第8話 銀河ラボのレイ
グロウが銀河ラボに来てから、数週間が経った。
グロウは未だに自分が何者か思い出す気配はないし、銀河管理局からも連絡はないままだった。
「このまま、なんの連絡もなくていい」
レイは、いつのまにかグロウがいる生活が、当たり前になってきていることに気がついた。
月うさぎと遊ぶグロウの声で目を覚まし、ときどき散歩へ行き、眠る前に地球を観測する。
彼が人間か何者かなんて、どうでもよくなっていた。
「ずっと、このまま。このままが続けばいい」
レイが、一人つぶやいた時。勢いよくドアが開いて、グロウが飛びこんできた。
「ねえ、レイ! 見て! ぼくの髪もレイみたいな色になってきたよ!」
大興奮のグロウが、自分の髪を一房つかみながら駆け寄ってきた。
グロウの黒髪が一筋、銀色に輝いていた。
それを見てレイは唐突に、思い出した。
あの人も、銀髪だった。
長く流れるような銀髪を一本に結っていた。
背中が広くて、月うさぎが友達で、銀河ラボに住んでいたあの人。
そして、ぼくにラボの事、銀河のことを教えてくれた。
あの人は、ぼくに言った。
『今日から、きみがレイだ』と。
「きれいな銀髪だ、グロウ」
──グロウ。ぼくがつけた名前。
レイはグロウの頭を、くしゃりとなでた。
「ちょっと、用を思い出した。先にごはんを食べていて」
そう言って、レイは部屋を出た。
──ああ、そうか。やっとわかったよ、ジルコン!
レイは、ゆっくり連絡用の水晶を手に取った。
「急に来てもらって、すまないね」
レイとジルコンは、月面の端で落ち会った。
「それで、なにかわかったのか?」
ジルコンの問いに、レイはうなずく。
「ジルコン、君は最初から気がついていたんだね。ぼくが、死ぬことを」
二人は真っ直ぐ見つめ合った。
月草が足元でザワザワと揺れる。
やがて、ジルコンが深いため息をついた。
「私は、レイよりも長生きで、先代のその先代のレイも知っているんだ」
ふっと、ジルコンは目をそらして「すまなかった」と悲しそうに言った。
「一番初めのレイは、私と同じ管理局の者だったと聞いている。変わったヤツで、死者を運ぶうちに、人間に興味を持つようになったらしい」
「それで、月に銀河ラボを?」
「そう。毎日、地球を眺めていたいからと、銀河ラボを月に移動させた。そうやって、ずっと一人で月で生きてきた。やがて、レイたちは銀河ではなく、月から生をうけるようになった。人間に興味を持つという思考は変わらず持ったまま、代替わりするようになったんだ」
ジルコンは、月うさぎと戯れている男の子に目をやる。
「そして、人間に憧れ続けたためか、姿形も代を重ねるごとに、人間に近づいていった」
「どんどん、人間に近づいているんだね。ぼくたちは」
「すまなかった。黙っていて」
「いや、いいんだ。お陰でいい『引継ぎ』が出来たよ」
レイは銀河ラボを見上げ、その先にある地球を見た。
「ぼくもすっかり忘れてしまっていたんだ。自分がどう生まれたのか。なんのために毎日を繰り返しているのか。だから、グロウが次のレイだって気がつかなかった。自分はひょっとしたら、まだまだ……。まだ、生きるんじゃないかって、思ってた」
「グロウ?」
「あの子の名前だよ。ぼくが付けた」
「やっぱりレイは変わり者なんだな」
ジルコンが困ったように微笑む。
「まだ時間が許すなら、グロウと最後の引継ぎをしてもいいかな?」
「ああ、かまわない」
「ありがとう、ジルコン」
レイは、ジルコンの手をとってやさしくにぎった。
「ありがとう」
「ねえ、レイ。あの人は天使?」
戻ってくるレイに、グロウがかけ寄ってたずねた。
「そう。銀河管理局の人だよ」
「銀河……管理局……」
その言葉を聞いて、グロウの顔がくもった。
「ぼくを、迎えに?」
「いいや。ぼくをだ」
レイは自分の胸に手を置いた。
グロウはポカンとした顔をして、レイを見つめている。
「レイは、死ぬの?」
「ああ、死ぬ」
「あの星が死んだみたいに、虹色になるの?」
「いいや。虹色にはならない」
「それじゃあ、レイが生きたことは……残らないの?」
「残るさ、グロウやジルコン、月うさぎたちが、生きていたことを知っているから。それで十分さ」
けれど、君は忘れてしまうかもしれない。
ぼくのように。
そう、レイは思った。
「今日から、君がレイだ」
博士は、レイのほおに触れた。
初めは人間だと思った男の子。どんどん人間に近づいている、ぼくら。死んだらさみしいと言った君は、心も人間に近づいているのだろうか。
それから、博士はゆっくりと今までのレイについて、銀河ラボについて、レイに話した。
「引継ぎは以上だよ。なにか質問は?」
レイは、黙って首を横に振った。
「月うさぎたちを頼むよ」
「わかった」
「ルーナはさみしがり屋だから、これからも一緒に寝てあげて欲しい」
「わかった」
「あとは……」
「あとは?」
「楽しかった」
博士は手を差し出した。
「君と一緒にいた、ほんのわずかな時間は、ぼくが生きた中で一番楽しかった」
しばらくうつむいてから、まだ幼いレイは顔をあげた。大きな目に涙がたまって、きらきらと輝いた。
涙を流すまいと、耐えている姿がいじらしく博士は感じた。
「本当に、さようならなんだね」
「さみしいと思ってくれるのかい?」
レイは差し出された手を通り過ぎて、博士の元へ飛びこんで抱きついた。
「さみしいよ、とても、とても!」
しばらく二人は抱き合っていた。互いの体温があたたかく、心地よかった。
もっと、早くに出会っていれば。
もっと、レイと一緒に散歩したり、笑いあったりしたかった。
もっと、教えられることもあったはずだ。
けれど、それも今日で終わりだ。
レイの肩越しに、地球が見えた。青く透き通って、楽しそうに生きる人間たちがいる星。
ああ、と博士は目を見開いた。
だから、彼らは楽しそうに生きていたんだ。
そっと瞳を閉じて、博士はレイの小さな背中をやさしくなでて、つぶやいた。
「さようなら、レイ」
「さようなら、博士」
「最後の引継ぎは終わったのか?」
ジルコンは振り返って、戻ってくる博士を見た。
「ああ。待たせてしまって、すまないね。さあ、行こうか」
ジルコンは羽を広げて、博士の手をとった。
先にジルコンがゆっくり飛翔し、次に博士の体が浮いた。
下を見れば、銀河ラボが離れていくのが見えた。
金色の大地の上で、月うさぎが跳ねている。
ルーナを抱いたレイが、博士を見つめていた。
その顔も、どんどん遠ざかっていく。
レイがこの先ずっと、さみしくないといい。
「ねえ、ジルコン。お願いがあるんだ」
前を見据えたままジルコンは、黙って聞いている。
「時々、レイの様子を見てあげてくれないか? あの子、一人で心配で」
「わかった。約束しよう」
「ありがとう」
やがて、目の前に太陽のように輝く、大きな大きな扉が現れた。
扉が開くと、中から祝福の音楽が流れてきた。
まばゆい光が博士を包み込んでいく。
「ねえ、ジルコン。ぼくはさっきまで、まだあともう少し生きたい、って思っていたけれど、今は変わった。ぼくは、満足している。満ち足りている。長く生きすぎていて、すっかり忘れていたけれど、ぼくは、とっても満足なんだ」
銀河ラボのレイ あまくに みか @amamika
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