2.ニアデスボーイ・ミーツ・ボーイ


 見た目だけならば精緻に作られた人形のような儚さを有する少年だった。

 薄い金色の髪は柔らかくセットされ、肌の色素は薄い。

 首が、腕が、足が、胴体から伸びるものは細く、それでいて不健康というよりは、奇妙に整っているように見える。ユニセックスのふわりとした印象を受ける服が、雨水と血を吸って軽やかさを失い、奇妙な斑模様になったことさえも、彼の美を阻害していない。

 それでも起き上がった少年に対し、ヤスハルが一番に着目したのはその美しさではなく、彼の腹部に空いたいくつもの穴だった。最初からそのようなデザイン――そんなことはありえないだろう。


「えっ」

 雨に流されて側溝へと運ばれていく赤い液体を目で追いながら、ヤスハルは驚愕の声を漏らす。血液じゃなかった、そんなことはありえないだろう。撃たれたのか、刺されたのか、判断は出来ないが――その穴は衣服を貫通して、彼の身体に達しているようにしか見えない。


「説明とかしてほしい人?」

 少年が悪戯めいた笑みを浮かべて、ヤスハルに尋ねた。

「してくれるんですか?その……」

 言葉にできなかった言外の続きを察して、少年がからからと笑った。


「大丈夫、大丈夫。冥土の土産に教えてやろう、ってわけでもなければ、俺の存在を知ってしまった以上、お前も裏社会に関わる関係者だ。とか、そーいうのないから」

 少年はそう言った後に「でも、人に聞かれるのはイヤだから悪いけどここで頼むわ。俺、まだお腹に穴開いちゃってるし、そっちも濡れてっから別にいいでしょ?」と続けた。

 ごくり。降り注ぐ雨音すらも掻き消せぬ程に、ヤスハルには自分の唾を飲む音が大きく聞こえた。


「……の前に、名前なんてぇの?俺はカイコって言うんだけど」

 カイコ――解雇、回顧、懐古、頭の中で様々な漢字に変換する。

 人の名前に使うには奇妙な字の並びで、ヤスハルには正解がわからなかった。


「……右舷です、右舷ヤスハル」

「ヤスハルね、名前の由来はなんかある?」


――ホントはヤスハルさんと結婚出来たのよ、私。

――ヤスハルさんと結婚さえしておけば、出来損ないの息子を抱えることもなかったんだから。


 ヤスハルの脳裏に過ぎるのは、誰かと通話する母の姿だ。

 小学校の授業で自身の名前の由来を聞いた時は適当な理由であしらわれたが、結局のところはヤスハルという男に対する未練を自分の名前に刻み込んだのに過ぎないのだろう。


「……母さんが本当に結婚したかった人の名前」

 地面に吐き捨てるように言った。

 不思議と言ってしまったのは、もしかしたら吐き出す機会のなかった呪いを――誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。


「泣ける由来だな」

 カイコは変に同情するでもなく、かといって茶化すわけでもなく、フラットに応じていた。

「でも俺の名前の由来も泣けるぜ?」

「どんな理由なんですか?」

カイコって虫知ってるか?」

「なんか、糸を出すヤツですよね」

「そうそう、蚕は牛さんや豚さんみたいに家畜化された虫なんだけど……牛さん、豚さん、それに飼いワンちゃんや、飼い猫ちゃんと違って……蚕は野生環境で暮らしていけないんだ、人間様に飼われている間だけ生きてられる」

 そしてカイコは自嘲するように「この俺カイコも御主人様に飼われている間だけ生きてられるってわけだ」と言葉を結んだ。


「それはなんていうか……」

 なんと返事を返すべきか、ヤスハルは少し悩んだ。

 そもそも「はい」「いいえ」で終わる以外の会話がずいぶんと久しぶりで、相槌をなんとか打てていたのも奇跡みたいなものだ。


「その名前……人間にポチとかタマとかつけるよりも酷いかもしれないですね」

「……キヒヒッ、そう、ポチとかタマよりも酷い」

 そう言って、カイコは心底愉快そうに笑った。

 

「さっき打ってもらった注射さ、アレを定期的に打ってないと俺死ぬわけ」

「死……」

 それって何かの病気ですか。咄嗟に続けようとした言葉をヤスハルは噛み潰す。


「ドラッグストアに売ってなければ、普通のお医者さんに処方箋出してもらえるワケでもない、ま、処方箋出してもらったところで薬局にも置いてないんだけどさ」

「もしかして、その注射を手に入れられるのって……」

「そ、俺の飼い主だけ。ポチやタマより酷いカイコちゃんってワケだな、俺は」


――ヤスハルくんさ、学校休んだら俺ら三人でちゃんとお見舞い行くからさ。

――あと俺らのこと誰かにチクったら、慰謝料は香典で払ってもらおうと思うんだ……あっ、ヤスハルくんって葬式来てくれる友だちいないか。


 カイコの話を聞いて、不意にカゲユキ達からの脅しの言葉が脳裏をよぎった。

 どこまで本気なのかわからない、けれど――その言葉はどうしようもなくヤスハルを縛っていた。

 カイコも縛られているのだろうか。

 けれど、自分と違ってヘラヘラと笑って受け流しているのだろうか。


「で本題なんだけど、俺実は……殺し屋なんだよね」

 殺し屋。

 フィクションの中にしか出てこない単語に対する驚きは少なかった。

 カイコは鞄の中に銃とナイフを隠し持っていた。

 軍人は街中で武器を持ち歩かないだろうし、警察官はナイフまで持ち歩かないだろう。それに鞄に隠したりもしないはずだ。


「……持ってましたもんね、武器」

「で、さっきさ。ちょっと組を全滅させてきたわけ」

 カイコの表す組という言葉は、学校のクラスを表すものではなく暴力団であることは間違いないだろう。

 というよりも全滅という言葉に引っ掛けるなら、クラスのほうがよほど怖い。


「けど、可哀想なカイコちゃんはそのお仕事の途中に、ヤクザにお腹撃ち抜かれちゃったんだなぁ」

「撃たれたんですか」

「いつもなら軽く回避出来るんだけどね」

「……でも」

 ヤスハルも頭ではわかっているのだ。

 カイコの腹部には穴が空いていた、撃たれていなければおかしい。

 けれど、撃たれているのならば死んでいなければ――死んでいないにしても、今このように平然と会話が出来ていられるはずがない。

 

「死なないんだよ俺」

「えっ」

「あの注射を定期的に打ってないと死ぬけどさ……それ以外では絶対に死なない」

 そう言って、カイコはニヤリと笑うと自身のバッグからナイフを拾い、自身の胸に突き刺した。

 その動きをヤスハルは目で追うことが出来なかった。


「あ、ごめんゆっくりやらないとダメだよな」

 そう言って、カイコがナイフを引き抜く。

 そして勢いよく吹き出す血を気にすることもなく、もう一度その刃を自身に向けようとしているのを見て、ようやくヤスハルは反応することが出来た。


「な、何やってるんですか!!」

「実際に見た方がわかりやすいだろ?」

 そう言ってカイコが片目を瞑る。

 老若男女を魅了できるであろう彼のウインクであったが、残念なことにインパクトにおいては胸に空いた穴に完全に負けていた。


「ま、撃たれたら痛いし、関節破壊されたら動かせないし、頭だけになったら流石になんにも出来なくなるけど……ま、大体の傷はそのうち治るし、くっつくから不死身だよ俺は」

「不死身……」

 信じがたいが、目の前で証明されてしまった以上は信じる他にない。

 だが、その言葉を聞いてヤスハルに疑問が浮かんだ。


「ナイフで心臓刺されても元気で動けるんですよね、今も話してますし」

「めっちゃくちゃ痛っったい……!けど、空元気で頑張ってるよ」

「じゃあ……なんで、自分で注射を打たなかったんですか?」

 不死身と言うならば、腹部を銃で撃たれてもなんともないはずだ。

 ならば自分に任せなくても、カイコ自身が注射すればいい。

 そうヤスハルは考えていた。


「……近くのミニシアターで戦争と平和がやってるって知ってる?」

「戦争と平和……?」

「上映時間二〇八分の名作映画。超大作だよな、だいたい三時間半もやるんだぜ?」

「それがなにか?」

「注射を打ってから俺が元気に動ける時間はそんぐらい。あとは三十分ぐらいかけてゆっくりと体が動かなくなっていくワケ」

「時間がギリギリで自分で注射を打つことすら出来なかったんですか?」

「ま、普通に注射打ってりゃそんなコトにはならないんだけどさぁ……試しちゃうわけよ」

「試すって……」

「注射なしで四時間以上生きてられないかなぁ、その時間がどんどんと伸びてって、いつか注射なしでも動けるようにならないかなぁ、そんな期待を込めて……ま、ギリギリまで粘っちゃうんだ、俺さ」


 自嘲の笑みと共に「ま、いつもダメなんだけどさ」とカイコは言葉を結んだ。

 雨に濡れた笑顔は美術品のように美しく、そして雪のように儚かった。

 何もしなければ四時間で消えてしまう笑顔だ。


「で、さぁ、お礼がしたいんだけど」

 思い出したようにカイコが言った。

「お礼ですか?」

 予期せぬ言葉だった。

 確かにヤスハルはカイコの命を救ったが――ヤスハルは誰かにそんな言葉を言ってもらえるなど夢にも思っていなかった。


「あ、誰か殺して~って言うのは流石に無理。俺も職業倫理があるから」

「……そうですか」

 落胆は隠しきれていなかった。

 もしもカイコが誰かを殺してくれると言ったのなら、ヤスハルは間違いなくあの三人の死を願っただろう。

 あるいは母の死だろうか、母を殺し、その財布を奪い――どこか知らない街に行くのだ。この窮屈な街以外ならばどこでもいい。

 けれど、カイコがやってくれないと言うのならば。


「人の殺し方を教えてください」

 弱く、細く、しかしはっきりとした声だった。

 自分の中から出たものとは思えないものだった。


「人の殺し方?ナイフで刺しゃいいじゃん」

「……だったら、ナイフで人を殺せるように訓練をつけて欲しいんです」

 

 ヤスハルは人より頭が良いわけでもない。

 恵まれれた運動神経があるわけでもなければ、体格が良いわけでもない。

 金もなく、センスもなく、人に誇れるようなものは何一つ無い。

 友だちもいない、家族仲も悪い。

 唯一、自分がはっきりと持っていると言えるものは怒りだけだ。

 ならばせめて――怒りをぶつけるための手段は欲しい。


「そんぐらいならいいよ」

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