『聖書』によれば、地獄は、悪魔とその使(悪霊)のために造られた場所であり、神が居ないために、あらゆる恵みや祝福、喜びもなども一切ない恐ろしい場所という。

 だが異説もある。

 サタンは敗北してもなお忠誠を誓う天使達に、彼は天界に劣らぬ王国を作ることを約束したという。

 その為、意外にも恐ろしい世界ではなく、素晴らしく美しい静かな世界であるという人もいる。

「地獄が、このような世界になろうとはな」

 しかし、それでも満たされぬ想いが胸の奥から湧き上がってくる。

 それは、きっと、この場所が本当に望んだ姿ではないからだ。

 本当の意味で幸せになるためには、まだまだ足りない。

 天へと攻め上るまでは。

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