第6話 伸びる影


 少しは良心的なクラスメートが異様な雰囲気に不審に思ったのか、こそこそとざわつき始める。


 大きくなったときはすでにナイフは皮膚を引き裂き始めようとしていた。


 血が滲みだす。


 手首を切り裂くことはいつもやっていることだが首筋を切り裂こうとしたのはこれが始めてからやはり勝手が違う、と僕は判断した。


 そのまま頸動脈を切り裂けばあたり一面が血の海になり、鈍感な学校やクラスメートも少しは狼狽えてくれるだろうか。




 少しは同情を寄せるだろうか。


 少し切ったせいか、血が首筋を滲み渡るように落ちていった。


 もっとやれる。これで死ねる。夢現の中で僕はさらに裁定しようと刃先を皮膚のくぼみに置こうとした。


 それを見ていたクラスメートの一味から先生を呼んで! と言い始める者もいた。


 突然の僕の異様な行動に何を行動すればいいのか分からず、茫然と立っている者、これはまずかったと僕のもとに寄って謝る者、謝罪をした者の一群からすばやく僕が握りしめているナイフを取り上げようとする者も出始めた。




「今さら何だよ。死んで償うんだ。邪魔するな! お前こそ人殺しになる! お前こそ人を殺すんだ。僕には人殺しの遺伝子は組みこまれていない。母さんがあんなことをしたのは僕のせい……」


 一生泣き続けるかもしれない。


 胸の鼓動が大きくなっている。


 骨を破壊して皮膚を切り裂き壊れた心臓が下界に晒されるかもしれない。


 遠くの窓からぼんやりと僕を模倣した影が凝視している。


 気にしてじろじろと見るくらいなら放っておいてよ。


 手には硬くナイフが握りしめられている。




 僕の死の選択は僕の中にある。


 今まであんなに罵倒して無視して最後には弄んで痛めつけて人間扱いしなかったのに。


 現場は騒然と化していた。


 さっきに切り裂いた傷が今更になって痛み出す。


 担任の先生が「大丈夫か!」と蒼白な顔をしながら僕のもとに駆け寄った。


 開いた傷の痛みに耐えられず、よろよろと体勢を崩し始めた僕を見計らい、他のクラスメートがカッターナイフを取り上げた。


 手首を切ったときよりも当たり前だけれども痛い。




 生きているのか。先生が大声で「すぐに他の先生を呼んでくれ!」と言っているのが耳に入る。


 遠くの窓辺の死神に囚われた僕が微苦笑していた。


 生きている? まだ未練たらたらで生き続けている?


 ここはあの世じゃないのか。


 人間って簡単には死ねないものだね。


 そうとも、生きるのにも勇気がいる。


 分からないよ、僕には死ぬ選択をした人間の方が怠惰には見えない。


 断頭台にのめり込んだ死者の方が崇高に見える。




 よく死ねたね。


 偉いよ。


 君のような人間はそもそも生まれてきてはいけなかったのだから。


 君はそのうち人を殺す運命にある。


 他の人を傷つける前に君は殉死しなければいけない。


 わずかに残った悔悛という青い心が規制線のように絡まりながらセーブする。


 生まれていけない人間がそもそもこの世にはいるのか。


 分からなくなる。


 生きるのが分からなくなる。


 生きる意味に縋り、憂鬱を昇天させ、何の目的を伸び代に生き続けるのか。


 分からないこそ、分からなくても僕は僕を見失わないのだろうか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青葉闇 タナトスと少年 死滅を呪えば、居場所はなくなるのかな……。 詩歩子 @hotarubukuro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ