余章




 王宮から東に少し離れたところに、小さな湖と森があった。風光明媚なため貴族達の別邸が多い。

 そこに秋麗宮しゅうれいきゅうがある。

 周囲の建物と比べても大きくはなく、木々に囲まれて目立たない。白壁に青い屋根瓦の外観も華やかというよりは厳かだ。しかしよく見れば屋根飾りの繊細な彫刻など芸術品のようで、格が違う。

 ここに来るのは三度目だ。

「青流様がいらっしゃると、冬月とうげつ様がとても楽しそうなので、お忙しいでしょうけどいつでもいらしてくださいね」

 李青流の斜め後ろを歩いているのは、冬月と共に宮廷に入った侍女、羽然うぜんだ。今もここで冬月の世話をしている。

 秋麗宮は中庭を囲むように建物が配されている。羽然が前に出て両開きの扉を開けた。

 庭園には柔らかな日差しが降り注いでいた。

 初夏の花ほど華やかさはないが、淡い色合いの可憐な花々が所狭しと咲いている。

 その中央に、艶やかな黒髪の女が立っていた。まとっている単は裾が広がっていて、真っ白だ。

「冬月様、青流様がいらっしゃいました」

 振り向いて、笑った。

 透き通るような白い肌、切長の目に長いまつ毛。桃色の唇。大陸一美しい王妃と呼ばれていた。

 今は、悲劇の元王妃だ。

「あら、青流」

「お元気そうですね。姉上」

 冬月が目配せすると、羽然は退出し扉を閉めた。

「青流こそ、前に会ったときより元気そうで良かった」

「前は元気なかったですか」

 苦笑する。

「そうよ、あなたがいくら有能とはいえ、大変なことを頼んでしまったかとずっと悩んでいたの。それに……、あなたまで失うわけにはいかないわ」

「大丈夫ですよ。この通り元気です」

 冬月は李一族の中心にいる李文宇りぶんうの長女で、青流は次に生まれた長男だ。

「父上は元気? 弟や妹達も」

 冬月と青流の母親は同じだが、弟達は母親が違う。

「はい、父は相変わらず策略に奔走してます」

「そう」

 冬月は傍にある白い花の匂いを嗅いだ。

 最初にここを訪ねたのは、日差しが強く暑い時期だった。

 先帝が急死し、王妃はその衝撃で倒れ多くの記憶を失った。嫁いでまだ二年、子供はいなかったため、皇帝の弟が玉座についた。

 国に大きな混乱がなかったのは、皇帝の下で働く宰相、その下の体制が整っていたためだ。王妃と後宮の女たちは当然すべて入れ替えとなった。

 新たに作られた秋麗宮に冬月は移り住み、そこでやっと李青流が久しぶりに会うことになった。

 姉とは幼いころから、ほかの兄弟たちとよりよく話した。美しく快活で聡明な姉を誇らしく思っていた。

 その姉に降りかかった悲劇。

 自分のことを思いだしてもらえるだろうか。

 そう思いながらここに立った李青流に、冬月は言ったのだ。

「記憶を失ったというのは嘘。そういうことにしているから、このことは誰にも言わないで」

 そして、人探しを頼まれた。

 腕に蝶のような形をしたあざがある人物。

 先帝は散策中に心臓発作で倒れた。冬月と散策しているときのことだった。

 冬月は怪しい人物を見たのだと言う。その人間が何らかの手で皇帝を殺めたに違いないと訴えたが聞き入れられることなく、突然の病死とされ、すぐに次の世が形作られることになった。

 冬月は記憶を失ったふりをすることにした。

 皇帝が殺められたのなら一大事なのに、怪しい者を探さないのは裏で力が働いているからだ。どこで誰が、どんな思惑で動いたのか。冬月には調べる術はない。

 ただ、怪しい人物の身体のあざは覚えている。探し回れば冬月も殺されるかもしれない。

 だから、忘れたことにした。愛する皇帝を失った衝撃で、記憶も失った悲劇の王妃。警戒心をもたれないよう、静かにここで暮らしている。


「それで、どうなの? もし青流が苦しいのなら、お願いは取り下げるわ」

 冬月の声で、回想から現実に引き戻された。

「取り下げてどうするんです」

「そうね、失踪して名前を変えて探し回ろうかしら」

「諦めるわけじゃないんですね」

 ふっと息を漏らすように笑った。

「諦めるなんて死ぬのと同じだわ。愛する人を理不尽に奪われて、奪った人間は平然と生きている。こんなこと世界が許しても私は許せない」

 強い目で言ったあと、ため息をついた。

「だけど元王妃という立場と名を捨てて飛び出すのは、愛する人との繋がりも捨てることになる。ただの形なのに捨てられないのは弱さかと、ずっと考えているけれど」

 微笑んで、姉を見る。

「捨てなくてもいい。記憶を失ったふりをしてここにいた方が、相手も油断するでしょう。もう誰も、蝶の形をしたあざの男を探す人間はいないと」

「探し続けてくれるの」

 頷いて返す。

 ここで初めて話を聞いたあと、あらゆる情報網を使って手がかりを探したが、何もつかめなかった。二度目に訪ねたときは、すべてが行き詰まったころだった。

 そんなときに、偶然噂を耳にした。

 死者の魂を呼び戻せる葬送師。

 その力を使えないだろうか。

 王妃の訴えを黙殺し、皇帝の死を病として速やかに処理できるのは、大きな力を持つものに違いない。蝶のあざを持つ男を探すだけではなく、裏で国内に広がる存在を把握することで真実に近づけないだろうか。

 まだ先は長いだろう。

 だけど希望が湧いてきた。

 冬月は少しいたずらめいた目を向けた。

「元気そうなのは、新しい恋人でもできたから?」

「恋人などいません」

「ではお友達? あなた友達いないから」

「友達くらい前からいます。まるで友達もできない面倒な人間みたいな言い方だ」

「友達くらいって言うけど、お友達は大事よ。だって誰にも言えない秘密も共有できるもの。それは心を強くしてくれる。どんなときでも生きていく力をくれるわ」

 先日の出来事を思い返す。

 不思議な力を持つ男。

 彼も、真実を手にいれられるだろうか。

 李青流は目の前にある白い花に顔を寄せ、匂いを嗅いだ。ほのかに甘い匂いが心をなごませる。

「では、新しい友達を今度ここに連れてきましょうか」

「本当に? あなたが友達を連れてくるなんて世界がひっくり返りそう」

 口元で手のひらを合わせて、少女のようにはしゃぐ。

「どんな人?」

 李青流は深く微笑んだ。

「葉卓明、葬送師です」



 終

 





【2024年3月追記】この作品を一章としてその後の二人の活躍と関係を書いた長編が角川ビーンズ文庫より『葬送師と貴族探偵 死者は秘密を知っている』と改題し発売中です

https://kakuyomu.jp/publication/entry/2024030102


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