4.
男を留置場係に引き渡して戻ってきた佐智子と富永は、出動報告書を書くためにパソコンの画面を開いた。
「高橋、悪いんだけど出動報告書を書いておいてもらえるか」
富永はそういうと、また席をはずしてしまう。
考えてみたら、富永は今日一日ほとんど席にいなかった。
一体、どこへ行く用事があるというのだろうか。
佐智子は疑問に思いながらも、出動報告書を仕上げるためにパソコンの画面と向かい合った。
出動報告書を書き終えた頃には、退勤時間となっていた。
佐智子は自分の席で大きく伸びをする。
「あー、疲れた。こりゃ、何か食べて帰らないとやってられんわ」
心の声。そう自分では思っていたのだが、どうやら声に出していたようで、席に戻ってきた富永がぎょっとした顔で佐智子の方を見ていた。
仕事を終えた佐智子はダウンコートを着て「お疲れさまでした」と声を掛けながら、職場である刑事課の事務室をあとにした。
富永などは佐智子よりも先に事務室から姿を消していた。
これはいつものことなのだが、富永は定時になると同時に、スタートダッシュといわんばかりに刑事課の部屋から姿を消してしまう。
そのため、仕事終わりのプライベートな時間に富永と一緒に食事をしたりするということはほとんどなかった。
まあ、普段から昼食や夜勤の時の夕食などは一緒に取ることが多いため、仕事終わりまで一緒に食事をしたりはしたくないという気持ちもあるのだが。
それにしても、きょうはほとんど席にいなかったな、あいつ。調書作成も人に押し付けて、どこへ行っていたんだろう。
佐智子はそんなことを思いながら、警察署の玄関を出た。
外に出ると冷たい風が吹いていた。
佐智子はダウンジャケットの前をしっかりと閉じて防寒をする。
署の敷地内から出ようとした時、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
あの長身は見間違うわけがない、富永だ。
署の駐車場の入り口で、富永はメガネをかけた若い女性となにやら話し込んでいた。
ふたりとも笑顔で、どこか親しげな感じだ。
その女性の顔に佐智子は、どこか見覚えがあるような気がした。
一度見た顔は忘れることはない。それは佐智子の刑事としての才能の一つでもあった。
誰だっけな、あの人。絶対に一度見たことのある人だ。
佐智子はあごに手を当てながら、その女性の正体を思い出そうと頑張った。
富永は少し大きめの段ボール箱を手にすると、女性にそれを手渡した。
その光景を見た時、佐智子は完全に女性が誰であるかを思い出すことが出来た。
「富永さん、お疲れ様です」
佐智子は富永の背後にそっと忍び寄ると、声をかけた。
「お、おお、高橋か。お疲れ」
少し焦ったような様子で富永が振り返る。
若い女性は、佐智子のことを見てすぐに誰であるかわかったらしく、微笑んで会釈をした。
「どうしたんですか、富永さん。池澤さんと一緒なんて」
「いや、あの……」
口ごもる富永を尻目に、佐智子は池澤の持っていた段ボール箱へと目を移す。
この箱はさきほど富永が池澤に渡していたものだった。
段ボール箱の中には小さな子猫が3匹入っており、一緒に入れてあるタオルに包まってスヤスヤと眠っている。
「富永さんから連絡をいただきまして、引き取りに来たんですよ」
微笑みながら池澤が言った。
動物保護団体の職員。それが池澤の正体だった。
数ヶ月前に池澤の所属する団体から、猫を虐待している人がいて、注意をしたら暴力を振るわれたと相談があり、佐智子と富永で対処したことがあった。
「駐車場の裏の植え込みのところにいたもんだからさ」
池澤が子猫たちを引き取って去っていったあと、言い訳のように富永はいった。
別に言い訳なんてしなくてもいいのに。佐智子は笑みを浮かべながら、長身の富永の顔を見上げた。
「意外な富永さんを見ました」
佐智子が言うと富永は苦笑いをしてみせる。あまり見せたくなかった一面だったようだ。
「じゃあな、また明日。お疲れ様」
富永はそう言うと足早に署の敷地から出て行った。
※ ※ ※ ※
新宿からJRに乗った佐智子は、いつも使っている駅のひとつ手前の駅で電車を降りた。
今夜は行きたいところがあるのだ。
そこは隠れ家のような雰囲気のある店だった。駅から少し離れたところにひっそりと佇んでいる店で、ワインと季節の料理が楽しめるバーとなっていた。
この店を見つけたのは偶然だった。
たまたま人身事故の影響で電車が停まってしまった時に、ひと駅ぐらいなら歩こうと思って帰宅する途中で発見したのだった。
「いらっしゃいませ」
佐智子が店のドアを開けると、カウンターの中にいたマスターが声を掛けて来た。
歳は50代後半ぐらいだろうか。短く刈った白髪頭に無精ひげという一見コワモテな感じのスタイルのマスターだが、愛想も良く、笑うとどこか可愛い感じのする人だった。
店内を見回し、佐智子はカウンター席へと腰をおろした。
「きょうは寒いから、おでん作ったんだよ」
マスターはそう言っておでんの入った鍋を開けて中身を見せてくれる。
入っていたのは、玉子とはんぺん、だいこん、餅巾着、ウインナー、ちくわぶなどであり、出汁は関東風のものだった。
佐智子はさっそくグラスワインとおでんを注文した。
「やっぱり冬はおでんだよね」
口の中にはんぺんを放り込み、それをワインで流し込む。おでんとワイン。これがまた意外や意外に合うのだ。
グラスワインを飲み干した後は、日本酒を熱燗で注文した。
「やっぱ、これだね。これぞ日本の冬って感じだよ」
「おっ、わかっているね。それじゃあ、こっちもサービスしちゃおうかな」
そういってマスターがだいこんを佐智子の皿に置いてくれる。
明日は夜勤だから、時間の余裕はまだあった。
多少酔っぱらっても、問題ない。
さらに熱燗をもう一本、佐智子は注文する。
「夜はまだまだ長いぞ」
佐智子はそう呟いて、猪口に注いだ日本酒をぐいっと飲み干した。
【ふゆのはじまり:完】
ふゆのはじまり 大隅 スミヲ @smee
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