物語の創造性は多面的であるが故に、物語足り得るを証明する。

僕がこの小説を読んだ時、最初に感じたのは「あれ? これは随分頭がすっきりする作品だなぁ」と感じました。

さて、それがどういう事かと言うと、まず、物語を読む時に僕達は意図的に作中に埋没してゆきます。そして、感情移入させられ、没頭し、結果何かを受け取る訳ですが、その過程において「作風」という空間が存在します。

あるモノは乱雑であり、あるモノは猥雑であり、あるモノは混沌であり、あるモノは平易であり、あるモノは陳腐であり、あるモノは甘い、そんな作風という空間に僕達読者は誘われます。

この小説はその空間がとても「整然」としており、僕は読む上でとてもすっきりとさせられます。それが僕にとってはある種の快楽を与えてくれるのです。

では逆に、酷い小説というのはどんなモノかというと、その作風においてまるで大売出しのバーゲンセールみたいに、無理矢理読者の袖を引き、耳元で叫び、どうにかして関心を引こうとする、そんな見当違いで質の悪いポン引きみたいな作風です。

でも、この小説はとても誠実。

「整然」とした作風が生み出す世界は、とても心地よく、読み手である僕の頭をすっきりさせてくれます。

内容に関してネタバレなので書きません。タイトルをお読みになれば少しは予想出来ると思います。その予想される世界を、この作者様は実に誠実に「整然」と書かれております。

物語を創造する作業が如何に多面的であり、そこに創造性の可能性が生まれ、誰もが読んだ事のない新たな物語として存在出来る理由を、この小説は証明しているのです。

お勧め致します。

僕と同じ様に、この小説を皆様がお気に入り頂ける事を願っております。



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