この作者さんの作品は、私の無意識の死角から飛んできてクリーンヒットします。思っても見なかった展開と構想で、いつの間にか読み終えてしまい、感動して身体が熱くなります。
遺書(?)
返信
ふたつのエピソードを使って、巧みに読者の心を揺さぶってきます。前半『遺書(?)』の迫真の表現は鬼気迫るものがあり、文章の持つリアリティに圧されてしまいます。
後半『返信』では、その前半の感情を受け止め、共感し、少しの希望を抱くシーンなのですが、タグ通りとても切ないと思いました。
その『遺書(?)』が誰かに届いたかどうかも、『返信』が書かれたことも、
『遺書(?)』を書いた人物には知る術が無いのです。
この読後感は、この作者さん特有の持ち味なのだと思います。
オススメですよ。
物語は『私』の遺書(らしきもの)によって進行していきます。
遺書(らしきもの)ですから、希死念慮が綴られているわけです。
私はよく「死にたい」と言われるのでわかるのですが、「死にたい」という言葉は鋭利な刃です。口に出したら周りの人を傷付けて回る。
しかし作中にはそんな刃はありませんでした。
なぜか。
それは、社会や身近な人に対する憎悪や嫌悪が撒き散らされたのではなく、諦観が静かに佇んでいたからなのだと思います。
この遺書(らしきもの)が、最後まで遺書と断言できないのは、そのあと『私』がどうなったかわからないからです。真相は告げられないのですが、そういうモヤモヤが心の中にあるうちは、世界のつらさを乗り越えていけそうな気がします。
人間なんていつ死ぬかわからないし、その原因が寿命や病気や事故や自殺なのか予知することもできない。でもついには死んでしまったときに、誰かが『認めてくれる』。そんな自分に成れたのだと言うことが、生きざまとして重要なのだと感じました。
この遺書は、明日頑張るために、今読むことをお薦めします。