§ Step off and up the Stage/美代の芸能
「葉那姉様がご結婚……夭輔様と」
美代はよよよ、と畳の上で泣き崩れて和服の袖を噛んだ。因みに他に誰もいない。演技めいた大袈裟な仕草から彼女はすっくと立ち上がる。
同校は名家の子息子女が通うことで有名だが、その中でも日下と霧崎の名は歴史的にも格段に由緒正しく、その容姿や学業成績も相まって学内で知らぬ者はいなかった。何より、二人が反目し合っていることでゴシップの種に事欠かなかった。
授業では机に突っ伏して居眠りし群れることを厭うように無愛想で気怠げな雰囲気を
本人達の預かり知らぬところで派閥さえあり、そして好奇な注目を浴びていた。
「大体貴方は、」と顔を合わせれば葉那の小言が飛び、「うるせぇよ」と彼女を呼び捨てることができるのも先輩は況や教師を含め学院内で霧崎夭輔だけだった。
いがみ合うそのくせ、一クラスしかない特別クラスで苗字順の席の近さ、友人同士の繋がりで行事のグループは行動を共にし、おまけに元は許嫁同士だったとかいう噂もまことしやかに囁かれていた。
間の持たない間柄でも天気の次に二人の話題を出せば学院内で会話に困ることは先ず無かった程だ。
そして周囲の期待はよそに二人は「くっつかない」まま最終回(卒業)を迎え、そんな
月日は流れて七年、淡い恋としては過ぎ去り、忘れ去ったと言うには疼く心。
まさかまさかまたお目に掛かれる日が来るなんて。しかも遠縁ながら縁戚関係に……?
学年違いもあって遥か遠くからグラウンドを眺めることぐらいしかできなかった美代にとって、ファンとしての悲しみより胸の高鳴りが勝った。
そして当たりは付けていた。
近々催される葉那の父親の政治資金パーティ……そこに『婚約者』を伴って出席するのでは?
これまで葉那は律儀に出席し自身の求心力もあって父を
美代は早速、ドレス探しにヘアカット、エステの予約と奔走を始めた。
満を持して迎えた当日、都内のホテル会場は混みに混み合っていた。普段は三女だからという理由で断りを付けていた美代ですら急いで出席の申し込みをした程だから、同じような魂胆で押し掛けた輩も多いのだろう。日下と霧崎の結び付きに権勢的関心を寄せるオジサマ層から、同じくありし日のゴシップに華を咲かせた同年代層まで。身内にしか未だ伝わっていない筈だというのに、やはりやけに若者が多く見知った顔をちらほら見る。
そうして一目瞭然に葉那を見付けることができたが、それは何重にも人の囲みがなされていた為だった。記者会見の中心にでもいるようで、親族の名を振り
仕方なくその分閑散とした立食形式のテーブルでグラスを持つが、一向に人の散る気配はない。ぶすくれながら、しかし美代は気づいた。
(夭輔様は……?)
会場内に来ている筈だ。あの人のことだから、注目を嫌って一人抜け出し煙草でも吸っているか居眠りしている(美代のイメージ)のでは……?
かくして地下駐車場から屋上庭園、カフェへと美代の一大捜索は始まった。
だが一向に見つからない。ハイヒールの足を引き摺りながら、とぼとぼと会場フロアへと戻ってきた。もうお開きの時間も近い。最後に身だしなみを整えて、もう一度戻ってみよう。
化粧室の扉を開けた時、
「あああ、あぁ……!」
「あら、」
化粧スペースから出てポーチを片手にした葉那に遭遇した。
「美代じゃない。久しぶりね」
「あの、あのあの……葉那お姉様、私のこと覚えて……!? えっと、ずっとお会いしたかったんですがその、中々……こ、この度は」
テンパる美代をよそに葉那はにこりと微笑む。
「先に失礼するところだけど、貴女もなら一緒に出ない? 送るわ」
「は、はい」
二、三歩下がってその後ろをついていく。
(うわあぁぁ、相変わらずお美しい……)
陶磁のようにつるりとしたお肌、一本一本御神体にしたくなるような艶やかな黒髪、凛として動かない背筋にくっきりと型紙でも入れたように引き上がったお尻……
(パ、パンティーラインが見えませんが……?)
「どうしたの? ちょっと休んでいきましょうか」
「すすすすみません! 違うんです。お隣なんておこがましく」
美代はそれでも舐め回すように見ていない無実を主張すべく足を早める。
(うぅ……隣を歩くのは見せしめの刑に等しい……)
化粧や写真写りでどうにかできるレベルを超えている。素体から違うこの美のオーラは女優のそれだ。嫉妬が混じるのは、それが日々の手入れや長年の完璧な自己管理なしでは成し得ないからだ。演芸の家系に生まれ芸能での立身を目指している美代にはそれが分かる。立ち居振る舞い、演じ作る
二十四時間舞台に立ち続けられますか?
いいえ無理です。一舞台立つだけでも幕が降りた途端ぐっしょりと汗が噴き出るというのに。
人を魅了する呼吸や発声、姿勢や所作を無意識下になるまで……
がくりと膝を付きたい心地だった。
と、言うわけで自分がどうこうなんてまるで思っていないのだが
「夭輔様はいらっしゃってないのですか?」
「ええ」
出口も近づくので単刀直入に聞くとさらりと返される。
しょぼんと沈み込む。多分これ以上立ち入って聞けるような人はいないだろう。
節制のせの字も無くくるくると表情の変わる美代を見て取り葉那はふっと表情を和らげる。
「こういった会の期待には応えないことにしたの。私も――“お父様のお手伝い”は今回を最後にすると思うわ」
「どうしてですか……?」まるで芸能界の引退宣言を聞いたような心地になって美代は寂しさを募らせる。これからは遠くからでさえ滅多に目に掛かれることは無くなるだろう。
「つまらないじゃない?」
「え……――」
まるでその口から出たと思えない言葉に耳を疑う。『完璧』な葉那姉様にそんな台詞は存在しない。人生で一度も
だけどその表情は晴れやかで、可憐で、これまでで一番美しかった。恋に落ちてしまいそうになる程。
扉の先に、光が見えた。
「葉那、」
西日の眩さに目を細め、迎えに来たのだろう呼びかけた男性の影を確認すると美代はついにくらりとよろけた。
腰が支えられる。
「誰だ?」
「あわわわわわ……」
「私達の後輩、で親戚の美代」
(あ、煙草の匂いしない……)
美代が最後に思念できたのはそれで、顔面を見上げ、青い瞳に捉えられた瞬間に意識が落ちた。
「え⁉︎」かくりと力の抜けた美代を支え夭輔はそのまま流れるように脈を取り瞳孔を覗く。
「乱れはないが心拍がいやに早いな……病院に連れて行こう」
「聞こえたら反応してくれ、みよ?」
ツ、と流れ出た鼻血をハンカチで抑え、夭輔は顔を険しくした。
「葉那、連絡を」
「多分だけど、貴方がそうしていると悪化するわ……」
一向に冷静な表情ながら、葉那は携帯電話を取り出した。
美代は後にサスペンスドラマでの助演女優賞を獲得することになるが、“演ずることは自身の追体験であり、思い涙を流すように、募れば気絶もまた意のままなのです”と語っている。男性ものと思しき藍色のハンカチを撮影時に忍ばせていることで話題になったが、熱愛の影を探る張り込みは全て徒労に終わっていると言う。
§ Step off and up the Stage /了
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貴方を代わりに、してあげる――お嬢様の事情。【本編完結】 る。 @RU-K
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