おまけ



 中国人が経営する町外れのとある本格的な中華料理店。

 その立地から行列が出来るほどではないが、それでもランチ営業の時間帯は常に人で賑わい、カウンター席は退店したそばから、新しく入店した客によって満席になってしまう。

 日替わりランチは980円。

 値段不相応なボリュームで人気のメニューである。

 今日の内容は中華そばに五目野菜炒め、春巻きが一本、そしてザーサイ。

 さらにデザートの杏仁豆腐と選べるドリンクがついてくる。


「五目野菜炒めをね」

 美しい少年がいた。

 肌は透き通るように白く、そして滑らかだ。

 他の人間がその身体が触れれば、その体温に耐えきれず、雪のようにあっさりと溶けてしまいそうな肌をしている。

 白橡の薄い鈍色をした髪。美しい闇の色をした夜の湖のような瞳。

 薄い色の唇に浮かんだ微笑みは、思わず、人をぞっとさせるものがある。

 カジュアルに着こなした白いスーツが、見るものに葬式をイメージさせた。

 きっと、少年は黒い喪服の集団の中で白いスーツを着て微笑んでいるのだろう。


 その少年が白く細い指で五目野菜炒めの皿を持ち上げ、箸で中華そばに五目野菜炒めを流し込んでいく。


「こうやってラーメンに入れると、野菜ラーメンになって……なんだかオトクな気分になるんだ」

「お行儀が悪いですよ」

 少年の座るテーブル、その向かいに座る男が少年を嗜める。

 少年のあまりにも鮮烈な美しさに対して、男の外見はあまりにも凡庸だった。

 少年と比較してしまうから――ではない。

 平均点の顔立ちだった。

 どこかで見たような髪型の、どこかで見たような顔つきをした、中肉中背の男。

 少年が主役ならば、男は脇役ですらない端役と云ったところだろう。


 男の前にはとんこつラーメンと五目チャーハンが並ぶBランチセットが置かれている。


「でも行儀が悪い方が美味しいと思うんだ」

 特製の野菜ラーメンを作ると、少年はザーサイの小皿を男の側に追いやり、自分のレンゲで男の五目チャーハンをすくい上げる。数個しか入っていない海老も一緒だ。


「ハタ」

「僕のザーサイと交換だよ、キシュ」

 そう言ってハタと呼ばれた少年が微笑を深めて、くすくすと笑った。

 キシュの溜息。

 吸った時の空気よりも、二酸化炭素と諦めの割合が増えている。


 ハタは特製の野菜ラーメンを啜る。

 増した油分と塩分、歯ごたえと喉越しの良さ。

 料理としての質が変わったものをひたすらに平らげ、時折キシュの料理に手を伸ばす。


「やめてください」

「だったら、早く食べればいいじゃないか。キシュは僕に優しいんだ」

 五目チャーハンに数個しか無いプリプリの海老。

 すぐに消えてしまいそうな数のそれは、ハタに持って行かれるまで残っていた。


「とんこつラーメンを先に食べてるんですよ、伸びるのがイヤだから」

「わかったよ、じゃあそういうことにしておこうかな」

 そう言って、ハタは再びクスクスと笑う。


「いっぱい食べるんだよ、キシュ」

「私のお金ですよ」

「キシュのお財布は僕のお財布だよ」

「また教育に悪いアニメばっかり見て……」

「フフ、教育に悪いっていうなら……僕にこんなコトをやらせるキシュが一番悪いよ」

 ハタが身を乗り出して、キシュの耳にそっと顔を寄せる。


「ねえ、キシュ。次は僕に誰を殺させようというんだい?」


 ◆


 裏社会で躍進を続ける超巨大な組織というものがあり、自分はそれに属している。ハタの知っていることはそれだけだ。

 組織の名前は知らないし、その規模だってわからない。

 組織――というよりもキシュの命令で人殺しをやらされるが、裏稼業の人間を殺すだけでなく、何も知らないような一般人を殺すこともある。

 どういう意図があるのか、組織の目的も何一つだってわからない。

 不満があるわけではない、ただの好奇心に突き動かされてキシュに尋ねることがあるが、キシュは何時だって困った顔をして答えをはぐらかせる。

 すべてを知っているから困っているのか、自分のように何も知らないから困っているのか、それはわからない。

 キシュ以外の組織の人間は知らない。

 だから、結局ハタは何一つとして知ることは出来ないが、別に現在の生活に不満はない。

 美味しいご飯とアニメと漫画にゲーム、殺人とキシュ。

 自分の幸福に必要なものは何もかも揃っている。

 別にそれ以上を望むつもりはない。


 その日常がほんの少しだけ変わったのは、ハタがとある殺人をしくじった八月の暑い日のことである。


 それは雲一つない青天の日だった。

 どこまでも抜けるような青い空、太陽の光を遮るものはない。

 気温は人間の体温を多少超える、空が青いだけの最悪の天気。

 蝉の鳴き声すら聞こえない。

 しかし、当然のことだろう。

 空に雲が無いというのにどうして蝉時雨アメが降るというのだ。


 ハタの美しい肌に汗が滲む。

 真夏日の地獄のような快晴を背に、ハタは芸術のように歩く。

 おそらく、彼の歩く様子を写真に撮るだけで美術館に飾ることが出来るだろう。

 とある四人家族を全員殺す、そういう仕事だった。

 修羅場をくぐり抜けた裏稼業の人間だってハタは容易に殺せる、一般人の家族なんてのは楽勝だ。

 動きが遅いし、抵抗も弱い。

 キシュに買ってもらうご褒美のパフェのことを考えながら、だって殺せるだろう。

 もっとも、今日はチョコレートパフェを買ってもらうことに決めているが。


 とりあえず行ってみて、全員いるようならまとめて殺し、誰かがいないのならば、とりあえずいる分だけを殺して、残りは帰ってきてから殺す。

 ハタのやり方は行き当たりばったりだ。

 どれだけ雑に殺しても組織がなんとかしてくれるのだから、そうなる。


 郊外にある白を基調とした二階建ての一軒家。

 周りの住宅との距離はそこそこに広い。

 ハタは躊躇なくインターホンを鳴らす。

 電子音が響くが、返答はない。

 誰もいないのだろうか――しかし、白いワゴン車が駐車スペースに止まっている。

 この暑さで一家全員が徒歩で外出するというのは考え難い。


 ハタはもう一度、インターホンを鳴らす。やはり反応はない。

 いったん、引き返すべきか否か。

 ハタは十秒ほど考えて、窓を叩き割ることにした。

 外は暑い。

 中で待たせてもらおうと思ったのである。


 一階はセキュリティが仕掛けられている――気がするので、ハタは外壁から二階に上がることにした。何度かジャンプを繰り返して、二階の窓に手をかけ、拳骨でガラスを叩き割る。

 美しい肌がガラスで割れてズタズタになる。

 切り傷から血が血が滲むが、ハタは意に介さない。


「……?」

 ハタは僅かに顔をしかめた。

 窓を開けた瞬間に漂ってくる血の匂い。

 それに臓物と糞の嫌な臭いも混ざっている。

 何かが起こったということは間違いない。

 割れた部分から窓鍵に手を伸ばし、ハタは室内に侵入した。


 侵入した先は寝室だった。

 並んでいる布団は二つ、夫婦の寝室なのだろうか。

 嫌な臭いは一階から漂ってくる。

 ハタは階段を飛び降り一階へ。


 リビングルームが血に染まっていた。

 転がる三つの死体、中年の男女と高校生程の男。

 そして、その死体に入念に包丁を突き立てている少女が一人。

 中学生ぐらいだろうか、ハタと同じぐらいの年齢に思える。


「やあ……」

 声を掛けてから、ハタは後悔する。

 普段ならば声をかけたりはしない。

 相手と会話をしてしまうと殺しづらくなるから、とキシュに入念に言い含められているからだ。

 しかし、目の前の光景があんまりにも独特だったのでつい興味を持ってしまった。


 今から返事を待たずに殺してしまうのが良い、とハタは思っている。

 それと同時に、しかしせっかく声を掛けたのだから返事を聞きたいな、とも思ってしまう。

 結論の代わりに、ハタは自分の武器であるナイフを手の中に弄んだ。

 それは殺しを保留にするという何よりの答えだ。


「あ……あなた……誰?」

「えっと……僕はハタと言うんだ、キミを……というか、キミも殺しに来たんだけど、キミ一人しか生きていないのなら、キミを……になるのかな?」

 目の前の少女の顔は気の毒になるほどに青ざめている。

 だが、それは殺されるという非日常的な経験から来るものではなく、見られてはいけないものを見られてしまったという日常的な感覚から来るものだった。


「え……っと、その……違うの」

「違う?」

「あたしが殺したわけじゃなくて……その……たまたま、たまたま私が殺された後に出くわしたっていうか……」

 みるみるうちに語気が弱くなっていく。

 まるで先生に注意されている子供のようだな、とハタはアニメから得た知識を思い出す。


「じゃあ、なんで家族を包丁で?」

「えっ……えっとこれは……違うの……なんか生き返るかなって思って」

 少女はこれ以上の追求を避けるためか、少し大きい声を出して言った。


「それよりもあなた!」

「ぼく」

「あたしを殺しに来たってどういうコト!?」

「……さあ」

「さあ!?」

「理由は知らないよ、殺せって言われただけ」

 そう言って、ハタは無造作に少女にナイフを向けた。

 思わず、身体がぞっと冷えるような感覚に少女は襲われる。

 美しく微笑んでナイフを自分に向けるそのサマは、冗談でもなんでもなく本当に自分を殺す者のようだった。


「……お願い、許して」

 少女が懇願するように言った。

 その声を聞きながら、ハタはせっかく包丁を持っているならそれを使えばいいのになと呑気に思っている。


 もっとも、大体の人間はそうであるらしい。

 自分が命の危機に襲われても――人を傷つけることは最後の最後まで追い詰められないと出来ない。

 自分とは違って。


「ねえ、キミ」

「なっ……なに!?」

「包丁使わないの?」

「えっ……包丁……あっ」

 ハタに言われて気づいたように少女が包丁を構える。

 その手は小刻みに震えている。

 一度もその包丁で命を奪ったことがないようである。

 その刃はべっとりと血で濡れているというのに。


「忘れてた……」

「ちゃんと使えばいいのに……そこの三人もキミが殺したんでしょ?」

「でも……その……あたし……家族が嫌いだったから……」

「家族が嫌い?」

 そんなことがあるとは、ハタは新鮮な驚きを覚えた。

 僕がキシュを嫌いになることなどあり得ないだろう。


「その……いじめられてて……」

「殺したんだ」

「うん……」

 何があったのかはわからない。

 少女はこのような真夏日にも肌を覆い隠す長袖を着ていたが、スーツのハタにそこから情報を推測できようがない。


「えっと……その……」

「なに?」

「さ、刺すね」

 少女は口に出して、そう言った。

 馬鹿だなとハタは心の中で思った。

 けれど、一般人はあんまり人を殺すことが無いらしいから、自分のやることをはっきりと口に出して追い込んでいるのかも知れないな、ともハタは思った。

 思考の一方でハタの身体は既に動いている。

 足元の臓物を蹴り上げて、少女の顔に。

 顔面に命中した臓物に、少女が「きゃっ」と小さく悲鳴を漏らす。

 ハタはそのまま、前進し包丁を持った少女の腕をひねり上げながら、その背後にまわり、その細い首筋にナイフの刃を当てる。


「わっ……」

「動いたりすると当たるからね」

 実際ハタのナイフは少女の薄皮を切り、その白い首筋に血を滲ませていた。


「なっ……」

「な?」

「なんか……捕まるとか、全然そんなこと考えてなかったけど……殺されるってのはもっと考えてなかったな……」

「言われてみれば、そうだね」

 少女は観念したように目を瞑る。


「痛くしないで……一発で殺して欲しい……」

「うん」

 それから少女は目を閉じ続けたが、恐れていたような痛みはない。

 おずおずと目を開けば、やはりナイフは首筋に当てられていたが、動く様子がない。


「殺さないの……?」

「いや、殺すけど……」

 ハタはその後、困ったように言った。


「困ったな、あんまり殺したくないや」

「えっ」

「良く考えたら、こんなにおしゃべりをしたのってキシュ以外で初めてかもしれない……」

「えーっと、その……わかるかも……あたしも友達とかいないし……」

「へぇ……」

「あたしもなんか久々に……話したかも……」

「……うーん、ねぇキミ。僕と一緒に来ない?」

「えっ?」

「一人ぐらいならいいと思うんだ、僕からキシュに話してあげるから……一緒に僕と人殺しをやろうよ」

「……人殺しは」

 自分にはそういうことは出来ないだろう、と少女は思っている。

 そもそも、キシュという人間が自分を許してくれるとも思わない。

 とんでもないことに誘われている――だが、多分ここで断ったら殺されるのだろうな。

 そういう冷静な判断力をはっきして、少女は言った。


「頑張ってみる……かも……」

「よし」


 ◆


「ということがあったんだよ、キシュ」

「……どうも」

「だから……ターゲットとは会話をしてはいけないと言ったのに」


 ハタとキシュが過ごすアジトの一つ。

 リビングルームにてキシュは頭を抱えた。

 性格に幼い部分はあるが、まさかターゲットを連れて帰ってくるとは。

 そして一回やったということは――おそらく、二回目も三回目もある。


「キシュ……いいだろ?」

 縋るような目をして、ハタが言った。

 捨て犬を拾ってきた子供を持つ親の気持ちが、今のキシュにはよくわかる。

 別に小娘一人を生かすぐらいなら問題はないだろう。

 けれど――それで殺し屋としてのハタは死ぬ。

 倫理観はないが好奇心が旺盛で、多分心の底に人間としての感情がある。


 キシュは懐から拳銃を取り出し、銃口をハタに向けた。


「キシュ……?」

「ハタ……」

 手に震えはない。

 だが、その表情に苦悩がある。

 それをハタはしっかりと捉えている。

 そういう余裕がハタにはある。

 引き金が引かれる前にハタはキシュを殺せる。


「その子を助けたいのならば、私を殺さなければいけない」

「えっ」

「アナタは我々のものだ、自由になりたいのならば……」

「自由なんていらないよ、僕は……」

「けれど、アナタは選択をしようとしている……もう、全てを捨てて逃げるか、私に殺されるか、それだけしかないんですよ」

「キシュ……」

 ハタはナイフを構えかけ、そしてやめた。

 額をこつんと銃口に当てる。


「どうしよう、キシュを殺すぐらいなら殺されてしまいたいけれど……でも、こういう時って僕はキシュを殺したほうがいい気がするんだ……」

「ではそうすれば良いんです」

「わかんない……わかんない……」


 もうどうしようもないな、とキシュは思った。

 ハタと対峙すれば自分は殺されるしか無い。

 それぐらいの戦闘力の差はあるが、今の自分なら殺せる。

 ハタを廃棄し、目の前の少女も殺す、

 引き金を引けばいい。

 それで死ぬ。


「キシュ……?」

 だが、指が動かない。


「……ハタ、私は失敗してしまったようです」

「……失敗?」

 陳腐でくだらない――そういう感情を、目の前の少年に抱いてしまった。

 ただの量産品を相手に。

 失敗作が育てたのだから、失敗作が出来てしまった。

 そういうことなのだろう。


 キシュは銃を下ろし、ハタに背を向けた。


「二人でどこか遠くへ逃げなさい」

「キシュは……?」

「私は……」

 どうしたいのだろうか。

 ハタについていきたいと思う。

 けれど、そうするべきではない。

 逃げる時間を稼いでやらなければならない。

 

 それに、ハタだって年頃の少女と二人で過ごせば、歪んでいるけれど――今よりは多少はマシな人間になれる。


「……行きなさい、ハタ」

「……うん」

「ハタをよろしくね」

「……はい」

 何がなんだかわからない、そんな様子で少女が頷く。

 けれど、逃げなければいけないことぐらいは彼女にもわかる。


「……おや?」

 その時、入り口で声がした。

 よく澄んだ声だった。


「このアジトには私と管理者しかいないと思っていたんだけれど」

 美しい少年がいた。

 ハタを鏡映しにしたかのような美少年。


「……キミは?」

 ハタが尋ねる。


「私は私だよ、新しいハタさ」

「新しい……僕?」

「うん、そういうことになるかな……まあ、状況はよくわからないけれど、ねぇキシュ」

 新しく現れたハタはそう言って、二人にナイフを向けた。


「とりあえず、彼らは殺した方が良いのかな?」

「いや……」

 キシュは銃口をハタに向ける。


「悪いが……お前が死んでくれ」

「困ったなぁ」

 ハタはそう言って、頬をかいた。


「私達はただのフラッグなんだから、そんなに感情移入されても困ってしまうんだけどね……」

 ハタがナイフを構える。

 新たなハタもナイフを構えた。


「とりあえず古い旗は下ろしておこうか、私の邪魔になるからね」

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ネクロイロイロ 春海水亭 @teasugar3g

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