02話 ー火花散る二人ー

 リング中央には白い法衣の頭髪の無い男。

 赤コーナー、青コーナーにはそれぞれグローブを装着したオグマとキッドが立っていた。

 オグマにはジャンとスネイル、キッドにはマロンとバーツがそれぞれコーナーに選手の介添え人――セコンドとして付き添っていた。


「なんだよ、キッドのやつ肩にネズミなんか乗せてやがる」


「お似合いじゃんか。ともにドブにまみれて生きてる同士」


 ジャンとスネイルは、キッドの肩に乗っているネズミを見て、小ばかにする。


「言ってやるなよ、あれでも一生懸命生きてるんだ。剣も魔法も使えない。ただ己の拳だけしか頼りにできず、わずかな希望にしがみつく」


 そんな二人をいさめるのは、笑うオグマ。


「だが、それも今日で終わりだ。やつの最後の希望、はかない夢もここで終わるのさ。……やつに明日は来ない」


 白い法衣の試合の裁定者、レフェリーに招かれ、オグマはリング中央に向かう。

 キッドも肩のネズミをバーツにあずけ、リング中央で二人は向かい合った。

 オグマとキッドは、ややオグマの方が視線が高い。


「いいか、お互い正々堂々とルールにのっとりファイトしなさい。頭突き、裏拳、魔法を使用しての加撃は反則だ。あくまで拳のみで戦うんだぞ」


 試合の注意点を告げるレフェリーを横目にオグマはじっとキッドの顔をみつめ、キッドはオグマと視線を合わせず、足元を見ていた。


「おい、びびってるのか。俺の目を見ろよ」


 キッドは視線を上げない。


「おい、キッド」


「おい、やめないか」


 レフェリーの注意も無視し、オグマはキッドの胸元をトンと叩く。

 キッドは一歩後ずさり、視線を上げてニヤリと笑った。


「聞こえてるよ、オグマさん、びびってるのはあんただろ」


 キッドの小ばかにした口ぶりにオグマの表情がひきつる。


「やめんか、二人とも! コーナーに下がれ」


 レフェリーは頭髪の無い頭部に怒りを露わにし、二人をコーナーに押し下げた。

 リングの周りには来賓用のテントも設置されており、そこには試合を観戦している街の貴族達、そしてフィスト・ナックルの姿もあった。


「ドブ川のキッドと我が街のプリンス・オグマ。なんでこの組み合わせになったんですかね、ゴンゾー会長」


 貴族の一人がちょびひげの男、ゴンゾーに語り掛ける。


「いえね、なんでもオグマくんにあのキッドってのが挑戦状をたたきつけたって。オグマもどうしてもやらせてくれって言うもんだから。バーツさんの頼みでもありましたし」


 ゴンゾーはちょび髭を指で伸ばしながら答えた。


「オグマくん、剣も魔法も優秀で城下からお誘いが来てる少年じゃないですか。なんでわざわざ拳で殴り合うボクシングなんか」


 さらに別の貴族がゴンゾーを責めるように問いかける。

 フィストの従者の一人が、疑問を口にした貴族の首元にロッドを突きつけた。


「招いておいて、貶めるとはいい度胸をしているな」


「やめないか、その方の言う事は事実。ここは剣と魔法が支配する世界。この世界では拳で闘う拳闘はあくまで興行としての見世物にすぎない」


 仮面の奥から響く、低い唸るような声音。

 言葉の内容ではなく、仮面の奥に広がる闇とその重苦しい響きに貴族達は恐れおののいた。


「ですが、この試合は決して皆様をがっかりはさせないと思います。ボクシングとは我らの世界では有史以前より行われてきた競技。剣や魔法の扱える皆さんから見れば、たった二本の腕を使った野蛮な殴り合いかもしれませんが、この試合ではきっと皆さんの想像を上回るもの、拳闘の神髄、その一端を必ずご覧いただけるでしょう」


 淡々と言葉を告げるフィストに、来賓の貴族達は恐縮するしかなかった。

 フィストは青コーナーで試合開始を待つ、キッド達に視線を向ける。

 フィストはバーツの肩に乗っているネズミが、自分をまっすぐ見つめている事に気づく。

 互いに視線を交差させる、フィストとネズミ。

 その刹那は一瞬なのか、永遠なのか。

 やがてネズミは試合開始を待つキッドに視線を向けた。

 ネズミに向かって頷くキッド。

 フィストはただその光景を仮面の奥から眼差しを向けていた。


 レフェリーがリング中央に立ち、赤と青、それぞれの選手を手で改めて制す。

 オグマとキッド、二人のセコンドはそれぞれに口中保護具、マウスピースを装着させ、リング下に降り立つ。


「オグマさん、ちゃちゃってやっちゃってください!」


「キッド、慌ててはいけません。この三か月間の練習を忘れないで」


 リング下の時間計測者、タイムキーパーが開始のゴングを告げるべく、木槌を構える。

 レフェリーはそれぞれに制している両手を交差させ、試合開始を告げた。


「ボックス!」


 試合開始のゴングとともにオグマは猛然とキッドに襲い掛かった。

 青コーナーから微動だにしないキッドめがけ、オグマは両腕を振り回す。

 手ごたえはない。そして、キッドの姿もオグマの眼前から消えていた。


 どこに消えた!?


 オグマは慌てて左右を見回す。


「オグマ、後ろだ!」


 オグマはスネイルの声に振り返る。

 両腕を下ろしたままのキッドがリングの中央を背にして悠然と立っていた。

 キッドは驚いているオグマを見てニヤニヤと笑い、来いよ。と手招きをした。


「てめえ!」


 オグマは再びキッドに襲い掛かる。

 振り回す拳は全て空を切り、キッドに当たらない。

 両腕を下ろしたままのキッドに、全てのオグマの拳がすり抜けていく。

 会場の観客達がリングの二人にヤジを飛ばす。


 遊んでないで真面目にやれ。ドブネズミなんかとっとと始末しろ。


 最初はキッドへの罵倒やオグマへの激が飛んでいたが、やがて一分も経つとそのヤジはやみ、会場は沈黙に包まれていた。

 肩で大きく息をするオグマと、悠然と両腕を下ろしたままのキッド。

 タン、タンとステップを刻み、キッドは身体を揺らしていた。


「もう終わりかい、オグマさんよ」


 怒りの表情を浮かべるオグマ。両腕を構え、再びキッドに襲い掛かる。

 だがそれは、それまでの光景が再現されるだけ。

 そして、勢いの落ちたオグマと悠々と涼しい顔のキッド。


「ああああああ!」


 オグマは両腕を広げて、キッドにつかみかかる。

 だがそれすらもキッドは悠然とかわし、オグマの背後に立つ。

 オグマは振り返りざまに右拳に大気を収束させ、天に向かって振り上げる。

 するとキッドに足元から竜巻が巻き起こる。風魔法である。

 竜巻に巻き込まれたキッドは両腕を上げて身を固め、そこにオグマは右こぶしを力いっぱい打ち放った。

 ロープまでふっとぶキッド。


「レフェリー、今のは風魔法ですよ!」


 リング下からバーツが抗議の声を上げる。


「おい、魔法は反則だぞ!」


 レフェリーが間に割って入り、二人を制した。


「わりい、わりい。ちょろちょろネズミみたいに逃げるからつい、な」


 オグマを両手を上げておどける。


「俺はかまわねえよ、レフェリー。どうせ正々堂々やっても俺に勝てねえってわかったのさ。好きにやらせてやれよ、あんな涼しいだけのそよ風で何ができるってんだ」


 煽るキッドにオグマの顔色が変わる。

 オグマはレフェリーをおしのけキッドにつかみかかり、キッドもそれに応えた。

 リングのマットに転がり、もみあう二人。


「ちょっと待て、ケンカじゃないんだ。ちゃんとルールにのっとってやれ!」


 レフェリーが両手を二人にかざすと、二人の身体が光の網で拘束され、二人の身体は引きはがされる。

 レフェリーはタイムキーパーに手首を×字で交差させる合図を出すと、タイムキーパーはカンカンカンと鐘を三回打ち鳴らす。

 ラウンド没収である。この場合は本来の終了時間まで、両選手はリング上で拘束されたまま立ち往生となる。当然ラウンド内容も無効となる。

 会場の観衆は失笑と呆れ。


「あ~あ」


「これはひどい」


 マロンとバーツは頭を抱えるしかなかった。

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