last.血まみれボーイ・アンド・ボーイ


***


『お前のやりたいことはわかってる』

 カイコが言った。

 降り止まぬ雨の中を、傘もささずに二人は歩いている。

 足がないわけでもなければ、透けているわけでもない、生前の儚げな美しさをそのままにカイコはヤスハルの隣を歩いている。 

 ヤスハルには名ばかりの繁華街を歩く人間の姿は昨日よりも増えているように思えたが、どこまでが生きた人間がどこまでが死んだ人間なのかわからなかった。

 それでも――引き返すことは出来る。


『でも死んだからって悪いことばっかりじゃないんだぜ?注射を打つ必要がなくなったし、命令を聞く必要もない。俺はもう完全に自由人間になったワケ。そうだ!この街を飛び出してどっか遠くにも行けるじゃん!』

 明るく振る舞っていたが、どこか無理やり作ったぎこちなさは隠せない。

 それでもカイコは自身の手をヤスハルに伸ばした。


『だから、やめとけよ』

 伸ばした手は空を切った。

 その指先は確かにヤスハルの肩に触れていたが、幻を触るかのように透けてしまう。

 幽霊の手が友とアイスを分けることは二度と無い。

 空を切った手を雨粒が通り抜けていく。


「けど……やっぱり僕は許せないんです」

『……』

「カイコさん、お願いします」

 ヤスハルが虚に向かって頭を下げる。

 カイコの姿が見えているのはヤスハルだけだ。


『いじめっこ三人殺すのとはワケが違うぞ、お前を待ってるのは地獄だ』

「……それでも、やらないといけないんです」

『俺は別に仇討ちなんてやってほしくねぇぞ』

「じゃあ、どうしろって言うんですか?」

『ま、ハタの言うことに従うようで癪だけど、普通に戻ろうぜ。あ、そうだ……カラオケやろうぜ!俺、採点機能は使えねぇけどさ』

 おどけるようにカイコが言った。

 カイコはヤスハルを彼の目指す地獄から引き離してやりたかった。


「たった一人の友だちをぶっ殺されてヘラヘラ笑って暮らしていけるわけないじゃないですか!!!」

 雷のように激しい声だった。

 通行人が奇異の視線をヤスハルに向け、それが独り言であるとわかるとそそくさと去っていく。


「殺されたのはカイコさんだけど……けど、怒ってるのは僕なんです。お願いです……ハタのいる場所を教えてくれませんか?」

 カイコはしばらく俯き、そして言った。

『お前は間違ってる』

「いえ、僕は……」

『このカイコさんが殺されて、ホントは俺だってキレてるよ』

 そう言ってカイコは笑った。


『しょうがねぇ……殺されたカイコさんの仇討ちと行くか』

「カイコさん……!」

『けどよ、条件がある』

「条件?」

『俺はもうカイコなんてクソネームで呼ばれる筋合いはねぇ、なんか新しい名前をつけてくれよ』

「名前……カイ……」

 ヤスハルはカイコさんと呼びそうになってそれを抑える。


『今は許す』

「カイコさん自身が新しい名前をつけるんじゃダメですか?」

『じゃあ、俺の名前はアルティメットフレアロジカルソードメタルクライシスデッドリーポイズン――』

「僕がつけます」

 ヤスハルの言葉を聞いて、カイコは心底愉快そうに笑った。


『……ま、ほら。ちゃんと俺のことを好きな奴に名前をつけてほしいからさ』

 幽霊の呟きは雨音がかき消して生者の耳には届かなかったが、思いは届いていただろう。


「ところで、僕からもお願いがあるんですが良いですか?」


***


「カップ麺って水でも作れるって知ってるかな?」

 柔らかなソファに身を委ねたハタが言った。

 ハタの前にはテーブルがある。天板はガラス製で足がよく見える。

 リモコンや灰皿、カップ麺に水の入ったペットボトルが置かれていた。

 ハタは立ち上がってテーブルに近づくとカップ麺の蓋を半分ほど開け、水を容器の内側の線まで注ぎ蓋を締めると再びソファに座った。

 ハタとテーブルの間には二歩分ほどの間があり、その間の床に厳つい顔の男が後ろ手を拘束されて転がされている。


 繁華街のとあるビル、一部屋や一階層ではない。

 ビル一棟が丸々、ハタのものである。


「お湯だと三分だけど、水だと……まぁ、今から君を殺すんだけど、その前に殴ったり蹴ったりするから、私が疲れる頃合いぐらいにはできるかな?」

「テメェは何なんだよ!!」 

 厳つい顔の男の怒声にハタは眉をひそめたが、その美しさを歪めるほどではない。


「……小天地ゲマインシャフト

「ハァ?」

「秘密結社なんて言うと今日日バカにされるからあんまり言いたくないんだけど、私たちはまぁ……日本を裏からそこそこ支配している小天地ゲマインシャフトっていう秘密結社の人間なんだ」

「いい年こいていかれてんのか?」

「ほら、早速バカにされた」

 ハタは不満そうに頬を膨らませると、男の口を蹴り込み歯をへし折った。


「グェッ……アッ……テッメェ……」

「まぁ、君たちとそんなに大差はないよ。権力と癒着するし、暴力も行使するし、手段を選ばずに金を稼ぐ……けど、君たちと違ってクローン技術とか、人間の改造とか、そういうことも出来てしまうんだ」

 ハタはそう言いながら、ソファに座り今度は男の胸を蹴った。

 男の悲鳴をうっとりと聞いていると、スマートフォンがドヴォルザークの新世界よりを奏でた。

 ハタはスマートフォンを耳に当て、もう片方の手でテレビをつけた。

 ニュースでは三人の高校生の首なし死体が発見されたことをアナウンサーが淡々と視聴者に伝えている。


「怖いなぁ……未来ある高校生の命を奪うなんて、私には理解できないよ」

 犯人には早く捕まってほしいね、そう言ってハタは悲しげに首を振った。

 そして、入力を切り替えて、ハタは監視カメラを確認する。

 ナイフを片手に持った一人の少年の姿――その刀身は血で濡れている。

 そして、部下の死体。

 このビルが攻撃を受けているらしい。

 ハタは男の首を蹴って、無理やり画面の方を向かせた。


「……君、この映像を見てくれないか?不思議なところが三つあるんだ」

 男からの返事はない。

 男の首はへし折れていた。

 ハタはそれを無視する。


「一つ目、まぁこれは誰でもわかると思うんだけど」

 画面に映る少年の顔は白いモヤのようなものがまとわりついて確認できない。

 さらに少年の顔を隠すだけではなく、常に画面には奇怪なものが映っている。

 ハタは昔オカルト番組で見た心霊映像を思い出していた。


「二つ目、襲撃者はまるで内部の様子を何もかも知っているみたいに私の方へ向かってきている。私は自分のビルをナビゲーションアプリに登録した覚えは無いんだけどね」

 数多のトラップや部屋の偽装、そして侵入者を混乱させる複雑な構造。

 襲撃者はそれらを全て把握しているようにしか思えなかった。


「三つ目、あの動きはカイコ――あぁ、私のクローンなんだけど、その動きにそっくりだ」

 そう言った後、カイコ2のロールアウトはまだなんだけどなとハタは呟く。


「カイコが生きていた……それはありえない。それだとカイコの覚悟が全部台無しになってしまう。死体蘇生も……うーん、胴体はこちらにあるし、何よりヤスハル君が死体蘇生技術にアクセスできると思わないしなぁ」

 ハタが考え込んでいる間にも画面越しに彼の部下は死に続けている。


「……本人に聞けばいいか」

 ハタはソファから立ち上がると、まず男の死体に頭を下げ「相談に乗ってくれて、ありがとう。やっぱり誰かと一緒だと考えがまとまるね」と言った。

 そして、天板を支える首のないカイコの四つん這いの剥製に刺していたナイフを引き抜いた。


「さて行こうか……いや」

 扉が勢いよく開いた。

 自身をにらみつける少年の顔をハタはよく憶えている。


「……右舷ヤスハルくんだったかな」

 少年はハタに言葉を返さず、ナイフを構えた。


――左舷って言うのはどうかな。

――いいね、意味は?

――右舷の反対方向。

――右舷の意味を聞いていい?

――僕の苗字で……これからの僕の名前。


「行こう、左舷サゲン

『殺るぞ、右舷ウゲン

 幽霊の声はハタには聞こえない。

 二人はそれぞれいらない名前を捨て、右舷と左舷になった。


 そして戦いは始まった。

 

「一般人なら普通刺すんだ」

 ハタの首があった位置を右舷の刃が薙いだ。

 ハタは一歩下がり、右舷の刃を避ける。


「……もちろん素人にだって斬りつけることは出来るけれど、殺すのは難しい」

 縦、横、縦――ハタは常に右舷から距離を置いて、斬撃の範囲から離れる。

 ハタの背が壁についた瞬間、右舷はハタを刺しに行った。


「私を追い詰めるために斬っていたんだろうが――素人の動きじゃない。まるでカイコが生き返ったみたいだ」

 ハタは潜り込むように右舷への距離を詰めた。

 瞬間、右舷の前蹴りがハタの腹部にめり込む。


「……ッ」

 僅かに呻き、そして笑う。

 浅い。

 ハタを牽制し、距離を開けるための蹴りだ。

 右舷は数歩後退している。


「……カイコが生き返ったようで嬉しいよ」

「自分で殺しておいてッ!」

『落ち着け、右舷』


 隠しきれない怒りの感情が右舷から発され――しかし、次の瞬間には落ち着いている。

(ヤスハルくんは直情的な少年だったと思うんだけどな)

 二人はテーブル越しに向かい合い、攻撃の機会を互いに狙っていた。

 素直に前に出ようとすれば、テーブルが邪魔になり、跳ぶか天板に乗るかをしなければならない。相手の虚を突ければそれで良いが、場合によっては相手に致命的な隙を晒すことになりかねない。


「まるで妖精さんの助言を受けているようだね……いや多重人格……?君の中にカイコの人格を作っている?」

 瞬間、ハタはテーブルのカップ麺を手に取り、その中身を右舷に向けてぶちまけた。咄嗟に右舷が目を閉じたのが見える。ハタはそのまま真っすぐにナイフを伸ばした。しかしその刃は右舷の切っ先によって止められていた。ありえぬ神業である。

『……俺はぱっちりお目々を開けてるぜ』


 ハタがナイフを引くよりも早く、流れるような動きで右舷のナイフはそのハタの腕を刺さっていた。


「痛ッ!」

 ハタがナイフを落とす。

 右舷は素早くナイフを引き抜き、ハタの首筋を薙いだ。

 鮮やかな赤い液体が勢いよく吹き出た。


「……ヤ、ヤスハルくん」

 自分自身の血で自分の体を染め上げながら、ハタはその場に膝から崩れ落ちた。

 その目には涙が浮かんでいる。


「感動したよ……カイコのために、ここまで頑張るだなんて……友情ってやっぱり美しいなぁ……やっぱり部下の言う通りに君を殺したりしなくて良かった……」

 自身の死を前に、ハタはうっとりとした顔で言った。


「君ごときがカイコの死を背負って私を殺せるようになるなら、私の死を背負ったカイコ2がどれほどの存在になるか……本当に楽しみだ」

「『死ね!』」

 ハタの心臓を、右舷の刃が突いた。

 生前のカイコの心臓で散々に練習した時のように。

 そして練習で一度も成功しなかった殺人は、とうとう成功した。


「……左舷」

『あー、なんか殺れたな』

 右舷はその場に座り込み、胸を撫で下ろした。

 憑依――左舷が幽霊になったのならば、自分の身体を使わせてやることは出来ないかと思ったが、なんとか上手く行った。


「とりあえず君の仇は討てたね……」

『でも、ま……最悪の奴らに喧嘩を売っちまったな』

「……監視カメラに顔は映ってないけど」

『身長と体格はわかるし、ハタが生前の俺の観察日記でもつけてれば一発特定だ』

「でも、ま、スッキリした……」

『あぁ、スカッとしたな』

「左舷……北海道と沖縄と東京と大阪、どこにしようか」

『ハタの野郎クソほど溜め込んでるからな、どこでも行けるぜ』


***


 車窓から見える景色が凄まじい速度で流れていった。

 十五年間住んできた街を遠く置き去りにして、新幹線はどこかへと向かっていく。

 指定車両の二列側、その窓際に右舷は座っていた。

 彼の隣の席は空いているが、既に埋まっている。


 買った切符は二枚。片道で。

 鎖を引きちぎって二人は未来へと向かう。 


 気がつくと、久々に空に星が輝いているのが見えた。

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