第17話:推しキャラとケーキ

 蕎麦屋の会計を終えて、俺たちはとぼとぼと家路につく。


 一緒に蕎麦をすすっておいてなんだが、一応誰かに見られた時に他人のフリが出来るよう、霜田しもだは俺たちから少し離れて歩いていた。


「あの、マネージャーさん。茜さんがさっきおっしゃっていたのって、つまり、わたしの出ていたゲームの、わたしじゃないキャラクターのオファーがあったということですよね?」


「そういうことだな」


 ルリの質問にうなずく。


 先ほど蕎麦屋で霜田自身が『ルリちゃん。あたし、この世界だと、『アイドル・プロミス』に出てないんだよ?』と言っていた通りだ。


『アイドル・プロミス』に限らずだが、2次元のアイドルコンテンツは、担当声優中の人が実際の舞台で歌って踊ることが求められることが多い。


 中でもアイプロは、2.5次元的なライブを重視しているコンテンツだ。


 参加声優は、3、4ヶ月に一度のライブで、ソロ、即席ユニット、全員でたくさんの曲を覚えて歌って踊る必要がある。


 そこいくところ、霜田しもだあかねは、歌って踊れる声優だ。その上、容姿も抜群に整っている。


 もともと、軽音部的な部活に入るほど音楽は昔から好きだったらしいが、小鳥遊たかなしルリ役を演じるにあたって、ダンスも一生懸命レッスンに通って習得した、といつかの配信で言っていた。


 アイプロ運営からしたら、「なんでこの子、アイプロに参加してないんだっけ?」と思うほど、このコンテンツに適した人材だったということなのだろう。


 本当は2年半前から参加しているんだから、当たり前と言えば当たり前だ。



「じゃあ、やっぱり茜さんの実力が認められてのご指名ってことですね……!」


「そういうことなんだろうな」


 俺には声優のことはよくわからないが、それでも指名というのはやはりすごいことなんだろうと思う。


 だからこそ、霜田は歯がゆい思いをしているんだろうけど……。



「マネージャーさん、マネージャーさん」


 途中、セブンイレブンの前を通ったあたりで、ルリが俺の袖を引っ張る。


「ケーキ、買っていきませんか?」


 ルリが甘いものをねだるなんて珍しいな、と思ったが、ショックな知らせに彼女なりのはけ口が必要なのだろう。


 深くは追及せず、


「もちろん。何がいい?」


 と応じた。






 小さめのホールケーキを買って家に帰ると、103号室うちのドアの前に霜田が立っていた。


「……ちょっと話してもいい?」





 俺は最近ルリのために買った座布団を2枚敷いて、コーヒーを2杯とカフェオレを1杯淹れてテーブルの方へと持っていく。


 ルリが「わたし淹れますよ?」と言ってくれたが、今霜田が話したい相手は俺じゃなくルリだろうから、やんわり断った。


 ……の、だが。


「えっと……二人とも?」


 俺がまずは彼女たち二人分の飲み物を持って行っても、二人は向かい合って黙ったままだった。


 霜田が申し訳なさそうに顔を伏せ、ルリが顔をしかめて首をかしげている。


 なんだこの修羅場みたいな雰囲気……。


 コーヒーとカフェオレをローテーブルに置いて、俺の分の飲み物を取りに戻ろうと再度立ち上がろうとした時。


「あの、マネージャーさん……」


 助けを乞うようなテンションで、俺の腕を掴むと、そのまま少し立ち上がって、俺の耳元に唇を寄せる。


 そして、小声で一言、俺に質問を投げかけた。





「どうして茜さんは、こんなに気まずそうな顔をしてるんですか……?」


「「……え?」」




 いくら小声でも、狭い部屋だ。それにルリの声は誰かさんと同じでよく通る。


 必然的に霜田にもルリの質問は聞こえたようで、俺と霜田が同時に顔をしかめる。


「ルリちゃん、それ、どういうこと……?」


 霜田が動揺したように質問を重ねる。


「え、その、え……?」


 その少しだけ責めるような視線にいすくめられ、ルリは戸惑っていた。


 なんか、すれ違ってないか……?


 なおも分かっていなそうなルリに、霜田が続けた。


「あたし、『アイプロ』で、ルリちゃん以外のキャラクターを演じることになるかもしれないんだよ? そしたら、もしかしたらルリちゃんが向こうの世界に戻れなくなるかもしれない。それに、いや、そんな物理的な話だけじゃなくて、その……」


 そこで霜田は口ごもる。


 たしかに、『物理的じゃない話』は、説明が難しい。なんせ、この状況は特例中の特例だ。


 でも、ルリの中の人である霜田が同じコンテンツの別のキャラを演じると言うのは、なんというか、浮気だったり、裏切りだったり、そういったものに通ずる行動に感じているのだろう。


 どんな決断をしても、俺に霜田を責める気も責める権利も毛頭ないが、その感覚だけは俺にも分かった。


「……とにかく、嫌じゃないの?」


 説明を諦めた霜田は、気持ちだけを尋ねた。


「……なるほど。それで、そういった表情をしてたんですね」


 それでも、それでルリは察したらしい。


 ルリは、すっ……と居住まいを正す。


「……指名でお仕事をもらうのが、茜さんの夢なんですよね?」


「う、うん。そう、だけど……」


「では、」



 正座をして、背筋を伸ばして、霜田の——自分の中の人の目をじっと見つめて、問いかける。





「茜さんのその夢は、わたしを言い訳にして、諦められるくらいのことなんですか?」


「ルリ、ちゃん……!」





 そのしなやかでしたたかな雰囲気に、俺も圧倒されていた。


 部屋中の空気が先ほどまでとはまったく違う色に張り詰める。


「夢というのは、努力すれば誰でも叶えられるなんて、生やさしいものではないはずです。でも、茜さんは、努力して、戦って、……あんなストーカーにも負けずに、やっと、ここまで来たんじゃないんですか?」


 誰にも見せなかった、人知れず流しただろう涙が、霜田の目に溜まっていく。


「その茜さんを見込んで、今、夢が手を差し伸べてくれたんです。もう、それを掴むだけなんですよね? 逆に、これを振り払ってしまったら、茜さんは、悪い意味で仕事を選ぶ人だと思われてしまいます。違いますか?」


「ちがいません……」


 聖母か何かに見えているのだろう。霜田はなぜか敬語で応じる。


「なのに、ここで断ってしまったら、わたしを言い訳にして逃した希望を、いつか後悔することになりませんか? 『あの時ルリちゃんがいなければ違ったかなあ……』なんて思われたら、わたし、悲しいです。それに……」


 そこで、ルリはそっと微笑む。


「それが、どんな状況だとしても、茜さんの夢が叶うのは、わたしにとって嬉しいことに決まってるじゃないですか」


「ルリちゃん……」


「わたしは、いつだって茜さんの味方ですよ」


 ルリの目も少しうるみはじめた。


「茜さんが、これまでずっとわたしの味方でいてくれたように」


 そして、そっと霜田を抱きしめる。


「……本当に、おめでとうございます、茜さん」


「ルリちゃぁん……!」


 泣き崩れる霜田の頭をそっと撫でながら、


「マネージャーさん」


「ん?」


 涙目のくせに、いたずらっ子みたいな笑顔を浮かべ、口パクで俺に伝える。


『ケーキ、持ってきてください』


 ……なんだよ、初めから、祝う気満々だったのか。






 十数分後。


「あれ、なんでこのケーキ塩辛いんだろう……」


 とか言いながらケーキを食べ終わり、霜田は思いついたように言う。


「でもさ。実際、あたしがアイプロの現場に行けば、ルリちゃんのキャラデザとシナリオの人に会えるかもしれないよね」


「たしかに、今よりは可能性もあるかもな」


 そしたら、ルリが向こうの世界に戻るきっかけも掴めるかもしれない。


 俺が普通に甘いケーキを食べながら応じると、


「それなんですが、」


 ルリが小さく挙手をする。


「わたし、その必要はないと思っています」


「その必要はない……?」

「どういうこと?」


 戸惑う俺たちの前で、


「茜さん、マネージャーさん」


 ルリはまた正座になって、まるで結婚の意思を両親に報告するようなトーンで、こう言った。




「……大事なお話があります」


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