04話 ーヒット・アンド・アウェイー

 オグマの拳がキッドに迫る。

 しかし、その拳はキッドに届かない。

 なぜだ、なぜ自分の拳が届かない。目の前のキッドに向かって拳を放っているはずなのに、なぜかいつもキッドの顔の寸前までしか届かない。

 キッドの左がオグマの顔面を打つ。

 たまらずオグマは、キッドのパンチを防ぐため、顔の前で両腕を盾にする。

 だがキッドは既にオグマの横に立ち、側面からパンチを放ってくる。

 オグマは上体を大きく逸らして、パンチを避ける。そして、迫るキッドから逃げるために足を使ってその場から離れ、キッドから距離をとる。そして、転ぶ。


「スリップ!」


 レフェリーの宣言、そしてオグマは手をマットに突いて立ちあがる。

 スリップとはダウンと違い、ただの偶然によりマットに足以外のものが触れた場合にとられるものであり、すぐに試合は再開となる。

 二人は互いに向かい合う。息一つ切らさずキレイな顔のキッドと、肩で大きく息をして顔が赤く腫れあがり、鼻からは赤い血が垂れているオグマ。

 放っているパンチは明らかにオグマの方が多いのに、オグマのパンチは全て空を切り、キッドのパンチの数はオグマの半分にも及んでいないのに、全て的確にオグマの顔面を捉えていた。


「これは……驚きましたな。魔法を何も使っていないのに、まるで魔法を見せられているようだ」


 来賓の一人が感嘆の声を上げる。


「これがヒット・アンド・アウェイです」


「ヒット・アンド・アウェイっ!?」


 フィストの説明に一同は声を揃えて振り返る。


「打たせずに打つ。ボクシングの基本中の基本の技術です」


「まるで魔法のようだ。拳だけでこんなことができるのですね」


 感嘆する来賓達をよそにゴンゾーは指でちょび髭を伸ばした。


「よくもこの短期間であれを覚えさせましたね。けれどもフィストさん、教えたトレーナーのケンキチさんが見えないようですが」


 フィストは会長の言葉には答えない。フィストの視線の先にはリング下のバーツの肩にいるネズミの姿があった。

 ネズミの瞳にはリングで闘っているキッドの姿が映っていた。


 迫るオグマのパンチ。

 キッドは前に置いた左足のつま先で蹴って、身体を後ろにずらす。

 上体を微動だにせず、身体全体を後ろにずらすだけ。

 だから避けるまでもなく、相手のパンチは当たらない。

 キッドはオグマの両足を見る。

 パンチを打つたびに膝が伸び縮みして、立ち幅もぶれて全く重心が取れていない。

 相手を追いかけるべきなのは足なのに、オグマは拳で追いかけてしまっている。

 そんな動きでは打つ前から、相手のパンチの射程――〝距離〟がわかってしまう。


「いいか、自分の肘は常に膝の上。自分の膝は常に肘の下だ」


 ケンキチの言葉が脳裏によみがえる。

 革袋の特訓はそのため。

 動くたびに自分の上体が揺れていてはロクなパンチは打てない。

 前に出る時は後ろ足で蹴り、後ろに引く時は前足で蹴って、身体全体をずらす。上半身は一切動かさない。……動かす必要がそもそも無い。

 相手のパンチが拳一個分しかない以上、身体を拳一個分ずらせばパンチは当たらない。

 ましてや拳で追いかけてくる相手。目をつぶってても当たらない。

 キッドは後ろ足でリングのマットを蹴り、その勢いを自分の左拳に乗せて、身体ごと前に突き出した。

 腕を振り回して向かってくるだけのオグマの鼻先にその左は突き刺さり、のけぞるオグマの鼻から赤い血が飛び、第二ラウンド終了のゴングが鳴った。



 インターバル中、レフェリーはそれぞれの選手の様子を見に伺う。そこで選手の状態や、試合続行の可否を判断するのも仕事である。


「コラ、ダメじゃないか」


 青コーナーにやってきたレフェリーはキッドに開口一番、そう言った。


「……やっぱりバレてたか」


 キッドはバツが悪そうに舌を出した。


「何が?」


 キッドの返事にマロンがレフェリーに問いかける。


「魔法だよ、魔法。パンチが当たった瞬間に相手に目くらまし使っただろ。今回は大目に見るけど、次やったら減点だぞ」


「そいつはありがてえ。話がわかるね」


 レフェリーの注意にキッドは笑顔で答えた。


「倒れたのはパンチのダメージじゃなく目くらましのせいですか」


 バーツの解説にキッドは口笛吹いて知らんぷり。


「でも向こうもまた魔法使ってんじゃん」


 マロンがオグマ達の赤コーナーを視線で示す。

 オグマの顔をスネイルが手を当て、魔法を使っていた。


「あれは止血目的の魔法だ。規則で認められている」


「ずっこー」


「次で最終3ラウンドだ。最後くらいしっかりやってくれよ」


 マロンの抗議も意に介さず、レフェリーはリング中央に戻っていった。


「大目に見てくれてよかったですね」


「先に魔法使ったのはむこうなんだ。やられたらやり返す。そうだろ、おっさん」


 キッドは話しかけてきたバーツではなく、肩のネズミを見た。

 ネズミはただ、キッドの目を見ているだけだった。


「目くらましの魔法なんてどこで覚えたの」


「だって盗みするのに必要だし。捕まるとみせかけて、パーン。そのスキに逃げる」


「さいってー」


 マロンはジト目でキッドをにらみつつも、水を一口飲ませる。


「ごっそさん」


 キッドは喉を潤し、笑顔を返した。

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