彩鬼万華鏡


 淵玄の予想通りに、彩女はあちらこちらで奥さん達捕まりながら、買い物を終えるまでかなりの時間を要する事となった。

 たまに冷やかしの呟き聞こえる事はあるが、概ね皆は良かったと祝福してくれるのだ。

 ちゃんと手綱を握ってあげるのよ、と言われれば思わず吹き出しながら頷いた。


 ◇◇◇◇◇


 御影も招いての夕餉を終え、帰る御影を見送った後に、淵玄に此処に座れと呼ばれた。

 胡坐をかく夫はどうやら膝に座れと言いたいらしい。

 流石にそれはと躊躇っていれば手を引かれ、気が付けば相手の腕の中である。

 もう少し私物の荷造りなどしておきたかったのにと思っても、抱き寄せる腕は振りほどけそうにない。

 つらつらと、他愛ない話をする。夫の胸に顔を寄せ見上げながら話をする時間は、優しく温かだ。

 話題はあちらにこちらにと移り替わり、五彩の頭領達に及ぶ。


「金雀枝はもう暫し『檻』に籠りたいと申しておるし、翠黛はまだ舞台に携わる気でいるらしい。銀嶺は伴侶が女学校を卒業するまで此方にいると」


 現在人の世にある頭領達が申し出てきた内容を思い出すようにしながら紡ぎ続ける。

 語られた物語の内容を思い出しながら、彼らの性質を思い出しながら、彩女は成程と思いつつ続きを聞いている。


「紅焔と蒼鷹はもう暫くしたら郷に戻ると告げてきた。ただ、今の段階において、頭領全てが郷を空けている事には変わらんが」


 これだから霊域の御方から『鬼の一族は問題児揃い』などと称されるのだな……と言う淵玄の言葉は歯切れが悪い。

 何故ならば。


「あなたが人の世に流離っている間、一族を取り纏めてくれていたのは五彩と御影なわけですから。今度はあなたが彼らの為に頑張る番ですよ?」

「……強くなったな、彩女……」


 笑顔で宣う『あやめさん』の通常運行ぶりに、思わず目頭を押さえる振りをして見せる始祖。

 そうなのである。

 頭領達が郷を不在にしている事を責めようにも、頂点に立つ長がそもそも長きに渡って郷を空けたのである。責を問おうにも、問われるのはむしろ彼である。

 遠慮容赦なくそれを指摘する妻に、今生で斯様にも逞しくなったのかと感慨深く、またこの先の事を思えば敵わぬと思うばかりと彼は言う。

 それも悪くないか、と夫が笑うのを見れば、彩女の顔にも楽しげな笑みが浮かぶ。

 やがて、淵玄は不意に黙り込んだと思えば、考えている事がある、と告げた。

 何をと問いかけの眼差しで見上げる先には、変わらぬ優しい眼差しの中に、確かな決意の光がある。


「捨ててしまおうと思うのだ『無限』をな」

「え……?」


 思わず目を見張ってしまう彩女。

 淵玄が告げた事を直ぐには理解出来なかった。理解した後も、問いは浮かび。本当にそのように出来るのかと、それで良いのかと。

 妻の内心に巡る問いを見透かしたように夫は一度妻を抱く手に力を込めると、静かな声音で続きを紡いだ。


「我は『無限』であっても、彩女は同じには成り得ない。眷属としたとしても何時かは先に逝ってしまう。後を追う事すら出来ない」


 彩女が逝った先の世のあの日、どれ程後を追えたならと願っただろう。

 そう呟きながら、僅かな可能性に縋り彷徨い続けた歳月を思う彼の横顔は切なく苦い。

 こうして再会できた今でも、彼の傷は癒えていないのを感じる。

 大いなる命を持つ偉大な存在である彼が、その持ち得たものを悔いているのが感じられる。


「もう残されるのは御免なのだ。それなら要らぬ、そんなものは」


 大きな変化を受け入れる覚悟が出来ていなくて、随分と長く考えてしまった気がする。

 再び彩女と巡り合うまでは死ぬわけにはいかなかった、けれどこうして傍らに彼女がいるならもう必要ない、淵玄はそう言って笑った。

 愛する者と居られぬ『無限』よりも、愛する者と生きられる『有限』を生きたい。

 それならば、未来の為に不死たる事を捨てたい。

 この先にある、種を越えて友誼を結ぶ者、愛し合う者達が少しでも悩まずすむように。

 始祖は一度言葉を切り、そして決意の言の葉を紡いだ。


「『無限』と引き換えに、一つの苗木を生み出すつもりだ」


 様々な土地を巡り伝承に触れ、賢と語り多くの智を得て、漸く一つの術を編み出したのだという。

 大きな代償が必要な術、それを支払う決意は既に彼の中に定まっている。


「その苗木が育ち大樹となり結実したら。鬼はその果実を糧として生きていけるようになる」


 人に心寄せる鬼は、慕わしく思う相手の同胞を糧とする苦悩から。

 鬼に心寄せる人は、同族が糧となるのを見送る罪悪感から。

 人から鬼に転じたものも、人を喰らわねば命を繋げない『業』から解放される。

 鬼の一族も、彩女も、五大頭領に愛された娘達も、此れから続く新しい同胞達も。

 静かに語られるのは、何時か来るであろう願いの結実の日。

 目を細めて聞き入る彩女に、夢の至る日を語る始祖の声音は何処までも穏やかで優しい。


「鬼が人を喰らう、それが何時か御伽噺になる日がくる」


 喰う者と喰われる者ではない、今とは違う形で歩み寄る事が出来る日が来る。

 それはきっと、新しい絆を生み出していく事になるだろう。


 彩女には見える気がした、これからの世に新たに結ばれる鬼と人のこころが、新たな色となり万華鏡に集う様が。

 聞こえる気がした、笑みを交わしながら語らう、先の世の鬼と人の声が。


 彩女は暫し静かな笑みを浮かべて、始祖の語った希望の余韻に浸っていた。

 何時の日かを願う心を温かく思いながら、花咲く微笑みを浮かべて嬉しそうに紡ぐ。

 淵玄は妻の手に何かを握らせた。それはあのこころを彩と為す万華鏡。

 手の内にある万華鏡を見つめながら、彩女は万感の想いを込めてそっと呟いた。


「……きっと美しい花が咲いて、実がなるのでしょうね」


 苗木が大樹となり、実をつける頃。

 後の世に結ばれた新たな絆はどのような色となって万華鏡に像を結ぶだろう。

 きっと、花天月地と称するような美しい姿となるのだろうと、彩女は思う。

 そしてその月の下、天の足夜に鬼と人とが軌跡、或いは奇跡を語る日が……。

 彩女は目裏にそれを思い浮かべるようにして、抱き寄せるに手を添えて瞳を閉じた。


 鬼の想いは人を彩り、人の想いは鬼を彩り、万華鏡はひとつずつ色をあつめて、美しい絵を結び続ける。

 例え散じるように途切れようと、必ずまた結ばれて。変わることもなく失われる事もなく、将来まで長く続いていくのだと。


 彩の鬼と、鬼に彩を与えた人とのこころを彩として結ぶ万華鏡。

 後の世には、其れを彩鬼万華鏡と呼ぶ――。







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