第2話:推しキャラと朝食

 朝。


 幸せを具現化したような匂いが鼻腔をくすぐって目が覚めた。見慣れた天井。


 何かを考えるよりも先にスマホに手を伸ばす。


 なぜか充電器に挿さっていないそれをみて、昨夜の自分がいかに疲れていたかをうかがい知る。やっぱり、昨日の俺はどうかしていた。


 日課のログインボーナスをもらうべく、アプリ『アイドル・プロミス』(アイプロ)を開いた。


 ……が、しかし。


「んっ……?」


 まだ寝ぼけているのだろうか。俺は目をしばたたかせる。


 そこにあるべき……いや、いるべき人物がいない。

 画面で俺を迎えてくれるはずの女の子が、別のキャラクターに代わっている。


「なんでだ……?」


 俺が声をあげると、


「あ、マネージャーさん、目が覚めましたか?」


 キッチンの方から画面の中にいるべきだった人物がやってくる。


「た、たかなし、るり……?」


「はい、わたしは小鳥遊たかなしルリですけど……。マネージャーさん、体調は大丈夫ですか?」


「え、あ、ええっと……?」


 動揺する俺を見て、彼女はため息をつく。


「……まだダメそうですね。とりあえず、朝ごはん作りましたので、食べましょう」


「は、はい……」




 数分後。


 俺はローテーブルをさし挟んで最推しキャラと向かい合っていた。


 テーブルの上には、白米、お味噌汁、ベーコンエッグ。

 幸せを具現化したような匂いの正体はこれだったらしい。


「マネージャーさん、わたしはちょっとだけ怒っていますよ」


 二次元的に頬を膨らませる小鳥遊ルリ(仮)は、混乱している頭でみていても、とびっきりに可愛い。

 世界一可愛い存在というのは、考えなくても理解できるのだ。

 まさしく問答無用に可愛い。完璧じゃないか。


「……聞いていますか?」


「あ、うん……」


 世界一可愛いジト目を向けられて、俺はようやく返事をする。


「誕生日を迎えて、ちょっとしたら、突然なぜかマネージャーさんのおうちにいたんです。どういうことか説明して欲しかったのに、マネージャーさんったら、うつろな目をしながらベッドに向かってしまいました」


「ああ、うん……」


 そのことは覚えている。


 昨夜、スマホがまばゆい光に包まれたと思ったら、部屋に小鳥遊ルリが現れた。


 昨日はルリの誕生日を『彼女の誕生日』などと口にしてバイトの残業を回避した俺だが、二次元と三次元の区別くらいはついている。


 小鳥遊ルリが三次元現実に現れるはずないのだから、つまりは、俺が幻覚を見ているということになる。


 俺は、ルリを応援するため、ルリを存続させるために、可能な限りアイプロに課金をするために、バイトを超頑張っているわけだが、そこまで疲れてしまっているのだとしたらさすがに休息が必要だろうと、すぐにベッドに入った次第だ。


「それに、わたしはアイドルの卵ですよ? いくらマネージャーさんのおうちだからと言ったって、外泊はよくないと思うんです。というか、マネージャーさんが止めるべきだと思うんです」


「ああ、うん……」


「それにですね、マネージャーさんがふかふかのベッドに寝てしまったので、わたしは必然的に、床で寝ることになります。女の子を床に寝かせるというのは感心しません」


「それは、本当にそうですね……」


 俺だって、君が実存してると分かっていたらそんなことしないんだけどさ……。


「ごめん、ルリ。俺が悪かった」


 してしまったことはしてしまったことだ。


 まだ夢を見ている可能性は大いにあるが、だとしたなら、夢の中の彼女に詫びを入れるべきだろう、と頭を下げる。


「こほん、……えっと、」


 すると、ルリは咳払いをしてから、


「まあ、マネージャーさんがわたしのことをどれだけ思ってくれるかが分かるお部屋だったので、嬉しかったは嬉しかったですが……」


 ぽっと、頬を赤らめた。


「はっ……!」


 俺が周りを見回すと、当然そこには、無数に貼られたり置かれたりしている小鳥遊ルリグッズの数々。


「あ、こ、これは……」


「とにかく」


 弁解しようと口ごもる俺を、ルリは遮る。



「マネージャーさんの口から、説明していただけますか?」





 俺は、ごまかすことも、でっち上げることもせず、とにかく俺の認識している事実を彼女に伝えた。


「……つまり、わたしはスマホゲームの中のキャラクターで、マネージャーさん……阿久津あくつ祐作ゆうさくさんはただのプレイヤーで、わたしの本当のマネージャーさんではない、とおっしゃっているのですか?」


「ああ、そうだ……」


 呆れと戸惑いを混ぜたように、ルリは眉をひそめる。


「そんなことがあり得ると思いますか……?」


「思わないけど、それが事実だからなあ……。ちょっと待って」


 俺は、スマホを取り出し『小鳥遊ルリ』と検索する。

 ……が、しかし。


「……は?」


 俺は動揺を隠すこともできないまま、スマホをスワイプする。


「どうしましたか?」


 向かい側から俺のスマホを覗き込むルリ。


「え、いくらわたしの知名度がまだまだでも、そんなことあり得ません……」


 二人して、同じことに驚愕する。


 検索結果:0件とまではいかないが、俺たちの期待している『小鳥遊ルリ』の情報は、そこに一つもなかった。


 アイプロのサイトを見たり、ルリのお願いを受けて『音無おとなしプロ』(ゲームに登場する架空の芸能事務所)のサイトを見たり、twitterで調べても、どこの記録にも、誰の記憶にも小鳥遊ルリは存在しない。


「うそです、わたし以外はみんないるのに、わたしだけいないなんて……! じゃあ、本当に、わたしはこの世界にいないってことですか……?」


「……みたいだな」


 なぜかは分からない。




 とにかく、小鳥遊ルリという存在は、アイプロの世界から消失しているらしかった。





 俺たちはとりあえず目の前にある朝食(ルリが作ってくれたものだが、ちゃんと味がするし、お腹にもたまる)を食べてから、外に出てみる。


 ルリは、不安げな目できょろきょろと街を見回しながら歩き、そして、数十分後、家に帰ってくると、諦めたように目を閉じて、大きく息を吐いた。


「マネージャーさんのおっしゃることが正しいみたいです……」


「そうだったか?」


「はい、わたしのいた世界とは、すっごく似ていますが、細かいところが違います。まるで、別の世界線にきてしまったみたいです……」


「どんなところが違う?」


「おさつの肖像画に描かれた偉人とか、お茶とかジュースの名前とか、道路標識とか、地名とか……。このハタガヤという街は、わたしの世界では『旗を振る』の『旗』に『たに』と書いて『旗谷はたがや』と読みます。それに、スマホの後ろのマークも……」


 言いながら、ルリは俺に自分のスマホを見せてくれる。


 欠けたリンゴのマークが書かれているはずのそこには、欠けたのマークが描いてあった。


 まるでパロディのジョークグッズみたいだ、と思うものの、ルリからしたら、こちらの世界が全部冗談みたいに見えているんだろう。

 冗談じゃない、とは、思ってるだろうけど。


「アンテナのマークはついているのに、ずっと圏外ですし……。困りました……」


「そうだなあ……」


 俺は嘆息を漏らす。物憂げな小鳥遊ルリもめちゃくちゃ可愛いが、今はそれどころじゃない。めちゃくちゃ可愛いが。


「どうしましょう、マネージャーさん……?」


「今日は、とりあえず、」


 言いかけた時に、俺のスマホが震える。


甘利果穂『おーい、サボりー? あと一回欠席で単位落とすって言ってなかったー?』


「やば!」


 時間を見ると、10時40分。1時限目が始まっている時間だ。


「すまん、ルリ! 大学に行かなきゃ!」


「ちょ、ちょっと、マネージャーさん!」


 ルリは俺の袖を掴んで、上目遣いで俺を見る。


「わたしを、ひとりにしないで欲しいです……!」

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