ほうき星の行方

藤野 悠人

ほうき星の行方

「ねぇ、死ぬ時ってどんな感じなんだろうね」


 夏休みの、ある昼下がりのことだった。ベランダにもたれかかった恋人のあおいが、私に向かって呟いた。私は読んでいた本を閉じて、ちょっと天井を眺めてみる。


「んー、ある本のキャラクターによると、『眠りに落ちるより早い』みたいだけど」

友香ともかはいつも本の知識だよねぇ」


 蒼はからかうように笑ってそう言った。


「でも、私個人としては、『死んでみるまで分からない』かなぁ。それより蒼、ベランダに出るなら、せめて上に何か着たら? スポブラだけって」

「いいじゃん、別に減るもんじゃないし。あたしなんて見る人もいないって」


 蒼はそう言ってケラケラと笑いながら、煙草に火を点けた。一年前に禁煙したくせに、二週間前からまた吸い始めたのだ。まぁ、私も別に止めなかったけど。


 今年の夏は、例年に比べて涼しかった。涼しかった、と言っても、最高気温は30度くらいの日もある。でも、35度以上まで暑くなるのが当たり前だったここ数年に比べたら、ずいぶんと涼しくなった方だろう。


「ってかさぁ友香、こんな日まで本読んでんの? 本の読み過ぎで、逆にバカになるんじゃない?」

「なりません。蒼こそ、たまには本くらい読んだら?」

「あたしは無理。活字おっかけてると、頭痛くなるもん」


 蒼は飄々とした顔で言って、煙草をゆっくりと吸って、ゆっくりと煙を吐いた。蒼が吸った煙草の煙が、ゆるい風に流れていく。私は思わず、顔をしかめた。


「あ、ごめん、そっちに煙行った?」

「うん、ちょっと」

「それはごめんって」


 蒼はくるりと反対側を向いて、またゆっくりと煙草を吸った。左耳に付けたピアスの先で、青色のチャームが揺れている。私の右耳にも、同じデザインのイヤリングが付いていた。ピアスを開けるのはどうしても怖くって、結局イヤリングにしたのだ。


 おだやかな日だ。本当に、びっくりするくらいに。真夏だというのに、蝉の鳴き声ひとつ聴こえない夏だった。


 不意に、強かった太陽の光が陰った。


「あ、友香、来たよ」


 蒼が呟いた。私はベランダに近寄って、蒼と一緒に空を見る。


「うわ、やば」


 思わずそんな声が出た。まるでギャグのような信じられないサイズの岩が、真っ赤になって空を飛んでいた。


 超巨大彗星が地球に接近。アメリカの宇宙研究センターがそれを発表したのは、今から二週間前だった。各国が必死になって対応したけれど、すべて失敗。地球の自転と公転のタイミング的に、彗星が日本に落ちるのはほぼ確定だった。


 B級映画でも、もっとマシな脚本を書くだろう。でも、これはそんな映画の話じゃない。ごく一部の人類を除いて、私たちはみんな、死ぬ。私や蒼、その他大勢の人たちは、見捨てられた人類だった。


 とても遠くに見えていた彗星が、ぐんぐんと近付いてくる。彗星が大きくなる度に、太陽が陰って暗くなる。あぁ、私たちの真上に落ちてくるんだ。直感的にそう思った。


 蒼は最後に大きく煙を吐くと、足元の安っぽいアルミの灰皿に煙草を押しつけた。


「友香」


 蒼が優しく私を呼んで、手を伸ばした。私はその手を取って、蒼とふたりでベランダに立った。


 地鳴りのような、巨大な彗星の近付いてくる音がする。さっきまで何も感じなかったのに、台風みたいな暴力的な風が、ぶわっと吹いてくる。


 私は固く目を瞑って、蒼に抱き着いた。蒼も、私を抱きしめてくれた。


 蒼が吸っていたラッキーストライクの匂い。それが、私が嗅いだ最後の匂いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ほうき星の行方 藤野 悠人 @sugar_san010

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ