06話 ー勝利の後にー

 試合が終わった会場は静寂に包まれていた。

 青コーナーでマロンがキッドの手首の腕輪を外すと、拳を包んでいた青いグローブが魔力の淡い光とともに消えていく。


「ざまあみろ」


 キッドは赤コーナーで座ってうなだれているオグマを見て言い放った。


「さ、挨拶に行ってきなさい」


「いやだね」


 バーツの指示をキッドは拒否した。


「キッド!」


 マロンの抗議にもキッドは腕を組んで無言の拒否。

 キュー。とネズミの鳴き声。

 見るとコーナーの上で、ネズミが立ち上がって、キッドに何かを訴えるかのように視線を向けていた。


「……なんだよ、俺は勝ったんだ。なんで負けた奴に頭を下げなきゃならねえんだよ」


 ネズミはキッドを見たまま微動だにしない。


「キッドくん」


「あんたは黙ってろよ!」


 キッドは怒鳴ってバーツの口出しを制す。


「俺はなぁ、あいつらにいつもいつもいじめられていたんだ! 毎日、毎日。事あるごとにちょっかい出されてな! ねぐらを壊されたことだって一度や二度じゃない! なのになんでだよ! あんただってわかるだろ、こんな世界に連れてこられて、そんな姿になってるんだから!」


 叫ぶキッドの声は会場中に響き渡る。


「やることなすことバカにされ、泥をかけられて殴って蹴られて! 俺だって好きであんな橋の下で生きてるわけじゃない! 盗みだってそうだ! 助けてくれって言っても誰も助けてなんかくれなかったじゃねえか、誰が助けてくれた! だったら自分で盗んで、奪って、泥まみれになって生きていくしかねえだろう!」


 キッドの絶叫。目には涙があふれている。


「この試合だってそうだ! 先に仕掛けてきたのはむこうだ! 魔法だけじゃねえ。あんたはわかってたよな。あいつらが何をしようとしてたのか! 俺だって向こうが正々堂々来るならちゃんとやったさ! けど実際はどうだった!?」


 キッドは右手でネズミをその手に掴む。


「あんたは甘いんだよ! いくらちゃんとやったって俺みたいなドブネズミをちゃんと扱ってくれるほど、この世界はよくできちゃいねえんだ!」


 ネズミを掴む、キッドの肩は震えていた。


「誰も……俺を助けてなんか、くれねえんだ……」


 キッドはうなだれる。

 ネズミはキュ。と一声鳴いた。

 キッドが顔を上げると、ネズミは変わらない眼差しをキッドに向けていた。


 それでも行け。筋を通してこい。


 ネズミの眼差しはそう言っていた。

 キッドは掴んだネズミをバーツに押し付け、うつむいたまま赤コーナーへと向かった。

 相手の顔は見ない。見たくもない。

 キッドがオグマ達の前に立つと、オグマ達はキッドに背を向けて、リングを降り始めた。

 オグマ達はキッドには目もくれない。視界に入れることすらしてくれない。


「……ありがとう、ございました」


 キッドは小さくつぶやき、降りてゆくオグマ達の背中に頭を下げた。

 帰って来たものは沈黙。キッドには予想通りだった。

 キッドが顔を上げると、振り向いたスネイルが口から何かを飛ばしてきた。

 左頬に走る鋭い痛み。

 指をあてると赤い血がついていた。

 水魔法。おそらく水を口に含んだまま、鋭利な針のようにして撃ち放ったのだろう。

 がつん、と右頭部に重い痛みが走る。

 マットの上にちょうど子供の拳ほどの大きさの石が転がった。

 その先のリングの下を見ると、自分をにらみつけている子供の視線と目があった。

 その子供は親に引っ張られて、会場を後にしてゆく。

 石を投げたことではない。自分と視線を合わせたことが許されないのだ。

 広がる失望の空気と会場から去り行く人々。

 キッドにはわかっていた。誰も自分には興味などないのだと。この試合だって、観客が望んでいたのは街の貴族の代表たるオグマに自分が無様にやられること。


 へへっとキッドは笑みを浮かべる。

 気分は最高だ。普段から俺をバカにしている連中がこうして期待を裏切られ、去ってゆく。

 ざまあみろ。思い知ったか。俺だって一生懸命生きているんだ。

 何もかもこの世界がてめえらの思い通りになってたまるか。

 叫びだしたい衝動を噛みしめて、うつむいたままキッドは青コーナーへと向かう。

 試合は終わった。もうマロンとバーツの二人もとっくに控えのテントに引き上げて帰り支度をしているだろう。

 そして、俺はまた明日から橋の下のドブネズミとして毎日、独りで泥まみれになって生きていくんだ。


 キュー。


 リング中央でネズミが鳴き声と共に出迎えた。

 ネズミはキッドの顔を見上げていた。


「おめえは何でそう独りで勝手にきめつけるんだ」


 ネズミの顔とかつてのケンキチの言葉が重なる。

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