第14話:推しキャラと笹塚

 霜田しもだから電話がかかってきた夜、俺はルリと共に銭湯・万石まんごくに行っていた。


「またドライヤー忘れたのか?」


「えへへ、忘れちゃいました」


 帰り道、なぜかはにかむルリに、また、パーカーを貸してやる。


「まあいいけど、明日は忘れるなよ?」


「お約束は出来かねますね」


「なんでだよ」


「なんでもですっ!」


 なぜか上機嫌なルリちゃんはすんすん、とパーカーの袖口を自分の鼻のあたりに持っていく。え、わざとなの……?


「ていうか、あの日具合悪くなったの、ただの風邪とか言わないよな?」


「……え、そうだったらどうしましょう?」


 それは本当にまずい、という顔で固まるルリ。


「ドライヤーを持ってきてちゃんと髪を乾かせば良いんじゃないかな……。うん、明日から俺が持ってくるわ」


 タレントの健康管理はマネージャーの仕事かもしれないし。いや、髪を乾かしなさいっていうのは親の仕事か? ま、親代わりみたいなとこもあるしな。


 と、心の中でぶつぶつ言ってると、


「その手がありましたね……」


 ルリも横でぶつぶつ言ってる。何言ってんだか。





 いや、そんなほんわかな日常の一コマを語っている場合ではない。


 霜田から電話がかかってきたのは、ルリが霜田の番組のアーカイブを見ながら、


「マネージャーさん、見てください! 茜さんがジャグリングしてますよ!」


 と興奮していた時のことだ。


「でも、どうしてジャグリングをしているのでしょうか? 茜さんの隠し芸?」


「いや、無茶振りさせられてるだけだろ……」


 霜田茜の配信番組を見ている限り、昨今の声優の仕事には、こういったアイドル的と言うか芸人的と言うか、とにかくそういったバラエティなものも含まれるみたいだ。


『全然出来ないんだけど! 助けてー!』


 悲痛な(?)嘆きがiPadから聞こえたちょうどその時、


「ん……?」


 そこらへんに置いていた俺のスマホが震える。


 画面には、『着信中 あかね』の文字。(俺が『あかね』と登録してるわけではなく、霜田が自分自身を登録してる名前がそうなっている)


「どなたですか?」


「霜田」


あかねさんっ!?」


 俺は首をかしげつつ、着信ボタンを押す。


「もしもし……?」


『あ、阿久津あくつ……。今、何してる?』


「ちょうど霜田の番組のアーカイブ見てた」


『え? アーカイブ?』


 わたしもいますよー、とルリがこちらに大きく手を振るが、なぜか小声で言うから、向こうには届いてないっぽい。


『そんなの興味あるの?』


「ルリが見たがるから見せてただけ。俺はリアタイで見たから別にもう見る意味ないし」


『リアタイしてくれたんだ……』


「で、どうした? 雑談の電話だったら、ルリに代わろうか?」


『あ、そうじゃなくて……その……用があるのはあんたというか……』


 妙に煮え切らない。


 ていうか。


「……声、震えてるけど、大丈夫か?」


『っ……!』


 言い当てられて目をつぶる霜田の顔が浮かぶ。


 やがて、決心したように息を吸って、


『夜遅くにごめん、阿久津』


 彼女は震える声で言った。


『……お願い、迎えに来て』


「分かった。どこに行けばいい?」


『……え、来てくれるの?』


「当たり前だろ。どこに行けばいい?」


『当たり前って……』


 会話が進まなくて少し苛立つが、深呼吸をして自分の心をなだめる。


 霜田がわざわざそんなことを言うくらいだ、何か問題が発生してるに決まっている。


 時計が示すのは23時。もしかしたらくだんのストーカー絡みかもしれない。なのに、霜田が場所を言ってくれないと、俺は手を差し伸べることすら出来ない。


 まあ、今、現在進行形で追いかけられてるとかそういう状態ではないんだろうから、それは一つ安心材料ではあるが。


 ……もう一度、息を吐いた。


「どこでも行くから、言ってくれ」




 15分後。


「マネージャーさん、急いでくださいっ!」


「ルリ、足速いな……!」


「マネージャーさんが沢山トレーニングさせたんじゃないですかっ!」


 真剣な顔で爆走するルリと、ひいひい言いながらなんとかついていく俺。


 やっと、目的地……笹塚ささづかの駅が見えた。


「……あ」


 少し驚いたような、少しほっとしたような、そんな顔をした霜田に、


「茜さんっ!」

「ふぐっ!?」


 体当たりする勢いで抱きつくルリ。


「間に合ってよかったです……!」


「う、うん……あり、がとう……」


 お腹のあたりにルリが直撃したらしく、顔をしかめながら微笑んで、ルリの頭を撫でる。


 霜田の中にあった恐怖感も玉突き的に出て行ったならいいんだけど。


「……阿久津も、ありがとう」


 俺を見て微笑む霜田。こんな時に人に気を遣ってんじゃねえよ。


「霜田。悪いんだけど、」


『一応これでも女性声優だからね? 家が男性にバレるのはまずいでしょ?』


 俺は、霜田のあの日の言葉を思い出しながらも、伝えた。


「住所だけ教えてもらってもいいか?」


「……うん」




 霜田とルリを一旦俺の家まで送って、俺は一人で霜田の家に向かう。


 霜田から聞いた話はこうだった。


『あたしの家、笹塚なんだけどね』


「近いな」


 笹塚駅は、うちの最寄駅・幡ヶ谷はたがや駅の一つ隣の駅で、駅と駅の間も徒歩10分かそこらしか離れていない。


 どうりで、音無カフェは常連っぽかったし、今朝は電車も動き始めたばかりのころにうちに来ることが出来たのか。


『帰ったら、うちの集合玄関の前で誰かを待ってるような男の人が立ってて……』


「……なるほど」


『もしかしたら、他の人を待ってるかもなんだけど、今朝話したようなこともあって、ちょっと怖くて……』


「分かった、すぐ向かう」


 ルリはお留守番しておいてもらおうと思ったが、俺の表情からただならぬ何かを感じたらしく、俺が電話を切ったころには、玄関でスニーカーを履いて待機していた。




 歩いていると、やがて霜田の家らしきところに着く。


 初めて来るのにそこが霜田の家だろうと確信を持てたのは、


「……粘ってんな」


 霜田の言っていたであろう男がそこに立っていたからだ。


 目をこらして見ると、男の持っているコンビニ袋の中で透けていたのは、エナジードリンク。霜田がいつも好きだと言ってるやつだ。


 ちなみに、俺も、霜田本人から銘柄を教わったわけではない。配信で言ってるのを一方的に聞いただけだ。


 そう思うと、俺と、そこの変質者に本質的な違いなんかあるんだろうか、と思ったりもする。


 とはいえ、看過も出来ないよな。


「はあ……」


 俺はため息混じり、そっとそこを離れて、霜田に電話をかける。





『……もしもし? どうだった……?』


「残念ながら、まだいるな」


『っ……!』


 息を呑み込む音。隣で、『茜さん……!』とルリが気遣う声が聞こえた。


「なあ、霜田」


 俺はどれだけ彼女の個人情報を聞き出すつもりなんだろう。


 でも、半永久的にここからあいつを引き離すには、それしか思いつかないんだから、仕方がない。


「……ポストの開け方、教えてもらってもいいか?」

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