0 後略
最後に、誤解があってはいけないので記しますが、私はどこかに消えてしまおうだなんて思っていません。黙っていなくなってしまったのは、君の方なのですから。
「なあんて、ね」
ペンの後ろをノックして、便箋をざっと確認する。誤字や脱字は、まあ、もう仕方がないかな。
授業で書いた手紙を除けば、初めてかもしれない手紙。これを読んだら、彼はどんな顔をするんだろう。きっと彼からの手紙を見た私ほどは驚かないんだろうな。その表情を見られたら良かったのに。そんな、叶うはずのないことを夢見る。
重田君がさとう君の家に行った翌日、その日もメールを送った。もしかしたら今日も話せるかもしれない。そんな期待は、お約束のように破られた。まあ、そういうこともあるよね。さとう君だっていろいろあるんだし。誰にいうでもない言い訳を考えて、明日を待っていた。明日になれば、もしかしたら。けれど、それから彼からのメールが届くことはなかった。
「私、また、駄目だったのかな」
同じことを何度でもやるだろうとは思っていたけれど、それでも、失敗してしまうのはつらい。大丈夫だと思ったのに。間違えたくないのに。そんな風に、弱音を吐き出す。
「どうした? 佐藤。クラゲみたいになってるけど」
「クラゲじゃないですよーう。また、さとう君、返事ないの」
ぐでん。クラゲのようになりながら、それでも人間になりたいと体を起こす。背筋を伸ばしたところで、何も変わらないけれど。
「賢太?……あれ、そういや母ちゃんがなんかいってた」
ちょい待ち。とかいって、重田君がスマホをいじる。先生に見つからないように、そっと影を作った。
「うっわまじで?」
重田君が叫ぶ。耳が痛い。私だけでなくクラスのみんなに注目されながら、重田君の声は大きく響いた。
「賢太、入院したってさ」
その後、朝のショートホームルームで先生から連絡があった。さとう君は登校中に車にはねられ、現在入院中とのこと。お見舞いはいってもいいけれど、面会時間と人数に気を付けること。等々。チャイムが鳴って先生が出ていった途端、またクラゲになった。
良かった。いや、良くはないんだけれど、それでも良かった。さとう君に嫌われてなくて、……嫌われて、ない、よね。うん、そういうことにしておく。連絡が取れない理由が分かって良かった。入院してたら、パソコンできないよね。多分。
「佐藤、俺ら今日にでも見舞い行くけど、一緒に行く?」
多分、重田君とはるかちゃんとそれから佑佳ちゃん。一緒に行けば、気まずさもないかもしれない。さとう君のおかげで、勇気が出たんだよって紹介してもいいかもしれない。きっと彼は嫌な顔をしながら、ひねくれながら喜んでくれる。
「んんと、いいかな」
なんとなく断ってしまった。はて、どうして断ってしまったんだろう。思わず頭が右に傾げる。
なんとなく。このなんとなくは、一体どこからやってきたんだろう。さとう君との会話を、他の誰かに見られたくないから?
「そう? ならいいけどさ」
「ちょっと重田、ダメだってー」
「邪魔しちゃ悪いって。ね?」
にやにやとにたにたの間くらいの笑顔で、はるかちゃんと佑佳ちゃんがこっちを見る。何が「ね?」なんだろう。とりあえず、笑っておく。
「え、佐藤と賢太ってそうなの?」
私よりも女子女子した重田君が乗っかる。今度は「そう」っていわれても、なあ。いいたいことは、多分、わかってるけれど。
「もー、ことちゃん、ここは『そんなんじゃないって!』っていうところだってー」
「そういわれても……」
むぅと膨れた佑佳ちゃんの頬をつつきながら、困惑は続く。けれど、まあ、うん。
「そんなんになれたらいいなとは思うよ」
すぐ近くから聞こえるピンクの悲鳴は、鼓膜にも心にも悪かった。
そんな風に主に三人にからかわれながらも、時間はいつも通りに過ぎていく。放課後になれば、それぞれ部活だったり無許可のバイトだったりに散っていく。ぽつんと残された私は、特に当てもないのでまっすぐ帰宅する。郵便受けを開けたのはたまたま、でも、この偶然には運命染みたものを感じた。
金属製の、なんの変哲もない郵便受け。部屋番号が刻印されているその中に、投げ込まれたチラシの上にそっと、封筒が置かれていた。どこかの企業名が入っているものではなく、シンプルな、洋形封筒。表には八十四円切手と私の個人情報。そして、裏には同じ苗字の彼の名前。しばらく手の中で弄んで、ようやく現象を理解した。途端に頬の温度が上がる。隠すように胸元に抱え、急いで部屋に駆け込んだ。
拝啓 月愛でる候、いかがお過ごしでしょうか。メールができないから手紙と思ったんだけれど、どう書いたものか悩んだから、こんなことになっています。
さて、この手紙が届くころには先生から(もしかしたら重田から)聞いているかもしれないけれど、この前事故にあって入院しています。だからしばらくはメールができないけれどご了承ください。それから、退院したら、コトと話したいです。いつになるかはわからないけれど、今度こそ、待っててくれたら嬉しい、です。
柄にもないことばかりしていますが、事故の怪我以外は特に異常ありません。コトも車に気を付けてお過ごしください。
敬具
佐藤 賢太
佐藤 琴乃様
追伸 そんなに長く入院するのではないそうなので、見舞いは結構です。重田にもよく言い聞かせてください。本当にお願いします。
更に追伸 「この手紙が届くころには」って、一生使うことはないと思っていたので満足です。ロマン。
便箋一枚に収まりきる、なんなら余白がしっかりととられた手紙。久々に見る、彼の言葉。決して喜ばしい内容ではないのに顔が緩んでしまう。目を閉じて、じっと、鼓動を数える。大きく息をして、そして目を開けて……ああ、やっぱりだめ。嬉しい。しばらく冬眠明けのくまのように部屋中を歩き回って、ちょっと落ち着いたら財布を持って家を飛び出した。
近所の文房具屋は閉まるのがそんなに遅くない。普段はノートやペンのコーナーにしか行かないんだけれど、手紙のコーナーへ行く。どんなのがいいんだろう。レターセットか、それとも別々のものにするか。あんまりかわいいのだと、困らせちゃうかなあ。いつも見向きもしないのに、わくわくしながら便箋を探す。きっともう手紙を書くこともないだろうから、セットじゃなくてもいいかな。なるべくシンプルで、でもちょっとかわいいやつ。重田君に女子力で負けているけれど、ここは少し頑張りたい、そんなオトメゴコロ。いつになく真剣に選んで、急いで家に帰った。
まっさらな便箋を一枚机に置いて、ふ、と息を吐く。きっと失敗してしまうから、シャーペンで。一行目には、少し震える字で「前略」と書いた。
前略 こうして改まって手紙を書くということもないので、どんな風に書きだしたものか、迷ってしまいます。拙いとは思いますが、ご容赦ください。といっても、君も私と同じように、こんな風に手紙を書くことなんてないと思うから、気楽にいきたいと思います。きっとこれが、君に宛てる最後の手紙になるのでしょうし。
言い訳染みた言葉を並べる。畏まった言葉はまるで別人のようで、笑ってしまう。さて、どんな風につなごう。彼と向かい合っていればあんなにも自由になれるのに、どうしたことか。
ああ、こうやって思いを言葉にしようとすると、こんなにも気恥ずかしいものかとうろたえます。いつもなら、あんなにスラスラ、とはいかなくても、こんなに悩むことなく書けるのにと驚くばかりです。君が目の前にいないからでしょうか。
さみしさをにじませながら、とりとめもなく言葉を紙に刻み込む。格好は悪いかもしれないけれど、もう情けない姿しか見せ合っていないのだから、気にしてもしかたない。気持ちをただただ紙に写し取って、そうやっているうちに、彼の言葉はとうに越して便箋は三枚目も半分を過ぎていた。
最後に、誤解があってはいけないので記しますが、私はどこかに消えてしまおうだなんて思っていません。いなくなってしまったのは、君の方なのですから。もちろんそれは君が望んでのことではないのでしょう。つまり私が伝えたいのは、こんな柄にもないことをしているけれど、それは最後の挨拶だとか、そういったつもりではないということです。それだけは知っておいてください。
会いに行きたいのはやまやまですが、君の意思を尊重して、控えておきます。早く良くなってください。待っていますから。
草々
佐藤 琴乃
佐藤 賢太様
最後にちょっとだけ意地悪をして、二人の名前を書く。半分にした便箋は一度封筒に入れ、封をするのは明日、もう一度確認してからにしよう。きっと今のふわふわさでは、全てを流してしまう。曲がったり、どこかにやったりしてしまわないようにだけして、眠る準備をした。
明日は学校に行って、そして重田君へのメッセージを伝えよう。きっとそれでも押しかけて行きそうだけど、まあ、それはそれ。努力だけではどうにもならないことだってあるから仕方がない。それから、ちょっと早めに帰って郵便局へ行こう。ちょっとだけ気取った切手を買って、そして彼に手紙を出そう。頭の中の予定表に希望を一杯詰め込んで、そして残りは明日の私へ託した。
幸せな夢には、二人の子どもがいた。ピンクと水色のスモッグを着ている。子どもたちは、こちらを気にもせずに笑っていた。
君には話せない 村部 @murabe
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