渚のお仕事
大隅 スミヲ
渚のお仕事
注文が入ったのは、その日の夕方のことだった。
園芸用のエプロンにTシャツ、ジーンズというラフな格好をした
外の水道で土のついた手を洗い、その手はジーンズにこすりつけて乾かす。
必要最低限の化粧に、黒ぶちの伊達メガネ。髪は無造作に後ろでまとめているだけ。これから人と会うことになるのだが、別に気にはしていなかった。
注文はいつだって突然やってくる。
その注文に応えているからこそ、リピーターが多いわけで、同業他社が複数いるこの業界では注文がもらえるだけでもありがたいことだと思うしかなかった。
店先に出していた商品を片づけ、シャッターを閉じる。
客なんて1日に1人か2人いればいい方なので、別に閉店時間などは決まってはいない。
閉めたい時に閉める。それがこの店の方針だった。
店を閉めると、渚は店の裏手にある駐車場に向かった。
白の軽ワゴン車に乗り込むと、後部座席のシートに積み込んである仕事道具をチェックする。
間違いなく全部そろっている。
それが確認できた渚はひとり頷くと、ハンドルを握った。
指定された場所は、街から少し離れた山の中にある開発事業計画が途中でストップしているエリアだった。
慣れない道をカーナビ頼りに進んでいくと、鉄骨の骨組みだけの建物が見えて来た。
どうやら、ここが目的地のようだ。
アスファルトの舗装がところどころ隆起している駐車場に車を止めると、渚は約束の相手が来るのを待った。
すでに日は山の向こう側に沈み、あたりは闇に飲み込まれていた。
しばらく駐車場で渚が佇んでいると、遠くの方から明かりが近づいてきた。
よく見ると、それは車のヘッドライトであり、その明かりは渚の目の前で停まった。
「バラ園の人間か?」
車から降りて来た黒いスーツの男は、低い声でそう言った。
渚は無言でうなずくと、園芸用の手袋を装着して仕事の準備に取り掛かった。
男が車のトランクルームから降ろしてきたのは、2メートル弱ほどの長さのある袋だった。その袋は見た目は寝袋のようであり、中に何が入っているのか渚はすぐに理解した。
「確かに受け取りました」
渚はその寝袋に似たものをひょいと担ぎ上げると、自分の乗ってきた車へと運び込む。
「まいど、ありがとうございます」
そういって渚が駐車場から出ていくと、男の車も渚とは反対の方向へと走り去っていった。
渚の店――遠山バラ園――の裏手には、小さいながらビニールハウスで作ったバラ園が存在していた。店で売られているバラは、このバラ園で育てられたものである。
渚は受け取ってきた荷物をバラ園の中に運び込み、たい肥を作る準備をはじめた。
遠山バラ園では、バラの生花の販売はもちろんのこと、インターネット通販などでバラ専用のたい肥などの販売も手がけており、特にこのたい肥はかなりの評判でリピーターが絶えない商品でもあった。
荷物を袋から出し、下準備をはじめる。
余分なものは焼却炉で燃やし、灰にすることで、また別のたい肥に生まれ変わる。
燃やせないものに関しては、特殊な液体を使って溶かすなどして、すべてを無に返す。
どこかで見覚えがあるな。
ふと、渚は袋から取り出した荷物を見て思った。
しかし、どこで見たことがあったのかは思い出せなかったので、そのまま忘れてしまった。
※ ※ ※ ※
数か月後の新聞に、ひとりの男性が行方不明になっているという記事が載っていた。男性は県議会議員であり、街から少し離れた開発事業の再開を訴えていた一人でもあった。
現職県議会議員が失踪したということで、県警は特別捜査本部を設置して議員の行方を追ったが、これといった手掛かりもなく、特別捜査本部は解散していた。
この事件については、未解決事件として事件に関係するデータが県警のデータベースには保管されているとのことだが、誰もこのデータにアクセスする人間はいなかった。
渚のお仕事 大隅 スミヲ @smee
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます