双子兄弟のすれ違い〜暗黒時代の幕開け〜

鯛焼 野然

始まりの物語──プロローグ・ゼロ


 むかし、むかし──


 ありふれた童話の冒頭に出てくる言葉だが、どれくらい昔かは明確に定められていない。


 ここでは、およそ二〇〇〇年前についての話をしようと思う。


 ふと思い立ち筆をとったのは、見届けた者としての義務のようなものだ。


 短い間だが、付き合って欲しい。



 それでは、とある双子きょうだいについて。


 その弟から見た、ハジマリの話をしよう──




 ……



 …………



 ………………




 様々な種族がそれぞれの生活を独自に築き、互いに不干渉を貫いたり、はたまた種族同士で共存しながら暮らしている世界。


 そこに、僕は産まれ落ちた。


 人間族、亜人族、妖精族ピクシー耳長族エルフ妖魔族ファントム、鬼魔族、晶魔族ミヌレ吸血鬼族ヴァンパイア樹人族ドリュアス一角族ユニコーン魚人族セイレーン、狼魔族、竜魔族。


 ざっと知っている種族だけでこれ程ある。

 また、これらの種族をその特徴で区別すると、大まかに人間種と魔人種に分けられる。

 そして人間種と魔人種を合わせて、人類と呼称すると小さい頃に絵本で知った。


 無数にある種族の中で、僕が生を受けたのは魔人種という括りに入れられる竜魔族りゅうまぞく

 それも……種族を率いる運命を持って。


 産まれた時から運命が決まっているのはどうなのか、と思わなくもない。

 しかし、僕がまだ物心つく前からずっと種族の為に生きるよう教育されていたため、その疑問を感じ始めたのは比較的最近だ。


「はっ、また勉強か? 真面目なこった」

「兄さん」


 夕暮れ時、窓際の机に一人向かっていた僕。

 金髪に黄金色の目を持つ兄さんは、いつものようにズカズカと部屋に入ってくると、ぶっきらぼうに声をかけてきた。


「他の奴らの言いなりになってまで、無理して族長になる必要は無い」

「……僕は、兄さんみたいに他にやりたい事もないから。それに、勉強は楽しいし」

「ふん、そうかよ」


 返事は素っ気ないが、それが僕を思っての言葉だというのは長年の付き合いで理解出来る。


「でも兄さんこそ、そんなにサボってていいの? またこっぴどく叱られるよ」

「俺はいいんだよ。優秀な弟が代わりに族長になってくれるから。な、ディル」

「あはは。兄さんは生物学の研究さえ出来ればいいからって、少しは僕の事も手伝ってくれないと」

「必要ないだろ? 村の奴らも既に教える事はないと褒めちぎっていたじゃねーか」

「それでも、兄さんと一緒がいい」

「……ったく、しょうがない弟だな。いいぜ、俺がいつまでも傍に居てやるよ」


 兄さん、ヴィルヘルムと、僕ディルヘルムは双子の兄弟だ。

 僕も兄さんと同じように、種族のリーダーとなる運命の証である金髪と黄金の目を持っている。


 ──そう。

 僕と兄さんは、二人同時にこの世に産まれ、そして二人同時に種族のリーダーとなる運命だった。


 母さんが言うには、僕達と同じような運命の子は代々一人しか現れなかったらしい。

 運命の子は寿命が他の人よりも長くて、その役目を終えた後に自然と次代の運命の子が産まれる。


 だけど、今から三〇年前──二人の運命の子が一度に産まれた。


 種族に繁栄と安寧をもたらす運命の子。

 それが一度に二人も産まれたため、僕は知らないけど、当時はそれはもう大盛り上がりだったらしい。


 僕たち竜魔族は、産まれながらに〝魔素〟を直接操ることの出来る魔人種だ。

 しかし反対に、人間種は体内にある魔力を使わないと、魔素を操作出来ないらしい。


 人間種と同じように、魔素の直接操作が出来ない生物は他にも沢山いる。

 動物も魔素は愚か、魔力の操作も出来ない。

 魔人種だけが特別なのだ。


 しかし、僕と兄さんはある日、知能が低くて不可能だと信じられていたはずの小鳥が、実際に魔力を使って魔素を操作する光景を見た。

 兄さんはそれに感銘を受けて、生き物の種族特性の限界と才能について学ぶようになったのだ。


 僕たち兄弟は同じ運命を持って産まれ、同じ教育を受けて、同じものを食べて育った。

 しかし、僕は特にやりたい事もなく、周囲に言われるがままに族長になるために日々を過ごしている。

 反対に、兄さんは生物について興味を持った。


 いつも隣には兄さんが居たし、それは僕が族長になった後でも変わらないと、そう漠然と思っていた。

 だから兄さんが『族長にはならない』と言った日にも、寂しくて僕はいつまでも隣にいて欲しいとわがままを言ってしまったのだ。


 本当は自分の趣味に打ち込んで欲しい。

 僕が見つけられなかった〝夢中になれるもの〟を、兄さんは見つけられたから。

 僕のせいでやめて欲しくなかった。


 だが、兄さんは『どっちもやりゃあいいだろ』と言って、僕のわがままを受け入れてくれたのだ。

 弟である僕のために。

 周囲に反対されながらも、生物の研究と勉強を両立させて文句を黙らせるくらいには。


 だから兄さんだって、僕に負けないくらい忙しい。

 本当はこうして僕にわざわざ会いに来る時間なんて無いはずだけど、それでも来てくれた事がただただ嬉しかった。


「そうだ、最近ケガを治してくれる植物の品種改良に成功したんだ! ディルも今度、暇がある時に見にこないか?」

「ええっ!? ケガを治してくれる植物!?」


 それが本当なら、今までの常識を覆す大発見だ。

 ケガの程度にもよるけど、基本的には魔素を使った治癒術──回復魔術でしか治す方法は無いはずだったのに。


「行く行く! もちろん行くよっ」


 成人もしていない、たったの三〇歳でそれを成し遂げた兄さんは、やっぱり僕なんかとは比べ物にならないほど優秀だと思う。

 周りはいつも研究ばかりしている兄さんを非難して、僕を天才だ優秀だと持てはやしているけど。

 本当は兄さんの方が天才で、僕はただ周りの都合に合わせて良い子ちゃんなだけ。


「どのくらいのケガなら治せるの?」

「まだかすり傷くらいだけだ。それに、何故か特定の亀の甲羅でしか生きられない。土や他の場所だと直ぐに枯れる」

「それは……また変な植物だね」

「それでも、改良出来たら薬草に悩まなくて済む。今からワクワクして寝不足気味なくらいだ」


 兄さんはこんな感じで、たまに変な植物を作ったりする。

 前は振りかけると辛さが一〇〇倍になる香辛料で、その前は照明みたいに明るい光を発する花だ。

 最近は小動物にも手を出していて、ますます顔が生き生きとしている。


「ダメだよ兄さん、ちゃんと休まないと」

「んじゃ、そっちも詰めすぎないようにな」


 兄さんが僕と同じ黄金の竜の目を細めて、肩を叩いてから部屋を出た。


 窓から差し込む赤に染った光が室内を照らす。

 兄さんが居なくなっただけで、どこか寂しさを持ったような暖かい赤の光。

 僕はしばらく外の景色を眺めると、再び本を開いて机に向かった。



 ◇◇◇



 この頃はまだ、こんな幸せな日々がいつまでも続くと思っていた。

 運命の歯車が狂い出したのは、それから一年後の誕生日の事だった。



 ◇◇◇



「え? 兄さんが来られない?」

「はい、残念ながら」

「どういう事だ! 僕たちの誕生日に本人の兄さんが出席出来ないなんて……」

「実は──」


 聞けば、兄さんが作った動物が誤って集落の者に酷いケガを負わせてしまったらしい。

 回復魔術でも長期的な治療が必要な、酷いケガを。


 その責任で兄さんは今、族長に自宅謹慎を申し渡されているらしい。

 だから、誕生日の祝いには出られないと。

 そして僕が会いに行くこともダメだと。


「そんなのおかしくないか? 誕生日だぞ! 父さんも、ケガなら治癒コケで直ぐ治せるのに、目出度い日に謹慎なんて……」


 一年前に兄さんが開発したケガを治す植物──治癒苔は、今ではその効能を増して、骨折でも風邪でも、それこそ流行病でさえ一発で完治させられるまでになった。

 回復魔術では治すのが難しいケガだって、治癒苔を食べればすぐに治るだろう。


 何より、今日は僕と兄さんの誕生日だ。

 罰を軽めにしろとは言わないが、何も今日にしなくたっていいじゃないかと、族長である父さんに言いたかった。


 でも、運命の子の片割れにして種族を率いる次期族長の僕が、そんなわがままを言う訳にはいかない。

 今までずっと一緒に誕生日を祝って来たんだ。本当は兄さんの傍に行きたいけど、それを周りは許してくれないだろう。

 僕は泣く泣く我慢して、初めて兄さんと離れたままの誕生日を送った。



 ◇◇◇



 やっと兄さんの謹慎が解けた。

 竜魔族の寿命からすれば一瞬なはずなのに、兄さんと会えなかったこの一ヶ月間の生活は何よりも耐え難かった。

 兄さんが居ないだけで他はいつもと変わらないはずなのに、ふとした時にとても寂しさを感じるのだ。


 双子ゆえの宿命かもしれないが、やっぱり兄さんと一緒に居たい。


 逸る気持ちを抑えて、僕は兄さんの家に向かった。


「──何やってるの? 兄さん」

「お、ディルか。見ての通り実験だ」


 兄さんは、室内にびっしりと魔術式の陣を浮かべて、何やら手元に集中している。

 一ヶ月ぶりの再会なのに、こっちに見向きもしない様に僕はムッとした。


「兄さん!」

「ごめん、今大事なところなんだ。少し待ってくれ」


 何時になく真剣な兄さんの様子に、開きかけた寸前で口を閉じる。


 急に押しかけたのは僕の方だ。兄さんが僕を優先してくれないのは、それだけ重要な実験という事なんだろう。

 いつまでも兄さんに甘えてばかりじゃダメだ。


 兄さんと離れたこの一ヶ月で自覚してきた僕は、そう思ってグッと出かかった言葉を飲み込んだ。


「ふぅ、出来たぞ!」

「……終わったの?」

「ああ。是非とも見てくれ!」


 兄さんが手を広げて招くので、今さっきまで無数の魔術式があった机まで近づき、兄さんに言われた通り望遠鏡のような筒の中を覗いた。

 すると白く丸い視界の中に、小さく透明な何かが動いているのが分かる。


「どうだ?」

「何これ、兄さん?」

「聞いて驚くなよ? なんとコイツはな、魔素だけで生命維持が出来る微生物だ!」


 魔素だけで?


「それは……魔物じゃなくて?」

「そうだ。魔物──スライムの細胞を使いはしたが、紛れもなく空気も水も太陽光も、全てを必要とせずに魔素だけで生きられる新しい生命だ。既に三〇日近く経っているが、魔素のみが入っている真空の中でもこうして元気に動いているだろ?」

「えっと、そうだけど……他に何か特徴はないの?」

「無いな。正真正銘、俺のオリジナルの──そうだな、魔命体まめいたいとでも名付けようか! 間違いなく過去一の傑作だ!!」

「兄、さん?」


 興奮している兄さんには悪いけど、正直少し拍子抜けした。

 何故なら今までの兄さんの作品は、どれも凄い画期的で、生活に役に立つようなものだったからだ。

 だけどこの微生物──魔命体は、魔素のみを糧とする。

 確かに魔物も魔素以外にも空気や食事を必要だから、それさえ要らずに魔素のみで生きられるというのは画期的ではある。

 しかし役に立つのかと言われたら、首を横に振るしかないだろう。


「えっと、一先ずそれは置いといて──」

「お前もこの魔命体の素晴らしさが分からないのか!?」

「え? なんでそうなるの……?」


 急に人が変わったように、今までに見た事がない顔で睨んでくる兄さん。

 その視線の鋭さに気圧されて、僕は少し後ずさった。


「まさかお前も、他の奴らみたいに──」

「違うよ! 僕はただ、速く兄さんに会いたくて仕方がなかったのに……もう三〇日近くも会ってなかったんだよ!?」

「あ……もうそんなになるのか。すまん、集中してて気づかなかった」

「兄さんは楽しそうだね……僕はもうここ一ヶ月ずっと兄さんの事ばっかり考えていたのに、兄さんはずっとこの魔命体の研究してたの? もしかして、会いたいって思っていたのは僕だけ?」


 泣きそうになる。

 僕はこんなにも会いたかったのに、当の兄さんは意にも介していないのが悲しかった。そして、少しだけ苛立ちを覚えた。


「なんだよ、放っておいたのはあのクソ親父のせいだろ? 俺も、久しぶりなのにさっきのは悪かった。ちょっと他の奴らに言われて、敏感になってたんだよ」

「もういいよ。どうせ僕なんか居なくたって、兄さんは一人でも好きな事してれば平気なんでしょ?」


 僕は兄さんが居ないとダメなのに。


「おい、拗ねんなよ」

「大体、兄さんならもう少し実用的なものを作れなかったの? 魔素だけで生きられるのは凄いけど、他には?」

「……おい、ディル」

「初めて二人で誕生日を迎えられなかったのに、こんなに離れたのは初めてなのに、僕だけ辛かったの?」


 止めた方がいいと分かっているけど、一度出た本心は次々と溢れ出して、自分でも自制が出来なかった。

 だから感情のままに、僕は言ってしまった。


「ねぇ、兄さんは魔命体ソレと僕、どっちが大切──」

「ディルヘルムッ!」

「──ッ、ぁ……」


 今までに向けられた事がない、凄い形相で胸ぐらを掴まれた。


「お前っ……! まさかお前までも、俺を否定するのか!?」


 二つの黄金の眼差しが輝きを増した。

 強い怒りを宿す瞳が縦に細められ、種族である竜の特徴を色濃くする。


 運命の子が持つ黄金の眼には、特別な力が宿っている。

 一般には〝魔眼〟と呼ばれているもので、兄さんは無意識にそれを発動させていたのだ。


 僕も同じものを持っている。

 が、しかし兄さんの魔眼は僕とは比べ物にならないほど強力で、見るもの全てを従えるような重圧プレッシャーを与えるのだ。


 その魔眼で至近距離から覗き込まれ、僕は咄嗟に体が強ばって言葉が詰まった。


「そうか、お前もそうなんだな……」

「ぃ……ち、がっ──!」


 黄金が、失望の色を宿した。


 必死に魔眼の圧に抗って否定しようとした僕だが、その前に胸元を握っていた手が離されて、魔眼も解かれた。


「兄さ──」

「出てけ」


 元々力では敵わなかった兄さんに、僕はそのまま追い出されてしまった。

 あまりの衝撃に、言われた言葉に、しばらく棒立ちとなる。


「……兄さん、兄さん! 違う、話を聞いてくれっ」


 必死に扉を叩く。

 大声で呼びかけたが、家の中から返事はない。


 ……失言だった。

 兄さんが、どれほど自分の研究成果を周囲に軽んじられるのを嫌がっていたのか、知っているのに。


「お願いだ、兄さんっ! そんなつもりじゃなかったんだ! 兄さん、兄さんっ!」


 『くだらない』と、『そんな事をする暇があったら』と、言われては落ち込んでいた姿を知っているはずなのに。

 言ってしまった。

 僕も、その周囲と同じ意味の言葉を。


 兄さんが大事に思う物を『それだけ? 僕よりも大切なの?』と問いただすような真似をしてしまった。


 共感するべきだった。

 僕だけは兄さんの事を理解していると、行動で伝えるべきだったのだ。


 それなのに……焦るあまり、言葉を間違えた。

 自制心を失って言葉で兄さんを傷つけてしまった。


「ごめん、兄さん! 僕が悪かったんだ! 話を聞いてくれっ、頼むからっ……!」


 ずるりと、返事が来ない事に絶望し、地べたに座り込む。


「兄さん……」


 結局その日は、日が暮れるまで家の前に居たが、兄さんが扉を開ける事も、声を返してくれる事もなかった。



 ◇◇◇



 兄さんとすれ違ったまま、時間だけが瞬く間に過ぎ去っていく。


「……兄さん、今日も話を聞いてくれないの?」


 一日、また一日と。


「兄さん、頼むから。一言でいいから……」


 時間だけが。


「……兄さん……」


 過ぎて行く。


 毎日会いに行っても、会えないままに過ぎて行く。


 ◇


 ある日、僕の側近の一人がこう言ってきた。


「ディルヘルム様。多忙の身の上ですし、もうヴィルヘルム様を訪れるのはよした方が……」


 あまりにも頻繁に、毎日僕が兄さんに会いに行っているので、心配してくれた言葉だったのだろう。

 でも、僕は諦めるつもりはなかった。


「僕のせいで兄さんと仲違いしたんだ。僕から歩み寄るのを止めてしまえば、二度と口を聞いてくれないかもしれない。……兄さん、頑固だから」


 本当に。

 一度決めた事は貫き通せるその意志の強さが、昔の僕は羨ましく覚えたけど、今はどうか折れてくれと祈るしか出来ない。


 強引に家を壊してでも兄さんに会おうと考えた事もある。

 しかし、何かの拍子に兄さんの研究道具などを壊してしまったらと考えると、これ以上嫌われるのが怖くて、どうしても行動に移せないでいた。


「本当に……頼むから、兄さん……」


 一度でいい。

 一度でいいから、顔を見たいよ……。



 ◇◇◇



「ヴィルヘルムは追放した」

「……は?」


 目の前に居るのは竜魔族の族長。

 僕と兄さんの父さん。


 だけど、言われた言葉が理解出来ない。


「どういう事……?」

「アイツは今日からもうリヴァエルではない」


 リヴァエルとは、族長一家の家名だ。

 代々運命の子を排出している、いわば人間の国で言う王家みたいなものだ。


「意味分からないよ!? なんで兄さんが追放!? ちゃんと説明してよ、父さん!」

「はぁ……もう何年も家に籠って外に出ず、何もしない上に被害ばかり出す穀潰しを置いておけなくなったのだ」


 なんだって?


「俺だって追い出したくはなかった。……庇いきれなくなったのだ」

「どういう事!? 被害って一体何があったの!?」


 前のように兄さんの実験動物が事故を起こしたのなら、仮にも次期族長である僕に知らせが来ないはずがない。

 それなのに、僕は何も知らない。聞いていない。

 兄さん……。


「……付いて来い」


 静かに歩き出したその後を追う。

 父さんはそのまま集落の外を出て、近くにある森の中に入っていった。


「父さん、護衛も居ないのにここまで……魔物が出たら──」

「ここにそんな強い魔物はもう居ない。そもそもお前が居るなら護衛は十分だろう?」


 確かに、下手な魔物に遅れを取るような鍛え方はしていない。

 兄さんには敵わないけど、僕だって集落でトップを争う戦士だ。


「でも……うん?」

「もう分かったのか。流石だな」


 運命の子は特殊で、普通の竜魔族より強いからそのせいだろう。

 風に乗って、微かに血の匂いが鼻を掠めた。

 そしてその匂いは、進むにつれてだんだん濃く、鮮明になっていく。


「──これは」


 森の中、ポカンと空いた空間に、ソレは横たわっていた。


「ヴィルヘルムが造った化け猿だ」


 ただの猿ではない。

 通常の五倍、いや一〇倍も大きな体躯たいくの巨大な猿だ。

 その体のあちこちには爪で引っ掻いたような傷があり、胸に空いた大穴からは血が流れ出た跡がある。


 そして周囲には、集落の食卓に並ぶ魔物達が何十匹と無惨な姿で転がっていた。

 状況から察するに、この化け猿が魔物たちを殺したのだろう。


「今までみたいに少しずつだったら見逃していたんだがな……遂に備蓄がこの有様だ。協力してこの猿は倒したが、下手な魔物より何倍も手強かった」

「……これを、兄さんが?」


 僕の住んでいる集落では、わざと魔物を森に放って緊急時の備蓄としている。

 それを、兄さんが造ったこの猿が、全てをダメにしてしまった。


 そして遂には、集落にも手を出そうとしたらしい。

 何とか協力して倒せはしたが、もはや直接的な被害が出た限り、例え族長の父さんでも兄さんを庇えなくなった。


 その結果が、家名の剥奪はくだつと追放なのだろう。


「なんで……兄さんが……。兄さん……!」


 こんな集落に喧嘩を売るような真似をして、例え運命の子でも無事でいられるはずがない。

 ただでさえ評判が良くなく、穀潰しと言われている兄さんが追放で済んだのは、父さんが働きかけてくれたからなのかもしれない。


 僕がこの事を知らなかったのも、父さんが気遣ってくれたからか……。

 こんな事、騒ぎにならないはずがないのに。

 僕がもっと早く気づいていたら……。


 色々と頭では納得しようと理由を出していくが、心は信じたくない気持ちで一杯だった。


 まさか、兄さんが。あの、集落の事を思って研究に打ち込んでいた兄さんが──みんなの役に立つものを作り出していた、兄さんが。


 集落に害を及ぼすようなモノを……。

 しかも父さんの口ぶりから察するに、しばらく前から、ずっと。


「兄さん……」

「こう言うのは気の毒だが、お前は将来ある身だ。もうアイツを兄さんと呼ぶのは止めた方がいい」

「ッ……!」


 言いたいが、何も言えない。

 全て理にかなっていて、父さんが僕の事を思っての言葉だと分かっているから。


 兄さんがやらかしてしまった現場を直視出来なくて、父さんの顔を見れなくて。

 その場に居られなくて、僕は──竜の翼を広げて空に飛び出した。


 ◇


 空を飛んでいると、次第に頭が冷えてきた。


 やはり信じられない。

 あの兄さんが、あんな事をしでかしただなんて。

 何か理由があるに違いない。


 そしてその理由は多分……僕が原因だろう。


 あの日、あの時。

 僕が兄さんを否定してしまったから──


「……くそっ」


 やっぱり家を壊しても、嫌われてでも、兄さんと話すべきだった。

 怖気付いて、そのままにしてしまったのが今の状況を生み出してしまった。


「謝らないと……」


 今からでも追いかけて、謝らないと。

 でもそのためには、立場と評価が枷となる。


 運命の子であり、次期族長が確定している僕が集落を出るというのは決して認められないだろう。

 仮にも兄さんも運命の子だったのに、簡単に追放してしまえたのも代わりに僕が居るからだ。


 ……父さんは許してくれるだろうか。


 厳格で、常に種族のためを考える父さんだが、実は家族思いな事も知っている。

 僕が頼み込めば、なんとか……。


 ◇


「──頭は冷えたか?」

「はい……」


 地に降り立ち、竜の翼を折りたたんで体の中に収納した。

 竜魔族の翼は体内の魔力を使って実体化するため、このような事が可能なのである。


 一瞬躊躇ためらってから、僕は意を決して口を開いた。


「父さん。実は……兄さんの後を追いたいんだ」

「そうか、たまには戻って来いよ」

「それはもちろ──え?」


 えっ??


「いいの!?」

「何を驚いているんだ? 自分で言っただろうに」

「そうなんだけど……あまりにあっさりしてるから」

「反対されると思ったか?」

「はい」


 正直に返すと、父さんはふっと笑ってガシガシと頭を撫でてきた。


「……初めての兄弟喧嘩が終わってないんだろ? 構いやしねぇよ。お前が居ない間はもうしばらく族長を引き受けてやるから、とっとと仲直りして来い」

「父さん……ありがとう!」


 父さんの子供で本当に良かった。



 ◇◇◇



 それから、僕は兄さんの後を追う旅に出かけた。


 兄さんは何も言わず、残さずに集落を出たようで、手がかりは目撃証言しかない。

 それでも会って話をするべく、僕は必死に兄さんの影を追った。


 そうして僕は今、人間の国にいる。


「おい、今日の獲物は──」

「酒だ酒! 酒を──」

「最近の市場はどうも──」

「はっはっは、姉ちゃんよ──」

「あの鍛冶屋、潰れたんだって──」

「雨降らないかな──」


 やっぱり酒場は情報が集まりやすい。

 竜魔族は、竜の翼や魔眼を見せなければ、外見は普通の人間とほぼ同じ姿をしている。

 違いは強いて言えば、瞳孔が少し縦に割れているくらいか。


 魔人種の特徴である魔素の直接操作をしなければ、滅多にバレる事はない。

 それを生かして、僕は人間の国まで足を伸ばした。


 ここ数年で身につけた言語技術で会話を盗み聞きながら、出された水を口に含む。ぬるい。


「それでよ、出たんだって!」

「何が?」

「西の森の中から突然犬が浮かび上がって現れてさ」

「なんだ犬かよ」

「ところがその犬、ただの犬じゃないんだよ! そこらのゴブリンなんて相手にならないくらい強かったんだ」

「はぁ? 犬が? 吐くならマシな嘘をだな──」


 ビンゴ。

 ここら辺に居るだろうと思っていたが、案の定だったようだ。


 そう。

 心苦しい事に、一番確証の高い情報が兄さんの造る改造生物の噂話だ。

 大体が癖のある特徴を持っていて、魔物よりも強いという点で判断出来る。


 人間の街を出て、人気がない事を確認してから僕は空を飛んで西の森へと向かった。

 やっと掴んだ大きなチャンスなんだ。

 兄さんがまた移動する前に、接触しないと。


 ◇


 西の森に行き、竜魔族としての感覚と黄金の魔眼による捜索を行った。

 そしてついに、兄さんと数十年ぶりの対面を果たしたのだが……。


「……兄さん」

「ディルヘルムか。今更何しに来た?」


 その姿は、あの頃と酷く変わり果てていた。

 輝かんばかりだった金髪はくすんでおり、黄金の輝きが宿っていた目には陰が落ちている。

 着ている服も綺麗とは言い難く、経年劣化でボロボロになっていた。


「僕は、兄さんに謝りたくて来たんだ」

「へぇ。次期族長様が集落から追放された出来損ないをわざわざ、ねぇ……」

「出来損ないなんかじゃない! 兄さんの凄さは僕が知っている。あの日は感情のあまりに酷い事を言ってしまった。謝りたいんだ!」

「いらねぇ」


 即座に切って捨てた兄さん。

 そこでようやく、その陰の落ちる目が再会してから一度も僕に向けられていない事に気が付いた。


 最初にチラッと横目で顔を見られただけで、その後はずっと手元の作業に集中している。

 ……あの日みたいに。


「兄さん……なんであんな事したんだ? どうして人を傷つけるような研究を、兄さんが……」


 兄さんを追いかける旅で、様々な改造生物を見てきた。

 そのどれもが特殊能力を宿し、魔物よりも強く、そして凶暴な人を襲う習性を持っていた。


 改造生物の所為で家族を亡くした人にも会った事がある。

 昔は役に立つために研究をしていた兄さんが、今では悲劇を生み出している現実を直視したくなかった。


 だから僕は問うた。

 何故こんな事をするのか、と。


「ハッ、なんでかって? それは──」


 だが、返ってきた言葉は。


「──お前みてぇな幸せな奴のツラを歪ませるためだ」


 否が応でも、僕に現実を直視させてくるものだった。


「なっ、んで……」

「知らないとは言わせないぜ? お前のせいで俺はこうなったんだからよ」


 やっと、兄さんが僕の方を見た。

 黄金の眼差しに、ほの暗い怒りと羨望と憎悪をたたえて。

 それがあまりにも記憶の中の兄さんと違っていて。


「兄さ──」

「二度とそう呼ぶな」

「っ……」

「今の俺はヴィルヘルム・リヴァエルなんかじゃない。ただのロプトだ。今更お前が謝ってこようと、今の生活を止める気は無い。さっさと帰れ」


 取り付く島もなかった。

 僕の顔を見るのも嫌なようで、直ぐに視線を外す兄さん。


 昔のように『ディル』と呼んで欲しかった。

 だけど、あの頃の兄さんはもう居ない。

 僕が変えてしまった。

 変えてしまったんだ……。


「……それでも。それでもっ! 一度僕の話を聞いて欲しいんだ!」

「戯れ言を聞く時間はねぇ。双子の縁があったから、お前が不躾にも人の家に怒鳴り込んできている現状を見逃してやっているんだ。二度目はない。最後の警告だ──」


 そこでもう一度、濁りきった目で僕を見て、兄さんは言った。


「──消えろ。その顔を見るだけで反吐が出る」


 ◇


 その後、どうやって街まで戻ったのか。

 気がついたら僕は城門の前に立っていて、そこに至るまでの過程が記憶からごっそり抜け落ちていた。


 兄さん……。

 兄さん…………。


「……全部僕の責任だ」


 これが兄さんを傷つけてしまった僕への罰というのなら……僕には果たして、『兄さん』と呼ぶ資格はあるのだろうか?


 激しい自責の念に囚われる。


 あの日、言葉を間違えなかったら。

 早い内に、仲直りをしていたら。

 嫌われてでも、誤解を解けていたら。


 ……しかし、全ては過去の話。

 過ぎ去った事実は二度と変わる事はない。


 もう……あの頃の『兄さん』は、戻って来ない。

 戻って来ないんだ。


「これから、どうしよう」


 元々兄さんに会うために始めた旅。

 既に集落を出てから十数年は経っている。


 時々帰って来いと言った父さんだが、僕は今まで何の連絡もなしで、一度も集落に戻っていなかった。

 今更、役目を放棄して兄さんを探しに行ってしまった僕が、戻ってもいいのだろうか?


 ……いや、そこで躊躇ったから、兄さんは変わってしまったんだ。

 今度は間違えない。


「一度、戻ろう」


 竜魔族の集落に。

 僕の故郷に──



 ◇◇◇



 故郷に帰ると決めた僕だが、予想外の事態で足止めを食らっていた。


「街の人達の様子がおかしい?」

「ああ。さっきまでは普段通りだったのに、いつの間にか正気を失ったように暴動を起こし始めたんだ!」


 街から逃げ出す人に聞き出した。


 僕が街の中に向かうと、そこでは男女、子供老人問わずに沢山の人が暴れ回っていた。


 家屋に油をかけて火をつける男性。

 包丁を持って誰かを追いかけまわす女性。

 子供が制圧に動こうとした人に引っ付いて獣みたいに噛んだり、老人は手当り次第に意味不明な事を喚き散らして乱闘騒ぎを起こしている。


 まだ治安維持の人達が抑えてはいるが、いつ刃傷沙汰になってもおかしくない状況だ。


「ぉぷおーさァまァだめに゛イィ! じネぇえー!」

「いやぁぁぁ──ッ!」


 クッ、まさに懸念している通りになってしまった!


 僕は胸を刺された女性の方へ走りよって抱き上げ、おかしくなっている男性から庇う。


「しっかりしてください!」

「邪魔ヲぉおお! ずルなァあア!!」


 抱き上げたまま、後ろに跳んで男性の包丁を避けた。

 まともな思考能力が残っていないのか、遅れを取れるほどの実力ではない。

 しかし、この男性みたいに狂乱している人が街中に溢れ返っているこの現状は、十分警戒に値するだろう。


「今助けますので、気を──」

「ぅううああ゛あ゛ア゛ァ゛!」


 なんだと!?


 突然、抱いている女性が僕の手を振りほどいて、他のおかしくなっている人同様に暴れ始めた。


「待てっ! そんなに動くと傷が──……虫?」


 そう、突然おかしくなった女性の胸の刺し傷から、まるで空のように青い虫の大群が湧き出ていたのだ。

 いくら何でも、化膿が早すぎる。

 刺されてから数分も経っていないのに──


「刃ゆぎァルぁああヴぃらぁあアアあァァ!」

「危ねぇ!!」

「うわっ!」


 噛みつかれそうになった所を、腕を後ろに引っ張られて事なきを得る。

 そのまま引かれるがままに、至る所で煙が上がっている街の中を走る、走る。

 そしてとある大きな建物に入ると、僕の手を引いた男性はバタン! と扉を閉めて、開かないよう念入りに棚で塞いだ。


「ふぅ、これで一息ついたか……」

「助けていただきありがとうございます」

「気にすんな。まだ正気な奴がいて良かったぜ」


 鍛え上げた体に流れ落ちる汗を拭う男性。


「俺ぁリュカルグ。兄ちゃん、あまり見ない顔だが、旅人か?」

「はい。僕はディルといいます。街に来た時に、この騒ぎになりまして……」

「そうか、そりゃ災難だったな。ご覧の通り、今この街の奴らはみーんな虫の所為でおかしくなっちまってる」

「虫……」


 あの女性の傷口から湧き出ていた、青い虫の事か。


「おかしくなった奴らに噛まれるとあの虫が寄生してくるんだ。それで他の奴らは全員やられちまったよ」

「……正気な人は?」

「見た限りだと、俺と兄ちゃんしか居ねぇな。他にも逃げている奴がいるかもしれんが」

「そうですか……」


 大変な事に巻き込まれてしまったようだ。

 あの青い虫は、一体なんだろう。

 人に寄生して頭をおかしくしてしまうなんて、今まで一度も聞いた事がない。

 まさか──いや、まさかね……。


「正気に戻す方法はないんですか?」

「知らねぇ。でもまぁ、単純に考えれば、体内に寄生している虫を取り除けばいいんじゃないか?」

「取り除く……それなら何とかなるかもしれません」


 僕の魔眼で虫の居場所を突き止めて分離させ、回復魔術で治せば正気に戻るかもしれない。

 壊死した指を切り落として再生させるような荒業だが、このままでいるよりかはいいだろう。


「本当か!?」

「多分ですけど……」

「頼む! 俺の娘が寄生されているんだ。今は暴れるから別の部屋に閉じ込めているが、治せるなら何とかしてくれっ」


 必死に懇願するリュカルグさん。


 しかし、治すと僕が竜魔族だとバレてしまう事が問題だ。

 人間種と魔人種は、魔素を直接操作出来るか出来ないかという違いにより、過去では長年戦争をしていたという。

 今は互いに不干渉を貫いているため、表面上は平和が続いているが、偏見はなくならないだろう。

 種族が違うと分かったら、果たして信用してくれるのか……。


 でも……助けられた恩は返さないとだよね。


「分かりました。ですが、その前に一つ話しておく事があります」

「なんだ? 治せる確証はなくても、可能性があるだけで十分だ」

「実は──」


 僕は最大限に魔眼の威力を弱めて発動させ、同時に竜魔族の象徴である竜の翼を拡げた。


 目を見開くリュカルグさん。


「──僕は兄を探しに人間の街に来た竜魔族です。僕でもいいのでしたら、力の及ぶ限り治療を行います」

「こりゃあ、たまげたな……」


 何を言われるか、少しドキドキしながら待つ。

 そんな僕に、リュカルグさんは笑いかけてくれた。


「全然気づかなかったが、竜魔族でも魔人種でも構わない。頼む、どうか娘を助けてくれ!」


 ◇


 リュカルグさんの娘──ユカさんがいる部屋に案内される。


「ぅ……うぐぁー! あぁヴあァ!」


 彼女はベッドに動けないよう縄で縛り付けられており、その様は見ているだけで痛々しかった。


「では、始めます。あまり直視はしないでください」


 リュカルグさんに注意をし、僕は黄金色の魔眼を発動させた。

 兄さんの魔眼が対象を威圧するのに対し、僕の魔眼は相手の様子を調べる事に特化している。

 空中に漂う魔素や、体内の魔力の流れ──魔力回路まで、通常なら目に見えないモノが鮮明に知覚出来るようになるのだ。


「これは……」

「どうだ? 治せそうか!?」


 勢い余って覗き込みそうになったリュカルグさんを、僕は手で制止した。

 魔素や魔眼の耐性が魔人種より低い人間は、魔眼を直視したらタダでは済まないからだ。

 魔素の場合は濃度にもよるが中毒を起こしたり、魔眼を見て精神に異常をきたす事もある。


 でも、そんな事より僕は、ベッドに横たわるユカさんの身体の異常に驚いていた。


「魔力回路が……」


 彼女の魔力回路は、ほとんど原型を留めていないほどに、食い荒らされていた。

 おそらくは──あの青い虫に。


 そして、その虫だと思われるうごめく魔力反応は、もはや分離の仕様がないほどに全身に現れている。

 一番酷いのは、司令塔の役割を果たす脳だ。

 脳にこの虫が達しているせいで、正常な思考能力が失われてしまうのだろう。


「魔力回路がどうかしたのか!?」

「それは……──!?」


 助かる見込みはない。

 そう面と向かって言うのはあまりに酷だろう。


 僕はどうやって伝えようかと思って、目を合わせないようリュカルグさんの方を見た。


 その瞬間──気づいてしまった。


「おい、どうしたんだ?」


 その身体に巣食う無数の魔力反応と、魔力回路を食い荒らす澱みに。

 彼もまた──あの虫に、寄生されていた。


「リュカルグさん……落ち着いて聞いてください」

「な、なんだ?」


 俯きながら、余命宣告をする医者のような気持ちで僕は告げた。


「ユカさんの魔力回路はぐちゃぐちゃに食い荒らされていて、青い虫の魔力反応──澱みが脳にまで達していました。助かる見込みは、もう……」

「嘘だっ! 嘘だろ!? 頼むから、そうだと言ってくれっ!」

「そして残念ながら……リュカルグさんにも同じような魔力の澱みがあります」

「なっ……」


 それが意味するのは、リュカルグさんも遠からずに外にいる人達と同じように、おかしくなってしまうという事だ。


「嘘だろ……噛まれていないのに──」

「──多分ですが、噛まれなくても傷口から寄生されてしまうのかと。最近、怪我をした事は?」

「……ある。確かに昨日の夜、包丁で指を切った」


 その時に寄生されたのだろう。

 まだ青い虫が脳まで達していないから、リュカルグさんはまだ正気なのだ。

 しかし、こう話している今も、僕の魔眼に映る魔力の澱みは上へ上へと進行している。

 そのスピードから予想するに、寄生されてから脳に達するまでは約一日。


「は、はは……そうか、俺も寄生されていた訳か」

「虫が脳に達するのは、予想ですが一日の時間が必要です。おそらく、夜にはもう……」


 続きを言えなくて、僕は沈黙するしかなかった。

 部屋にユカさんの唸る声だけが響く。


「……そうか。なら、一つ頼まれてくれないか?」

「なんでしょうか」

「竜魔族ってのは、ドラゴンみたいに空を飛べるんだろ?」

「はい。ドラゴン系列の魔物から進化した種族なので……でも、一体なにを?」

「この街はもうダメだ。あとは、寄生されていない奴が助けを呼んでくるしかない」


 僕なら、確かに可能だ。


「……分かりました。助けを呼んできます」

「ああ……頼む」


 ◇


 僕はリュカルグさんに託され、街から飛び立った。


 向かう先は、西の森。


 他の人間の街に行っても、僕の言う事を信じてくれる保証はない。

 それに、魔眼を持つ僕でも治療が無理だと判断したのに、魔素を直接操る術もない人間に可能だとは思えなかったからだ。


 何よりも……あの虫が僕には引っかかる。


 傷口から人間に寄生して、その意識を壊すような虫なんて、聞いた事がない。

 曲がりなりにも、次期族長として幼い頃から教育されてきた僕だ。魔眼もあるので、知識量でなら誰にも負けない自信がある。


 でも、僕はその青い虫を知らなかった。


 だとしたら、考え得るのは──改造生物。

 この虫が……兄さんによって、作られたとしたら。


「兄さんッ!!」


 西の森に到着次第、兄さんの小屋があった場所に向かった。

 しかしそこは、既にもぬけの殻だった。


『……ここに戻って来たという事は、寄生蟲には気づいたようだな』

「──兄さん!」


 虚空に先程会った兄さんの姿が浮かび上がった。

 僕の声に反応して発動する魔術だったのだろう、実体はなくただ会話するだけのようだ。


「どうして!? なんであんな事を!!」

『兄さんと呼ぶなと何度言ったら分かるんだ?』

「今はそんな事、どうでもいい! 何のつもりであんなおぞましい生物を作ったかと聞いているんだ!」

『今の俺は、もうお前が知っている頃の俺とは違う。俺は真にこの才能を役立てる道を見つけただけだ』


 それが、虫に人の脳を壊させる事なのか!?


『──不平等とは思わないか?』

「何をだ!」

『俺ら魔人種は魔素の直接操作が出来て、人間種は魔力を介してじゃないと出来ない。動物はそれさえも知能の低さから出来ず、弱者は搾取されるだけの世界。その全てだ』


 何を……?


『弱肉強食は自然の摂理? ──そんなの、おかしいとは思わないか?』

「さっきから、何を!」

『俺達魔人種でも、才能の差や産まれ持った優劣がある。俺はな……みんなが平等な世界を作りたいんだ』

「そんなのは有り得ないっ!」

『いいや、有り得るんだよ。俺が作るからな』


 平等な世界を、作るだって……?


 一見すると世界平和を願う言葉だが、僕にはそれがとてもおぞましい思想に聞こえた。


『そうだな、手始めに知能で劣る動物を魔術を使えるように改造した。踏めば潰れる虫でも、人類に対抗出来る手段を与えた。みんなが平等──公平に、殺し合える世界だ。素晴らしいとは思わないか?』

「…………狂ってる」


 そんな世界を作ろうなんて、絶対に正気じゃない。

 食卓に並ぶ獲物が人類を脅かせる力を持つだなんて……下手したら、種族ごと全滅の危機だ。

 世界が混沌に陥るだろう。


 やっと理解した。

 兄さんは──狂っている。


『またそうやって、お前は俺を否定するんだな』

「あれは僕が悪かった! だがっ、あの頃の兄さんはこんな事をするような人じゃなかった! 兄さんはいつも集落のために役立つ研究をしていて──こんな世界をめちゃくちゃにするような真似、肯定出来る訳がないじゃないかっ!」

『同じだろ? 何が違うんだ? 正しいと間違い、なんでお前がそれを決めるんだ?』


 ……ダメだ。話が通じているようで、通じてない。

 価値観が噛み合わない。

 兄さんは本心から、そんな世界の方が良いと思っているんだ。


「……僕が止める」


 僕が、兄さんを止めないと。


『はっ、出来るもんなら──やってみろ』


 そこで魔術は途切れ、兄さんの……いや、今や世界を脅かす存在になったロプトの姿は掻き消えた。



 ◇◇◇



 そこから、ロプトの凶行が大々的に始まる。


 ロプトは僕が知り得ない魔術で世界中に改造生物をばら撒き、自らその元凶〝邪竜王ロプト〟を名乗って世界の敵になった。


 僕が止める暇もなかった。

 止めようとしても、僕が知らない内に新たな改造生物が世界中に出現していったのだ。

 その方法は、皆目見当もつかない。


 身体強化した人間以上の膂力りょりょくを持つ怪物──化け猿が村を蹂躙じゅうりんし、吸い込むと致死性の毒になる胞子を撒き散らす毒シダが街を全滅させた。

 飛行そのものが攻撃となり、衝撃波とソニックブームを巻き散らかす光速鳥が都市を混乱に陥れたり、群れで魔術陣を組み立て魔術を使う軍団蟻が避難民を虐殺する。

 畑でもなんでも有機物は全部食べ尽くし、土地を汚染する排泄物を出す暴食ワームの所為で農作物は育たなくなり、人々は住む場所を追われる事となった。


 中では、人間の脳を食らう寄生蟲や病を運ぶ疫病蚊が一国を滅ぼした例もある。


 当然、人類も応戦した。

 魔物などとは比べ物にならないほど強く、特殊能力をもつ改造生物達に死力を尽くして抗い、時には勝てた場合もある。


 しかし、ロプトは容赦がなかった。


『じゃあ、次は微生物だな』


 世界へ向けてその言葉が広がった後──人類は水を飲めなくなった。


 原因は、海にある微生物が放たれたからだった。

 その微生物の名は──魔命体まめいたい

 魔素だけで生きる事が出来るという、一見何も害がない微生物によって、人類は水を絶たれた。


 何故なのかは分かっていない。

 しかし、目にも見えない魔命体が混入した水を体内に入れると、たちまち魔素への抵抗力が弱まっていき、やがて魔素中毒の症状を起こして死に至る。

 それは人間種より魔素への耐性が高い魔人種も、例外ではなかった。


 魔命体は水を介して雨となり、大地に降り注ぎ、川を流れ、今や世界中の水に含まれてしまっている。


 その結果──全世界のおよそ三割の人類が減った。


 ある人間が真空状態で空気中の水分を集め、一定時間放置すれば、魔命体が死滅するという事を発見しなかったら、それよりも被害は増えていただろう。


 あまりにも人類が減るのが早すぎたためか、ある日ロプトが救済措置を用意したと言う。


 あんな大虐殺を引き起こした元凶だが、あくまでもロプトは〝全ての生物が平等に殺し合う〟という思想を前提としていた。

 改造生物達と生存競争をするのはいいが、人類が一方的にやられ過ぎても駄目だ、と。


『ランダムに転移する亀の甲羅に生える治癒苔は、改造生物による影響や怪我を何でも完治させる事が出来る』


 希望が見えたかに思えた。

 しかし、その転移する亀──転移亀は、大きな山と同じくらいの巨体を持っていたのだ。


 前触れもなく、突如国のど真ん中に現れた転移亀。

 その大質量になすすべもなく、またもや幾つもの国や種族が滅びた。


 その背中に生える治癒苔を運良く命からがら手に入れ、確かに瀕死の重体から回復したという例もある。

 だが、それにより助かったという者は、転移亀が現れた事による被害よりも圧倒的に少ない事は確実だろう。


 このように、ロプトの改造生物達により、世界は混沌に飲み込まれた。


 暴食ワームにより汚染され、様々な改造生物が跋扈ばっこする地上では、生き残れそうに無い。

 そして空には危険極まりない光速鳥が居るため、自然と人類の生活圏は地下へと移っている。


 もはや国家として機能している国は、改造生物達の特徴や対策を学習し、即座に状況に対応出来た人間の国──超魔導大国の一つしかない。

 その他の種族や超魔導大国の庇護を得られなかった人間達は、世界各所にある地下シェルターで今を生き残るだけで精一杯の生活を送っていた。


 これが世界の現状だ。


 まさにロプトが望む通りの、平等に全ての生物が殺し合う世界──暗黒時代の幕開けだった。



 ◇



 僕も力の限り抗ったが、結局世界がこうなる事を阻止出来なかった。

 僕ではロプトを……兄さんを、止められなかったのだ。


 僕の責任だ。

 双子の弟である僕だけが、唯一兄さんを止められたかもしれなかったのに。

 あの日、僕が選択肢を間違えたせいで……。



 ──だから、せめてこの手で決着を付けよう。



 兄さんが……邪竜王ロプトが生み出す悲しみの連鎖を、僕が断ち切ろう。


 それが例え、双子の兄の命を奪う事になっても。

 必ず、世界をあるべき姿へと戻す。



 これは、僕が始めた物語だから──





 ………………



 …………



 ……




 いかがだっただろうか?


 こうして幕を上げたくらき暗黒の時代。

 始まるのは、世界を救う〝英雄〟達の物語ストーリーである。


 しかしそれを全て語るには……少々残りの紙と時間が少な過ぎるようだ。


 残念だが、ここで締めさせて頂くとしよう。



 ◆



 後に、破滅へと向かっていく世界を勇者と共に救った〝英雄〟の一人、ディルヘルム・リヴァエル。


 その兄であるヴィルヘルム・リヴァエル……世界を混沌に陥れた〝邪竜王〟ロプト。



 これは、後の世に長く語り継がれる歴史。

 その裏に隠された、双子きょうだいの知られざる史実である。



 ──いつの日か、この真実を探しに来た者へ。


 ──全てを見届けた者として、此処に記す。



         シャロン・シュタイゼン

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双子兄弟のすれ違い〜暗黒時代の幕開け〜 鯛焼 野然 @Neziat_Taiyaki

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