解説

『毎朝玄関にぬれた草履があるのを不信に思った親父が、持ち主の後をつけた。すると息子の清五郎がそれを履いて小川を通って川向こうの墓場に入っていった。父も隠れて着いていくと息子が墓を掘り子供の死体を引きずり出して食べていた。孫の命を心配した彼は決心して息子を退治しようとしたが逃げられた。鬼墓というものがその地にあるが、それが清五郎が暴いた墓か清五郎の墓かはわからない。』


(三原良吉「伝説の島原」『旅と伝説』2巻3号(通巻15号)1929年 pp46-52.より)


しかしこの説話群は「姉は鬼」などの説話群であり姉がいつも夜中に墓の方に行くので何してるのかと思ったら鬼になって死人を食べていたといった説話群があるので西洋の「グール」の説話が島原に流れて来たというわけではなく日本古来の伝承群の1つでありしかも広く分布してることが分かった。


(関敬吾『日本昔話大成』より)


しかし島原にはもっと恐ろしい話があったのだ。


『肥前の島原北有村で、癲癇に苦しんでいた人が死人を掘り出して食べ、さらには子供を食べようとしだした。ある時往来で人を食べようとしたので捕らえて家に連れ帰った。親が斧で殺したら恐ろしい声を発した。藩の役人が調べに来ると、皆鬼のような姿であったと語った。』


(佐藤成裕「中陵漫録」『日本随筆大成第3期』3巻 1976年 pp242-243.より)


ということはこの近辺の人は飢えのあまり人を食べてしまい、それが原因で奇病を発生させていたのではないかと思われる。ただし癲癇てんかんに関する部分はほかの表現に差し替える。

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鬼墓伝説 らんた @lantan2024

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