終末百物語

あまくに みか

終末百物語

 そうして人類は永遠の眠りについた。たった一つのAIロボットを残して……。



***


「だめだめ! 全然面白くないよ。何? AIロボットって。残ってどうすんの? 宇宙人と交信するわけ?」

「だめか」

「そーだよぅ。ロボットの充電どうすんの?」



 双方からダメ出しを食らって、俺はうなだれた。


 地球滅亡にAIロボットは必須だろう? しかも、儚げな美少女ロボットなんだ。ウケないわけがない。何故わからないんだ、このロマンが。


 そう心の中で悪態をついてみたが、目の前のロウソクを吹き消した時には、どうだってよくなっていた。


「次~、林田サンの番だよぅ~」

「おお、俺の番か。早いな」


 林田が居住まいを正して、うーんと腕組みしながら考え始めた。その横で、マナカがスマホをいじっている。圏外なのに、一体何を見ているのだろうか。



 林田とマナカと出会ったのは、昨日のことだ。



 俺はスーパーマーケットで働くいわゆる社畜で、偶然、女子高生が万引きをするところを見てしまった。それが、マナカだった。俺の会社では、従業員は万引き犯を捕まえてはいけない。警備に連絡しなければならない。それがルールだ。


 けど、その日の俺は、妙にイライラしていた。


 だから、社会をなめきっているような態度の女子高生を懲らしめてやろうと思った。



 俺が追いかけても、焦った様子を全く見せないマナカは、どういうわけか出口を目指さず、階段をのぼっていった。鬼ごっこをするように、軽快に、リズミカルに、マナカは階段をのぼっていく。



 しめた、と俺は思った。


 屋上へ出ようという魂胆だろうが、生憎屋上への扉は鍵が閉まっている。逃げ場を失った万引き犯を確保するのは、容易だ。そのはずだった。鍵がかかっているはずの屋上の扉は、簡単に開かれた。



「ギェェ!」



 女子とは思えない声がして、視界からマナカが消えた。否、屋上にいた不審者にマナカがつまずいて転んだのだ。ギェェっという、鳥が潰れたような声の主は、屋上で寝転んでいた不審者、林田であった。



「お前ら──」

 何やってんだ、と怒鳴ったはずだった。



 いや、正しくはその言葉は俺の口から飛び出して、確かに空気を震わせて音となって発せられていた。それなのに、二人の耳だけでなく俺の耳にも声は届かなかった。




 大地が、呻き声をあげたのだ。



 まるで大きな怪物が、地の中から這い出してきたような気味の悪い声。地球上の全てを呪っているような恐ろしい声。耳をふさぎたくなるような耳障りの悪い声。不気味で得体の知れない呻き声が、世界を覆い尽くした。




 次いで突風が巻き上がった。下から刺すように突き上げた風は、俺の体でさえ少し浮かせるほどであった。両足を踏ん張って立っても、体のバランスがとれない。更に、激しい揺れが俺たちを襲った。




「地震だ!」




 マナカを抱えた林田が、叫んだ。地面や建物が、飴細工みたいにゆらゆら波を打っている。踏ん張るのを諦め、俺は林田がしているように、体を低くして、地面にしがみつくようにした。指先が震えている。心臓の音は強く、体から出てしまうのではないかと思われた。



 俺は目を閉じた。サイレンが鳴っている。煙の匂いがする。嗅いだことのない、吐き気をもよおす匂いが鼻腔をさす。



「見て! 何あれ!」



 マナカの悲鳴が聞こえて、俺は顔を上げた。


 いつの間にか空は、どす黒い色になっていた。腫れ上がった黒い雲の底から、無数の光が飛び出した。俺にはそれが、真っ赤な血に染まった手に見えた。地球上に住む者たちを捕らえようと、手を伸ばしている。



 ああ。

 死ぬんだ。

 こうやって、簡単に。人も世界も、何の前触れもなく終わりをむかえる。




「逃げろ!」



 林田が俺とマナカの手をとって走った。



 逃げるったって、どこに? 俺はぼんやり思ったけれど、足が動いたのはそれでもまだ、生きたいと本能的に思ったらからだろう。




 かろうじて建物内に滑り込んだ俺たちは、その場に伏せた。伏せることしか出来なかった。何が起きたかはわからない。ただ、ドゴンドゴンと世界を破壊し尽くしていく音が響いていた。頭を抱えて、ただ必死に、早く終わらせてくれと願った。





 次に顔を上げた時、世界は一変していた。




 よろよろと這い出して、俺は屋上へ出た。空は鈍色で、重たく渦を巻いている。かろうじて生き残ったこのスーパーマーケットの建物以外、何もかもが灰になっていた。とても生物が生きているとは思えない、世界に変わり果てていた。



「俺たち、生きてるのか?」


 林田のしわがれた声が背後からした。


「地震ー? それとも、隕石ー?」


 間の抜けた声が後に続く。


「お嬢さん、おそらく地球はオシマイを迎えようとしているようです」


「ええー? それって死ぬってことぉ? やだぁ」



 地球が滅亡しようとしていて、かつ自分の命も終わりを迎えようとしているかもしれないのに、背後の二人は危機感を感じさせない口調でおしゃべりを続けている。



「ねえ、オジサン。なんで、マナカたちだけ生き残ってるの? なんで、マナカたち呼吸できてるの? 酸素あるの?」



「それはー……お嬢さん。奇跡だよ、奇跡」

「ええー? オジサン二人と生き残る奇跡なんて、やだぁ。イケメンがよかったぁ!」



 俺だって、不審者と万引き犯と生き残るなんてごめんだ、と言ってやりたかったけれど、俺の口から出てきた言葉は「ははは」というかわいた笑い声だった。



「お兄さん、笑ってる場合じゃないよぅ」


 マナカが笑った。その横で林田が、ぎこちなく笑顔を作ろうとしていた。


「笑うしかない状況って、こういうことかもな」



 俺はその場にしゃがみこんだ。どこを見上げても灰色の世界。


 目の前には、不審者と万引き犯。


 それに、社畜の俺。頼りになりそうなやつはいない。世界のどこかを探せば、俺たちみたいに取り残されたやつがいるのかもしれないが、それを探す気力はなかった。



 このまま死を待つしかない状況を悲観したり、絶望したりする気力すら、どこにもなかった。ただ無駄に感情を動かしたくない、そんな気分だった。



「これから、どうする?」


 俺はとりあえず、二人に尋ねた。俺は、このままここに座っていてもいいと思えた。


「どう、ってどうしようもなくなーい?」 


 マナカが俺の横にあぐらをかいた。パンツ見えるぞ、と言ってやりたかったけれど、まあどうでもいいかと思った。




「百物語でもしようか」




 どっこいしょ、と口に出しながら林田が言った。



「ナニソレー?」

「百物語知らない? 怪談を百話語るの」


 知らなーい、とマナカはスマホを取り出して、検索しようとした。


「ウケる。圏外だしぃ」


 なにもウケない。どう考えても、圏外だろ。ため息をついて俺は空を仰いだ。


「店員さん、ロウソク探してきてよ。三本でいいからさ」


「店員じゃない、山田だ」


 俺は立ち上がって、店内にロウソクを探しに戻った。百物語がしたかったわけじゃない。けれど、何か役割を与えられた瞬間、少しだけ、まだ生きていることを実感できたのだ。




「それで百物語って、何語ればいいのー?」



 屋上でうつ伏せで寝っ転がりながらマナカが尋ねた。俺たち三人の前には、仏壇用の細いロウソクが一人一本用意されていた。



「お題は『そうして人類は永遠の眠りについた』で、ジャンルはホラーでもファンタジーでもなんでも可。ただし、お題の一文を物語にいれなくてはならない」



「そうして人類は永遠の眠りについたって……」

「そうだよぅ。シャレにならないぞ、オジサン」


 俺は呆れて、マナカは言葉の割には面白がっているようだった。



「臨場感あるお題の方が、物語が作りやすいだろう?」

「臨場感ってか、現実なんですけど」

「まあまあ、山田君! とりあえず始めてみようじゃないか」


 俺の背中を叩いて林田は、ご機嫌だ。「じゃあ、俺から」と言って林田は話し始めた。




***




「そうして人類は永遠の眠りにつきましたとさ、おしまい」



 林田が話し終えてロウソクを吹き消した。俺は思わず拍手をしてしまった。


 話していた時間は五分にも満たなかったと思う。けれども、林田の物語は短いながら、先の展開がどうなるのか気になり、いつの間にか真剣に耳を傾けていた。



「あんた、すげぇな。今考えたんだろ? それなのに、すぐ物語が思いつくってすごいな」



 本心から俺は感心して、林田を褒めた。林田は得意気に「へへん」と胸を張った。



「まあね、俺はさ、とある大手出版社の編集やってるからね」



 へー、と俺は適当に答えて、これは嘘だなと思った。


 大手出版社の編集者は昼間からスーパーの屋上で寝そべっていたりしない。少しだけ林田のことを尊敬した俺の気持ちを返して欲しい。



「でもさー、異世界転生の話って、正直もうお腹いっぱいだよ。最後主人公が復讐して終わるのは確かにスカっとしたけどさぁ。なんかぁ、ありきたりっていうか。転生したら、何かいいことあるの?」



 マナカに言われて、林田は見るからに萎れていった。先ほどまでの「へへん」とした自信はどこへいったのか。




「お前、異世界もの読んだことあるのか?」

「ないけど」

「読んでから批評しろ。面白いぞ。夢がある」

「そーなん?」

「ああ。特に俺みたいな社畜には共感しかない」

「ふーん」



 マナカは興味なさそうに、再びスマホをいじり始めた。



「山田君はいいねえ。物語書くの、むいてるんじゃない? 弟子にしてあげるよ」

「いえ、結構です」



 冗談だろうと思っていたが、林田は勝手に俺を弟子にしたようだった。林田の物語の後、マナカ、俺の順番でそれぞれが即興で作った物語を話したが、俺の物語が終わると林田は決まって酷評をいれた。



「主人公の存在が薄いんだよなぁ。それじゃあ読者は共感出来ない」



 俺は適当に林田をあしらいながら、百物語を続けて時間を潰した。マナカも同じようで、支離滅裂な話を作っては唐突に物語を終わらせたり、世間話をしたりした。



 物語の出来栄えは正直どうでもよかった。


 林田も真剣に物語を考えているのかと思えば、そうではないようだった。俺たちはきっと、世界が息をひき取る瞬間を、いつくるか、まだこないか、と伺いながら生きている。恐怖を表に出してしまうことが、恐ろしかった。だから百物語をすることで、心の安定をかろうじて保っているにすぎないのだ。




 俺の腕時計が、朝六時をさしたころだった。思い出したように、大地が大きく揺れた。マナカが大きな悲鳴をあげた。灰が巻き上がり、俺たちの顔や体を真っ黒にした。




「最悪だよぅ。お風呂に入りたい! お布団に入りたい! もうやだー!」



 再び世界が静まり返った時、突然マナカが声をあげて泣き出した。それが合図だった、俺は体の奥底から湧き上がってくる恐怖を抑えることが出来なかった。



「死にたくない……死にたくない」


 頭を抱えて、目を固くつむった。

 怖い。恐ろしい。どうしてこんな目に。

 死にたくない。死ぬのは、怖い。

 いや、いっそ死んでしまったほうがいいのではないか。そうすれば、これ以上恐怖することはない。


 そうだ、どうせ死ぬのならば、今死のう──。





「俺、実は、編集者じゃないんです!」




 林田が突然立ち上がって言った。


「は?」

 俺はぽかんとした。

「知ってる」

 マナカが口をへの字に曲げて言った。



「え? なんでわかったの?」


 灰で真っ黒になった顔に、驚いた目と口が浮き彫りになって、どこかの国の民族仮面みたいだった。


 その顔を見たら、さっきまで死のうと思っていたことが、嘘みたいに馬鹿馬鹿しくなってしまった。



「だって林田サンの話し、あんま面白くないもん」


 よろよろと座り込んだ林田は、尻のポケットからカップ酒を取り出した。



「最近のギャルは生意気だな。呑まないとやってらんないよ」


 口調とは裏腹に、林田は穏やかな表情だった。



「俺はさ、本当は小説家になりたかったんだ。自分には才能がある。書いて、書きまくればいつかきっと、夢は叶う! ……そう信じてたんだ」


 一口、酒を呑むと「くぅー、しみるな」と林田は声をあげた。



「それでさ、気づいたら四十ちかくになっていた。妻子も出ていっちまって、それ以来会ったこともねぇ。その後も意地で小説を書き続けたさ。才能がない、俺には何もない。そう俺の人生に烙印を押されるのが怖かったのさ。けどよ、もう五十をすぎたんだ。俺は、負け犬だったんだ……」



 林田は自分の右手を見つめた。灰だらけの、皺が増えた右手を。



 もしかして、と俺は無駄な詮索をした。


 

 俺に投げかけた物語への数々の酷評は、今まで林田が挑戦した数だけ得た、彼の評価だったのかもしれない。



「死のうと思ったんだよ、昨日。この屋上から飛び降りてさ。それなのに、死ねなかった。死ぬ勇気がなかった。死を目の前にしても、俺の頭の中ではセリフが綴られていくんだ。まだ、まだ、書けるってよぉ」



 酒を持ったまま、林田は手で顔を覆った。俺は林田から目を逸らした。大人が泣いているを、見てはいけないような気がしたのだ。



「今となっては、どうでもよくなっちまったけどな。どうせ死ぬんだ。あー……妻と息子に会いてぇよ! なんで、会いに行かなかったんだ、俺は」



 林田が大きな音で、鼻をすすった。


「ねえ、それ飲ませて」


 マナカが林田の持つカップ酒を手に取った。


「こら、酒だぞ。未成年はダメだ」

 俺が言うと、

「いいじゃん、少しだけ。もう法律も関係ないっしょ」

 と言ってマナカは一口飲んだ。



「うわッ! 苦っ!」

 顔をしかめて、マナカはカップ酒を林田に押し付けた。



「これが美味しいのー? わかんないなぁ」

「わかんないだろう? 酒はさ、大人の味なんだ。苦くて、ふわふわして、現実と夢の間にひとときだけいられる味さ。だから、大人はよく酒を呑むのさ」



 ふーん、とマナカは言ってから小さな声で「ごめんね」と言った。



「林田サンの話し、面白くないって言って」

「いいんだよ。俺は十分に今、楽しんでいるから」

「ねえ、百物語しよ」

 マナカが言った。

「マナカが話してもいい?」



***



 愛佳あいかは、いじめっ子でした。



 けれども愛佳自身は自分が、誰かをいじめているだなんて、これっぽっちも考えたことありませんでした。



 だから、先生に呼び出された時も、何のことだかさっぱりわかりませんでした。



 先生はムズカシイ顔をして、礼奈ちゃんが、学校に来れなくなったと言ったのです。




 愛佳は「どうして来れなくなったの?」と聞きました。

 先生は「どうしてわからないの?」と言いました。




 先生が言うことには、全部愛佳のせいだと言うのです。



 クラスのみんなが、礼奈ちゃんを無視するよう仕向けているのも、愛佳のせい。

 クラスの女の子が集まったLINEグループで、礼奈ちゃんの悪口を言い合っているのも、愛佳のせい。

 礼奈ちゃんが学校の制服を見ただけで、具合が悪くなって吐いてしまうのも、愛佳のせい。



 そう、全部愛佳のせいだと言うのです。




 愛佳は、激怒しました。



 大人で正しい人間であるはずの先生に対して、愛佳と一緒になって『お話し』していた友達に対して。それから、礼奈ちゃんに対しても。




 その日から愛佳は、罪人になったのです。




 先生もクラスのみんなも、パパもママも、愛佳を罪人として扱います。ネット上には、愛佳の悪口や愛佳の住所が沢山ばら撒かれました。



 けれども、それは仕方がないことなのです。



 愛佳は罪人だから。罪人は、どんな罰を、いつまでも、永遠に受け続けなければいけないのです。




 愛佳は、世界を呪いました。



 理不尽なこの世の中がなくなってしまえばいいと、神様に祈りました。




 神様だけは、愛佳の願いを聞いてくれました。

 真っ黒な雲が世界を覆い尽くし、厄災がおとずれたのです。



 そうして人類は永遠の眠りにつきました。

 善人も罪人も関係なく、平等に。




***




 ふっと、ロウソクが消えた。黒く焼けこげた芯から細長い白い煙が、灰色の空へとのぼっていく。



「それって……」

 俺は言いかけたまま、なんと言葉を繋げていいか迷っていた。


「マナカ自身の話だよ~」


 困ったように笑ったマナカの横顔は、孤独や後悔、悲しさがあった。



 俺は思い返していた。マナカが商品を盗んだ時、大人を挑発するように逃げたこと。わざと捕まろうとしていたこと。



「世界が、終わってしまえばいいって、ずっと思ってたんだな」


「うん……。でも、本当にこうなるとは思ってなかったよねー」


「つらかったな」


 マナカの一瞬驚いた顔が、みるみるうちに歪んでいく。



「マナカはさ、死んだら地獄へ行くんだ。そう決めてるの。転生なんかしない。やり直しなんかしない。地獄へ行くんだから」



 林田が戸惑いながら、マナカの背中にそっと手をのせた。何も言わず、マナカが泣き止むのを俺たちは待った。



 マナカのスマホが一瞬光った。皆の視線がスマホへ向く。黒い画面に電池のマークが表示され、そしてブラックアウトした。



「あ~あ、充電切れちゃった」



 鼻をすすって、マナカはスマホを大事そうに抱えた。



「お前、圏外なのにずっとスマホいじってたよな」



 俺が言うと、マナカはへへっと笑った。灰まみれの顔に涙が通ったところだけ、綺麗になっていた。



「礼奈にLINEしてたんだ」



 俺と林田は顔を見合わせた。礼奈はマナカがいじめていた相手ではなかったか。



「マナカは地獄へ行く。死ぬのは、ちょっとだけ怖い。けどね、死ぬんだって思った時、一つだけ後悔してることあるんだ。礼奈にね、謝りたいって」



 もう何も写し出さなくなったスマホを見つめながら、マナカは言う。



「自分勝手だってわかってるよ。礼奈が、もうマナカの顔を見たくないことも、マナカからの謝罪を受け取りたくないことも知ってるよ。それだけ、マナカはひどいことしちゃったんだもの。でもね、生きてるうちに、ちゃんと、心から、ごめんねって伝えたかったんだ。もう、それも出来ないけど。今更だけど。礼奈に、伝えたかったの」




 馬鹿だよね、とマナカは再び困ったように笑った。



「馬鹿じゃないよ、マナカちゃん」


 林田が言った。その声は、自分の子どもに言い聞かせるような、やさしい声だった。


「あなたは、馬鹿じゃない」


「うん、ありがと」


 林田がマナカの頭をぽんと一回なでた。

「セクハラなんだけどー」

 いつもの調子に戻ったマナカが笑って、俺たちも笑った。




 その時だった。飛行機が落ちてくるような、轟音が空気を震わせた。全員が空を仰いだ。



 渦を巻いた黒い雲の中から、あの血に染まった手のような光が飛び出してきた。地球に残った者たちの命を次こそは確実に奪うために。



「あれが落ちてきたら、俺たちも終わりだな」

「そうだねぇー」

 あっ、と声をあげたのは林田だ。


「次、山田君の番だよ。百物語」

「え、こんな時もやるの?」

「そうだよ。本当に最後の最後なんだから。短めに、締めてよね」


 俺は考えた。人生の最後に何を語ろうか。


「じゃあ、俺の物語を」



***



 俺の人生は「ない」ものを数えるばかりの人生だったと思う。



 俺の人生が平凡のは、才能がないから。

 毎日に彩りがないのは、彼女がいないせい。

 仕事が忙しいのは、人員がいないせい。

 働いても金がなくなるのは、税金のせい。

 やりたいことがないのは、時代のせい。

 やる気がでないのは、今じゃないから。




 そうやって、ないものを数えて「ああ、だから普通の毎日なんだな。仕方がない」って安心して、全部自分の周りのせいにしていたような気がする。



 だからよく上司に「お前は社会をなめている」って怒られていたのかも。



 人生の半分以上をかけて、夢を追いかけたこともない。

 人生の中で、ボロボロに悩んだり、もがいたりしたこともない。



 もう少し、何かに夢中になったり、努力してみたり、人生をがむしゃらに歩いてみればよかったな。

 そんな風に思うのも、きっと人生がもうすぐ終わろうとしているからだ。そうじゃないと、そんなこと思わない。




 死ぬ間際に何を話せばいいんだろう。



 形の残らない、刹那的な遺書だ。誰に託すでもない、俺の物語の最後。

 


 ああ、もうすぐ本当に、人生が終わりそうだ。

 この物語も終わらせなきゃいけない。



 そうして人類は永遠の眠りに──。




***




「なあ、林田さん」

「何?」

「最後くらい百物語のお題を変えてもいいだろ?」



 世界が破壊されていく音がする。

 いよいよ、終わりのようだ。



「こんな暗い結末が人類の最期じゃ、後味悪すぎだろ?」



 林田とマナカが笑ってうなずいた。



 人生の最終日に気がついたんだ、俺には、俺たちには「ない」ものばかりじゃなかったって。



 両親がいて、俺がいて、家族がいて、友達がいて。


 それなりに金もあって、つらいことも、くじけてしまった日もあった。


 楽しいこともあったし、明日を待ち遠しく思う日もあった。


 生きてることに意味なんて見つけられない日々だったけれど、というか生きてる意味を探しながら生きてるやつなんてほとんどいないだろうけれど。





「生きるって、悪くなかった」




 自然と俺たちは、手を繋いでいた。

 体が大きく揺れて、閃光が走った。

 自殺しようとしてた不審者と、世の中を呪っていた万引き犯、それに平凡すぎる社畜の俺。




「俺たちが世界の最後に、少しだけ生き残ったのって、何か意味があったのかもしれない」



 きっと、あったのだろう。


 だから、俺は心から、こう物語を締めたいと思う。


 人類が永遠に眠りにつく今日という日。





「今日という日をふくめて、素晴らしい日々だった!」

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