きらきら、ぴかぴか

斎藤秋介

きらきら、ぴかぴか

 瑠璃色を帯びた毒々しい紅玉が、庭のほとりに落ちた。

 みずみずしい新緑が春風とともに円形のあかねに染まった。

「いよいよですね」

 煌々と、なめらかに、月のような雨が降り続けている。今朝は寒く、とても生々しかった。やがて、終末の鐘が高らかに鳴り響いた。

「よろしいのですか?」

「なんだか、不思議な感じです」

 野晒しにされた闇の光球は、まるで笑う悪魔だ。しとしと、しんしん、ひるがえっては跳ね返る。卵は割れない。蝶々は羽化しない。操り人間だけが、星の明るさのなかに閉じ込められていた。

「お父様……お母様……」

 遊走する滂沱は変わることなく、健気に青い白をたたえていた。

 誰かが拍手をした。

 感染するように、その流れは広がっていった。

 そっと救うと、胸に瀬戸際の光が灯る。

 燃ゆる萌芽。乱れる嚆矢。開闢を告げる生贄の歌は、わたしの生と混ざりながら溶けていった。精はここに在った。苦しみが凛とした箱を呼んだ。「聞こえる……?」白樺の匂いが胸元に咲き誇った。

「証だわ!」

 自動化された合いの手が、透き通った頬をよぎる。合成――絢爛たる晴れ上がり――世界が満ちてゆく誘いの彼方に……。呪うこともなく、担うこともなく、ただ、ただ、ただ一条を描いている。

「これが……そうなのですか?」

「ええ、ええ……! そうでございます……っ!」

 錦の帳がうずもれた痛みのように、槍のような砂浜を撫でていく。鉄、金、水素……そして、こんぶ。すこやかなる愛を、この先の果ての果てに――どうか――果てしない――! 願いの縁を硝子玉に駆ける。

 ふわぁっ――凪がそよいだ。

 エピメテウスの樹が、とりとめなく息を吹き返した。

「アルカナは示しております。これこそ、紀元前の歪(いびつ)――!」

「サバトの祈りが……始まる……」

 針は天竺に狂い、まどろみの紫電を謳う。

 階上の守人は迷いに迷い、踊りに踊る。

 異邦ならざる者のケルビンは空洞じみたフィラメントを波濤のようにせせらぎ、心霊の御魂を奏でている。夜陰にまぎれながら、ひたすらに走っていった。あざやかなプリンセスラインが浮かび上がった。

「姫様……!」

「いいのです……! いいのです……!」

 虫のようなあえぎ声が漏れた。

「急がなくてはなりませんっ!」

 ニューロの痕跡が山となって積もっている。これよりあとに引くことはできない。覚悟を決め、アネモイに優柔な身をまかせた。

 きゅいいいいいん。

 きゅいいいいいん。

 きゅいいいいいん。

 三度(みたび)、その転回はわたしの耳をさんざめいた。

「負けて……なるものですかぁーっ!」

 ――とくんっ。

 どきどきが、輝き出した。

 豊穣の時代が終わり、混沌のリリカルがすべてを支配した。穴を見つけなければならない。鍵を刺さねばならない。この使命のために、わたしは今日まで生きてきたのだから。創世記に科せられた伝承によれば、あなたはその土くれのなかから這いいずる。

 戦略がつぶさに頭のなかをぐるぐるする。

 ――“桎梏のグラム”。

 あらゆる概念を切り裂く、高位次元のアーティファクト。神々に託されし茨の聖具。雪よりも黒く、赤よりも冷たい。黄道十二宮。その全なるものを制するもの。かつて枢機卿(カーディナル)は述べた。――「昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか」

「わかってたまるかよぉぉぉぉぉっ!」

 飛翔する。

 あのニュクスの塔から、エピメテウスの樹を切り刻むんだ!

 肉の黄砂が吹き荒れ、瞳をさえぎっても止まることをやめない。

 ファンファーレが絶えず子宮をたたいた。ボイド……ボイド……ボイド……。違うんだっ! 違うんだっ! 違うんだっ! “あなた”がわたしを問いただすなら、わたしは黙秘を貫く。“あなた”がわたしを問い詰めるなら、わたしは否認を貫く。

 黄昏はますますあかつきの強きを強め、濃淡とした暮れないはあいまいな式を導き出す。

 翼の群れが立ちふさがる。バサッ! バサッ! バサッ! ――異形の病魔。――斬り伏せる、斬り伏せる、斬り伏せる――! やがて、音が止んだ。

 わたしは頂上に立っていた。

「ここからなら、世界を見渡せるんだ……」

 でも……感傷にひたっている暇はない。

「飛べっ! 飛ぶんだっ! わたしっ! エピメテウスの樹をっ! 切り刻むんだっ!」

 右足を空に差し出す。

 左足をかかげ――飛び込んだ。


「目を……目を開いて……」

 応えるように立ち上がると、目のまえには小さな男の子。

「あなたが……エピメテウス……?」

「これからボクは成長するよ。死んだりなんかしないよ。もっと大きくなって、もっともっと大きくなって、お母さんに復讐するんだ。――ね? 殺し合おう、ママ――!」

「わたしが……お母さん?」

「ボクを産んでくれてありがとう……ママ……もうすぐ始まる……始まるよ……」

「なにが! なにが始まるのよぉっ!」

「始まるんだ……」

「なにがあああああぁっ!」

 わたしはエピメテウスに斬りかかった。

「無駄だよ、ママ……ママにはボクを殺せない……ママにもボクを殺せない……だって、そういう呪いがかかっているんだもの……」

 ビッグクランチ――時空の停止。

 そうだ、そういうことだったんだ……わたしたちはもう、死ぬことも、老いることもない……永遠の収束のなかで、永劫の戦いを繰り広げる運命(さだめ)……それがもうすぐ、もうすぐ始まるんだね……!


「そうだよ、ママ。もうすぐ、始まるんだ……ほら、あのエリスの谷が……もうすぐ……もうすぐ……ふたつに分かれたときにね……」


「もうすぐ……もうすぐ……」


 水平線に、色と色、ふたつの尾根がかかっている。

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きらきら、ぴかぴか 斎藤秋介 @saito_shusuke

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