俺は拳で成り上がる!-異世界転生してまでボクシングのトレーナーなんて馬鹿げてる-
西川悠希
プロローグ ー橋の下のドブネズミー
橋の下の河原で後ろから羽交い絞めにされて、一方的に殴られる。
それがその黒髪の少年にとっての日常だった。
「これが左のジャブ、これが右のストレート」
バシ、バシ、と乾いた音が響く。
「そして、ワンツー!」
今度は連続した二発の乾いた音が響いた。
何発もそうして殴られているせいか、黒髪の少年の左右の頬は赤く腫れている。
「もっと思い切りなぐっちまえよ。拳を風魔法で保護してないでさ」
「バカいうなよ。こんなドブネズミの為に拳痛めるなんて。それに素手で顔を殴るのもかわいそうじゃねえか」
少年を殴りたてる褐色の少年の拳は、風が巻いて空気の壁のようなものができていた。
羽交い絞めにする小太りの少年と後ろから囃し立てる出っ歯の少年の二人は、ニヤニヤと殴られる黒髪の少年を笑っている。
「お、こいつ。まだにらみつける元気あるんじゃん」
「ほらよ、ボディアッパー!」
瞬間で風魔法を解除したため、突き上げた褐色の少年の拳がみぞおちに深々と突き刺さった。
呼吸ができなくなり、黒髪の少年は羽交い絞めにされていた腕を振りほどき、うずくまる。
「おほぉ、すげえ力」
それまでと違った、猛烈な力に自分の腕を振りほどかれた小太りの少年は驚きの声を上げた。
「~~~~っ!」
黒髪の少年は地面に泥だらけになりながら、声も出せずに転げまわっている。
それを見て、少年たちはギャハハと笑う。
褐色の少年は黒髪の少年の頭を踏みつける。
少年はう~う~とうめきながら、まだ苦痛にもがいていた。
「わかったか、キッド。お前は橋の下のドブネズミ。そうやって一生泥にまみれ、地面を這いずり回って生きるんだ」
「そうだぜ、キッド。親もお前を捨てて、こんなゴミだらけの橋の下に置いてった」
「拳一つで成り上がれるなんて、謳い文句につられてよ! 傑作だぜ、俺達がボクシングを習ってるのを外から見て真似してる。親のいないみなし子はつらいねぇ。もっとも異世界の技で成り上がれるなんて、この剣と魔法が絶対の世の中じゃありえねえけどな」
横から小太りの少年が魔法を振るうための短杖、ロッドに魔力を込めて、キッドの身体に泥を浴びせた。
「おい、やめろよ、ジャン。そのへたくそな土魔法、俺にも泥がかかるじゃねえか」
「へへ、すんません、オグマさん」
褐色の赤毛の少年――オグマににらまれて、ジャンは両手を合わせて悪気はなかったとばかりにニヤニヤと謝罪する。
「おお、かわいそうなキッドよ。この優しいスネイルさまが泥にまみれたお前をきれいにしてさしあげようぞ」
痩せた出っ歯の少年、スネイルが同じようにロッドをかざし、周囲から水を集めて球を作り、そのままキッドの身体に落とした。
「どうだ、冷たい水は気持ちいいだろ?」
ずぶ濡れのキッドは無言のまま身体を起こし、口の中に入った泥水を吐き出した。
「何とか言えよ、ドブネズミ」
オグマはキッドの腹を蹴り上げ、キッドは再び悶絶し、水を浴びたこともあって、全身はますます泥だらけになる。
その無様な姿を見て、三人は声を合わせてヘヘヘッ、と笑った。
ぽつぽつと降り出す雨。
「また降ってきやがったか」
チッと赤毛の男は舌打ちをする。
「早くジムに行きましょうや、オグマさん。やっぱりこんなドブネズミじゃ練習相手にもなりゃしませんよ」
ジャンがスネイルとオグマを促し、土手の上に駆け上がっていく。
そうだな。とオグマが再度、キッドの黒髪の頭を踏みつけた。
地面の水たまりに少年の顔面が沈む。
「おい、キッド。お前が夢を見るなんて生意気なんだよ。これに懲りたら俺達のボクシングの練習をのぞき見なんかしてんじゃねえぞ」
言ってオグマは土手を上がっていく。
わかったな。このドブネズミ。とスネイルもキッドに泥と罵倒を浴びせて後を追っていった。
雨脚はだんだんと強くなってくる。
キッドはむくりと起き上がり、泥まみれの口元を拭う。
全身泥だらけ。
降りしきる雨に向かって口を開け、雨で口をゆすぐ。
口の中が切れているのか、少し雨が沁みる。
ペッと吐き出すと赤いものが混じっていた。
キッドは立ち上がり、拳を上げる。
戦う意思、ファイティングポーズを見せ、そして、降りしきる雨に向かって自分の両拳を繰り出した。
ここは剣と魔法が支配する世界。
剣と魔法を極めし者は富を得て、そうでないものは貧民として寄せ集めのがらくた集落の中で身を寄せ合って生きている。
そんなキッド達が生きる世界に、ある日、異世界からやってきた者たちが拳のみで戦う格闘技――ボクシングを伝えてきた。
今まで剣と魔法のみで上下関係が決まる絶対なる摂理がこの世界の
キッドには親もいなければ、自分の面倒を見てくれる人間もいない。物心ついた時から橋の下で独り、泥まみれになって生きてきた。
ゴミをあさり、時には盗みを働き、自分はずっとこのまま独りで生きていく。
剣の師匠もいなければ、魔法を習うような金も稼げない。
自分はこのままずっとみじめに生きていくのか。
キッドは拳を下ろす。
雨の勢いを変わらず、延々とキッドを冷たく叩く。
「……ちくしょお」
キッドはつぶやく。
「……ちくしょおおおおおお!」
キッドは降りしきる雨の空に向かって絶叫した。
叫びながら膝をつき、両手で足元の泥をひたすら叩く。
キッドの全身はますます泥にまみれ真っ黒になった。
それでもキッドは叫び、叩く。
叩く。叩く。……叩く。両の拳をただただ己が足元に叩きつけた。
そして、叩き疲れて天を見上げると雨はやみ、雲の隙間からわずかに陽光が差し込んできた。
自分に救いの手を差し伸べられるはずがない。キッドは笑い、天に唾を吐き、立った。
「おい」
声に振り向くとそこには破れ傘をさした中年の男が立っていた。
「なんだよ、ケンキチか」
この橋の下に最近やってきた異世界からの男である。名はケンキチと名乗っていた。
「……ボクシングやりてえのか」
「あんたが教えてくれるのかよ、異世界から来た破れ傘の飲んだくれさん」
ケンキチの左手には破れた傘、右手には安い酒瓶。
顔も酒の赤味を帯びており、腹も中年腹である。
へへ、と鼻をこするケンキチをキッドはにらみつけた。
「バカにすんじゃねえぞ。俺はな、てめえみてえな酒びたりに教わるほど、落ちぶれてねえんだよ!」
キッドは拳を振りかぶり、ケンキチに殴りかかる。
だがその拳はケンキチをすり抜け、ケンキチの突き上げられた拳がキッドのアゴ寸前で止まっていた。
キッドの呼吸が止まり、アゴから雨とも汗ともしれぬ冷たいものが落ちる。
足元にはケンキチの持っていた破れ傘と酒瓶が倒れている。
酒瓶の残っていた酒がこぼれ、水たまりに流れ込んでいた。
キッドはケンキチに何をされたのか、まったくわからなかった。
殴りかかったはずなのに、自分が殴られそうになっていた。
もしケンキチが拳を止めずに打ち抜いていたらどうなっていたのか。
感じたものは痛みではなく、恐怖。
さっきまで受けていた殴る蹴るとは全く違う、異質な何かがそこにはあった。
全身が震えた。
「……やるか? ボクシング」
ケンキチの問いかけにキッドは息を飲み、突き出したまま震える拳をぐっと握りこむ。
それをみたケンキチはニヤリと笑う。
雲の合間から差し込む陽の光が、二人を照らし始めていた。
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