4.デッドボーイ・ミーツ・フレンド


***


「ここじゃないところに行きたかったんだよな」

 殺人の訓練後、鈍色の天井をぼんやりと見上げながら、カイコが言った。

 空にある光は厚い雲に隠されて見えない、人工の明かりをしるべに二人は歩く。


「ここじゃないところ?」

「沖縄とか北海道とか、大阪とか東京とか、言葉がわかれば外国でもいいけど。まぁ、でもやっぱ日本がいいかな」

 こいつから逃げて、自由に暮らしたかったんだ。空の注射器を弄びながら、カイコが笑った。


「だからなんとか時間を伸ばせないかなーと思って頑張ってんだけど……ま、アレだな。一回の深呼吸で深海魚を捕まえに海に潜るようなもんだよな。冷静に考えれば無理。だから、俺の頑張りは終わり」

 こともなげにカイコは諦めを口にした。

 けれども、その声色には不思議と悲壮感がなかった。


「……それでいいんですか?」

 カイコが注射器を乱雑に鞄に放る。

 中のナイフと触れて生じた音は、ヤスハルには鎖を擦るように聞こえた。


「今の生活は悪くないからさ」

「えっ?」

「自由なんてもんはわざわざ遠くまで探しに行かなくても、このクソみたいな街の路地裏にも転がってた」

 ま、転がってたのは俺の方だけど、そう続けてカイコが笑う。

「こうやって駄弁ってる時、俺は全部忘れる。人殺しのことも注射のこともムカつく飼い主のこともヤなことは何もかも吹っ飛ぶ。ただただハッピーなだけの自分になる。だから、まぁ……ありがとな」

「こっちこそ……その……ありがとうございます」

 続く言葉を二人は見失って、曇天の空や、ビル、行き交う人々に街灯、様々なものに視線を巡らせて、言葉を探した。

 そしてきらびやかに輝くゲームセンターを見つけて、ヤスハルは言った。


「僕たち、普通の友だちになりましょう」

「普通の?」

「もう殺しの練習に時間を取るのは無し、放課後に集まってゲーセンとかカラオケとか映画館とか二人揃って入れる時間に行くんです。ただ遊ぶために集まって、ただ遊んで別れるんです」

「ヤスハル、お前それじゃ……」

 心配そうなカイコにヤスハルは微笑みを返す。


「アイツらのことはカイコさんが最初に言ったように警察に相談するんです。アイツらに本当に警察沙汰になっても続ける気があるかはわかりませんし、それにあったとしても……」

 特訓したんですから、殺されたりしませんよ。ヤスハルが親指を立てる。

 カイコと出会ってからも、ヤスハルはカゲユキ達に傷つけられていた。

 教師と同級生が見て見ぬふりをし、母親が忌み嫌う傷だらけの肉体の中で、心だけは健やかであった。


「いいな、普通の友だち」

「いいでしょ?普通の友だち」

 二人は顔を見合わせて笑った。

 穏やかな時間を切り裂いて、着信音が鳴る。

 カイコがスマートフォンを取り、言った。

「じゃあ、また明日なヤスハル……また明日、普通に会おう」

「ええ、また明日。普通に会いましょう」


――右舷ヤスハルくん、大丈夫?


 ハタの言葉がヤスハルを現実に引き戻す。

 それを見た時、走馬燈のようにカイコとの日々が巡り、現実を喪わせた。


 また明日。

 その明日は来なかったのだ。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!」

 獣のようにヤスハルは吠え、ハタに殴りかかろうとした。

 カイコとの日々が薄れさせた怒りは一瞬にして蘇り、ヤスハルの心をそれだけにした。

 自分がどうなるかなどは何一つとして考えず、ただ怒りだけがヤスハルを突き動かし――そして、彼の身体はその場に崩れ落ちた。

 ハタの長い脚がヤスハルの膝を刈り取った。

 下段回し蹴り――体勢を崩したヤスハルの背にハタは腰掛ける。

 

「ごめんね、話を聞いてほしかったからさ」

 ハタが困ったように眉を寄せて言った。

 その顔はカイコのそれによく似ていた。何事もなければ十年後にそうなっていたであろう美しいカイコの顔だ。


 ハタは今日待ち合わせた場所にカイコの代わりに現れた男だった。

 カイコの十年後の姿をしたような大人だ。

 ヤスハルの名前も知っていた彼はカイコについて話があると言って、殺人の訓練の場所に使っていたマンションの一室にヤスハルを連れ込んだ。

 そして、ブルーシートの敷かれていない無表情なフローリングの床に、四つのものを放った。

 カゲユキの首。

 その取り巻き二人の首。

 そしてカイコの首。

 

 カゲユキ達の首は乱雑に床を転がったが、カイコの首だけは美容院展示のマネキンのようにしっかりと立ち、首の付け根の肉がフローリングの床と触れるぐしゃりという厭な音を発した。


「申し訳ないんだけど、カイコを殺してしまったから経緯を話そうと思って」

 穏やかな声でハタが言った。

 瞬間、ヤスハルは現実を喪い――そして、今ハタの椅子となっている。


「カイコは……なんていうか、頑張りやさんでね。注射なしで動ける時間を増やそうとしていたんだ。危なっかしいから私自身が彼を監視していたよ」

 ヤスハルは懸命にもがいていたが、ハタは何も起こっていないかのように平然と座っていた。

「当然、ヤスハルくんのことも知っていたよ。カイコと仲良くしてくれてありがとうね」

 自分で殺しておいて――怒りはヤスハルの全身を燃やすようだった。

 だが、怒りで焼けるものは身体の内側だけだ。

 ヤスハルの業火はハタを焼かない。


「秘密保持のため、君を殺すべきだ……そんな心無いことを言う部下もいたけれど、私は反対したんだ。やっぱり人生には息抜きっていうのが大切だからね」

 ハタの声も、カイコと同じものだった。

 二度と聞けないはずの声で、声を奪った本人が語っている。


「……友情を深めていく君たち。そんな時私はあることを思い出したんだ。昔、食べることを目的に小学生に豚を育てさせる授業がニュースになったなぁって」

「……は?」

 一瞬、ヤスハルは怒りを忘れた。

 理解が出来ない言葉だった。

 コイツは何を言っている?


「私たちは平然と豚肉を食べているが、その裏には殺される豚がいる。当たり前だけど忘れがちな事実だ。私は思ったよ。カイコにもこんな仕事をしていると忘れがちな命の大切さを知ってもらおう……そう思って、私はカイコに君を殺すように命令したんだ」

「えっ……」

 冷たいものがヤスハルの中を満たしていく。


「けど、カイコはそれを拒んだ……それどころか命に替えても君を守ろうと、私に刃物を向けたからね、私を殺したら待機してる部下がヤスハルくんを殺すよと言ったんだ。そして言ったんだ、じゃあヤスハルくんの代わりにカイコが死んでみる?って。その時のカイコの顔を見て思ったよ。君たちの友情は本物なんだな、って」

 その声は震えていた。

 どこか水気の混じったその声に嘲笑の響きはなく、それが返って不気味だった。


「……私は断腸の思いでカイコを閉じ込めて、クスリが切れるのを待った。扉には鍵をかけていなかったらすぐに出られたし、私は扉の前で耳をそばだてていたから『やっぱりヤスハルくんを殺します』と鞍替えすることも出来たんだ。けれどカイコは苦しいだろうに自分の意思で閉じこもって……そして」

 ハタの啜り泣く声がやけにうるさく部屋に響いた。


「カイコは……カイコは君のために頑張った!だから私もカイコがどれほど君のために頑張ったかを教えてあげないといけなきゃいけないと思ったんだ!」


 もはや咆哮ですらなかった。

 ヤスハルの口から溢れ出そうとしたのは音の形を取っただけの怒りの炎だった。

 だが、ハタの細く長い手がヤスハルの口を抑え込み、ヤスハルを舞台に上げることを拒んだ。


「ごめん、君の気持ちはわかるよ……でも、死体を丸々運ぶのはアラサーには辛いんだよ……だから首だけを切り取ったんだ」

 ハタはヤスハルの気持ちを何一つとしてなぞらずに言った。


「……死んだカイコのために何かをしてやりたい、私はそう思って君をいじめていた三人を殺した。もう、君がいじめられることもない……カイコの死を乗り越えて強く生きてほしい。カイコは君に出会えて本当に幸福だったと思う」

 ハタはゆっくりと身体を起こすと、ヤスハルの腹部を思いっきり蹴り上げる。

 打ち上げられた魚のようにヤスハルはその場にのたうち回った。


「君が私を恨む気持ちもよくわかる……けど絡まれるのは嫌だからしばらく苦しんでてね……ごめんね……」

 ヤスハルの頭の中が真っ白になる。

 痛みだけがある。顔が自身の吐瀉物に塗れる。

 それでも、ヤスハルは立ち上がった。


「ハタァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!!!!」

「……私たちはカイコを失った同士だ、彼を失った悲しみは癒えないけれど強く生きていこう」

「お前がッ!お前が殺しておいて何を言ってるんだッ!ふざけるなッ!クソ野郎ッ!」

 我を失った牛のように、ヤスハルはハタへと突進する。

 ハタの下段回し蹴り――ヤスハルは受ける技術を知らない。だが、受ける意志だけはある。

 膝の痛みを頭から消し飛ばし、ヤスハルはハタを殺そうとした。

 だが、瞬間――ハタの刻み突きがヤスハルの顎を擦っていた。

 脳が揺れ――ヤスハルの意識が無理矢理に闇の中に落ちていく。


「平和な日常の中に帰っても、カイコのことを忘れないでほしい。私もきっとカイコのことを忘れない……次の殺し屋の名前はカイコ2にするよ」


 再び、ヤスハルが目覚めた時。

 そこには四人の生首しか残っていなかった。

 ヤスハルはカイコの生首を抱き――そして、何も出来ぬままに全てが終わったことを実感し、泣いた。


 けれど、この物語は少年が死ぬところから始まる。


――いざ小学生になったら……なんか幽霊が見えるようになって。

――アレが本当に幽霊だったのかはわかりませんけど、当時の僕は本当に何か見えてました。

――もう幽霊なんて見たくないって必死に願い続けたら、何も見えないようになってました


 ヤスハルはカイコの生首と向かい合う。


 何故、幽霊が見えるようになったのか。

 その理由が今のカイコならわかる。

 死んだ父に会いたいと願ったからだ。

 結局父の幽霊を見ることはなく、周りからの孤立を生んだだけだった。

 そもそも自分が見たものが本当に幽霊だったのかもわからない。

 ただ幼少期の幻覚を、幽霊であったと思い込んだだけなのかもしれない。


 それでも――ヤスハルは願った。

 もう一度、カイコに会いたい。


『でもさ、いじめっこ死んだんだろ?』

 声が聞こえた。

 自分のものでない声が。


『お前ってさ、結構喋りも面白いし、普通に友だちとか出来るんじゃないかな』

 生首は口を閉じて何も言わない。 


『幽霊が見えると……また大変なんじゃねぇの?孤立っていうか……』

「それでも……」

 ヤスハルはカイコの生首に背を向けた。


「もう一度、カイコに会いたい」

『じゃあ、しょうがねぇか』


 困ったような顔で、カイコが笑っていた。

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