3.

 そろそろ3時になるので、休憩でもしようかと席を立ちあがったところで、また電話が鳴った。


 受話器を取ると、また2機捜の坂本からの電話だった。

 今度は先ほどとは違い、坂本の声には緊張感があった。


 なにか事件だ。佐智子は直感的に思った。


 電話を織田係長に転送して、出動命令が出るのを待つ。

 出動命令は、電話を転送してすぐに織田係長の口から出た。


「新大久保駅付近で器物損壊事件が発生した。被疑者2名が逃走中。高橋は富永を呼び戻して、すぐに現場へ向かってくれ。2機捜の担当者は坂本巡査部長だ」

「わかりました」

 すでに出動の準備をしていた佐智子はダウンジャケットを着て、刑事課の部屋を飛び出した。


 メッセージアプリを使って富永に出動命令が出たことを伝えると「すぐに行く」との返信があった。

 駐車場で捜査車両のエンジンを掛けていると、富永が走ってやってきた。


「現場は、新大久保とのことです」

 助手席に富永が乗り込んだことを確認し、サイレンを鳴らしながら捜査車両を駐車場から出した。


 道は比較的空いており、すぐに現場に到着することができた。現場には2台のパトカーと機捜の捜査車両があり、その後ろに佐智子も捜査車両を駐車する。


「坂本さん、お疲れ様です」

 2機捜の坂本を見つけて佐智子は声を掛けた。


「現場はそこの韓国料理店なんだけれどね、客だった男女が言い争いの喧嘩をはじめたらしいんだ。それで店員が止めに入ったら、男の方が暴れだしてね」

 そう言いながら坂本は現場となった店舗の方を見る。


 坂本の視線を佐智子と富永が追うと、テーブルが倒れ、ガラス窓が割れている韓国料理店があった。


「酔っぱらっているんだかどうかわからないけれど、男の方は意味不明なことを叫んでいたらしいよ」

「意味不明なことですか?」

「ああ。なんか『俺は転生者だ』とか『前世は魔王だったんだ』とか。もしかしたら、薬物をやっているかもしれないな」

「それで、一緒にいた女性も逃げているんですか」

「そうみたいだね。男がテーブルとかをなぎ倒したんで、女の方は謝りながら1万円札をテーブルの上において行ったらしいんだけれど。ここまで店の中ぐちゃぐちゃにされたんじゃ、1万円じゃ足りないわな」

 苦笑いをするような顔で坂本はいうと、スマートホンを取り出して佐智子と富永に画像を見せた。


「店内にあった防犯カメラに映っていたふたりが、こちら」

 画像はモノクロで、画素数も低いものだった。かろうじてわかるのは、髪の長い女とキャップを被った男の姿だった。


 坂本から画像を転送してもらうと、佐智子たちは逃げている男女2名を捜すために近隣の店などを周りはじめた。


 新大久保駅周辺は、韓国人街としても知られる場所であり、多くの韓国料理店が建ち並んでいる。特に昨今の韓国アイドルや韓国ドラマのブームが影響して、若い女性などの姿も多く見かけることができた。

 この辺りは住所でいうと新宿区百人町となる。そもそも新大久保という地名は存在しないのだ。


「うーん、見当たりませんね」

「もしかしたら、JRに乗って別の場所へ逃げてしまったのかもしれないな」

「そうなると見つけるのは難しくなりますね……」

 そんな会話をしながら、駅周辺を佐智子と富永は歩いてまわっていた。


 時おり見かける、韓国焼肉やサムギョプサルといった看板や肉の焼ける香ばしい匂いに佐智子は集中力を削がれかけたが、いまは捜査中だと自分に言い聞かせていた。


 しばらく歩き続け、周辺の店への聞き込み捜査などをおこなったが、これといった目撃情報も得られることはできなかった。半ば諦めの気持ちになっていた時、新大久保駅前に人だかりが出来ているのが目に入った。


 何事かと思い、佐智子と富永はその人だかりに近づいていく。


「これって任意だろ。俺は拒否する。なぜなら、俺は魔王だからだ。魔界のしもべたちによって、おまえを焼き尽くすことも可能なのだぞ」

「ちょっと、マー君やめてよ。恥ずかしいじゃん」

 そこには、若い男女と地域課の制服警官の姿があった。

 制服警官たちはややあきれ顔で、自分のことを魔王だという若い男の話を聞いている。


「なあ、高橋」

 富永のその言葉だけで佐智子はわかった。

 いま制服警官に職務質問をされている男女は、あの防犯カメラに映っていた男女にそっくりなのだ。


 佐智子と富永は制服警官とは反対側から、その男女に近づいていき、男女から死角となる場所に立った。


「なにか身分を証明できるものとかないのかな?」

 ベテランの制服警官が猫なで声で男の方に話しかける。


「そんなものあるわけがなかろう。この姿は世を忍ぶ姿であり、本来であれば魔界で」

「もういいよ、マー君」

 連れの若い女は恥ずかしそうに男へ言うが、男はまったく聞く耳を持とうとはしなかった。


 このやり取りに、周りに集まってきていた野次馬たちも失笑している。


「おまえらなど、この邪悪な力を使えば……」

 そういって男が制服警官の首に手を伸ばした。


 次の瞬間、周りにいた他の制服警官たちの腕が一斉に男の体へと伸びた。


「公務執行妨害の現行犯で逮捕する」

 あっという間の制圧だった。


 制服警官たちに取り押さえられた後も男は「貴様ら、この魔王様に無礼であろう」などと意味不明な言葉を続けていた。


 制服警官たちに囲まれながら男は新大久保駅前の交番へと移動し、その場で佐智子たちも話を聞くこととなった。


 一緒にいた若い女は、しくしくと泣き、佐智子は交番勤務の女性巡査と一緒にその女性を慰めながらも男に関する情報を聞き出した。


 女の話によれば、男は何か錠剤のようなものを定期的に飲んでいたという。ただ、それが何なのかは女もわからないとのことだった。


 この証言から男の身柄を新宿中央署に移し、尿検査を受けさせることとなった。

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