大賢者アンブロシウスの華麗なる追放

佐々木速贄

大賢者アンブロシウスの華麗なる追放

 1


「アンブロシウスさん。

 落ち着いたら、ちょっと……聞いてもらいたい話があるんですけど」

「えっ。

 お、おう……」


 ダンジョンアタックの帰り、リーダーにこんなことを言われた。

――今話せばいいじゃん。

 そんな言葉を咄嗟に飲み込んだ。

 そういう気安いことを言い出せない、不穏な空気があったからだ。


「うん。もちろん」


 だから、うなずくほかにはなかった。



 2


 打ち上げはいつも通りだった。

 食った。飲んだ。楽しい。

 楽しい!

 いつも通りじゃん。良かった良かった。

 オッケー。

 明日からも頑張ろう!


「俺、パーティの再編を考えてるんです」

「はい……」


 まなじりを決した青年リーダーが、そう切り出す。


 宿屋の二階。

 おれはリーダーの部屋に呼び出されていた。

 決意を秘めた青年。

 両隣を固めるように、屈強な男と、可憐な少女。

 それぞれパーティの盾役と支援役だ。


「あ~……はいはい。はいはいはい。それね」


 これ知ってる。聞いたことあるわ。

 パーティ追放されるやつ。

 この空気それだわ。


「今後のダンジョンアタックの枠を考えると、どうしてもアンブロシウスさんの一枠が、その……」


 妥当。

 おれが知ってるやつと違うのはその判断妥当だねってことだわ。

 おれが知ってるやつだと、追放される側の価値に追放する側が気づいてなくて追々後悔するパターンなんだけど、そういうんじゃない。


 おれは――

 アンブロシウス・アークライトは、弱い。


 いや弱くはない。弱くはないと信じてるけど、もう付いていけない。

 昨日までのダンジョンアタックでわかった。おれの実力じゃあ、もう、付いていけない。

 二年前にパーティを組んだときは違った。

 近接格闘。攻撃魔法。支援に回復。冒険者の基礎、ダンジョンの知識。

 すべておれが一番だった。

 おれはパーティになくてはならない存在だった。

 正直気持ちよかった。

 違和感を覚えたのはちょうど一年前くらいだ。

 パーティが成長して、ダンジョンの中層に挑戦し始めたころ。

 俺の剣が通らない。魔法が効かない。支援が行き届かない。

 中層の難易度はわかってた。だからこの苦しい状況もわかってたことだった。

 でも、周りは状況が違った。

 剣を取れば一撃で敵を真っ二つにし、受ける攻撃には微動だにしない。

 接敵の瞬間に唱えた支援魔法が、戦闘の最後までずっと続いている。

 おれの周りにいるのはそんな連中だった。


『みんなは一芸を磨くタイプだから』


 内心でそんな言い訳をつぶやいていた。

 おれが万能の戦士から器用貧乏になり、とうとうお荷物になるまでそう時間はかからなかった。


「そうか……」


 そしていよいよ、今日の日を迎えた。

 ダンジョンアタックは、いろんな事情でひとつのパーティに編成できる人数に制限がある。

 もはやダンジョンの最下層に挑むとなった今、なんでもできるが何もできないおれで貴重な一枠を埋めてしまうのは愚かな選択だ。

 わかる。

 わかるよ。

 身の丈に合わない挑戦で、おれだけが命を落とすならまだいい。

 しかしこいつらは優しい。

 いよいよとなったとき、きっとおれを庇うだろう。無力なおれのために、おれより優れたこいつらの誰かが命を落とすだろう。

 それは、愚かな選択だ。

 おれは努めて笑った。


「賢い選択だと思う」


 実力だけじゃないしな。

 おれ、酒飲みだし、博打するし、女買うし。なんなら借金もするし。いやちゃんと返すけど。

 本当に。

 冒険者なんて大概ごろつきだから別に珍しいこっちゃないけど、このパーティ、クリーンだからな。

 この素行の悪さ、目立つもんなあ。

 でも飲む打つ買うはやめられないよね!

 そのために生きてるみたいなとこあるからね!


「そんな顔すんなって」


 三人とも、今にも泣き出しそうな顔をしている。


「次の人は決まってるのか?」

「いえ。最下層に挑むとなると、なかなか……」

「だよね。育成含めて考えないといけないかもね」


 新メンバー探しが、最後の仕事になりそうだ。



 3


「アークライトさん、またキックしたんですか?」

「おれはしてないでしょ……」

「じゃあされたんですか」

「いやそうだけど。

 あの……キックとか言うなや!

 円満離脱だから。わかる?

 なあおい。

 受付嬢の職権乱用で変な評価つけるなよ」

「わかりましたよ」

「戦力外通告を食らうのは慣れたけど、ここで揉めてる感じ出すと次に行きづらくなるからな。

 へへへ……」

「もうソロでやったらどうですか?

 また低レベルのパーティでやり直すの、大変でしょう?」

「いやソロだとそもそも狩場が限られるじゃん。

 低レベルだろうがパーティ組んでたほうが断然お得でしょ」

「収入が気になるなら組合の相談役やればいいじゃないですか。他にも色々声かけられてるんじゃないですか?」

「定職つけってこと?

 無理。毎朝同じ時間に起きて同じ場所に通うとか頭おかしくなっちゃう。

 いいから認定パーティのリスト見せてよ」

「いいですけど……。でもいま、ド新人のパーティなんてありませんよ」

「もはやおれが入り込める隙はないか……」

「受付一緒にやります?」

「だからやらねーよ! また別の街に行くかなあ」

「え~」

「どうせまたすぐ今と同じ状況になって帰ってくるからな」

「それ自分で言ってて空しくならないんですか?」

「もうその域は過ぎた。

 この街が寄生虫アンブロシウス・アークライトを忘れた頃にまたやって来るぜ」

「さすがに卑下しすぎじゃないですか?」 



 4


「ウィザード・ザ・キッキング、お会いできて光栄です」

「いや悪口えっぐ、受付が客に言うことか?

 ちくちく言葉やめな?

 その名前を広めたであろうタワケはいないの?」

「はい。北に。例の悪竜退治の作戦に運営側で参加するって」

「マジで!?

 やば、超出世してるじゃん。やっばあ。

 ていうか悪竜って超ヤバなんでしょ?」

「超ヤバらしいです。

 あっちこっちの不活性ダンジョンがどんどん蘇ってるって」

「こわすぎ。でも居場所つかめたんでしょ?」

「ええ。北の果ての、もうとっくに廃棄された鉄鉱山が迷宮化してたって」

「よくわかったなそれ。

 周りに人住んでないんでしょ?」

「ええ。

 あのレオンハルトさんっていう降霊術師が」

「さすがすぎる」

「超一級の火力って聞いてましたけど、索敵もできるんですね」

「いやレオン……レオンハルトさんだけね。降霊術は可能性に満ちた魔法だけど、そんな芸当普通できないから」

「ところでウィザード、あなた宛てに書状が届いてますけど」

「え、やば。おれなんか滞納してたっけ。返し忘れてる借金あった?

 いま手持ち少ないんだけど」

「組合で立て替えしますよ」

「ヤだよ! 

 なんか変な役職つけさせる気だろうが!」

「――督促状ではござらぬ」

「え、なに? 誰ですか……?」

「あ、その人、この書状持ってきてくれた人です」

「いやいるなら直接渡せや」

「渡しておくから帰っていいって言ったんですけど、動かなくて」

「アンブロシウス・アークライト殿。そちら、組合の大陸連合からの召集令状にござる」

「ハァ? いや大陸連合って何……?

 ちょっと待って、読む、読む……。

 ええと――――――――なるほどね。

 まさに悪竜退治のためのね。タイムリーだね。

 でも人違い……スね」

「人違いではござらぬ」

「いや人違いだって……なんか、なんか違うと思います。おれじゃないっす」

「連合は貴殿の助力を必要としてござる」

「話聞いてる?」

「必要としてござる」

「ござらねえよ。いや、マジで何かの間違いだと思う。戦力になんねえよ。おにぎり作ってくれとかならわかるけど」

「助力を、必要としてござる」

「いや無理!

 マジでなんか食い違ってるって!

 もっかい話聞いてきたほうがいいって!」

「来てくださるまで、テコでもここを動かぬ」

「ハァ? マジで言ってる?」

「いいじゃないですか。行ってあげれば」

「クソ他人事やんけ」

「彼も仕事で来てるんでしょうから、手ぶらで帰ったら怒られちゃいますよ」

「それは……いや良心を突くなよ。なんだおまえ」

「行って、ウィザードご本人が誤解を解くのが結果的には一番手っ取り早いのでは?」

「正論やめな?」

「まあ悪竜騒ぎの影響で、北方のほうが仕事はあると思いますよ」

「ロジハラすんなって。……旅費出んの?」

「もちろんでござる」

「じゃあもうしゃ~ねえなあ~。行くかあ」



 5


 安全性が担保されているとされてきた、不活性ダンジョン。その同時多発的活性化。

 この危機的状況に、各国の有力者たちは、軍、騎士団、冒険者と、あらゆる手段を用いて対処に当たり、原因究明に急いだ。

 そうして判明したのは、極北に恐るべき怪物が誕生し、その負の力がダンジョンを蘇らせているということだった。


 ブランケンハイムの悪竜。


 その怪物は、棄てられた大地の名前を取り、そう名付けられた。

 悪竜討滅。

 もはやこれ無くして、人類に未来なし。

 極北の迷宮を突破すべく、世界各国から一流の冒険者たちが召集され、前線基地が作られた。

 冒険者というのは理由がある。

 もし魔物の大群というなら、これは軍隊を指揮して一掃すればよろしい。

 しかしダンジョンの最深部に潜り込むのに、人海戦術は使えない。また地上の常識も通用しない。

 熟練の騎士や軍人がダンジョンに挑戦し、地上との勝手の違いに痛い目を見たという話は枚挙に暇がない。


 続々と冒険者が集まる、前線基地。

 多大な資金と人員が投入されており、突貫工事にしては立派な砦である。

 そう、砦である。

 悪竜のダンジョンがスタンピードを引き起こし、地上にモンスターが溢れ出たそのときは、人類にとって重要な防衛線になる。

 その前線基地の大ホールに、召集された冒険者たちが集まっていた。

 これからこの一大討伐作戦についての説明が行われるということだったが、実際のところは冒険者同士の顔合わせという側面が大きいのだろう。 


「レオン、緊張してるか?」


 ざわめく大ホールの隅。

 壁にもたれながらじっと瞑目していた降霊術師レオンハルトは、その声に目を開いた。

 傍らには、パーティのリーダー、ライオネルが微笑んでいる。


「していないと言えば、嘘になる」

「珍しいね」

「自分が……今、あの人の代わりにここに立っていると思うとな」


 八年前。

 南方からの移民だったレオンハルトは、冒険者として一人で活動をしていた。

 腕には自信があった。才覚があると踏んでいた。

 けれど、この国の言葉はうまく使えないし、読み書きも不十分だ。

 難民扱いの自分はそれで散々な目に合ってきたし、これ以上誰かに裏切られるなら、一人で戦い続けるほうがましかもしれないと思っていた。

 しかし自分は魔法使いだ。一人でやっていくには限界がある。ダンジョンアタックはいつも綱渡りで、非効率。稼ぎも少ない。

 こんな生活、いつまでも続けられるわけがない。

 そんな自分にある日、声を掛ける男が現れた。

 自分が抜けるパーティに代わりに入る、優秀な魔法使いを探しているという。

 また詐欺の類だと思った。

 今思えば、自分がどれだけ酷い態度を取ったか。思い返すたびに頭を抱えてしまう。

 それでも男の話を聞く気になったのは、男が南方の言葉を巧みに操るためだった。

 自分が母国語での会話にどれほど飢えていたのか、レオンハルトは思い知った。


『南部の人間はことごとく犯罪者だという。それでもいいのか?』

『君は犯罪者なのか?』

『いや……違う』

『じゃあいいじゃん』


 アンブロシウス・アークライト。

 何度この男の勧誘を受けただろう?

 気づけば、レオンハルトはこのアンブロシウスと二人でダンジョンに攻め入るようになっていた。

 アタックしたのはダンジョンの上層だ。

 二人で進めば、いとも容易く攻略できた。

 そうして二人で過ごすうちに、レオンハルトは様々な学びを得た。

 この国の言葉。文化。

 南部にはなかった魔法や、ダンジョンアタックに便利な道具の数々。

 知識の源泉。

 卓抜した戦闘術。

 鷹揚な人格。

 レオンハルトがアンブロシウスを師と呼ぶまで、そう時間はかからなかった。


『先生、何をしてらっしゃるんですか?』

『先生呼びやめろ。

 いやハンパに残ったポーションにダンジョンで見つけたよくわかんない溶剤混ぜ込んでカサ増ししてんのよ。運が良ければ効く』

『そうなのですね』

『おう。

 これを秘薬アンブロシアと名付ける。

 自分で試すのは怖いので色街のチンピラに飲ませて薬効を確認するのだ』

『なるほど』

『いや突っ込んだら?

 ところでレオン。パーティの話さ、どう?』

『またその話ですか。俺に先生の代わりが務まるとは思えません』

『代わりになれってんじゃない。おまえがあいつらを引き上げるんだ』

『そんなこと……』

『今はおれの背中が遠く見えるだろう。でも、もうおれは限界だ。これ以上先には行けない。

 てことは、おまえは早晩おれに追いついて、そんで追い越す。間違いない』

『信じられません。俺は回復魔法は使えないし、支援も苦手だ。剣だってもちろん振れない』

『そんなもん全部いらねえよ。おまえには降霊術がある』

『それしかないです』

『それだけでいいんだ。降霊術だけでいい。おまえの降霊術は天下一品だ』

『そんなこと、誰にも言われたことがありません』

『おれは知ってんの。おれだけ知ってんのはもったいなくない?

 ていうかおまえが入ってくれないとおれ次行けないしさ……ね? ね?」


 師は言った。

 故にこそ、それがこの天下に一等のまじないであることを広く示さなければならないと。

 その天稟、天与の才は、一個の人間の身を立てるのみに収まっていいものではない。

 もしおまえが自身の富貴のためにだけその才を振るう場合、災いは避けて通れない。

 妬みや嫉みを買い、利用され、失意のうちに人生を終えることになる。

 あるいは自らを守ろうとする余り、その心根は腐り落ち、やはりつまらぬ一生を過ごすだろう。

 仲間を作れ。

 人を愛し、人のために尽くせ。

 レオンハルト。おまえは優しい男だ。ならば、それこそがおまえの望みではないのか。

 おまえはまさしく才気に溢れ、その才は活躍の場を探してやまない。

 だのにどうしておまえ自身が、その翼が羽ばたくことを押しとどめようとしているのか。(意訳)


 あれは天啓だったと、レオンハルトは回顧する。


 レオンハルトはとうとう、アンブロシウスと入れ替わる形でパーティに迎えられた。

 そしてその素晴らしい降霊術がダンジョンの最下層を攻略する鍵となり、天下一の降霊術師としてレオンハルトのその名前が広く知られるまで、そう時間はかからなかった。


 沈思黙考するレオンハルトを横目に、リーダー――ライオネルもまた八年前に思いを馳せた。

 すべてにおいて未熟だった自分たちに、冒険者として生きるためのすべてを教えた師。

 限りない寛容、限りない慈愛。

 今でもあの日の自分の決断が、正しかったのか、そうでなかったのか、悩む日がある。

 アンブロシウスは万能型の戦士だった。

 ゆえに、パーティ内での役割が広く、そして薄くなってしまう。

 咄嗟の判断が命運を分けるダンジョンの最下層では、それが命取りになってしまう。

 あの人はいつか、俺たちのために命を落とすことになるのではないか?

 中層を超えた頃から、薄々気づいていたことだ。

 パーティ内でのアンブロシウスの役割が、あまりに多すぎる。

 特化型の四人でパーティを再編し、役割を各人に集中させるべきではないか?

 恐怖。

 師の元を離れる恐怖。師が命を失う恐怖。

 パーティの残りの二人とは、数え切れぬほど話し合った。

 辛かった。苦しかった。

 そうして決断した。

 その言葉を師に告げるとき、喉が震えた。背筋を氷柱で貫かれているようだった。

 自分たちが何を考えて、どうして今日の日に至ったのか。

 すべて打ち明けたかった。言い訳をすまいという理性が、それを必死に押し留めていた。

 抑え込んだ自分が、心の奥底で叫んでいた。誤った決断だと、叱ってほしいと。


――どうか言ってください。俺が間違っていると。


 しかし、アンブロシウスは言った。


「賢い選択だと思う」


 師はいつも、自分の想像を超えた場所に立って、そうして暖かな手のひらを差し伸べるのだ。



 6


 ホールのざわめきが大きくなる。

 集合した冒険者の一部が、運営側の報告がなかなか始まらないことの不満を叫んでいるのだ。

 ここに集まったのが冒険者たちの上澄みとはいえ、育ちの良い者ばかりではない。

 逆に、ごろつきや物乞い同然のところから成り上がったという者も数多くいる。


「やれやれ。〈ちくちく言葉〉はわざわいを招くというのに」


 レオンハルトの言葉に、そばで野次を飛ばしていた男が反応する。


「あ――?」

「む」

「てめえ、いまなんつった」

「おい、うちの仲間に……」


 すわ乱闘か。

 間に入ろうとするライオネルに、男は「そうじゃねえよ」と手を振る。


「いま〈ちくちく言葉〉っつったか?」

「ああ。たしかに言ったが……」

「ふん。そうかよ。わかったよ。やめる。

 俺が悪かった」


 男が急に引き下がる。


「そうだな。ちくちく言葉やめな――だな」

「む?

 貴公。アンブロシウス・アークライトという方をご存知か?」

「やはりご同門かよ」


  男が笑う。


「いま、アンブロシウス・アークライトとおっしゃいました?」


 すると、今度はそのやり取りを聞いていたそばの女性が声をあげる。


「おうおう。あっちもこっちも。

 まあ当然か。

 一流の冒険者となりゃ、一度はあの人の薫陶を受けているもんだ」


 男の大声に反応したのか、ばらばらだった冒険者たちは打って変わって和気藹々と話をし始めた。

 話題はいずれも、アンブロシウス・アークライトという男についてである。



 7


 師も完璧ではなく、人間臭い一面も多々あった。

 それがむしろ、人を惹きつけてやまない。

 大酒呑みで、女好き。

 そういう流れで、彼が色町に足繁く通っていた話になった。

 女性陣は苦笑していたが、一部の男たちは神妙な顔つきをしている。

 そのうちの一人が、ぽつりと言った。


「あれは……往診だ」

「往診?」

「本人は決して認めなかったがな。裏町の連中……娼婦や親の無い子供たちを無償で治療していた」

「それは……知りませんでした……」

「知ってる。

 あたし、孤児院出で、色町に流れる姉さんたちがたくさんいたから。

 梅毒っていう、鼻が削げ落ちて死ぬこわい病気があるって。罹ったら絶対に治らないって。

 でも先生は、すごく高価な薬をたくさんたくさん使って、姉さんたちを治療したって……」

「あの方、ごくたまに借金をしてらっしゃったけど……」

「そういうことだ」

「えっ、ちょっと待ってくださいよ。梅毒の治療って、王立連合施薬院が発明したっていうあの薬を使うんじゃないの?

 結核や破傷風にも効くっていう」

「察しの悪いやつだ。俺は『名前』を聞いてすぐにピンと来たぞ」

「名前?」

「〈アンブロシア〉」

「嘘……」

「諸々の褒賞は辞退したらしい。代わりに商業的な成功を目指すことは決してやめてくれと。

 そのご意志に心を打たれた施薬院側が、せめてその偉業が後に残るようにと、その名をつけたと」

「金が無くなったから奢られに行くって言ってよ、安酒一杯で何人も何十人も診てやってよ……」

「酒以外は受け取らないと言い張るせいで、湯水のように飲まされていましたね」

「誰がどう見ても、割に合わん仕事だったな」

「含羞の方でした。ご自身の高潔を決してお認めにならない」

「そうそう!」

「そうやって、混ぜ物だらけの、ビタ銭一枚で飲めるような酒で救われた命が山ほどある。

 おれだってそうだ」

「あの人はいつだって僕たちを引き上げキックしてくれた」

最高の魔法使いウィザード・ザ・キッキング、アークライト」


 しんみりとした空気の中で、また誰かがぽつりと言った。


「俺たちはみんなあの人の弟子で――共犯者だ」

「追い出しただなんて、そんな」

「事情はそれぞれだろうよ。強いて追い出したってわけじゃないパーティもあるだろう。

 でもよ、ここにあの人がいない。それは間違いない事実だ。

 俺たちが手に入れた栄光を、あの人が手にしていないってことも」

「たまに……考えることがある。

 僕たちは先生を懐かしむ。偉大な人だった、素晴らしい師だった、って。

 でもあの人は……僕たちをどう思っているだろう?

 憎んでいやしないか。恨んでいやしないか。そうだとしたら、僕は――」


 それは違います、と女の声がした。

 気づけばホールの前方に、前線基地のスタッフたちが集まっていた。

 そのうちの一人の女性が、一歩進み出る。


「私は西都のギルドスタッフです。

 あの人、パーティを抜けるときにいつもギルドに言っていました。

 納得したうえでパーティを出ていくって。パーティには妙な評価を絶対につけないでくれって」


 百人以上が集まっているホールが、水を打ったように静まり返っている。

 すべての冒険者たちが、彼女の言葉に耳を傾けている。


「あの人、何かと理由をつけて組合に顔を出すんです。認定パーティのリストを見せてくれって。

 それで皆さんが無事で、活躍してるのを見て、いっつもニコニコしてました。

 私が指摘したら、落ちぶれてたらおれが入り込む隙があるからって、変な言い訳して。

 あの人、裏切られただなんて絶対に思ってないです。皆さんのこと、ずっと応援していました」


 ライオネルは周囲を見た。

 レオンハルトが、そしてあの人の弟子だった皆が、力強くライオネルにうなずき返す。

 ライオネルは深く呼吸をし、興奮する自分を落ち着かせた。

 そうして三歩進み出て、ここに集まったすべての人に聞こえるように、声を張った。 


「もういいだろう。

 今や大陸全土が悪竜の脅威にさらされている。

 我々は一丸となり、断固たる決意を持って敵に挑まねばならない。

 この場には既に、大陸最高峰の戦士たちが集まっている。

 これ以上はないという面子が揃っている。

 しかし足りない。

 まだ足りない。

 いや、それが無ければ他をどれほど集めても足りるということはない。

 我々には、大賢人アンブロシウス・アークライトが必要です。

 もはやこの未曽有の危機にあって、彼の人の出馬を請わないということがあるだろうか。

 私は彼の参戦をこいねがう。

 異論のある者はいるだろうか?」


 ライオネルはホールを見回す。

 異論はない。

 誰も何も言わなかった。しかし、目を見ればその意味するところがわかった。


「ならば、また彼と轡を並べる日を渇望してやまぬ者はいないだろうか!」


 大歓声。

 大歓声である。

 ライオネルは周囲の皆と肩を叩き合い、拳を突き合わせた。


「天が英雄を英雄たらしめんとする時がついに来たのだ」


 レオンハルトが満足そうに言う。ライオネルも満面の笑みを返した。


――伏竜、アンブロシウス・アークライト。

 北方に向かう馬車に揺られながら、彼は物憂げな表情で流れる景色を見つめていた。


「ねえ、なんかおれ怒られる流れとかじゃない?」

「そんな流れではござらぬ。

 なぜわかってくださらない?」

「怒んないでほしいんだけど……。

 なんか炊事場の手伝いとかするからさ……」

「話聞かないでござるな」


 彼が英雄として迎えられるまで、あと五日。



 8


 アンブロシウス・アークライト。

 中原出身の冒険者。

 医師、発明家、文筆家、篤志家と様々な顔を持っていたが、本人は一冒険者と自称し続けた。

 西都を中心にダンジョンアタックの活動を行う。

 基礎の五元素魔法から降霊術や錬金術までを使いこなす優れた魔法使いだったが、剣術や弓術も使いこなし、武芸全般に通じた。

 また魔力に依存しない外科手術の知識・技術も卓抜していた。

 様々なパーティに参加し、後に英雄と目される後進たちの育成に努める。

 また冒険者として活動する傍ら、医術・魔術の研究に勤しんだ。その発見・発明は多岐に渡り、魔法を発現できない魔力量の者でも使える〈僅魔のランタン〉や、長期に渡って食料を保存できる〈吸湿石〉、現在の生命力・魔力量を可視化できる〈精命の砂時計〉等、現代においては必須とされるものが多数ある。取り分けアンブロシアと呼ばれる彼の名前を冠した抗生物質の発見は、後の様々な抗菌剤が開発される礎となっており、人類史上特筆すべき偉大な発見のひとつと目されている。

 このように生涯を通して多方面に渡って活躍をし続けたが、アンブロシウスは「足るを知る」を信条に、過分な報酬を求めず、財産を築くこともなかった。また名誉欲もなく、各国から様々な地位を提示されたが、そのほとんどを固辞し、組織に帰属することもなかったという――……

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