第11話 慟哭の泡沫 幻影の暁月

 廃ビルの中はダンボールやコンテナが背の高さよりも高く積んであった。それは視界をずっと遮っており、二階、三階と階段を上がるまでもずっと続いていた。そして三階。そこで私はとうとうイチゴ氏を見つけた。



 彼女は椅子にロープで縛られて身体の自由を奪われていた。目隠しはされていない。暴れたり抵抗したり、何か言葉で対抗したり、そういうことは特にしていなかった。それらはすでにあらかた全て行いつくし、もうすでに諦めているかのようであった。うなだれるように下を向いているのはそのせいかもしれない。



 私はコンテナの隙間から彼女を正面で見ることができる場所で様子を窺っていた。というのも、ここから正面切って入ったところで、それはどうなのだろうと思ったからである。というのも、拉致誘拐実行犯が武器となるようなナイフやパイプ、カッターなどを所持している可能性が高いことに今気がついたのだ。そして私は何もそのような武器を所持していない。それでは果たして、いくら相手に事情を話せば事が解決へと進みそうだからと言って、何も得物無しに半グレ組織のメンバーかもしれない実行犯にやあやあ、と話を持ちかけ話し始めることができるだろうか。うん、普通はできないと思うだろう。いやしかし、逆にここは抵抗の意志を持っていない、対抗のつもりがないということを示すために武器をなしに両手上げて表に出ていくというのも、逆に話を聞いてもらえるのではないだろうか。ああ、うん、そうだ、そうだろう。そうしよう。



 息を吐いて、一つ飲み込む。



 意を決して私は表に出た。



「おい! だれだ、お前」



 そう言うと、男はハンドガンのようなものを私に向けてきた。



 私はすっと、両手を上げた。



 拳銃〜。け、けんじゅ、拳銃〜。そうか、そういえば、そう言われてみれば前回廃ビルにいたときに聞いたではないか銃声を。そうだ、ああ、そうだ。いやー、失敗した。非常に失敗した。知っていたではないか、相手の武器を。いや、うん、あー、失敗だ、失敗。なんのためにタイムリープをしてきたのだ私は。こういうときに情報を持って、様々な情報を得て有利に行動できるからこそタイムリープは、時空間移動は便利なんじゃないのか。なのに、なの、に、あー、しまった、失敗した。



「おい、そこ。聞いているのか! だれだ、と言っている」


「私は、そ、そこのイチゴ氏の知り合いだ。み、見かけたのでついてきたらこんなことになって、とても困惑している。彼女は、柳町通組の一人娘であることを、お、お前たちは知ってのことか?」


「柳町通組?」



 それを聞いて、一人がイチゴ氏に真意を確かめた。彼女は、大きく頷いた。一人が焦って、拳銃を持っている男に耳打ちをする。どうやら柳町通組の名前はその界隈では通った名前だったらしい。件のイチゴ氏も私がの前を出した途端に私に興味を持ったようで、私に助けを求めるかのような視線を送ってきている。……やや、疑い気味ではあるが。



「証拠は?」



 拳銃の男が言う。



 しょ、証拠? 証拠なんてないぞ。彼女が柳町通組の一人娘であることを証明する証拠なんて、そんな、そんなものはないぞ。組みのバッジ? とか? ないない。ないよ、ないし、そんなのないし、私が証明になればよいのか? いやいや、いや、私は組の者ではないから入れ墨とか、タトゥーとかないぞ、見せるものがないぞ、まずいぞ、そんな、そんなことを聞かれるとは思わなかったし、どうするどうする。証拠! 証明、証拠、証拠……。



「おい、証拠は」


「しょ、証拠なんてものはない。無いが、無いがしかし。彼女自身が証拠だとも言えよう。彼女自身が証拠というのは、つまり、彼女の身に何かあればそれはそれ相応のそれが動くということだ」


「……ちっ…………くそっ、面倒な」



 それは本当に酷く面倒そうであった。私の発言が本当かどうか確かめるすべがないらしい彼らは、見ている限りでは焦っているように見えた。なぜこのような行為、つまり拉致監禁を実行したのかはわからないのと同様に、彼ら本人たちの素性も知れないのも私にはそれぞれが未だにわからない要素であるのだが、しかし誘拐した彼女のこと自身のこともまた、彼らはよく知り得ていない様子であるのが、見ている限りではそのように見えたのだった。



 不安要素は行動を鈍らせる。



 相手は拳銃である。だがしかし、相手は誘拐した彼女に対して知らないことがある。であるからこそ、その未知で知らない不安要素こそが、その行動を鈍らせるのだ。そしてそれこそ私が付け入る隙、ではないが可能性と言える間合いでもある。交渉にも切り札にもなっちゃいないが、相手を惑わす言葉にはなり得る。私にとっては見えてきた、なんとか見つけた勝機の光のようなものであった。



 と、その時。



 物音がした。カタン、ガサゴソと音がした。他にも誰かいる。そう思った時には相手は発砲していた。その音に緊張が走る。体を思わず強張らせてしまう。その発砲が合図だった。イチゴ氏はその隙にロープから自力で脱出してこちらへと走ってきた。私は受け止める。次の敵との目があった瞬間、やばいと思って全力で逃げた。銃の発砲音も聞こえた。撃たれている。当たらないことを祈りながらひたすらに逃げるしか無い。



 建物をでた二人は必死だった。



「大通りはすぐに見つかる。こっちを行くです」



 イチゴ氏は無言で頷いた。



 それから路地を路地を行くことで隠れながら必死に逃げて逃げ切った。街に戻ってきたのだ。



 はぁ、はぁ、はぁ。ぜぃ、ぜぃ、ぜぃ。



「あんた、どこかで見たと思ったら生配信のときの不審者ね」


「違う、違う。あ、あれは私であって私ではないのだ。あのときのことは私にもまだよくわかっていない」


「ふーん、で、あんた誰?」


「私か? そうだな……私は、」



 私は慟哭の泡沫、幻影の暁月にして、アノニマス・ゼーレ・ノブレス。無名無職のネット掲示板、兼カラーギャングのリーダー。称してその名をノブと申す。以後お見知りおきを。ラ・エルソウ・ディスティアーナ。




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空想空気力学のヒビスクスインスラリス 小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】 @takanashi_saima

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