千人の同心なる者たち ー日光東照宮の守り人ー

裏耕記

第1話

「年が明けりゃあ、また日光様の火の番に向かうべえな」

「我等の大事なお役目だんべ」


 若い男は農作業の休憩時間に、彼より少し年嵩の男と茶飲み話をしている。


 どちらの男も、水呑み百姓とは、体つきが違う。髷も武士のようにしっかりと結わえている。この江戸の治世、武士は武士で農民は農民。厳格に身分が分けられている。


 だからこそ、彼らの容貌は不思議なものだ。武士のようでもあり農民のようでもある。

 それは確かな事実。彼ら八王子千人同心は、武士でありながら農業も行う。


 武士として幕府から米の俸給を受け取り、農民として収穫した米を年貢として納める。

 平隊士である同心は、名字を名乗る事が出来ず、公務でなければ刀を差すことができない。

 

 それが八王子千人同心である。


 ちなみに八王子と言っても同心達の居住地は、現在の八王子市千人町の辺りを中心に東は津久井郡、北は日高市や所沢市、東は三鷹市にまで広がって住み暮らしている。


 武蔵国の西部、つまり名前にある八王子だけでなく武蔵野台地にまで跨る広範囲の治安を守っていたのだ。


 そして、日光火の番というお役目に赴くため、千人同心街道と呼ばれる四十里の道のりを四日で踏破する。


 その千人同心街道は八王子宿から拝島宿、箱根ヶ崎宿、高萩宿へと抜け、坂戸宿、館林宿などを経由して日光へと至る。

 関東平野の自然豊かな地を行き来するのだ。



 さて、話は戻るが、今は年の暮れ。田んぼに手を入れるには随分早い。それでも彼らが農作業に精を出すのは、彼らの任務に起因する。


「だけんども、四十里もの道を四日で歩き通すっちゅうのは、しんどおて敵わん」

「だらしがねえ。天下の直参旗本ともあろうもんが。四十里ばかしで文句言うでねえ」


「直参旗本ちゅうたって、千人同心頭様だけだんべ。残りは御家人待遇。それも武士とも農民とも言えん半端者。だから心配だんべえな。春先に田畑を母ちゃんらだけに任せにゃならんで」

「文句べえ言うんじゃねえ。ぶつくさ言ってねえで気晴らしに道場でも行ったらどうだ?」


「おれはチャンバラは好かん。道場て近藤三助さんとこだんべ?あそこは木刀ばかりで痛くてたまらん」

「そんな事言うとらんで。三助さんは立派なもんだ。ほんで気風も良い。天然理心流の印可を貰って二代目になるっちゅう話よ。なんでも八王子天然理心流と名乗るそうだでえ」


「まあよう。それは知ってんだ。だけんど痛えのはなあ……」




 冬の空には雁が編隊を組んで東へと飛んでいる。


 同心街道は八王子から北へ進み、佐野を過ぎると東へと進路を変える。


 彼らもまた東へと進路を変えて日光への道を歩く。同心五十名に千人頭一名。先頭に千人頭を戴き、二列縦隊で進む。会話もない。ただひたすら日光を目指す。


 日光への行程も、三日目。日光へも間も無く着くようだ。


「ちと大きめな草鞋は足に合わんかったか」

 若い侍は足を引き摺るように列に従って歩く。自前の草鞋が不運続きで履き潰してしまい、二日目の宿場で調達したのが足に合わなかったようだ。


「ちいと草鞋を調達してくんべえな」

「早う帰ってこいよ」


 その夜、宿の使用人に草鞋を購えるか質問したが、全部売り切れてしまったと言う。男は使用人の助言に従い、少し離れた別の宿に向かうらしい。



「やめてください!」

 もう陽の落ちた暗がりから、若い女の金切り声が響く。緊迫した状況は若い男を突き動かす。現場は表通りから少し入った細い路地道であった。とっさに駆け寄ると女を背に守るように立ちはだかる。


 若い女が一人。大柄な男たちが数人。


 若い侍もそれなりの体つきだが、女を囲っていた男たちは遥かに良い体格をしている。暴力沙汰にも慣れているようで、若い侍と少し距離を取り半円上に広がる。狼藉者は三人もいた。


 そやつらは、それなりに上等な着物を纏ってはいるが、まともに着こなす者は誰一人と居ない。誰もが胸元をはだけさせ、腹に巻いたサラシとドスを見せびらかすようにしている。


 いや、一人はすでにドスを抜いていた。

 どう贔屓目に見ても、まともな人種ではない。この宿場町を仕切るヤクザ者であろう。


「ここはおれが何とかする。行け!」


 若い侍は男気を見せたが、分の悪い状況に陥ってしまった。それでも勇気を振り絞ったのか、女を逃す。


 既にヤクザ者はドスを抜いていたので、若い男も刀を抜こうとする。どうみても修羅場になれているとは思えない。手が震えてうまく鯉口が切れない。


 この辺りの上州周辺は生糸の生産で金を持った農民が多く、それらが遊びにいく賭場が繁盛した。畢竟、それを仕切るヤクザ者も金を吸い上げ勢力を拡大する。


 賭場なんぞ、金を賭ける男たちの溜まり場。酒も入る。勝てば良いが、負ければ八百長だなんだと暴れるなんて珍しい事ではない。それらを鎮圧し、賭場の秩序を保つのも彼らの役目だ。修羅場に慣れているどころか日常の一部である。


 そんな場慣れしたヤクザ者が三人と刀を抜くのにも苦労する若侍。どちらが勝つかなど結末を見るでもない。


 現にジリジリと若侍は後退る。初めて相対する真剣を持つ男達と向かい合う。素人が殺意を孕んだ刃物にまともに立ち向かえるはずがないのだ。


 ヤクザ者の三人のうちの一人がドスを腰溜めにして体ごと突っ込む。若い男の刀などお構いなしといったように。まさにヤクザ者の戦い方と言えよう。


 若い男には、そんな事分かるわけもなく、必死に横に避けた。勢い余って地面を転がる。既に手に刀は無い。

 地に転がった事で舞い上がる砂塵は、若い侍を隠すほどには至らない。

 

 それは、むしろ息苦しさを助長する。 

 ゼーハーと荒い呼吸を繰り返し、尻餅をついた状態でヤクザと向き合う。


 誰がどう見ても絶体絶命。なけなしの正義感を出したというにこの始末。若い侍も覚悟を決めたように見える。


 背を向けないで逃げもしない。彼にも侍の矜持があるからだろうか。

 侍が背を斬られるなど恥辱千万。侍が逃げ恥を晒すわけにはいかぬのだ。


 残りのヤクザ者は勝負は決したとばかりに眺めている。勝者の余裕といった所だろうか。


 下っ端ヤクザがドスをひけらかすように手の中で遊ぶ。一歩一歩ゆっくりと距離を縮める。まるで獲物の小動物を甚振いたぶるかのよう。


 若い侍は立ち上げることも出来ず、地面に尻をつけたまま後退あとずさる。


 無情にも距離は縮んでいく。ドスが顔のすぐ前まで。ついに若い侍は諦めたようだ。目を瞑り後退る事もやめてしまった。そして小さな声で謝る。


「……母ちゃん、ごめんよ」

 

 これで終わり。ヤクザも同じように思ったはずだ。


 ぐぇっ。蛙がつぶれたような声がする。

 うぐぅ。また別の声。


 その声は若い侍の耳にも届いたようだ。

 彼がゆっくりと目を開けると後ろでニヤついていたヤクザ者の二人が腹を抱えて蹲っていた。


 目の前に迫った下っ端のヤクザも音に気が付き思わず振り返ってしまった。

 まるで自分の急所をさらけ出すように。


 先ほどのヤクザの突進とは比べ物にならない速度で駆け寄る影。


 右手は素手。左手は鞘を握っているが、腰に差したままだ。そのままどんどん距離が縮まる。

 影は勢いそのままに足を大きく踏み込むと、腰を前に出すように捻り、手をヤクザ者の腹へ突き出す。


 少しヤクザ者は浮かんだようだ。しかし声は出ない。

 影の手には鞘に入ったままの刀が握られていた。柄頭がヤクザ者の腹にめり込んでいるようで見えない。柄は三寸ほど短くなっているように見える。


 あの勢いを柄頭一点で腹で受け止めたヤクザは、そのまま気を失った。


 神速の影。表通りの明かりが影の顔を照らす。


「三助さん!」


「おめえさん、危なかったな。千人同心ともあろうもんが、ヤクザもんに追い回されるたあ情けねえ。うちの道場に来い。鍛えてやんべ」


「だけんど、おれ農民みてえなもんだし……」


馬鹿者ばかもんが!」


 先ほどまでの爽やかな顔が一転、鬼瓦のような顔になる。


「何をしてようと心意気が大事ってもんよ。刀に命をかけられりゃあ、誰もが武士さ。おめえも男なら心と腕を磨けい」


「そうは言ったって……やりてえとは思うけんど……」


「ウジウジ悩んでんじゃねえ。男はやるかやらねえかどっちかだ。その性根、うちの道場にくりゃあ叩き直してやんぜ」


 先ほどの鬼瓦のごとき顔が嘘のような眩しい笑顔を見せながら左手を差し出した。

 若い侍は檄に応じるように腹に力が入る。


「……お願いします!」


 若い侍は近藤が差し伸べた手を取る。近藤は嬉しそうな顔をして着物の汚れを払うと、思いっきり若い男の尻を叩いた。


「気合い入れてけよ!」

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